コメント
あいうえさんの書いてることはもっともで、
それがこの句の観察力だと思います。
根本的に思い違いをされてるようですが
マネキンは人ではなく物です。作業を2人がかりでやっていて、マネキン持ち上げた人がをデニムに押し込んでいると考えればなにも違和感はないと思います。
それがこの句の観察力だと思います。
根本的に思い違いをされてるようですが
マネキンは人ではなく物です。作業を2人がかりでやっていて、マネキン持ち上げた人がをデニムに押し込んでいると考えればなにも違和感はないと思います。
デニムという場所「に」だとすると、デニムを固定して固定されたデニムにマネキンを入れている、という意味になりませんか?季語を立てる配慮よりも違和感のない助詞選びの方が大切だと思います
更新お疲れ様です
前回の記事も含め更新が大変かと思いますがゆっくり頑張ってください!
藤本名人の句
様々な意見がありますが、自分なりの読み取り方としては、まず「マネキンの坐骨」という言葉が出てくる。夏井先生的に言えば「詩のかけらもない」無機質な物がドンとでる。そしてカットが変わって「それをデニムに履かせている」と分かる。
あいうえさんの指摘のように1カットで表現することも可能だとは思いますが、2カットにすることで、「『置かれているマネキンの坐骨部分を持ち上げて』デニムに入れる」と少しストーリーを長くすることができるという配慮(であり詳細な説明ではない)の点が加点要素だと思いました。
また、「デニム『に』」の点。夏井先生は「〇〇『に』などは場所などに使う」という解説を多くしており、この場合「デニムという『場所』」にマネキンを入れるという行為がクローズアップされます。『を』だとデニムが脇役の脇役まで質量が減ってしまうでしょう。
そして季語の秋が上手く言葉の質量と威力がさながら天秤棒(秋という季語)と皿(「マネキンの坐骨」と「デニム」)が丁度釣り合った形にしてくれる、どれも印象深く丁度いいバランスを保ってくれると解釈しました。
ここ最近こちらでは藤本名人についての評価があまり良くない感じが見受けられますが、それでもやはりこういった句をすっと出せるのは拾段だなぁと思います。自分の発想力では絶対出せない句ですので。
追記
ゆうさん あいうえさんありがとうございます。中々助詞も、それを噛み砕くのも難しいと実感しています。
藤本名人の句
様々な意見がありますが、自分なりの読み取り方としては、まず「マネキンの坐骨」という言葉が出てくる。夏井先生的に言えば「詩のかけらもない」無機質な物がドンとでる。そしてカットが変わって「それをデニムに履かせている」と分かる。
あいうえさんの指摘のように1カットで表現することも可能だとは思いますが、2カットにすることで、「『置かれているマネキンの坐骨部分を持ち上げて』デニムに入れる」と少しストーリーを長くすることができるという配慮(であり詳細な説明ではない)の点が加点要素だと思いました。
また、「デニム『に』」の点。夏井先生は「〇〇『に』などは場所などに使う」という解説を多くしており、この場合「デニムという『場所』」にマネキンを入れるという行為がクローズアップされます。『を』だとデニムが脇役の脇役まで質量が減ってしまうでしょう。
そして季語の秋が上手く言葉の質量と威力がさながら天秤棒(秋という季語)と皿(「マネキンの坐骨」と「デニム」)が丁度釣り合った形にしてくれる、どれも印象深く丁度いいバランスを保ってくれると解釈しました。
ここ最近こちらでは藤本名人についての評価があまり良くない感じが見受けられますが、それでもやはりこういった句をすっと出せるのは拾段だなぁと思います。自分の発想力では絶対出せない句ですので。
追記
ゆうさん あいうえさんありがとうございます。中々助詞も、それを噛み砕くのも難しいと実感しています。
1位の句について
マネキンの坐骨デニムに入るる秋
これは解説がよく分かりませんでした。よく分からない原因は「に」だと思います。
マネキン(の坐骨)「に」デニム「を」入れるというのが正しいと思います。
例えば人に置き換えると、子ども「を」デニム「に」入れるという原句の助詞の使い方ではおかしくないでしょうか?もっというと、もしおかしくないとしても、坐骨とデニムの間に助詞がないのも不自然です。なぜ切れをここで入れて2カットにするのかも分かりません。
そうすると、「入るる」というのは下二段活用の他動詞「入る」(現代語では「入れる」)の連体形ではない可能性が出てきます。
それでは、四段活用の自動詞「入る」と解釈すればどうなるでしょうか。この場合は、四段活用の性質上、「入る」+「る」と言う構造にならざるをえません。しかし、後者の「る」がおかしくなります。「る」の可能性としては受身の助動詞か存続・完了の助動詞が挙げられますが、受身の助動詞であるならば未然形に、存続・完了の助動詞であるならば已然形に接続します。よって、自動詞として解釈するのにも無理があります。
マネキンの坐骨デニムに入るる秋
これは解説がよく分かりませんでした。よく分からない原因は「に」だと思います。
マネキン(の坐骨)「に」デニム「を」入れるというのが正しいと思います。
例えば人に置き換えると、子ども「を」デニム「に」入れるという原句の助詞の使い方ではおかしくないでしょうか?もっというと、もしおかしくないとしても、坐骨とデニムの間に助詞がないのも不自然です。なぜ切れをここで入れて2カットにするのかも分かりません。
そうすると、「入るる」というのは下二段活用の他動詞「入る」(現代語では「入れる」)の連体形ではない可能性が出てきます。
それでは、四段活用の自動詞「入る」と解釈すればどうなるでしょうか。この場合は、四段活用の性質上、「入る」+「る」と言う構造にならざるをえません。しかし、後者の「る」がおかしくなります。「る」の可能性としては受身の助動詞か存続・完了の助動詞が挙げられますが、受身の助動詞であるならば未然形に、存続・完了の助動詞であるならば已然形に接続します。よって、自動詞として解釈するのにも無理があります。
発表順に
前回の句へのコメント等書き終えてないところで、白プロキオン様の多忙さをうかがえますが、そんな中での書き起こし本当にお疲れ様です。
2位 昇吉さん
無知もいいところで、「錦秋」という季語であり言葉を知りませんでした。手元にある歳時記には掲載されていないので、辞書を引いてみると「紅葉が錦のように美しくなる秋」とのこと。季語自体に「錦のようだ」という喩えや見立てが入っていることで、より視覚的に季語を捉え、かつ、「錦のように見える」秋の景を残りの十二音で表現しないといけない句でした。
夏井先生のおっしゃる通り、人工物であるショーウィンドウの衣類との対比が活きていたと思います。
また、「に」でショーウィンドウから離れず動かない何かが示唆され、さらに、「映る黙」とすることで、本来は視覚的に映ることがない聴覚情報:沈黙がショーウィンドウに映っているという表現が活きました。
通常回での出演がここのところ無かった昇吉さんですが、普段からしっかり俳句をやっていることを見せつけた句だと思いました。
3位 松岡さん
村上永世名人の指摘、言葉の質量問題は見事でした。
自解を視聴すると、「ファーストピアスの」の「の」。これが結構痛いかもしれない。重さを感じるならば「に」なり「へ」(地球の持つ重力に引かれる)がより適当で、これが「の」になると、ファーストピアス自体の持つ重力によって、(万有引力。ピアス自体に自分自身、特に星月夜を見ている自分の精神が)引かれていくように見えてしまいますね。
もしかすると中八になったので、下の句を五音にする苦肉の策として重力という四音を使ったのかもしれないな、と。
あとは、季語の問題。季語が脇役になったのは否めません。もしもここにより良い季語を入れるなら、時候や天文など広い季語より、具体的には言いませんが、生活季語(または、忌日)を入れても面白かったかもしれませんね。下手に使えば残り12音と近すぎる内容になってしまいますが。
4位 馬場さん
ファッションがらみで闊歩というと、プレバトでは過去に「落葉風渋谷を闊歩生脚で」とその添削句「生脚の闊歩渋谷の落葉風」(原句はゆうちゃみさん)を思い出します。
ゆうちゃみさんの句では落葉風の中の若々しい脚部に視線が向けられます。この句では爽やかな秋の風の中、トレンチコートであり、それを着た人に目が向けられ、見えてくる光景や人物像はずいぶん違いますね。
さて。
なんにしても、この句、「コート」が痛かった。御大のおっしゃる通りです。添削句で「コート」を消して「トレンチ」だけ残す形となりましたが、原句を見てからだと、どうしても「トレンチコート」の印象が残ってしまいました。
5位 犬山さん
順位発表段階で、「よもや、また片乳だしたのか」と思いましたが、悪くはない句でしたし、村上永世名人とのやりとりも良かった。詠んだ方も季重なりを指摘されることを予想していた。
まずは、三段切れですが、この句の場合は、中七の名詞と下五の内容からして、ここの間にくっつく助詞が「を」しか浮かばない内容なので、おおめに見てもらえたのかもしれません。
反対に、タートルネック「を」、となるので、どうしてもタートルネックがどうなったかという点がクローズアップされ、目立ってしまいます。カタカナ語で7音も使ってますし、やはり冬のイメージのある単語が目立ってしまった、という感じでしょうか。
また、夏井先生の添削時のコメントから、具体的に描写して成功する場合と書きすぎて損する場合、そのさじ加減は、俳句を作りながらでしか分からないのではないかと思った次第です。
藤本名人
解釈:マネキンの坐骨(にあたる部分)をデニムに入れる秋です
この句、藤本名人の自解に対してマネキンを持ち上げてジーンズに入れる作業をしている映像があてられましたが、まさしくこの映像のまんまの句なんだと思いました。
そして、詠み手の視座によって秋の感触も違ってくるのではないかと思える句で、マネキンをデニムに入れる本人なら「マネキンの着せ替えをやってるな、秋が来るな、忙しいな」、その作業を見ている者なら「マネキンの着せ替えをやってるな、ああ、秋が来るな」とちょっと違う。そんな感触を得られるかもしれませんね。
思わず鑑賞してしまいましたが、1位と2位の差はこの読み方の幅をくれる部分だったのかな、と思ったりしましたし、人によっては2位と1位を入れ替えて評価する方もいるかもしれません。
ハイレベルなAブロックだったと思います。
2位 昇吉さん
無知もいいところで、「錦秋」という季語であり言葉を知りませんでした。手元にある歳時記には掲載されていないので、辞書を引いてみると「紅葉が錦のように美しくなる秋」とのこと。季語自体に「錦のようだ」という喩えや見立てが入っていることで、より視覚的に季語を捉え、かつ、「錦のように見える」秋の景を残りの十二音で表現しないといけない句でした。
夏井先生のおっしゃる通り、人工物であるショーウィンドウの衣類との対比が活きていたと思います。
また、「に」でショーウィンドウから離れず動かない何かが示唆され、さらに、「映る黙」とすることで、本来は視覚的に映ることがない聴覚情報:沈黙がショーウィンドウに映っているという表現が活きました。
通常回での出演がここのところ無かった昇吉さんですが、普段からしっかり俳句をやっていることを見せつけた句だと思いました。
3位 松岡さん
村上永世名人の指摘、言葉の質量問題は見事でした。
自解を視聴すると、「ファーストピアスの」の「の」。これが結構痛いかもしれない。重さを感じるならば「に」なり「へ」(地球の持つ重力に引かれる)がより適当で、これが「の」になると、ファーストピアス自体の持つ重力によって、(万有引力。ピアス自体に自分自身、特に星月夜を見ている自分の精神が)引かれていくように見えてしまいますね。
もしかすると中八になったので、下の句を五音にする苦肉の策として重力という四音を使ったのかもしれないな、と。
あとは、季語の問題。季語が脇役になったのは否めません。もしもここにより良い季語を入れるなら、時候や天文など広い季語より、具体的には言いませんが、生活季語(または、忌日)を入れても面白かったかもしれませんね。下手に使えば残り12音と近すぎる内容になってしまいますが。
4位 馬場さん
ファッションがらみで闊歩というと、プレバトでは過去に「落葉風渋谷を闊歩生脚で」とその添削句「生脚の闊歩渋谷の落葉風」(原句はゆうちゃみさん)を思い出します。
ゆうちゃみさんの句では落葉風の中の若々しい脚部に視線が向けられます。この句では爽やかな秋の風の中、トレンチコートであり、それを着た人に目が向けられ、見えてくる光景や人物像はずいぶん違いますね。
さて。
なんにしても、この句、「コート」が痛かった。御大のおっしゃる通りです。添削句で「コート」を消して「トレンチ」だけ残す形となりましたが、原句を見てからだと、どうしても「トレンチコート」の印象が残ってしまいました。
5位 犬山さん
順位発表段階で、「よもや、また片乳だしたのか」と思いましたが、悪くはない句でしたし、村上永世名人とのやりとりも良かった。詠んだ方も季重なりを指摘されることを予想していた。
まずは、三段切れですが、この句の場合は、中七の名詞と下五の内容からして、ここの間にくっつく助詞が「を」しか浮かばない内容なので、おおめに見てもらえたのかもしれません。
反対に、タートルネック「を」、となるので、どうしてもタートルネックがどうなったかという点がクローズアップされ、目立ってしまいます。カタカナ語で7音も使ってますし、やはり冬のイメージのある単語が目立ってしまった、という感じでしょうか。
また、夏井先生の添削時のコメントから、具体的に描写して成功する場合と書きすぎて損する場合、そのさじ加減は、俳句を作りながらでしか分からないのではないかと思った次第です。
藤本名人
解釈:マネキンの坐骨(にあたる部分)をデニムに入れる秋です
この句、藤本名人の自解に対してマネキンを持ち上げてジーンズに入れる作業をしている映像があてられましたが、まさしくこの映像のまんまの句なんだと思いました。
そして、詠み手の視座によって秋の感触も違ってくるのではないかと思える句で、マネキンをデニムに入れる本人なら「マネキンの着せ替えをやってるな、秋が来るな、忙しいな」、その作業を見ている者なら「マネキンの着せ替えをやってるな、ああ、秋が来るな」とちょっと違う。そんな感触を得られるかもしれませんね。
思わず鑑賞してしまいましたが、1位と2位の差はこの読み方の幅をくれる部分だったのかな、と思ったりしましたし、人によっては2位と1位を入れ替えて評価する方もいるかもしれません。
ハイレベルなAブロックだったと思います。
藤本名人に対する
偏った見方をされる人がいらっしゃるようでしたね。
過去にいくつか指摘されてましたが、
海胆の句と金魚鉢の句までならそう感じる人がいるのは理解できます。
ただ今回の句に関しては、「座骨」という言葉があっただけで、昔の人の句と安易に結びつけてしまい
ハッキリ申し上げるのであれば、
指摘や批判の域を越えた言いがかりでしかなく、不愉快です。
藤本名人だけでなく、夏井先生やプレバトという番組への偏見を生み出しかねないコメントはやめていただきたいと思います
過去にいくつか指摘されてましたが、
海胆の句と金魚鉢の句までならそう感じる人がいるのは理解できます。
ただ今回の句に関しては、「座骨」という言葉があっただけで、昔の人の句と安易に結びつけてしまい
ハッキリ申し上げるのであれば、
指摘や批判の域を越えた言いがかりでしかなく、不愉快です。
藤本名人だけでなく、夏井先生やプレバトという番組への偏見を生み出しかねないコメントはやめていただきたいと思います
どれも素晴らしく見応えのある回と句という印象でした
犬山さんも失敗こそしたという評価ですがいままでのような大事故ではなかったですし、具体的に書きすぎたという観点の指摘、添削は大きく唸りました
松岡さんの句は質量問題などの指摘も分かりますが、個人的にはかなり好きな句でした
余談ですが、10段を過ぎたあたりから村上さんのトーク力が日に日に向上してるように感じてなんか良いなと思います
俳句に真摯に向き合っているのを感じます。
犬山さんも失敗こそしたという評価ですがいままでのような大事故ではなかったですし、具体的に書きすぎたという観点の指摘、添削は大きく唸りました
松岡さんの句は質量問題などの指摘も分かりますが、個人的にはかなり好きな句でした
余談ですが、10段を過ぎたあたりから村上さんのトーク力が日に日に向上してるように感じてなんか良いなと思います
俳句に真摯に向き合っているのを感じます。
昨日のプレバト
1位から3位まで添削なしといい、犬山さんが具体的に書きすぎて最下位といい、Aブロックから波乱の連発ですね。(特に気になるのはCブロック)
「ジーンズに腰骨入るる薄暑かな」って恩田侑布子さんの句があるんですよね……それをマネキンの句へと昇華させたのはお見事ですよ
今回は
どなたの句も兼題と真っ正面から向き合い、すばらしかったと思います。
1位、藤本名人
この句の決め手は後半の助詞「に」だと思ってます。この助詞の選択で「デニム」の方に比重がかかり結果的に「秋」という季語が主役に立ってます。
うまく表現ができないのですが、
「を」とした場合、
マネキン
↑
デニム
というデニムをマネキンに押し込む形になり、「マネキンの座骨」の印象が一番印象に残ってしまいます。
「に」とすることで
マネキン
↓
デニム
となり、マネキンを押し込む光景になります。そうなると「デニム」をひいては「秋」を引き立てるための小道具としてマネキンを脇役に抑えることができます。
助詞といったら千原ジュニア名人のイメージがありましたが、藤本名人もやはりすごいですね。
2位、春風亭昇吉さん
解説を聞いて思い出したのは、特待生昇格を決めた句ですね。
あの時も、「だけ」という言葉を用いてました。
小細工を捨てて、映像に思いを託すという概念か持ち始めたとき、この方が落語家として持っている言葉の力を発揮できるように思えました。
句の感想です。
季語の本意をしっかりと捉えていた句でしたね。プレバトでは初めて使われる季語でしたし、季語の選択によほどの自信と勇気を持って選ばれたのだと思います。
「映る」という言葉によって夜の情報であることも伝わり、映像としても心情としても明暗のコントラストが出てきますね。
助詞の選択も的確でした。
切れをいれずに上五中七下五と繋げることで、リズムと内容が合うように思えます。
予選突破できるような確率はかなり高いかなと思えます。
3位、松岡充さん
個人的には兼題との相性からかなり期待値が高かった人です。
季語と残りのフレーズでいくつか対比の意図があったように思えます。
まずは映像としての大小の対比
自然の空の輝きと人工物の輝き
空なので上のイメージと「重力」で下のイメージ
「重力」はピアスをつける人とそうでない人で評価が別れるのでしょうね。実感を持てる人は季語とのバランスが取れてるように思えます。
着けない人は言葉そのものの詩的表現と季語とのバランスが取れてないと感じるのではと思います。
万人向けにするのであれば
星月夜きらりファーストピアスずしり
と季語の描写に音数を取ることでしょうか?個人的には原句でも十分すばらしかったと思います。
馬場典子さんと犬山紙子さんは夏井先生の感想がそのまま自分の感想なので、割愛させていただきます。
今回の兼題の難しさに引っかかってしまったといったところでしょうか?
ただお二人とも映像はきっちり描写できてるので、技術力は確かに向上されてるように思えます。
最後に拙句を詠ませていただきます。
アニメーションダンス秋のランウェイ舞う
1位、藤本名人
この句の決め手は後半の助詞「に」だと思ってます。この助詞の選択で「デニム」の方に比重がかかり結果的に「秋」という季語が主役に立ってます。
うまく表現ができないのですが、
「を」とした場合、
マネキン
↑
デニム
というデニムをマネキンに押し込む形になり、「マネキンの座骨」の印象が一番印象に残ってしまいます。
「に」とすることで
マネキン
↓
デニム
となり、マネキンを押し込む光景になります。そうなると「デニム」をひいては「秋」を引き立てるための小道具としてマネキンを脇役に抑えることができます。
助詞といったら千原ジュニア名人のイメージがありましたが、藤本名人もやはりすごいですね。
2位、春風亭昇吉さん
解説を聞いて思い出したのは、特待生昇格を決めた句ですね。
あの時も、「だけ」という言葉を用いてました。
小細工を捨てて、映像に思いを託すという概念か持ち始めたとき、この方が落語家として持っている言葉の力を発揮できるように思えました。
句の感想です。
季語の本意をしっかりと捉えていた句でしたね。プレバトでは初めて使われる季語でしたし、季語の選択によほどの自信と勇気を持って選ばれたのだと思います。
「映る」という言葉によって夜の情報であることも伝わり、映像としても心情としても明暗のコントラストが出てきますね。
助詞の選択も的確でした。
切れをいれずに上五中七下五と繋げることで、リズムと内容が合うように思えます。
予選突破できるような確率はかなり高いかなと思えます。
3位、松岡充さん
個人的には兼題との相性からかなり期待値が高かった人です。
季語と残りのフレーズでいくつか対比の意図があったように思えます。
まずは映像としての大小の対比
自然の空の輝きと人工物の輝き
空なので上のイメージと「重力」で下のイメージ
「重力」はピアスをつける人とそうでない人で評価が別れるのでしょうね。実感を持てる人は季語とのバランスが取れてるように思えます。
着けない人は言葉そのものの詩的表現と季語とのバランスが取れてないと感じるのではと思います。
万人向けにするのであれば
星月夜きらりファーストピアスずしり
と季語の描写に音数を取ることでしょうか?個人的には原句でも十分すばらしかったと思います。
馬場典子さんと犬山紙子さんは夏井先生の感想がそのまま自分の感想なので、割愛させていただきます。
今回の兼題の難しさに引っかかってしまったといったところでしょうか?
ただお二人とも映像はきっちり描写できてるので、技術力は確かに向上されてるように思えます。
最後に拙句を詠ませていただきます。
アニメーションダンス秋のランウェイ舞う