コメント
よもやよもや…
タイトル戦決勝前日に何ということか…
プロデューサーの水野さんのポストだと完パケしてしまったのでやるにしても収録日テロップを入れるぐらいでしょうか。
プレバトは皆藤さんや水彩画の光宗さんのように体調不良による休業に関してはゆるいのですが、東国原永世名人のような自己都合のお休みからの復帰が少ないはもちろん、案件が案件だけに復帰しても戻って来られるか心配です…
重ね重ね本当に残念。
プロデューサーの水野さんのポストだと完パケしてしまったのでやるにしても収録日テロップを入れるぐらいでしょうか。
プレバトは皆藤さんや水彩画の光宗さんのように体調不良による休業に関してはゆるいのですが、東国原永世名人のような自己都合のお休みからの復帰が少ないはもちろん、案件が案件だけに復帰しても戻って来られるか心配です…
重ね重ね本当に残念。
本選出場陣について
初めに、「通りすがり」さんに物申すならば、中田さんの文語に近い表現についての表記については全くその通りだと思った次第で、自分は浅いと思った次第です。
浅くて薄っぺらのまま4位以上の句についてコメントをしていきます。
4位 森迫さん
季語と措辞がハマるかハマらないか。バランスは良いかという所から見ると、やはりスタッカートと薄月夜が合わない点でしょうか。
一方、三段切れの句としては一位の句よりも優れていると思います。上五で「薄月夜」が示され、ここに「母の電卓スタッカート」とくれば、薄月夜の日に母親が電卓を短くかちゃかちゃと弾いていることが容易に想像させられます。動作の主体が母だと一目見て分かります。
こういう三段切れなら簡単に許容できるかな。
3位 犬山さん
犬山さんがタイトル戦で発表した「日盛りや母の二の腕は静謐」を思い出した句です。自宅での介護の経験から生まれたという句でした。
この句が今回の句の背景にあるのかと思うと、この句は「月光の下で車いすを押していて、座っている母の背を見たのか」と思えます。
しかし、たとえば長い年月母親を特養等に預け、施設から、母が発熱したという連絡を貰い駆け付けた・・・・・・そんな経験がある人もいるかもしれない。
そうなると、例えば、発熱している母親がベッドで横たわっている。ベッドの傍らには車いすがあり、それを無情な月光が照らしている、そんな風にも読める。こんな読み方も成立するけど、これだと、母の背中、という兼題からは離れていきます。
経験から言うと、発熱の母とベッドの傍らの車椅子、そして月光という組み合わせ、自分の経験談でもあったりするので。。。
2位 森口名人
黒葡萄の甘さと母親のほくろの対比により、この句に出て来る句のお母さんとはどんな人だったのかと想像させてくれる句でした。
母の背中という兼題写真に対して真っ向勝負を挑んだ感もあり、この点は大変良かったと思います。表記の面についての夏井先生の指摘は確かにな、というところ。
もしも、これが男性の詠み手から提出された句だとしても、それはそれで面白そうではありますね。
1位 昇吉さん
下剋上とでも言うべきで、初めは、「お!」となった句。
しかし、番組放映から日が経つと、この句はテーマと詠み手の性別に随分助けられた句だと感じるようになりました。
上の「乳房切除す」。かなりインパクトのある言葉ですが、これだけでは誰が切除したのか分からない。ここで切れて、「母よ」となる。ここで、
① 乳房を切除したのは自分で、「乳房を切除した。お母さん、」と語りかけているのか
② 乳房を切除したのは母親で、「乳房を切除したお母さん、」と語りかけているのか
ここでテーマと詠み手の性別が助けとなって、「母親が乳房を切除した」と補完されたと思います。
ただ、先に示した①と②とで、芒の先にある絮に託す心情って大分違ってくるのではないでしょうか?
②については、番組でも取り上げられていましたが、もしも、①だと取られたら、「絮」に何か「母よ」に後悔や申し訳なさが込められているのではないかと思ったりします。
①、②のような読みのふり幅を生じさせない点では、4位、森迫さんの句の方が三段切れの手本とはなると思った次第です。
ただ、昇吉さんが、本選でも上位を引っ掻き回す展開(いわば、ヒール役)になるのはちょっと期待してもいます。
浅くて薄っぺらのまま4位以上の句についてコメントをしていきます。
4位 森迫さん
季語と措辞がハマるかハマらないか。バランスは良いかという所から見ると、やはりスタッカートと薄月夜が合わない点でしょうか。
一方、三段切れの句としては一位の句よりも優れていると思います。上五で「薄月夜」が示され、ここに「母の電卓スタッカート」とくれば、薄月夜の日に母親が電卓を短くかちゃかちゃと弾いていることが容易に想像させられます。動作の主体が母だと一目見て分かります。
こういう三段切れなら簡単に許容できるかな。
3位 犬山さん
犬山さんがタイトル戦で発表した「日盛りや母の二の腕は静謐」を思い出した句です。自宅での介護の経験から生まれたという句でした。
この句が今回の句の背景にあるのかと思うと、この句は「月光の下で車いすを押していて、座っている母の背を見たのか」と思えます。
しかし、たとえば長い年月母親を特養等に預け、施設から、母が発熱したという連絡を貰い駆け付けた・・・・・・そんな経験がある人もいるかもしれない。
そうなると、例えば、発熱している母親がベッドで横たわっている。ベッドの傍らには車いすがあり、それを無情な月光が照らしている、そんな風にも読める。こんな読み方も成立するけど、これだと、母の背中、という兼題からは離れていきます。
経験から言うと、発熱の母とベッドの傍らの車椅子、そして月光という組み合わせ、自分の経験談でもあったりするので。。。
2位 森口名人
黒葡萄の甘さと母親のほくろの対比により、この句に出て来る句のお母さんとはどんな人だったのかと想像させてくれる句でした。
母の背中という兼題写真に対して真っ向勝負を挑んだ感もあり、この点は大変良かったと思います。表記の面についての夏井先生の指摘は確かにな、というところ。
もしも、これが男性の詠み手から提出された句だとしても、それはそれで面白そうではありますね。
1位 昇吉さん
下剋上とでも言うべきで、初めは、「お!」となった句。
しかし、番組放映から日が経つと、この句はテーマと詠み手の性別に随分助けられた句だと感じるようになりました。
上の「乳房切除す」。かなりインパクトのある言葉ですが、これだけでは誰が切除したのか分からない。ここで切れて、「母よ」となる。ここで、
① 乳房を切除したのは自分で、「乳房を切除した。お母さん、」と語りかけているのか
② 乳房を切除したのは母親で、「乳房を切除したお母さん、」と語りかけているのか
ここでテーマと詠み手の性別が助けとなって、「母親が乳房を切除した」と補完されたと思います。
ただ、先に示した①と②とで、芒の先にある絮に託す心情って大分違ってくるのではないでしょうか?
②については、番組でも取り上げられていましたが、もしも、①だと取られたら、「絮」に何か「母よ」に後悔や申し訳なさが込められているのではないかと思ったりします。
①、②のような読みのふり幅を生じさせない点では、4位、森迫さんの句の方が三段切れの手本とはなると思った次第です。
ただ、昇吉さんが、本選でも上位を引っ掻き回す展開(いわば、ヒール役)になるのはちょっと期待してもいます。
10/6予選拙評
1位
御大は「心情に寄せて失敗」が多いが、昇吉さんの場合は「理屈に偏らず感性と心持ちを信じるほうが強い」傾向がある。今回もそういう句。個人的にはこの人の添削への態度は気に食わんところも多いのだが、今回の句はそれを抜きにして言葉の力を感じさせるもの。「絮」に目を置くのは母であり、母の目線に気づいた子でもあろう。心理状態に合った情景の切り取りが巧い。
2位
同性だからこその観点、感性を活かした句。推敲した上でのよい距離感の取り合わせが心地よく、語の置き方も計算されたもの。男性がコレを鑑賞してあれこれ感想言い出すのもなんか助平な感じもするが。
3位
犬山さん、前回の「こびりつく黒」といいなんかまたつかんだ感。テーマとのつながりを重視されこの順位、となったが句の形としては遜色なく(添削なし、という意味では2位扱いでもよかったのでは)、どちらかというと1位との「病院」かぶりでの印象点の差が大きかったか。しかしながら一般の句として参考とすべきは1位ではなくこちらであろう。
4位
ギャップを作ろうとした意図もあるのかもしれないが、結果として季語よりもフレーズが強くなってしまったのが惜しい。「季語を主役に」「言葉の質量バランス」というのは夏井評価の基底であり、殊タイトル戦・コンクールにおいてはそこを軽視してはいけないところ。今回は5位以下との差がやや大きく滑り込んだ形。
5位
(他の方のコメントにかかる部分もあり恐縮ですが)視点の問題として、主体を自身に取った方が力を持つことはいうまでもない。が、そのための言葉選びが難しい。「硬し」と言い切るとすれば文語であるから「娘」を単に音数をそろえて(口語的である)「私」とできない、素直に置き換えるとして「我」か「吾」になるところで、音数の整えとして2音送って「の背」を押して反復の効果を重ねた添削となった、と思われる。「我」として
母の背は硬し 我を待つ秋の夜/秋夜よ
としても整うが、句としてのステップアップを見せることを選ばれたか。
6位
ここでの「近い」というのは、少し因果関係が漂うことも含まれていそう。つまり「秋湿りに気も沈んでいる母だから、私の話にも生返事なのか、私の心も湿ってしまうよ」と、本人だけでなく母の気持ちをも反映した「秋湿り」と読まれると少し説明的なフレーズになってしまい季語として立ち位置がずれてくる。その意味でモノを見せる添削は妥当。
7位
「小さき背中」の凡、「秋彼岸」の解釈の浅さ(おそらく単なる時期・日付として見ていた)など、9段としては稚拙なミスが多かった。事務所のこともあり忙しかったかな、明らかに練れていない句。
8位
「門付け」については「分からなければ調べりゃええやん」派なのであまり気にならず。だが、わかった上でいろいろ不自然。「幼い子を背負って辻に立つものなのか、子が騒いだらすべて台無しではないか」とまず思い、「日は残ってるよな、蚯蚓鳴くのか?」と思い、「背負われてるとして母の芸の声が近いよな、蚯蚓の声聞こえるか?」と思い。個人的には7と8はかなり競っていた(評価の優先度をどこに置くかの差)と思われる。添削により少し距離が生まれ、不自然さは解消された。このあたり流石である。
1-23-4-56-78、くらいの差はあったかな、と。1位は抜けてよく、7・8は抜けて空回り、といった印象。
御大は「心情に寄せて失敗」が多いが、昇吉さんの場合は「理屈に偏らず感性と心持ちを信じるほうが強い」傾向がある。今回もそういう句。個人的にはこの人の添削への態度は気に食わんところも多いのだが、今回の句はそれを抜きにして言葉の力を感じさせるもの。「絮」に目を置くのは母であり、母の目線に気づいた子でもあろう。心理状態に合った情景の切り取りが巧い。
2位
同性だからこその観点、感性を活かした句。推敲した上でのよい距離感の取り合わせが心地よく、語の置き方も計算されたもの。男性がコレを鑑賞してあれこれ感想言い出すのもなんか助平な感じもするが。
3位
犬山さん、前回の「こびりつく黒」といいなんかまたつかんだ感。テーマとのつながりを重視されこの順位、となったが句の形としては遜色なく(添削なし、という意味では2位扱いでもよかったのでは)、どちらかというと1位との「病院」かぶりでの印象点の差が大きかったか。しかしながら一般の句として参考とすべきは1位ではなくこちらであろう。
4位
ギャップを作ろうとした意図もあるのかもしれないが、結果として季語よりもフレーズが強くなってしまったのが惜しい。「季語を主役に」「言葉の質量バランス」というのは夏井評価の基底であり、殊タイトル戦・コンクールにおいてはそこを軽視してはいけないところ。今回は5位以下との差がやや大きく滑り込んだ形。
5位
(他の方のコメントにかかる部分もあり恐縮ですが)視点の問題として、主体を自身に取った方が力を持つことはいうまでもない。が、そのための言葉選びが難しい。「硬し」と言い切るとすれば文語であるから「娘」を単に音数をそろえて(口語的である)「私」とできない、素直に置き換えるとして「我」か「吾」になるところで、音数の整えとして2音送って「の背」を押して反復の効果を重ねた添削となった、と思われる。「我」として
母の背は硬し 我を待つ秋の夜/秋夜よ
としても整うが、句としてのステップアップを見せることを選ばれたか。
6位
ここでの「近い」というのは、少し因果関係が漂うことも含まれていそう。つまり「秋湿りに気も沈んでいる母だから、私の話にも生返事なのか、私の心も湿ってしまうよ」と、本人だけでなく母の気持ちをも反映した「秋湿り」と読まれると少し説明的なフレーズになってしまい季語として立ち位置がずれてくる。その意味でモノを見せる添削は妥当。
7位
「小さき背中」の凡、「秋彼岸」の解釈の浅さ(おそらく単なる時期・日付として見ていた)など、9段としては稚拙なミスが多かった。事務所のこともあり忙しかったかな、明らかに練れていない句。
8位
「門付け」については「分からなければ調べりゃええやん」派なのであまり気にならず。だが、わかった上でいろいろ不自然。「幼い子を背負って辻に立つものなのか、子が騒いだらすべて台無しではないか」とまず思い、「日は残ってるよな、蚯蚓鳴くのか?」と思い、「背負われてるとして母の芸の声が近いよな、蚯蚓の声聞こえるか?」と思い。個人的には7と8はかなり競っていた(評価の優先度をどこに置くかの差)と思われる。添削により少し距離が生まれ、不自然さは解消された。このあたり流石である。
1-23-4-56-78、くらいの差はあったかな、と。1位は抜けてよく、7・8は抜けて空回り、といった印象。
金終戦予選 8~5位
8位 志らく名人
これは頭で作った俳句ですね。
まず門付け。私は学生の頃、日本の芸能史に絡むことを論文にしたことがあったので知っていたが、言ってみれば芸の飛び込み営業や押し売りみたいなものだ。パッと浮かんだのを3つ挙げれば萬歳、獅子舞、傀儡師。今回の句の説明では江戸時代の女太夫だろうか。他にも芸の内容はたくさんあるが、芸を人の家の門などの前で行い、その家から金銭を貰う行為であり、行っている人そのものを門付けと呼んだ。
芸の質が良いと限らず、いや、むしろ芸にも満たないことをして金銭を貰う輩も多かったらしい。元々、門付けは「祝い言」(ほかいごと)を人の家の前で唱えて報酬を得ていた人々が起源だという。これが、いつしか「乞食」と書いて「ほかいびと」と呼ばれるようになった。
こんなことを知っていると、この句が何か惜しいなぁと。
「門付けの母親に背負われ蚯蚓の鳴き声を聞いた」
1 門付けが「行為」ならば、女太夫の母が三味線を弾いている母の背に背負われているさなかにミミズの鳴き声を聞いた……三味線の音が鳴っているのにミミズの鳴き声が聞こえるのか?
2 門付けを職業的なものと捉えるなら、三味線弾いて色んな家をまわった後、大して儲けも無かったらしく、とぼとぼ帰る母に背負われているさなか、ミミズの鳴き声を聞いた
最大限好意的に捉えるなら2だけど、門付け自体、良く知らない人が多い単語だろう。1と捉えられれば元も子もないわけで。
というか、10位の句からしてこんなに文を連ねてどうするのかと。
もっと簡潔に行きます
7位 千賀名人
中七の小さき背中という言い回しが使い古されている感が否めないのと、季語が死を連想させられるのが痛い。私は、手羽先を煮る亡き母の小さい背中が見えたのかと思ってしまった。
6位 馬場さん
冷えていてやりきれない、しかも家の中で感じやすいのが「秋湿り」だそうだ(角川大歳時記)
気分が近いと言われはしたが、冷えた中で湿気も感じる寝床でお母さんに生返事しかしてもらえないというのは大変共感が持てる句ではあった。共感がもたらされる分、季語が近いということもあり、あるあるという句に留まってしまったのかもしれない。
嫌いではない句だ。
個人的には6位と7位の違いはかなり差があると思えた。
5位 中田名人
「硬く」を「硬し」とするのには大賛成。一方、添削について、「娘」を「私」に変えるだけでいいんじゃね?と思った。いい加減な意見だけど本当にそう思った。
長くなりましたので、本選出場を決めた方たちの句についてはまた後日。
これは頭で作った俳句ですね。
まず門付け。私は学生の頃、日本の芸能史に絡むことを論文にしたことがあったので知っていたが、言ってみれば芸の飛び込み営業や押し売りみたいなものだ。パッと浮かんだのを3つ挙げれば萬歳、獅子舞、傀儡師。今回の句の説明では江戸時代の女太夫だろうか。他にも芸の内容はたくさんあるが、芸を人の家の門などの前で行い、その家から金銭を貰う行為であり、行っている人そのものを門付けと呼んだ。
芸の質が良いと限らず、いや、むしろ芸にも満たないことをして金銭を貰う輩も多かったらしい。元々、門付けは「祝い言」(ほかいごと)を人の家の前で唱えて報酬を得ていた人々が起源だという。これが、いつしか「乞食」と書いて「ほかいびと」と呼ばれるようになった。
こんなことを知っていると、この句が何か惜しいなぁと。
「門付けの母親に背負われ蚯蚓の鳴き声を聞いた」
1 門付けが「行為」ならば、女太夫の母が三味線を弾いている母の背に背負われているさなかにミミズの鳴き声を聞いた……三味線の音が鳴っているのにミミズの鳴き声が聞こえるのか?
2 門付けを職業的なものと捉えるなら、三味線弾いて色んな家をまわった後、大して儲けも無かったらしく、とぼとぼ帰る母に背負われているさなか、ミミズの鳴き声を聞いた
最大限好意的に捉えるなら2だけど、門付け自体、良く知らない人が多い単語だろう。1と捉えられれば元も子もないわけで。
というか、10位の句からしてこんなに文を連ねてどうするのかと。
もっと簡潔に行きます
7位 千賀名人
中七の小さき背中という言い回しが使い古されている感が否めないのと、季語が死を連想させられるのが痛い。私は、手羽先を煮る亡き母の小さい背中が見えたのかと思ってしまった。
6位 馬場さん
冷えていてやりきれない、しかも家の中で感じやすいのが「秋湿り」だそうだ(角川大歳時記)
気分が近いと言われはしたが、冷えた中で湿気も感じる寝床でお母さんに生返事しかしてもらえないというのは大変共感が持てる句ではあった。共感がもたらされる分、季語が近いということもあり、あるあるという句に留まってしまったのかもしれない。
嫌いではない句だ。
個人的には6位と7位の違いはかなり差があると思えた。
5位 中田名人
「硬く」を「硬し」とするのには大賛成。一方、添削について、「娘」を「私」に変えるだけでいいんじゃね?と思った。いい加減な意見だけど本当にそう思った。
長くなりましたので、本選出場を決めた方たちの句についてはまた後日。
昨日のプレバト
昇吉さんが予選参加者中一番段位が低い中での1位を獲得し、名人最高位(7段~9段)勢(千賀くん、中田さん、志らくさん)が予選敗退を喫するといい、大波乱の連発でしたね。
昇吉さん、まさに下剋上!!
追記
今回挑戦した全員分の全俳句一覧を更新してください‼️
昇吉さん、まさに下剋上!!
追記
今回挑戦した全員分の全俳句一覧を更新してください‼️
1位通過 昇吉
またしても志らくを蹴落とす快挙にして、凄絶な母の人生を見せつけた一句。最初は「切除の」「切除せる」とか三段切れを回避すべきかとも思ったが、乳房手術の臨場感と芒の絮に託す生命感とのガチンコを図るにはこの型がぐっとくるのだろう(紛れかもしれないが)。
2位通過 森口
女史の安定感も目を見張るものがある。ぶどうの黒々した実と小さな黒子の対比が巧い。「あまやか」は確かに平仮名表記がしっくりくる。
3位通過 犬山
「月光の車椅子」という祈りのこもった季語が魅力的。母の背中という兼題が見えづらいというより、病の母という発想力で若干負けた感があった。
4位通過 森迫
「電卓がスタッカート」を刻むのは大変面白い発想だったが、「薄月夜」という薄い季語がそれを受け止めきれなかった。フレーズに合う季語を把握せねばならないというのは、私達も教訓にしていきたい。
5位 中田喜子
「母」と「娘」が両方出たことで、三人称視点になり臨場感が弱まってしまった。個人的に添削で「背」を二回出したのはちょっと過剰演出を感じる。夏井添削の悪い癖と思っている。
(自己添削)
わたしを待つ母の背硬き秋夜なり
6位 馬場
「秋湿り」と「生返事」の気だるさが近すぎるということで評価が伸びず。
個人的には「添い寝」が「母の背中」と繋がりにくいと思った。添い寝は親子が向い合うか、子の背に親が添うイメージなので、親が子に背を向けている風景があまり思い浮かばない。それはもうただ寝てるだけではないのか?
7位 千賀
久しぶりのボテボテなゴロ。
「母の背中が小さく見える」という類想ど真ん中に加え「秋彼岸」という兼題に釣られたような杜撰な季語選び。名人最高位らしからぬ凡句に終わってしまった。
最下位 志らく
文句なしのビラ配り決定。
「門付け」といういきなり聞きなれない言葉から始まり「背負われ」でさらに良く分からなくなるという、志らくらしい独善的な印象の句。「蚯蚓鳴く」という静けさの季語を敢えて日中に用いる感覚は良かったのだが……
またしても志らくを蹴落とす快挙にして、凄絶な母の人生を見せつけた一句。最初は「切除の」「切除せる」とか三段切れを回避すべきかとも思ったが、乳房手術の臨場感と芒の絮に託す生命感とのガチンコを図るにはこの型がぐっとくるのだろう(紛れかもしれないが)。
2位通過 森口
女史の安定感も目を見張るものがある。ぶどうの黒々した実と小さな黒子の対比が巧い。「あまやか」は確かに平仮名表記がしっくりくる。
3位通過 犬山
「月光の車椅子」という祈りのこもった季語が魅力的。母の背中という兼題が見えづらいというより、病の母という発想力で若干負けた感があった。
4位通過 森迫
「電卓がスタッカート」を刻むのは大変面白い発想だったが、「薄月夜」という薄い季語がそれを受け止めきれなかった。フレーズに合う季語を把握せねばならないというのは、私達も教訓にしていきたい。
5位 中田喜子
「母」と「娘」が両方出たことで、三人称視点になり臨場感が弱まってしまった。個人的に添削で「背」を二回出したのはちょっと過剰演出を感じる。夏井添削の悪い癖と思っている。
(自己添削)
わたしを待つ母の背硬き秋夜なり
6位 馬場
「秋湿り」と「生返事」の気だるさが近すぎるということで評価が伸びず。
個人的には「添い寝」が「母の背中」と繋がりにくいと思った。添い寝は親子が向い合うか、子の背に親が添うイメージなので、親が子に背を向けている風景があまり思い浮かばない。それはもうただ寝てるだけではないのか?
7位 千賀
久しぶりのボテボテなゴロ。
「母の背中が小さく見える」という類想ど真ん中に加え「秋彼岸」という兼題に釣られたような杜撰な季語選び。名人最高位らしからぬ凡句に終わってしまった。
最下位 志らく
文句なしのビラ配り決定。
「門付け」といういきなり聞きなれない言葉から始まり「背負われ」でさらに良く分からなくなるという、志らくらしい独善的な印象の句。「蚯蚓鳴く」という静けさの季語を敢えて日中に用いる感覚は良かったのだが……