コメント
プロキオン様
返信ありがとうございます。
決勝のシード権の件は了解です。
なら勝ち上がりで進出した藤本永世名人や皆藤名人を頭書きして欲しいところですが…
ところで、永世名人の予選参加を検討するという話がありましたが、
「永世名人ら6名の決勝進出が確定」ということは結局その話は流れたということなんでしょう
ね
返信ありがとうございます。
決勝のシード権の件は了解です。
なら勝ち上がりで進出した藤本永世名人や皆藤名人を頭書きして欲しいところですが…
ところで、永世名人の予選参加を検討するという話がありましたが、
「永世名人ら6名の決勝進出が確定」ということは結局その話は流れたということなんでしょう
ね
つづき
皆藤名人
語順が悪い。後ろに蕎麦を持ってきてしまうと、蓋を差し直す行為の後出て来る料理が、七味に合うものなら何でも良くなる(こういうミスを何度か私もやった)。
あと、美味いものは極力575に乗せて詠んだ方が良いと思う。
村上永世名人
蕎麦猪口の藍に濃淡、でまずやられた。そうだ、確かにそうだ、と。
ここに「水」と、蕎麦とちょっと近そうな単語が来て、蕎麦の美味そうな瑞々しさが出て、「秋」が全体をくるむ。
このような、手に届く範囲の句材から季節感を得られ、村上ワールドが繰り広げられる句集なら、私は買う。
(ジュニア永世名人の句の方が全体的に好きであるが)
御大
すごいなぁ、と思うのは蕎麦の色が色濃きとあるせいで、山家の梁も壁も年を経て色が濃いだろうと思わせるところと、ここに(古い家屋とか歴史がそこにある、だからこそ「走り」を大事にしているだろう)と思わせるところ。
番組そのものは見てないけど、これのどこが普通なのかと思うし、もしかすると、大賛辞な句なのかもしれない。
録画したものは明日以降見れるはずで、追記があれば書きます。
語順が悪い。後ろに蕎麦を持ってきてしまうと、蓋を差し直す行為の後出て来る料理が、七味に合うものなら何でも良くなる(こういうミスを何度か私もやった)。
あと、美味いものは極力575に乗せて詠んだ方が良いと思う。
村上永世名人
蕎麦猪口の藍に濃淡、でまずやられた。そうだ、確かにそうだ、と。
ここに「水」と、蕎麦とちょっと近そうな単語が来て、蕎麦の美味そうな瑞々しさが出て、「秋」が全体をくるむ。
このような、手に届く範囲の句材から季節感を得られ、村上ワールドが繰り広げられる句集なら、私は買う。
(ジュニア永世名人の句の方が全体的に好きであるが)
御大
すごいなぁ、と思うのは蕎麦の色が色濃きとあるせいで、山家の梁も壁も年を経て色が濃いだろうと思わせるところと、ここに(古い家屋とか歴史がそこにある、だからこそ「走り」を大事にしているだろう)と思わせるところ。
番組そのものは見てないけど、これのどこが普通なのかと思うし、もしかすると、大賛辞な句なのかもしれない。
録画したものは明日以降見れるはずで、追記があれば書きます。
二階堂さんの句
梅沢さんは、今回も「575で詠め」と申されました。
しかしながら、今、二階堂さんは「5音の季語+12音のフレーズ」以外の型に取り組むように、と夏井先生から宿題が出ています。「句またがり」の句です。
今回の句も、二階堂さんとしては、句またがりになるよう工夫したのではないか、というのが見て取れます。
原 句:台本見ながら 4人で 新蕎麦
添削句:台本を 見つつ四人で 食う新蕎麦
台本を 置いて四人で 食う新蕎麦
でも、夏井先生は、この句なら575に整えた方がよい、と判断したのでしょう。(二階堂さんの句と分からず採点してますから)
一方で、夏井先生は「俳句の型」は、「内容で決まる」とも話しています。
二階堂さんは、「句またがり」を習得するよう宿題を出された後は、題材は良いが作句で失敗している、というのが続いています。
本人も以前言っておられましたが、「句またがり」の型を習得するより、「5音+12音」を磨いていった方がいいのではないか、そんな風に感じます。
しかしながら、今、二階堂さんは「5音の季語+12音のフレーズ」以外の型に取り組むように、と夏井先生から宿題が出ています。「句またがり」の句です。
今回の句も、二階堂さんとしては、句またがりになるよう工夫したのではないか、というのが見て取れます。
原 句:台本見ながら 4人で 新蕎麦
添削句:台本を 見つつ四人で 食う新蕎麦
台本を 置いて四人で 食う新蕎麦
でも、夏井先生は、この句なら575に整えた方がよい、と判断したのでしょう。(二階堂さんの句と分からず採点してますから)
一方で、夏井先生は「俳句の型」は、「内容で決まる」とも話しています。
二階堂さんは、「句またがり」を習得するよう宿題を出された後は、題材は良いが作句で失敗している、というのが続いています。
本人も以前言っておられましたが、「句またがり」の型を習得するより、「5音+12音」を磨いていった方がいいのではないか、そんな風に感じます。
昨日のプレバト
ゆうちゃみが2度目の才能アリを獲得し、村上さんが4回連続の掲載決定を果たし、おっちゃん(梅沢さん)が約1ヶ月ぶり8句目の「お見事!」を達成するといい、素晴らしい内容でしたね。(9/28はアジア大会のため放送なし)
1位 ゆうちゃみ
ふるさと俳句といい、俳句のカメラワークを理解しているお方という印象。「立ち食い鴨南蛮」が非常に旨そうに思える。特待生もあと少しというところか。
2位 浅野
「来」が字余りにもなるし余計な説明をしてしまったほか、「蕎麦」と「老舗」の言葉の近さもあり才能アリをほかしてしまった勿体ない句。芸能生活以外の句にも期待したい。
3位
「や」で切れるため、「箸休め」というのが蕎麦と肴の付け合わせという風に読めてしまう。そして月が箸休めというのはちょっと季語に失礼。添削ではそれを利用して上手く季重なりをまとめていた。
最下位 三十七階堂
字足らずはやるわ算用数字使うわ散文臭いわ…あんたはこれまで何を学んで来たんだと突っ込まずにいられない。
(昇格試験)
皆藤愛子
六五六という非常に難しい型は今回は合わず。先に「新蕎麦」を出して「蕎麦屋にいるのか」と読み手に想像させるべきであった。
フルポン
流石は半径1mの俳人。器の色の濃淡(しかも藍だから不規則な色調とわかる)に視点を向けるだけでなく「水の秋」と綺麗な水の季語と合わせることで蕎麦猪口と蕎麦猪口に注がれる汁がより綺麗に見えてくる。今週は句跨がりや破調の多いなか、ビシッと五七五で決めてくれた。
梅沢富美男
対句を用いるのは梅沢としては珍しい。(ハシビロコウの句とか)
「簗太き」と「老舗」と説明せずともわかる店の出で立ちと走り蕎麦。「普通」によく出来ていた句だった。季語と自然の美しさをありありと書く「普通」に感じる句こそ梅沢の真骨頂といえるだろう。
「色濃き」が必要か?とも思ったが、走り蕎麦を知らない読者への配慮と思えばいいか。
ふるさと俳句といい、俳句のカメラワークを理解しているお方という印象。「立ち食い鴨南蛮」が非常に旨そうに思える。特待生もあと少しというところか。
2位 浅野
「来」が字余りにもなるし余計な説明をしてしまったほか、「蕎麦」と「老舗」の言葉の近さもあり才能アリをほかしてしまった勿体ない句。芸能生活以外の句にも期待したい。
3位
「や」で切れるため、「箸休め」というのが蕎麦と肴の付け合わせという風に読めてしまう。そして月が箸休めというのはちょっと季語に失礼。添削ではそれを利用して上手く季重なりをまとめていた。
最下位 三十七階堂
字足らずはやるわ算用数字使うわ散文臭いわ…あんたはこれまで何を学んで来たんだと突っ込まずにいられない。
(昇格試験)
皆藤愛子
六五六という非常に難しい型は今回は合わず。先に「新蕎麦」を出して「蕎麦屋にいるのか」と読み手に想像させるべきであった。
フルポン
流石は半径1mの俳人。器の色の濃淡(しかも藍だから不規則な色調とわかる)に視点を向けるだけでなく「水の秋」と綺麗な水の季語と合わせることで蕎麦猪口と蕎麦猪口に注がれる汁がより綺麗に見えてくる。今週は句跨がりや破調の多いなか、ビシッと五七五で決めてくれた。
梅沢富美男
対句を用いるのは梅沢としては珍しい。(ハシビロコウの句とか)
「簗太き」と「老舗」と説明せずともわかる店の出で立ちと走り蕎麦。「普通」によく出来ていた句だった。季語と自然の美しさをありありと書く「普通」に感じる句こそ梅沢の真骨頂といえるだろう。
「色濃き」が必要か?とも思ったが、走り蕎麦を知らない読者への配慮と思えばいいか。
こちらのブログを見てから番組を見ることとします
子どもが試験期間間近+リビングで勉強する派なので、プレバトとはいえTVを見るのが憚られます。そこで、録画したものは後日見るとして、久々に、こちらのブログから句だけ見てコメントして、録画を見て追記があれば加筆するという体裁をとらせていただきます(この方が本気の鑑賞ができるとも思っています)
4位
一読して、破調を通り越してこれは俳句なのかと。
例えば、「(あの地震があったとき)台本見ながら4人で新蕎麦(食っていたんだ)」というように、会話文の一部を切り抜きしたようにも見える。
ただ、句だけ読んだ時に、新蕎麦=どこか青臭い風味が残るものと思うと、若手俳優たちが台本を確認しつつ新蕎麦を食べる光景が浮かぶ。ここは良いと思った。
添削句、「食う」を敢えて使って字余りとしているが、自分ならば「新蕎麦を」と助詞を使って下五を五音にまとめたと思う。
3位
この句は、惜しい。
句で使われた季語、「望月」が、単に陰暦8月15日の月、「名月」の異称であり同義のものかと言えば違う。沈みゆく夕日と満月とが向かい合い、相望むゆえに「望月」。
その光景が美しいのだから、思わず詠嘆をしたくなるのも分かる。でも、この句では、「や」の詠嘆だけで済まない力のせいで光景がとっ散らかってしまった。いわゆる、「切れ」だ。
もし、「なんと美しい望月だろう。(その光景が)蕎麦と肴の箸休めとなる」と読ませたいなら、「望月『が』」とすべきだったろう。
「や」で切ることで、「望月が大変美しいではないか。(そんな望月の美しさのせいで)蕎麦と肴の箸休めとしてもう一品提供された」(漫画、美味しんぼの一コマを思い出すような感じ)になってしまった感がある。
惜しかったと思う。
2位
自分は「来」のせいで台無しになったと思った句。
解釈の時点で「CMのオファー(が)来(たので)老舗の新蕎麦を(食べました)」という、作文レベルのものとなる。「来」のせいで、句の前半と後半の因果関係が結ばれている。
添削句は、オファーに対しての「新蕎麦」というプラスの季語選びであり、「かぐわしき」で、心情も描けている。どこか夏井先生らしい添削だと思いつつ、やはりすごいなと。
1位
この句、結構すごい。句跨りで詠嘆し、かつ、その後は名詞を置いているだけ。
まず前半。季語+単語(秋風の駅)+「や」。例えば「秋風や」で切り、「○○駅の鴨南蛮」とすると、秋風の吹くころであるよ、〇〇駅の鴨南蛮(を食べたくなってくるころだ)くらいになる。「秋風の駅や」とすることで、やはり、秋風の中建っている駅そのものに感動を覚えた、となる。
この「や」、詠嘆であり切れの効果。そして、後半に鴨南蛮とだけおかれ、読み手は自由を得る。
別にこの駅の鴨南蛮でなく、別な場所で鴨南蛮を食ってもいい。
鴨南蛮を食うたびにこの駅のことを思い出すとか。
秋風に包まれる某駅を見ると、鴨南蛮を食いたくなるとか。
某駅が秋風が包まれたころに、自分は上京してきて、ここで鴨南蛮を食べたとか。
二物衝撃とか取り合わせといったものが成功している句だと感じられた。
特待生以上の方の句へのコメントは後日書きたいと思います。
4位
一読して、破調を通り越してこれは俳句なのかと。
例えば、「(あの地震があったとき)台本見ながら4人で新蕎麦(食っていたんだ)」というように、会話文の一部を切り抜きしたようにも見える。
ただ、句だけ読んだ時に、新蕎麦=どこか青臭い風味が残るものと思うと、若手俳優たちが台本を確認しつつ新蕎麦を食べる光景が浮かぶ。ここは良いと思った。
添削句、「食う」を敢えて使って字余りとしているが、自分ならば「新蕎麦を」と助詞を使って下五を五音にまとめたと思う。
3位
この句は、惜しい。
句で使われた季語、「望月」が、単に陰暦8月15日の月、「名月」の異称であり同義のものかと言えば違う。沈みゆく夕日と満月とが向かい合い、相望むゆえに「望月」。
その光景が美しいのだから、思わず詠嘆をしたくなるのも分かる。でも、この句では、「や」の詠嘆だけで済まない力のせいで光景がとっ散らかってしまった。いわゆる、「切れ」だ。
もし、「なんと美しい望月だろう。(その光景が)蕎麦と肴の箸休めとなる」と読ませたいなら、「望月『が』」とすべきだったろう。
「や」で切ることで、「望月が大変美しいではないか。(そんな望月の美しさのせいで)蕎麦と肴の箸休めとしてもう一品提供された」(漫画、美味しんぼの一コマを思い出すような感じ)になってしまった感がある。
惜しかったと思う。
2位
自分は「来」のせいで台無しになったと思った句。
解釈の時点で「CMのオファー(が)来(たので)老舗の新蕎麦を(食べました)」という、作文レベルのものとなる。「来」のせいで、句の前半と後半の因果関係が結ばれている。
添削句は、オファーに対しての「新蕎麦」というプラスの季語選びであり、「かぐわしき」で、心情も描けている。どこか夏井先生らしい添削だと思いつつ、やはりすごいなと。
1位
この句、結構すごい。句跨りで詠嘆し、かつ、その後は名詞を置いているだけ。
まず前半。季語+単語(秋風の駅)+「や」。例えば「秋風や」で切り、「○○駅の鴨南蛮」とすると、秋風の吹くころであるよ、〇〇駅の鴨南蛮(を食べたくなってくるころだ)くらいになる。「秋風の駅や」とすることで、やはり、秋風の中建っている駅そのものに感動を覚えた、となる。
この「や」、詠嘆であり切れの効果。そして、後半に鴨南蛮とだけおかれ、読み手は自由を得る。
別にこの駅の鴨南蛮でなく、別な場所で鴨南蛮を食ってもいい。
鴨南蛮を食うたびにこの駅のことを思い出すとか。
秋風に包まれる某駅を見ると、鴨南蛮を食いたくなるとか。
某駅が秋風が包まれたころに、自分は上京してきて、ここで鴨南蛮を食べたとか。
二物衝撃とか取り合わせといったものが成功している句だと感じられた。
特待生以上の方の句へのコメントは後日書きたいと思います。
9/21拙評
一般査定
1位
駅→立ち食い→鴨南蛮、という素直に大→小と流れていくカメラワークがよろしい。「や」の使い方によって3カットにする(「駅の立ち食い」とひとかたまりにしない、「秋風」を孤立させぼんやりさせない)判断により秋風が吹き渡る光景が明快に。細やかな気遣いがかっちり決まった佳作。
2位
「老舗の新蕎麦」だと新蕎麦がうれしいのか、奮発して老舗のお高めのを食べたのがうれしいのか、と季語に関わる読みのブレが出てきてしまうのが惜しいところか。「オファー」(依頼)は来るか出すか受けるか、なので、立場や感情を示せれば動詞は不要、というのも含め納得の添削。
3位
堂々たる季語である望月を箸休めレベルに押し込んでしまうと、俳句としてはちょっと歪なものに。ストーリー的にも蕎麦の側が主役になるのだから、それを季語に据えてしまえばよいわけで。
4位
こちらも、台本読みの片手間に食ってしまうとせっかくの新蕎麦がもったいない。37回目にして「数字は漢字」「季語は主役」などという基本中の基本を改めて示されては、まだまだ時間がかかりそうな予感。
凡と才能アリを分けたのは明確に「季語の立ち位置」でありました。
上位査定
皆藤さん
やや読者への寄り添いが足りない句に。「七味」だけだと映像・場面が確定しないため、「蓋差し直し」の意味もぼんやりしたまま句の大半が流れていく。皆藤さんがたまに陥る「同じ場面が読者に見えにくい句」のパターン。良い題材だからこそ、正確に「見せる」一手間を惜しまない姿勢が求められている段階なのでは。
健志さん
半径10センチの詩人、真骨頂ではないか。ただただ蕎麦猪口を観察し、そこに(そして、横にあるであろう蕎麦に)秋を写しとる。季語の解釈、押さえの細かい気遣いも見事。
御大
余計なことを考えず、着実堅実に作られた一句。「普通」はこの場合「見本として皆に勧められる、手本として皆に見てほしい」という賞賛と考えるべきであろう。(テレビ的なところで弄っていたところはあるが、そんなに引っかからんでも、と)
1位
駅→立ち食い→鴨南蛮、という素直に大→小と流れていくカメラワークがよろしい。「や」の使い方によって3カットにする(「駅の立ち食い」とひとかたまりにしない、「秋風」を孤立させぼんやりさせない)判断により秋風が吹き渡る光景が明快に。細やかな気遣いがかっちり決まった佳作。
2位
「老舗の新蕎麦」だと新蕎麦がうれしいのか、奮発して老舗のお高めのを食べたのがうれしいのか、と季語に関わる読みのブレが出てきてしまうのが惜しいところか。「オファー」(依頼)は来るか出すか受けるか、なので、立場や感情を示せれば動詞は不要、というのも含め納得の添削。
3位
堂々たる季語である望月を箸休めレベルに押し込んでしまうと、俳句としてはちょっと歪なものに。ストーリー的にも蕎麦の側が主役になるのだから、それを季語に据えてしまえばよいわけで。
4位
こちらも、台本読みの片手間に食ってしまうとせっかくの新蕎麦がもったいない。37回目にして「数字は漢字」「季語は主役」などという基本中の基本を改めて示されては、まだまだ時間がかかりそうな予感。
凡と才能アリを分けたのは明確に「季語の立ち位置」でありました。
上位査定
皆藤さん
やや読者への寄り添いが足りない句に。「七味」だけだと映像・場面が確定しないため、「蓋差し直し」の意味もぼんやりしたまま句の大半が流れていく。皆藤さんがたまに陥る「同じ場面が読者に見えにくい句」のパターン。良い題材だからこそ、正確に「見せる」一手間を惜しまない姿勢が求められている段階なのでは。
健志さん
半径10センチの詩人、真骨頂ではないか。ただただ蕎麦猪口を観察し、そこに(そして、横にあるであろう蕎麦に)秋を写しとる。季語の解釈、押さえの細かい気遣いも見事。
御大
余計なことを考えず、着実堅実に作られた一句。「普通」はこの場合「見本として皆に勧められる、手本として皆に見てほしい」という賞賛と考えるべきであろう。(テレビ的なところで弄っていたところはあるが、そんなに引っかからんでも、と)
Re: タイトルなし
双葉さま
コメントありがとうございます。
「永世名人"ら"6名の決勝進出」の内訳のうち、シード権を獲得している1人に春光戦2位の皆藤さんが含まれます。
優勝の藤本名人のほか、梅沢・村上・ジュニア・横尾名人が出場するものと思われます。
コメントありがとうございます。
「永世名人"ら"6名の決勝進出」の内訳のうち、シード権を獲得している1人に春光戦2位の皆藤さんが含まれます。
優勝の藤本名人のほか、梅沢・村上・ジュニア・横尾名人が出場するものと思われます。
次回の予告に「永世名人ら6人の決勝進出が確定している」とありますが、
ついに東国原永世名人が復活するんでしょうか?
ついに東国原永世名人が復活するんでしょうか?