コメント
(^人^)
いつも本当にありがとうございます💫 参考になります🌟
ご体調はいかがですか。くれぐれもご無理なさらずに🍀
ご体調はいかがですか。くれぐれもご無理なさらずに🍀
句の質量
犬山さん
福豆拾いという単語、もしくは行事があるかと。指摘通りでした。
志らく名人
句だけみると円楽師匠の発言なのか詠み手の発言なのか分かりかねました。
俳句の質量問題。
夏井先生は俳句は全体で2グラム。例えば、季語を1としたら、残り1を他の要素で分け合う、とおっしゃっています。
例えば犬山さんの句なら「福豆拾い」「子のコップ」「晩酌」という要素を分け合うのですが、福豆を拾うことを1としたとき、子のコップと晩酌の要素を足して1を超えるかどうか?と。1を超えるなら詰め込みすぎですよ、と。なかなか抽象的で感覚的なことですが、そんな話を読んだことがあります。
村上永世名人
「清しき」が説明的にも見えますが、この単語、文法としては直接的に修飾はしないけど、節替りも「清しい」と感じられる効果を持ってそうです。
万一、三段切れを容認して「節替り清しき巻き簾立てかける」とした場合、節替りが清しい、とは感じられなかったでしょう。
福豆拾いという単語、もしくは行事があるかと。指摘通りでした。
志らく名人
句だけみると円楽師匠の発言なのか詠み手の発言なのか分かりかねました。
俳句の質量問題。
夏井先生は俳句は全体で2グラム。例えば、季語を1としたら、残り1を他の要素で分け合う、とおっしゃっています。
例えば犬山さんの句なら「福豆拾い」「子のコップ」「晩酌」という要素を分け合うのですが、福豆を拾うことを1としたとき、子のコップと晩酌の要素を足して1を超えるかどうか?と。1を超えるなら詰め込みすぎですよ、と。なかなか抽象的で感覚的なことですが、そんな話を読んだことがあります。
村上永世名人
「清しき」が説明的にも見えますが、この単語、文法としては直接的に修飾はしないけど、節替りも「清しい」と感じられる効果を持ってそうです。
万一、三段切れを容認して「節替り清しき巻き簾立てかける」とした場合、節替りが清しい、とは感じられなかったでしょう。
ANSER一句
節分や 咥えカツ巻き 冷ゆ少し
毎度、有り難い記事、感謝してます!
今回、志らくさんは、惜しかったですが、掲載決定の村上さんは、番組で志らくさんも指摘していましたが、「清しき」が私も違和感がありました。
そういう理由で、志らくさんや犬山さんも厳しい評価のような気がしました。
今回、志らくさんは、惜しかったですが、掲載決定の村上さんは、番組で志らくさんも指摘していましたが、「清しき」が私も違和感がありました。
そういう理由で、志らくさんや犬山さんも厳しい評価のような気がしました。
今回は夏井先生も言うように「17音にどれだけの材料を入れられるのか?」という課題をしみじみと感じた。
犬山紙子、「福豆拾い」と助詞を削ってしまったのが「詰め込みすぎ」と捉えられる最大の敗因か。自分もそういう行事なのか(祭りの季語なのかな?)と思ってしまった。
志らくは逆に曖昧としすぎた。追悼句は追悼する方の要素を入れなくては、誰の追悼でも良くなってしまう。生前呟いていた言葉として追悼の意図があったらしいが、読者にしてみたら独り善がりとも感じられる。
「色変へぬ松高座に残す扇子一本」
フルポン村上永世名人、今回も「これは決まったな」という印象だった。
最後にぽんと置いた季語だけで「巻き簾」の意味が明らかとなり、「立てかけて」「清しき」という言葉も単なる説明だけで終わらず、映像への大切な要素になってくる。
句の実力だけではなく、恵方巻きというのが全国的に知られた現代だからこその俳句というのも、句集に載せるに相応しいところだっただろう。
犬山紙子、「福豆拾い」と助詞を削ってしまったのが「詰め込みすぎ」と捉えられる最大の敗因か。自分もそういう行事なのか(祭りの季語なのかな?)と思ってしまった。
志らくは逆に曖昧としすぎた。追悼句は追悼する方の要素を入れなくては、誰の追悼でも良くなってしまう。生前呟いていた言葉として追悼の意図があったらしいが、読者にしてみたら独り善がりとも感じられる。
「色変へぬ松高座に残す扇子一本」
フルポン村上永世名人、今回も「これは決まったな」という印象だった。
最後にぽんと置いた季語だけで「巻き簾」の意味が明らかとなり、「立てかけて」「清しき」という言葉も単なる説明だけで終わらず、映像への大切な要素になってくる。
句の実力だけではなく、恵方巻きというのが全国的に知られた現代だからこその俳句というのも、句集に載せるに相応しいところだっただろう。
次回のプレバト
次週は「永世名人のお手本」にジュニアさんが出るので、掲載決定句数が気になりますね。
今回は
犬山紙子さん
2年前の冬麗戦と同じことを言われましたね。
ただ、材料を詰めこみすぎとは思わなかったかな。
たぶん、季語を福豆と限定したことがミスだったかなと思います。具体的に書きすぎたことで寸詰まりになったのかもしれません。
「節分」と行事そのものを季語としてつかい、読者に想像を委ねる形でもよかったかなと。
節分や晩酌は子供のコップ
立川志らく名人
上五中七が圓楽名人の言葉であるならば、それを尊重してもよかったのではと思います。
問題は「豆を撒く」と現在系の動詞で書いてるから、追悼とは伝わりにくいのかもしれません。
もうちょいと生きてみるよと豆撒いた
と過去形にすれば、想いを馳せるという意味では良かったのではと。
村上名人
昔の
抜き型を重ねて仕事納めかな
を思い出しました。職人さんの使う道具に焦点を当てるのが得意なんでしょうか。
途中までは意味がわからず、最後の季語でそれまでの言葉の意味がわかる句は大好きです。
最後に拙句を詠ませていただきます。
雪の夜やトンカツ巻きを抱き抱え
2年前の冬麗戦と同じことを言われましたね。
ただ、材料を詰めこみすぎとは思わなかったかな。
たぶん、季語を福豆と限定したことがミスだったかなと思います。具体的に書きすぎたことで寸詰まりになったのかもしれません。
「節分」と行事そのものを季語としてつかい、読者に想像を委ねる形でもよかったかなと。
節分や晩酌は子供のコップ
立川志らく名人
上五中七が圓楽名人の言葉であるならば、それを尊重してもよかったのではと思います。
問題は「豆を撒く」と現在系の動詞で書いてるから、追悼とは伝わりにくいのかもしれません。
もうちょいと生きてみるよと豆撒いた
と過去形にすれば、想いを馳せるという意味では良かったのではと。
村上名人
昔の
抜き型を重ねて仕事納めかな
を思い出しました。職人さんの使う道具に焦点を当てるのが得意なんでしょうか。
途中までは意味がわからず、最後の季語でそれまでの言葉の意味がわかる句は大好きです。
最後に拙句を詠ませていただきます。
雪の夜やトンカツ巻きを抱き抱え