20181213 プレバト!!俳句紹介【スーパー銭湯】
- 2018/12/13
- 22:00
2018年12月13日放送 プレバト!!
出演者が詠んだ俳句を紹介します。
●お題:冬のスーパー銭湯
◆1位 才能アリ70点 津田寛治
「師走の夜 ゆ屋の湯気見え 途中下車」
【本人談】
電車で帰る時、僕が降りる1つ手前にスーパー銭湯がある駅がある。その駅に停まった時、スーパー銭湯の露天からフワっと湯気が出ていた。帰ってやらないといけないこともあるが、それが見えたらちょっと一風呂浴びていこうかな、と。
東国原名人
「見え」という部分で、俳句では「見える・聞こえる」はよっぽど意味がない限り嫌う。ここの評価をどうされるのか興味がある。
夏井先生
やっと俳句らしいのが出てきた。本当にほっとした。
季語「師走」と「夜(よ)」という時間。「ゆ屋」という場所。「湯気」という映像。最後に「途中下車」という動作が出てきて、それぞれの言葉がお互いを全く邪魔しない形で並べられている。そこは一番褒めないといけないところ。
「見え」を消すか活かすかによって方向が2つ分かれる。「見え」を活かすとすればで添削する。
中七から始め「湯屋」と漢字で書く。「の湯気見えて」とわざと「~して」という意味の「て」を入れ、見えたから思わず「あっ!」と思った感じを出す。
1音足したので、全部の内容を入れると当然字が余る。残りの情報の中で消してもいいものがないかと考える。季語「師走」と「下車」は必要な情報なので、消してはいけない。
そうなると、例えば「師走の夜(よる)を下車」とすると、夜という時間帯が際立つ。
「を」という助詞をうまく使うと、あなたの思いや動きがたった1つの助詞で表現できるということになる。
本人 ビックリですね、これ。
添削後
「湯屋の湯気 見えて師走の 夜を下車」
◆2位 凡人57点 塚地武雅(ドランクドラゴン)
「露天風呂 湯けむり白息 混ざりけり」
※季語「白息」は寒い日に吐く白い息。
【本人談】
露天風呂って外にある。息自体は白く寒さを感じているが、温泉自体は白い湯気が出ており、同じような白い蒸気が出てるのに1つになっている場所。素敵ですよね~っていう。
東国原名人
本人が「あるある感」と「そこ突くか」という視点を合わせたら俳句ができるとおっしゃった。すごく良い視点で見てるなと思った。「あるある感」でも「あ~!あるある!」ってのと、「あるよなー」っていうのと。この句はどっちかっていうと、「あるよなー」。
夏井先生
これは非常にありがちな光景をあたかも自分の発見のように語っている凡人の句。まさにそれ。
ただ2位になっている理由もある。
「露天風呂」という場所。「湯けむり」という映像。「白息」という季語。「混ざりけり」という状態。それぞれがお互いを邪魔しない形で言葉を選んでいる点は2位として多少胸を張っていい。でも多少ですから。
もう1つ解消したいのは、「湯けむり白息」と中七が8音になっている。
これは語順変えて字を削ると全部うまく入っていく。目に入った光景から描いた方がこの句の場合は得。
目の前にある光景から。「湯けむりに」とし、「まざる白息」と「混」は平仮名の方が良い。これで眼前の光景が描ける。
最後に「露天風呂」とくる。
本人 素敵!
夏井先生
こうすれば色んな問題点が解消して調べが流れるようになる。ただ、発想が凡人であることは何ら変わらない。
本人 そもそもの発想が貧困みたいな扱い。
添削後
「湯けむりに まざる白息 露天風呂」
◆3位 凡人53点 高畑淳子
「冬露天 ばばの手をひく 幼子や」
【本人談】
前回(→離婚届の回で才能ナシ最下位10点だった)先生に注意された「実際に見た光景」を浮かべた。スーパー銭湯で一番びっくりするのは老婦人の裸。おっぱいかしめ縄かわからないような乳房。その干乾びた体を子どもが引いているお孫さんがいて、湯船につかってその光景がいいなと。
ミッツ
「ばばの手」というキャッチーなインパクトのある言葉があるなら、「ばばの手」を最初に持っていきたい。
夏井先生
偉い偉い。その通りですよ、ミッツさん。
本人 あたし?
夏井先生 いや、ミッツさん!
(本人、こける)
夏井先生
でも言ったことをちゃんとやるという姿勢も嬉しい。
頭で「冬」という季節は出てくるが、「ばば」という人物。「手をひく」という動作でもう一人いるとわかり、最後に「幼子」と正体が明かされる。
この前のなぞなぞ(→離婚届の回に「赤い糸緑の紙で白紙なり」と詠んだ)とは全然違う。俳句のエリアに十分入ってきた。
問題点は2つ。1つ目は「冬露天」が寸詰まりな言い方。無理やり入れたのが丸見え。
2つ目。最後を「や」で終わるのはとてもバランスを取りにくい難しい型。
「ばばの手をひく」で始め、寸詰まりの解消のために何か言葉を省略しないといけない。「幼」が不要。
「子や」とここで詠嘆し、「冬の露天風呂」と来る。
浜田 どうですか?こう直されると。
本人 うーん・・・そうですね。
浜田 何?不満?
夏井先生 出来上がったものがすごいと思わない理由はたった1つですよ。元の句がこの程度だった。
浜田 そらそうですね。
[ここがポイント]
下五「や」は難しい型
添削後
「ばばの手を ひく子や冬の 露天風呂」
◆4位 凡人50点 黒谷友香
「冬晴れや 湯気の向こうは 皆笑顔」
【本人談】
冬の晴れたいい感じの時に疲れを癒しながらみんなで喋ったり、いい感じに笑顔になる。親子でも恋人でもいいし、そういうのを含めて詠んだ。
夏井先生
中七・下五が今回のキングオブザ凡人。
湯気の向こうはみんな笑顔なもの。うっかり季語を「冬の夜」にしてたら、みんな鍋だと思う(→「湯気」が鍋かやかんか風呂かわからない)。
鍋だと誤解しないようにちゃんと「風呂」って書いた方がいい。
凡人みんな問題点が一緒。これも中七「湯気」から始める。
「湯気に」で湯気「の中」「~によって」。「の向こうは」はいらない。
「みな」と平仮名にする。
本人 へぇ~~。
夏井先生
へぇ~じゃないよ。「笑(え)む」で笑う事。「冬晴れの」とし、ちゃんと「露天風呂」と書いて。
東国原名人 (添削が)みんな一緒。
ミッツ 全部一緒だわね。
夏井先生
結局私はずっと「露天風呂」って書いてるだけ。
浜田 先生、さっきからずっと露天風呂って書いてるだけ。
[ここがポイント]
何の湯気か明確に
添削後
「湯気にみな 笑む冬晴れの 露天風呂」
◆最下位 才能ナシ30点 森優作
「湯に浸かる 色とりどりの おでんかな」
【本人談】
実際に兼題をもらって行ってみた。スーパー銭湯って老若男女が来る。色んな身体があるなと思った。俺はおでんに喩えるとがんもかなと思い、自分も銭湯で味が染みたおいしい具になりたいという気持ちを込めた。
浜田 名人、どうですか?
東国原名人 僕はね、スジ肉。
浜田 なんやねん、そういう問題じゃない。
ミッツ 私、たまご。
浜田 「あなたは何ですか?」とか聞いてない。
東国原名人 でもこれ前衛とみれば前衛。自分がお湯につかってたら、おでんの具がプカプカ一緒に浮いていた。そういう風に僕は読んだ。
夏井先生
そう読んだら、面白いかもしれない。
「湯に浸かる」でお風呂かな?と思い読んでいくと、え!?おでんだったの?という読みが1つ。
もう1つの読みはまさに名人の指摘の通り、なんでおでんが浮いてるんだろう?ということになる。
もう「スーパー銭湯」と書くしかない。「湯」だけは使えるが、「に浸かる」はいらない。
「おでん」が出てきたら「色とりどり」と説明しなくても、お湯に浸かってる人間を比喩しているってわかるから、「色とりどりの」も消す。
「かな」と詠嘆している場合じゃない。比喩とわかるように、おでん「のごとき」とすれば、おでん「のような」という意味になる。
複数ならば「我らなり」で良いし、自分一人なら「おでんの芋のごとき我」でも良い。
おっしゃった「がんも」を使って「おでんのがんものごとき我」とすれば、一人でがんもどきのように湯に浸かっている感じが出る。
本人 寂しいな。
夏井先生
寂しいね。直した私も寂しい。
添削後
「スーパー銭湯 おでんのごとき 我らなり」
「スーパー銭湯 おでんのがんものごとき我」
★特待生昇格試験★
ミッツ 「スーパー銭湯」というお題は皆さんと一緒で難しかったが、私なりに発想を飛ばして作ってみた。
◆「打たせ湯の肩 夜をしのぶ 雪女郎」 ミッツ・マングローブ
【本人談】
雪女郎は「雪女」。化けもの扱いされる冬のもののけだが、そんな雪女郎だって人を脅かしてばっかりでなく疲れる時がある。打たせ湯って割と孤独な作業で夜と世をしのんでいる感じを掛けて自分事のように書いた。
ツダカン (打たせ湯で)溶けたりしないんですか?雪女は?
本人 どうなんでしょう?私は雪女ではないんですよ。
浜田 わかってるわ!そんなこと。
夏井先生
この句の評価のポイントはここ「夜をしのぶ」です。
■査定結果
2級へ1ランク昇格
理由:季語を活かす工夫
夏井先生
「雪女郎」という季語そのものが虚構の季語なので、なかなか難しい題材を選んだ。
でも平場の人達の露天風呂論争からは発想が飛びぬけている。
浜田 そうですよね。ずーっと(凡人は)「露天風呂」「露天風呂」「露天風呂」って。
塚地 もう言わんでええでしょ!
夏井先生
ちゃんと発想として工夫している所は褒めたい。
ここからの問題。「夜をしのぶ」の受け取り方。
「夜を偲ぶ」という意味でとると、「夜というこの美しい時間をうっとりと愛でている・心惹かれている」というイメージになる。
「世を忍ぶ」と書くと、「人から世から身を隠している」という感じになる。
この2つの意味を込めることによって、何を狙っているかといったら「雪女郎」という季語はそういうものなんです。うっとりと美しくかつ人の目から隠れているようなものなんです、と季語をちゃんと活かす効果がある。
浜田 でも先生、さっきから湯掛けたら溶ける?んちゃうんかとか言うてますけど。
夏井先生
その部分いきましょう。「打たせ湯の肩」が非常に印象的に残った。これはどうも美しい若い女性のような気がした、と。これが現実の光景。
ここで本当は「肩や」と強調したいところ。カットが切り替わる効果があるため。
この句は、「あとで振り返ってみると、あれはひょっとしたら夜をしのんでいた雪女郎ではないだろうか?」とそういう風に読む。
「さっきまで降ってなかった雪がしきりに露天風呂に降り始めた。あのハッとするような美しい肩は人間のものではないような気がする。あ、あれは夜をしのんでいる雪女郎だったに違いない」と。そういう物語としてこれは解釈できる。
手を入れたら作者に申し訳がない。
添削なし
★永世名人への道★
東国原名人 この道がね、津田さんね。本当の「奥の細道」なんですよ。奥が細~くなっててね、辛いですよ~。平場に戻りたい。
※オープニングで映画俳優として紹介を受けた津田寛治は、俳句と映画は似ており、例えば「奥の細道」はロードムービーの様だと語っていた。
◆「湯冷めして 九条議論 終はりけり」 東国原英夫
【本人談】
国会では憲法9条の議論がせわしい。その議論を(一般人が銭湯の)お湯で軽くしてたんだけど、湯冷めしてスッと終わってしまった。つまり、難しい話だったんだけど、湯冷めして終わるくらいのそんなもんかな、という。
本当は、「くしゃみ」というのが冬の季語でくしゃみして九条議論が終わるのが良いなと思う。「ヘクション」って終わってもうやめようという感じ。お湯から上がってくしゃみしてっという感じがね、うまく表現できなかったので「湯冷めして」にした。
夏井先生
この句の評価のポイントは「~して~終はり」という叙述です。
浜田 また難しいこと言い出したよ。
(物悲しい顔で見つめる本人)
浜田 なんちゅう顔してんねん。
■査定結果
名人10段で現状維持
理由:臨場感が足りない
夏井先生
臨場感が足りないとはいえ、「九条議論」があの写真見て出てくるのはやっぱりさすが。
お風呂から上がった後の「湯冷め」という季語を見つけて、「九条議論」とくると、湯に浸かっていた間の光景もこの句の外にちゃんと描き出す。こういう発想はさすが。
なぜこの叙述が損か。「湯冷めして」という理由と「終はりけり」という結果が普通の文章のような順番で書かれているというただそれだけ。
こういう時には、ちょっと語順を変えて「九条の議論が終わりました、湯冷めしてね」、と。こう添えるように語順を変えるだけで良いが、ご本人の話の中で面白い言葉、まさにそれを入れた方がいいと思う言葉が出てきた。それは「くしゃみ」。
なぜ「くしゃみ」を入れなかったか。「湯冷め」が季語で「くしゃみ」も季語だから、2つ入れると季重なりになる。それも全部考えて判断しているのが手を取るようにわかる。
今日は、2つの季語を合体させる。そうするとさらに臨場感が強く出てくる。
上五を字余りで「九条議論」をボンと置く。いきなり出ると国会のような場所だと思う。
「終はる」と書く。みんなエッ?と思う。九条議論が終わるってどういうこと?って思った瞬間。
「湯冷めの嚔(くさめ)」とわざと季語を合体させる。「嚔」はくしゃみのこと。
最後を「にて」で「それによって」という意味が出てくる。
これなら、良い発想が全部この言葉の中に乗っかってくる。
本人 これ「にて」なんて大人の俳句ですよ。使い方が難しい。
浜田 十分大人やもん!
本人 今、先生が直した句を出したらどっかの賞を獲りますよ!それぐらい凄い句ですよ。
浜田 納得ですよね。
本人 素晴らしい。
添削後
「九条議論 終はる湯冷めの嚔にて」
編集後記
今回は都内にも多くなっているスーパー銭湯のお題でした。発想が凡になりやすく、語順や不要な言葉がないかを再確認させられる回でした。
1位の句は、平場では唯一自分がお湯に浸かっていない光景を詠み見事才能アリを勝ち取りました。「見え」の表現は気になりますが、ワンクッション置いて叙述するような時間軸を表現したと解釈すれば有効な印象がありました。
2位の句は、発想の貧困さと字余りを指摘されていましたが、この番組を見慣れている人にとっては凡人たる句とわかる感じでしょうか。浜田さんや東さんは目がだいぶ肥えてきた感じですね。
3位の句は、平場では唯一「湯」から離れた発想で、個人的には面白いと感じました。リベンジした本人もおかしく語っていましたが、最後「や」で終わる成功句もいつか見たいところです。
4位の句は、「皆笑顔」という陳腐な表現がキングオブザ凡人の称号を得てしまいました。前回「彷徨える赤鬼仰ぐ冬の星」で才能アリ1位で添削なしだったのが偶然かと思ってしまうほど。
最下位の句は、楽しい比喩で番組的にこういう枠も必要でしたね。せっかくスーパー銭湯に行ったのに考えすぎてオチをつけてしまった印象です。
今回の凡人枠はみな中七から添削され、最後に露天風呂と書かれるワンパターンな添削となりましたが、客観視が得意な東国原名人がいる影響もあってか、どのような言葉を捨てて語順をどうすべきか逐一丁寧に説明していた印象を受けました。
大河のBGMで紹介される2名の特待生は明暗が分かれました。
ミッツさんは露天風呂から雪女の様相に発想を飛ばした句。自分に引き付けての発想は相変わらずでしたが、先生の解説を聞くと物語性のある良い句だと再認識させられました。3句続けて七五五と定型破りの句でしたが、見事約2年ぶりの昇格。スランプ脱出となると良いところ。
さて、東国原名人は政治家目線の発想で憲法九条の議論を持ってきました。思想を俳句に使うという点で賛否は分かれるかと思いますが、発想は中々。しかし、上五・下五が普通の言葉なのでパンチが効いてませんでした。東さんはインパクトのある言葉がドンと出るのは毎回凄いのですが、それを装飾する表現の部分で損をしている印象で、今回も前進できず。「奥の細道」は厳しい試練ですね。
出演者が詠んだ俳句を紹介します。
●お題:冬のスーパー銭湯
◆1位 才能アリ70点 津田寛治
「師走の夜 ゆ屋の湯気見え 途中下車」
【本人談】
電車で帰る時、僕が降りる1つ手前にスーパー銭湯がある駅がある。その駅に停まった時、スーパー銭湯の露天からフワっと湯気が出ていた。帰ってやらないといけないこともあるが、それが見えたらちょっと一風呂浴びていこうかな、と。
東国原名人
「見え」という部分で、俳句では「見える・聞こえる」はよっぽど意味がない限り嫌う。ここの評価をどうされるのか興味がある。
夏井先生
やっと俳句らしいのが出てきた。本当にほっとした。
季語「師走」と「夜(よ)」という時間。「ゆ屋」という場所。「湯気」という映像。最後に「途中下車」という動作が出てきて、それぞれの言葉がお互いを全く邪魔しない形で並べられている。そこは一番褒めないといけないところ。
「見え」を消すか活かすかによって方向が2つ分かれる。「見え」を活かすとすればで添削する。
中七から始め「湯屋」と漢字で書く。「の湯気見えて」とわざと「~して」という意味の「て」を入れ、見えたから思わず「あっ!」と思った感じを出す。
1音足したので、全部の内容を入れると当然字が余る。残りの情報の中で消してもいいものがないかと考える。季語「師走」と「下車」は必要な情報なので、消してはいけない。
そうなると、例えば「師走の夜(よる)を下車」とすると、夜という時間帯が際立つ。
「を」という助詞をうまく使うと、あなたの思いや動きがたった1つの助詞で表現できるということになる。
本人 ビックリですね、これ。
添削後
「湯屋の湯気 見えて師走の 夜を下車」
◆2位 凡人57点 塚地武雅(ドランクドラゴン)
「露天風呂 湯けむり白息 混ざりけり」
※季語「白息」は寒い日に吐く白い息。
【本人談】
露天風呂って外にある。息自体は白く寒さを感じているが、温泉自体は白い湯気が出ており、同じような白い蒸気が出てるのに1つになっている場所。素敵ですよね~っていう。
東国原名人
本人が「あるある感」と「そこ突くか」という視点を合わせたら俳句ができるとおっしゃった。すごく良い視点で見てるなと思った。「あるある感」でも「あ~!あるある!」ってのと、「あるよなー」っていうのと。この句はどっちかっていうと、「あるよなー」。
夏井先生
これは非常にありがちな光景をあたかも自分の発見のように語っている凡人の句。まさにそれ。
ただ2位になっている理由もある。
「露天風呂」という場所。「湯けむり」という映像。「白息」という季語。「混ざりけり」という状態。それぞれがお互いを邪魔しない形で言葉を選んでいる点は2位として多少胸を張っていい。でも多少ですから。
もう1つ解消したいのは、「湯けむり白息」と中七が8音になっている。
これは語順変えて字を削ると全部うまく入っていく。目に入った光景から描いた方がこの句の場合は得。
目の前にある光景から。「湯けむりに」とし、「まざる白息」と「混」は平仮名の方が良い。これで眼前の光景が描ける。
最後に「露天風呂」とくる。
本人 素敵!
夏井先生
こうすれば色んな問題点が解消して調べが流れるようになる。ただ、発想が凡人であることは何ら変わらない。
本人 そもそもの発想が貧困みたいな扱い。
添削後
「湯けむりに まざる白息 露天風呂」
◆3位 凡人53点 高畑淳子
「冬露天 ばばの手をひく 幼子や」
【本人談】
前回(→離婚届の回で才能ナシ最下位10点だった)先生に注意された「実際に見た光景」を浮かべた。スーパー銭湯で一番びっくりするのは老婦人の裸。おっぱいかしめ縄かわからないような乳房。その干乾びた体を子どもが引いているお孫さんがいて、湯船につかってその光景がいいなと。
ミッツ
「ばばの手」というキャッチーなインパクトのある言葉があるなら、「ばばの手」を最初に持っていきたい。
夏井先生
偉い偉い。その通りですよ、ミッツさん。
本人 あたし?
夏井先生 いや、ミッツさん!
(本人、こける)
夏井先生
でも言ったことをちゃんとやるという姿勢も嬉しい。
頭で「冬」という季節は出てくるが、「ばば」という人物。「手をひく」という動作でもう一人いるとわかり、最後に「幼子」と正体が明かされる。
この前のなぞなぞ(→離婚届の回に「赤い糸緑の紙で白紙なり」と詠んだ)とは全然違う。俳句のエリアに十分入ってきた。
問題点は2つ。1つ目は「冬露天」が寸詰まりな言い方。無理やり入れたのが丸見え。
2つ目。最後を「や」で終わるのはとてもバランスを取りにくい難しい型。
「ばばの手をひく」で始め、寸詰まりの解消のために何か言葉を省略しないといけない。「幼」が不要。
「子や」とここで詠嘆し、「冬の露天風呂」と来る。
浜田 どうですか?こう直されると。
本人 うーん・・・そうですね。
浜田 何?不満?
夏井先生 出来上がったものがすごいと思わない理由はたった1つですよ。元の句がこの程度だった。
浜田 そらそうですね。
[ここがポイント]
下五「や」は難しい型
添削後
「ばばの手を ひく子や冬の 露天風呂」
◆4位 凡人50点 黒谷友香
「冬晴れや 湯気の向こうは 皆笑顔」
【本人談】
冬の晴れたいい感じの時に疲れを癒しながらみんなで喋ったり、いい感じに笑顔になる。親子でも恋人でもいいし、そういうのを含めて詠んだ。
夏井先生
中七・下五が今回のキングオブザ凡人。
湯気の向こうはみんな笑顔なもの。うっかり季語を「冬の夜」にしてたら、みんな鍋だと思う(→「湯気」が鍋かやかんか風呂かわからない)。
鍋だと誤解しないようにちゃんと「風呂」って書いた方がいい。
凡人みんな問題点が一緒。これも中七「湯気」から始める。
「湯気に」で湯気「の中」「~によって」。「の向こうは」はいらない。
「みな」と平仮名にする。
本人 へぇ~~。
夏井先生
へぇ~じゃないよ。「笑(え)む」で笑う事。「冬晴れの」とし、ちゃんと「露天風呂」と書いて。
東国原名人 (添削が)みんな一緒。
ミッツ 全部一緒だわね。
夏井先生
結局私はずっと「露天風呂」って書いてるだけ。
浜田 先生、さっきからずっと露天風呂って書いてるだけ。
[ここがポイント]
何の湯気か明確に
添削後
「湯気にみな 笑む冬晴れの 露天風呂」
◆最下位 才能ナシ30点 森優作
「湯に浸かる 色とりどりの おでんかな」
【本人談】
実際に兼題をもらって行ってみた。スーパー銭湯って老若男女が来る。色んな身体があるなと思った。俺はおでんに喩えるとがんもかなと思い、自分も銭湯で味が染みたおいしい具になりたいという気持ちを込めた。
浜田 名人、どうですか?
東国原名人 僕はね、スジ肉。
浜田 なんやねん、そういう問題じゃない。
ミッツ 私、たまご。
浜田 「あなたは何ですか?」とか聞いてない。
東国原名人 でもこれ前衛とみれば前衛。自分がお湯につかってたら、おでんの具がプカプカ一緒に浮いていた。そういう風に僕は読んだ。
夏井先生
そう読んだら、面白いかもしれない。
「湯に浸かる」でお風呂かな?と思い読んでいくと、え!?おでんだったの?という読みが1つ。
もう1つの読みはまさに名人の指摘の通り、なんでおでんが浮いてるんだろう?ということになる。
もう「スーパー銭湯」と書くしかない。「湯」だけは使えるが、「に浸かる」はいらない。
「おでん」が出てきたら「色とりどり」と説明しなくても、お湯に浸かってる人間を比喩しているってわかるから、「色とりどりの」も消す。
「かな」と詠嘆している場合じゃない。比喩とわかるように、おでん「のごとき」とすれば、おでん「のような」という意味になる。
複数ならば「我らなり」で良いし、自分一人なら「おでんの芋のごとき我」でも良い。
おっしゃった「がんも」を使って「おでんのがんものごとき我」とすれば、一人でがんもどきのように湯に浸かっている感じが出る。
本人 寂しいな。
夏井先生
寂しいね。直した私も寂しい。
添削後
「スーパー銭湯 おでんのごとき 我らなり」
「スーパー銭湯 おでんのがんものごとき我」
★特待生昇格試験★
ミッツ 「スーパー銭湯」というお題は皆さんと一緒で難しかったが、私なりに発想を飛ばして作ってみた。
◆「打たせ湯の肩 夜をしのぶ 雪女郎」 ミッツ・マングローブ
【本人談】
雪女郎は「雪女」。化けもの扱いされる冬のもののけだが、そんな雪女郎だって人を脅かしてばっかりでなく疲れる時がある。打たせ湯って割と孤独な作業で夜と世をしのんでいる感じを掛けて自分事のように書いた。
ツダカン (打たせ湯で)溶けたりしないんですか?雪女は?
本人 どうなんでしょう?私は雪女ではないんですよ。
浜田 わかってるわ!そんなこと。
夏井先生
この句の評価のポイントはここ「夜をしのぶ」です。
■査定結果
2級へ1ランク昇格
理由:季語を活かす工夫
夏井先生
「雪女郎」という季語そのものが虚構の季語なので、なかなか難しい題材を選んだ。
でも平場の人達の露天風呂論争からは発想が飛びぬけている。
浜田 そうですよね。ずーっと(凡人は)「露天風呂」「露天風呂」「露天風呂」って。
塚地 もう言わんでええでしょ!
夏井先生
ちゃんと発想として工夫している所は褒めたい。
ここからの問題。「夜をしのぶ」の受け取り方。
「夜を偲ぶ」という意味でとると、「夜というこの美しい時間をうっとりと愛でている・心惹かれている」というイメージになる。
「世を忍ぶ」と書くと、「人から世から身を隠している」という感じになる。
この2つの意味を込めることによって、何を狙っているかといったら「雪女郎」という季語はそういうものなんです。うっとりと美しくかつ人の目から隠れているようなものなんです、と季語をちゃんと活かす効果がある。
浜田 でも先生、さっきから湯掛けたら溶ける?んちゃうんかとか言うてますけど。
夏井先生
その部分いきましょう。「打たせ湯の肩」が非常に印象的に残った。これはどうも美しい若い女性のような気がした、と。これが現実の光景。
ここで本当は「肩や」と強調したいところ。カットが切り替わる効果があるため。
この句は、「あとで振り返ってみると、あれはひょっとしたら夜をしのんでいた雪女郎ではないだろうか?」とそういう風に読む。
「さっきまで降ってなかった雪がしきりに露天風呂に降り始めた。あのハッとするような美しい肩は人間のものではないような気がする。あ、あれは夜をしのんでいる雪女郎だったに違いない」と。そういう物語としてこれは解釈できる。
手を入れたら作者に申し訳がない。
添削なし
★永世名人への道★
東国原名人 この道がね、津田さんね。本当の「奥の細道」なんですよ。奥が細~くなっててね、辛いですよ~。平場に戻りたい。
※オープニングで映画俳優として紹介を受けた津田寛治は、俳句と映画は似ており、例えば「奥の細道」はロードムービーの様だと語っていた。
◆「湯冷めして 九条議論 終はりけり」 東国原英夫
【本人談】
国会では憲法9条の議論がせわしい。その議論を(一般人が銭湯の)お湯で軽くしてたんだけど、湯冷めしてスッと終わってしまった。つまり、難しい話だったんだけど、湯冷めして終わるくらいのそんなもんかな、という。
本当は、「くしゃみ」というのが冬の季語でくしゃみして九条議論が終わるのが良いなと思う。「ヘクション」って終わってもうやめようという感じ。お湯から上がってくしゃみしてっという感じがね、うまく表現できなかったので「湯冷めして」にした。
夏井先生
この句の評価のポイントは「~して~終はり」という叙述です。
浜田 また難しいこと言い出したよ。
(物悲しい顔で見つめる本人)
浜田 なんちゅう顔してんねん。
■査定結果
名人10段で現状維持
理由:臨場感が足りない
夏井先生
臨場感が足りないとはいえ、「九条議論」があの写真見て出てくるのはやっぱりさすが。
お風呂から上がった後の「湯冷め」という季語を見つけて、「九条議論」とくると、湯に浸かっていた間の光景もこの句の外にちゃんと描き出す。こういう発想はさすが。
なぜこの叙述が損か。「湯冷めして」という理由と「終はりけり」という結果が普通の文章のような順番で書かれているというただそれだけ。
こういう時には、ちょっと語順を変えて「九条の議論が終わりました、湯冷めしてね」、と。こう添えるように語順を変えるだけで良いが、ご本人の話の中で面白い言葉、まさにそれを入れた方がいいと思う言葉が出てきた。それは「くしゃみ」。
なぜ「くしゃみ」を入れなかったか。「湯冷め」が季語で「くしゃみ」も季語だから、2つ入れると季重なりになる。それも全部考えて判断しているのが手を取るようにわかる。
今日は、2つの季語を合体させる。そうするとさらに臨場感が強く出てくる。
上五を字余りで「九条議論」をボンと置く。いきなり出ると国会のような場所だと思う。
「終はる」と書く。みんなエッ?と思う。九条議論が終わるってどういうこと?って思った瞬間。
「湯冷めの嚔(くさめ)」とわざと季語を合体させる。「嚔」はくしゃみのこと。
最後を「にて」で「それによって」という意味が出てくる。
これなら、良い発想が全部この言葉の中に乗っかってくる。
本人 これ「にて」なんて大人の俳句ですよ。使い方が難しい。
浜田 十分大人やもん!
本人 今、先生が直した句を出したらどっかの賞を獲りますよ!それぐらい凄い句ですよ。
浜田 納得ですよね。
本人 素晴らしい。
添削後
「九条議論 終はる湯冷めの嚔にて」
編集後記
今回は都内にも多くなっているスーパー銭湯のお題でした。発想が凡になりやすく、語順や不要な言葉がないかを再確認させられる回でした。
1位の句は、平場では唯一自分がお湯に浸かっていない光景を詠み見事才能アリを勝ち取りました。「見え」の表現は気になりますが、ワンクッション置いて叙述するような時間軸を表現したと解釈すれば有効な印象がありました。
2位の句は、発想の貧困さと字余りを指摘されていましたが、この番組を見慣れている人にとっては凡人たる句とわかる感じでしょうか。浜田さんや東さんは目がだいぶ肥えてきた感じですね。
3位の句は、平場では唯一「湯」から離れた発想で、個人的には面白いと感じました。リベンジした本人もおかしく語っていましたが、最後「や」で終わる成功句もいつか見たいところです。
4位の句は、「皆笑顔」という陳腐な表現がキングオブザ凡人の称号を得てしまいました。前回「彷徨える赤鬼仰ぐ冬の星」で才能アリ1位で添削なしだったのが偶然かと思ってしまうほど。
最下位の句は、楽しい比喩で番組的にこういう枠も必要でしたね。せっかくスーパー銭湯に行ったのに考えすぎてオチをつけてしまった印象です。
今回の凡人枠はみな中七から添削され、最後に露天風呂と書かれるワンパターンな添削となりましたが、客観視が得意な東国原名人がいる影響もあってか、どのような言葉を捨てて語順をどうすべきか逐一丁寧に説明していた印象を受けました。
大河のBGMで紹介される2名の特待生は明暗が分かれました。
ミッツさんは露天風呂から雪女の様相に発想を飛ばした句。自分に引き付けての発想は相変わらずでしたが、先生の解説を聞くと物語性のある良い句だと再認識させられました。3句続けて七五五と定型破りの句でしたが、見事約2年ぶりの昇格。スランプ脱出となると良いところ。
さて、東国原名人は政治家目線の発想で憲法九条の議論を持ってきました。思想を俳句に使うという点で賛否は分かれるかと思いますが、発想は中々。しかし、上五・下五が普通の言葉なのでパンチが効いてませんでした。東さんはインパクトのある言葉がドンと出るのは毎回凄いのですが、それを装飾する表現の部分で損をしている印象で、今回も前進できず。「奥の細道」は厳しい試練ですね。

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