コメント
5位
上句をなんでわざわざ字余りにしたのか。3音で「妻の」で済むし、字足らずなので「我が妻」としても、点数は上がったことだろう。字余りにしてまで「家の」としたのが致命傷となった句。この上で「眼鏡も」と、「も」と来れば番組通り「家以外の妻(不倫相手)」が存在する読みが成立する。
詠み手は何で「家の」としてしまったのか?番組ではここの理由を聞いてはくれなかったが、実に気になる点。
また、原句の語順(下五に季語)だと、すきやきだろうが猪鍋だろうが寄せ鍋だろうが、音数無視すりゃ読み手にとっては何でも良くなる。
初めに鮟鱇鍋と示す、これだけでも、季語も思い出も活きる句となるかと。
添削句は、日常のメモリアル句としたい句。類想句、凡人句の範疇かもしれませんが、そこら辺のおっさんの自費出版した句集にさりげなく置いてあっても文句はないかな。
4位
指ワイパーという喩え。これに「払う」と続くと、例えば、指ワイパー「を」払う(レンズ部分を指で触るのを極度に嫌がる人が指ワイパーを止める)とも読めるし、「払う眼鏡」と眼鏡にかかると、指ワイパーで眼鏡そのものを爪弾いて、とも読める。「払う」は色々意味があるので良く分からん読みをされかねない上五中七。
3位
北原白秋の揺籃のうた辺りの影響か、あるいはもっと前の時代からか、「ねんねこ」には、ねんねこ半纏の意味以外にも「(寝ている)赤ん坊」の意味があるようだ。
季語としては、ねんねこ半纏(現代的なところでは赤さんをおんぶや抱っこするときの防寒ケープ)を指すが、ここに抱っこやおんぶをされてる赤ん坊、している側の親の姿も合わせて浮かびやすい季語だと思う。
添削句「ねんねこの吾子」で、第三者目線でなく、赤ん坊を背負っている親の視点へぐっと寄る。抱っこなりおんぶなりをしているとき、吾子の顔を見つめる。色んなことを親は思う。共感性の高くなる添削句だった。
2位
死体役という言葉のインパクトもさることながら、初挑戦で「冬の星」の傍題「荒星」を選択したのは凄い。季語とフレーズの関係、「冬の星」だと死体役の方が勝ってしまう感がある。
あとは視点の置き方で、番組通りの指摘となる。
1位
三段切れ。調べの辿々しさについては番組の指摘通り。
眼鏡落ちる(一人称視点)→押しくら饅頭(三人称になって押しくら饅頭を遠くとらえることもできる)→空を見る(一人称)とバタつきがある感じ。ただ、押しくら饅頭眼鏡落として空を見る、だと「すぐ拾え」「諦めるのハヤッ!」となる。
調べの辿々しさが眼鏡を落として一瞬三人称視点(引きのカメラワーク)→眼鏡が次々踏まれグシャグシャになる(一人称視点)→空を見上げる、という、漫画だったらコマ数が増える効果になっている。
横尾永世名人
身近な電車、地下鉄に乗るときに、網棚の有無、あったとして形状が昔ながらの網棚か、パイプ棚か、ガラス棚か、といったところで「網棚に眼鏡なんか置けるか、置いてもすぐ落ちてくるぞ」という突っ込みも出てきそうな句。少なくとも番組の映像ではすぐ落ちそう。
私だと昔ながらの網棚を思い浮かべて網棚に眼鏡が引っ掛かってる光景を浮かべた。実際に眼鏡が引っ掛かっているのは見たことはないけど、網棚でなくとも電車になんでこんなものが?というものを見たことあれば、「あららら」と眼鏡の持ち主のことを少しは思える(私はボックス席の窓辺に化粧ポーチが忘れられてる、網棚に風呂敷包みの菓子折りらしきものを見たことがある)
ただ、ちょっと年の瀬は番組的に早いね。
御大
鼈甲と小春のイメージが良い。また、「ある」が眼鏡のフレーム越しに見える小春の風景、または、小春とは鼈甲のフレームにも感じられるものですよ、といい感じで読み手に風景を委ねてくる。そして「かな」。「私はこう思いましたが、どう?」という投げ掛けがやっと成功した感じでしょうか。
さすが、日常の中の視覚的気付きから季節を感じた句は強いですね(緑青のカラン石けんネット揺れて夏、暮れて行く秋の飴色セロテープ)
上句をなんでわざわざ字余りにしたのか。3音で「妻の」で済むし、字足らずなので「我が妻」としても、点数は上がったことだろう。字余りにしてまで「家の」としたのが致命傷となった句。この上で「眼鏡も」と、「も」と来れば番組通り「家以外の妻(不倫相手)」が存在する読みが成立する。
詠み手は何で「家の」としてしまったのか?番組ではここの理由を聞いてはくれなかったが、実に気になる点。
また、原句の語順(下五に季語)だと、すきやきだろうが猪鍋だろうが寄せ鍋だろうが、音数無視すりゃ読み手にとっては何でも良くなる。
初めに鮟鱇鍋と示す、これだけでも、季語も思い出も活きる句となるかと。
添削句は、日常のメモリアル句としたい句。類想句、凡人句の範疇かもしれませんが、そこら辺のおっさんの自費出版した句集にさりげなく置いてあっても文句はないかな。
4位
指ワイパーという喩え。これに「払う」と続くと、例えば、指ワイパー「を」払う(レンズ部分を指で触るのを極度に嫌がる人が指ワイパーを止める)とも読めるし、「払う眼鏡」と眼鏡にかかると、指ワイパーで眼鏡そのものを爪弾いて、とも読める。「払う」は色々意味があるので良く分からん読みをされかねない上五中七。
3位
北原白秋の揺籃のうた辺りの影響か、あるいはもっと前の時代からか、「ねんねこ」には、ねんねこ半纏の意味以外にも「(寝ている)赤ん坊」の意味があるようだ。
季語としては、ねんねこ半纏(現代的なところでは赤さんをおんぶや抱っこするときの防寒ケープ)を指すが、ここに抱っこやおんぶをされてる赤ん坊、している側の親の姿も合わせて浮かびやすい季語だと思う。
添削句「ねんねこの吾子」で、第三者目線でなく、赤ん坊を背負っている親の視点へぐっと寄る。抱っこなりおんぶなりをしているとき、吾子の顔を見つめる。色んなことを親は思う。共感性の高くなる添削句だった。
2位
死体役という言葉のインパクトもさることながら、初挑戦で「冬の星」の傍題「荒星」を選択したのは凄い。季語とフレーズの関係、「冬の星」だと死体役の方が勝ってしまう感がある。
あとは視点の置き方で、番組通りの指摘となる。
1位
三段切れ。調べの辿々しさについては番組の指摘通り。
眼鏡落ちる(一人称視点)→押しくら饅頭(三人称になって押しくら饅頭を遠くとらえることもできる)→空を見る(一人称)とバタつきがある感じ。ただ、押しくら饅頭眼鏡落として空を見る、だと「すぐ拾え」「諦めるのハヤッ!」となる。
調べの辿々しさが眼鏡を落として一瞬三人称視点(引きのカメラワーク)→眼鏡が次々踏まれグシャグシャになる(一人称視点)→空を見上げる、という、漫画だったらコマ数が増える効果になっている。
横尾永世名人
身近な電車、地下鉄に乗るときに、網棚の有無、あったとして形状が昔ながらの網棚か、パイプ棚か、ガラス棚か、といったところで「網棚に眼鏡なんか置けるか、置いてもすぐ落ちてくるぞ」という突っ込みも出てきそうな句。少なくとも番組の映像ではすぐ落ちそう。
私だと昔ながらの網棚を思い浮かべて網棚に眼鏡が引っ掛かってる光景を浮かべた。実際に眼鏡が引っ掛かっているのは見たことはないけど、網棚でなくとも電車になんでこんなものが?というものを見たことあれば、「あららら」と眼鏡の持ち主のことを少しは思える(私はボックス席の窓辺に化粧ポーチが忘れられてる、網棚に風呂敷包みの菓子折りらしきものを見たことがある)
ただ、ちょっと年の瀬は番組的に早いね。
御大
鼈甲と小春のイメージが良い。また、「ある」が眼鏡のフレーム越しに見える小春の風景、または、小春とは鼈甲のフレームにも感じられるものですよ、といい感じで読み手に風景を委ねてくる。そして「かな」。「私はこう思いましたが、どう?」という投げ掛けがやっと成功した感じでしょうか。
さすが、日常の中の視覚的気付きから季節を感じた句は強いですね(緑青のカラン石けんネット揺れて夏、暮れて行く秋の飴色セロテープ)
昨日のプレバト
八嶋さんが初の才能アリを獲得し、横尾くんが2回連続の掲載決定を果たし、おっちゃん(梅沢さん)がおよそ2ヶ月ぶり通算9句目のお見事を決める(3年半前のリベンジを果たし、そして苦手な「かな」の使い方を克服した)といい、素晴らしい内容でしたね。(11/16は「キセキの動画大集合!“神”映像グランプリ」のため放送なし)
そして、梅沢さん、誕生日おめでとうございます。(この回の放送日が梅沢さんの誕生日だったため)
そして、梅沢さん、誕生日おめでとうございます。(この回の放送日が梅沢さんの誕生日だったため)
横尾永世名人
一目見たときに思い出したのは平場時代の「夏帽子夜行列車の網棚に」。
……帽子ならまだしも眼鏡という小さいものを網棚に置く光景がイメージしづらいし(本人も「眼鏡にしてみた」と言っていたため実体験では無いと思われる)、季語を先取りし過ぎてるし、句跨がりにする意図もあまり感じられないし、自分は掲載決定にちょっと納得できない。
そろそろビシッと五七五で掲載決定を決めてくれという私論もあるが。
梅沢富美男
久しぶりに「おっ!」となった句。
金属より暖かみのある質感と色の鼈甲(ここはやはり漢字だな)フレームだからこそ暖かな冬を取り合わせた感覚が見事だし、最後「かな」で余韻を残すのも良い。ついに音数合わせ以外での切れ字の使い方を学んだことに涙を禁じ得ない。
一目見たときに思い出したのは平場時代の「夏帽子夜行列車の網棚に」。
……帽子ならまだしも眼鏡という小さいものを網棚に置く光景がイメージしづらいし(本人も「眼鏡にしてみた」と言っていたため実体験では無いと思われる)、季語を先取りし過ぎてるし、句跨がりにする意図もあまり感じられないし、自分は掲載決定にちょっと納得できない。
そろそろビシッと五七五で掲載決定を決めてくれという私論もあるが。
梅沢富美男
久しぶりに「おっ!」となった句。
金属より暖かみのある質感と色の鼈甲(ここはやはり漢字だな)フレームだからこそ暖かな冬を取り合わせた感覚が見事だし、最後「かな」で余韻を残すのも良い。ついに音数合わせ以外での切れ字の使い方を学んだことに涙を禁じ得ない。
今回は久しぶりの平場五人体制。
八嶋
「眼鏡が落ちる」→「押しくら饅頭」
ここで「あっ(察し)」となってからの、「空を見る」で完全にオワタとなる。
三つの動作を一気に入れ込んだのにそれが全て機能しているのは中々凄い技術。自分は「空を見る」まで入れる勇気は無かったろう。
矢柴
「寒々しい夜の死体役」のエピソードが素晴らしかっただけに、なぜ「や」で切ってしまった(死体役を第三者視点にしてしまった)のか悔やまれる。「荒星」を知っていた知識も含め、リベンジが待たれる人。
ケイ
自分の思いが強すぎると俳句としては駄作になるという典型例。俳句はあくまで文学であることを忘れてはならない。
あと「ねんねこ」を単に寝ている赤ん坊と解説しているっぽいのが気になった(実際は赤ん坊を抱くための冬服)。
飯尾
「指ワイパー」は明らかに寸詰まりだし幼稚な言葉。冬景色が最後に鮮明に見えるという語順は分かっていただけに勿体無い……
村上
「鍋(温かい料理)で眼鏡が曇る」の時点でド類想なことを抜きにしても、「家の」が完全に余計だったり下五が平仮名で締まりが悪かったりと杜撰さの目立つ句。
あと、村上に対して夏井先生がやたら当たりが強いのに少し嫌悪感を覚えた(まあ「行く秋と行かぬ駅の赤」とかいう自由律と名乗るのも烏滸がましい何かを詠んでいる前科もあるから致し方なしか)。
八嶋
「眼鏡が落ちる」→「押しくら饅頭」
ここで「あっ(察し)」となってからの、「空を見る」で完全にオワタとなる。
三つの動作を一気に入れ込んだのにそれが全て機能しているのは中々凄い技術。自分は「空を見る」まで入れる勇気は無かったろう。
矢柴
「寒々しい夜の死体役」のエピソードが素晴らしかっただけに、なぜ「や」で切ってしまった(死体役を第三者視点にしてしまった)のか悔やまれる。「荒星」を知っていた知識も含め、リベンジが待たれる人。
ケイ
自分の思いが強すぎると俳句としては駄作になるという典型例。俳句はあくまで文学であることを忘れてはならない。
あと「ねんねこ」を単に寝ている赤ん坊と解説しているっぽいのが気になった(実際は赤ん坊を抱くための冬服)。
飯尾
「指ワイパー」は明らかに寸詰まりだし幼稚な言葉。冬景色が最後に鮮明に見えるという語順は分かっていただけに勿体無い……
村上
「鍋(温かい料理)で眼鏡が曇る」の時点でド類想なことを抜きにしても、「家の」が完全に余計だったり下五が平仮名で締まりが悪かったりと杜撰さの目立つ句。
あと、村上に対して夏井先生がやたら当たりが強いのに少し嫌悪感を覚えた(まあ「行く秋と行かぬ駅の赤」とかいう自由律と名乗るのも烏滸がましい何かを詠んでいる前科もあるから致し方なしか)。
これまで家族の句と「かな」を使った句でことごとく惨敗していた御大がようやく壁を越えたのすごい
個人的に今回は所々テロップにミスがあったのが気になった
飯尾さんのところで最下位って出たり
消しゴムはんこで望月取締役が才能ナシって出てるのに画面右上には 凡人?才能ナシ? って出てたり
個人的に今回は所々テロップにミスがあったのが気になった
飯尾さんのところで最下位って出たり
消しゴムはんこで望月取締役が才能ナシって出てるのに画面右上には 凡人?才能ナシ? って出てたり