コメント
更新お疲れ様です
森口名人
子どもが学校とかでもらった笹飾りとか作ったりもらったりするものって意外と子どもって簡単に捨てたり失くしてしまうんですよね。そういった「日常の小さな場面」を切り取るのは森口名人らしいなと思いました。
ですが最初に句を詠んだ時「大き目のポリバケツに七夕で使った笹でも入れてるのかな」という読みをしたのと、やはり「死骸」という単語が重すぎたなぁと思いました。俳句においてマイナスイメージを持つ単語は意外に重く、そのバランスを取るのが難しいと実感しました。そう考えると「絶島」という言葉を使いながら上手くまとめた千賀名人の腕も流石。
名人になるまではスピード出世でしたがここにきて「名人の壁」に当たっている森口名人ですが、句柄が好きなので頑張ってほしいです。
中田名人
方言を使ったり特定の地方にフォーカスを当てるのは御大と似たスタイルと感じました。丁度段位が同じ志らく名人とまさに正反対の「王道句」。
ですが、平場の査定だと「人の和」という所に映像を持たないと言われるような指摘もそうですし、七夕→仙台(東北)という発想もありきたりと言われてしまう所でしょうか。
中田名人もまたここから段位を伸ばす所で壁に当たっている感じがします。
ジュニア名人
「病棟」があるような病院だと、入り口、あるいは各階の談話室に七夕竹が飾ってあることが多い中、「病室」とすることで病室の中に七夕竹がある。きっと患者は談話室にすら行けない状態だったり、寝たきりなのかもしれない。
そんな中でお見舞いに来ると七夕竹が病室の中に飾られていた。そこまで気を配ってくれる病院のスタッフさんの心遣い、そしてジュニアさんの語る通り書いてある願い事が患者の快癒だと知り、改めてその心遣いに礼をする。
「舞台(病室)」「小道具(七夕竹)」「小道具に対する動作(一礼)」だけを提示し、そこに至る背景、関係性、内容、そして今後の展開などは読み手が考えてもらい、それぞれが自分にあった想像を膨らませてくれる。
私自身も身内に病院に入院している祖母がいるので、単純なのにすごく実感が湧く句でした。
御大は舞台中でお休みでしょうか。「舞台が息抜き」というのは失礼ですが、ラスト4句に向けてチャージしてもらいたいですね。
子どもが学校とかでもらった笹飾りとか作ったりもらったりするものって意外と子どもって簡単に捨てたり失くしてしまうんですよね。そういった「日常の小さな場面」を切り取るのは森口名人らしいなと思いました。
ですが最初に句を詠んだ時「大き目のポリバケツに七夕で使った笹でも入れてるのかな」という読みをしたのと、やはり「死骸」という単語が重すぎたなぁと思いました。俳句においてマイナスイメージを持つ単語は意外に重く、そのバランスを取るのが難しいと実感しました。そう考えると「絶島」という言葉を使いながら上手くまとめた千賀名人の腕も流石。
名人になるまではスピード出世でしたがここにきて「名人の壁」に当たっている森口名人ですが、句柄が好きなので頑張ってほしいです。
中田名人
方言を使ったり特定の地方にフォーカスを当てるのは御大と似たスタイルと感じました。丁度段位が同じ志らく名人とまさに正反対の「王道句」。
ですが、平場の査定だと「人の和」という所に映像を持たないと言われるような指摘もそうですし、七夕→仙台(東北)という発想もありきたりと言われてしまう所でしょうか。
中田名人もまたここから段位を伸ばす所で壁に当たっている感じがします。
ジュニア名人
「病棟」があるような病院だと、入り口、あるいは各階の談話室に七夕竹が飾ってあることが多い中、「病室」とすることで病室の中に七夕竹がある。きっと患者は談話室にすら行けない状態だったり、寝たきりなのかもしれない。
そんな中でお見舞いに来ると七夕竹が病室の中に飾られていた。そこまで気を配ってくれる病院のスタッフさんの心遣い、そしてジュニアさんの語る通り書いてある願い事が患者の快癒だと知り、改めてその心遣いに礼をする。
「舞台(病室)」「小道具(七夕竹)」「小道具に対する動作(一礼)」だけを提示し、そこに至る背景、関係性、内容、そして今後の展開などは読み手が考えてもらい、それぞれが自分にあった想像を膨らませてくれる。
私自身も身内に病院に入院している祖母がいるので、単純なのにすごく実感が湧く句でした。
御大は舞台中でお休みでしょうか。「舞台が息抜き」というのは失礼ですが、ラスト4句に向けてチャージしてもらいたいですね。
No title
毎週の書き起こし作業、お疲れ様です。
森口名人
初め、「屑籠にある」の「ある」が音数合わせにも感じられた句でした。「屑籠に七夕竹の死骸」でも意味は通じます。ここの「ある」を略さないで詠み込むと、より屑籠にあるもの=七夕竹が強調されるという効果があったかと思います。添削句で字余りとなっても、この「ある」に朱筆が入らなかった点、効果は確かだったかと。
添削では「屑籠」「死骸」「竹」といった語句のバランスが問われていました。まぁ、屑籠に虫か何かの死骸があってもおかしくはないのですが、「七夕竹の死骸」ですから、句の中の存在感が非常に大きい。対して、「屑籠」が弱すぎ、お飾りになってしまった、といった所でしょうか。
この辺りは岸本尚樹先生と夏井先生の共著「ひらめく!作れる!俳句ドリル」という本の初めの方に、
・句の全体の質量を2.0とする
・キーワードの質量を1.0とすれば、残りで1.0を構成してバランスをとっていく
という記述がありますが、それを思い出した次第です。
中田名人
仙台の七夕を取り上げた一句とのことですが、「またござれ」は方言ではなく、「また」+「ござれ」、ござれは、「来る」の意味の「ござる」の命令形「ござれ」であるような気がします。
中七「七夕さん」と「さん」をつけるのは仙台の七夕に限ったことではない様子。「たなばたさま」の「さま」が尊敬だけでなく、より親愛を込められて呼ばれた感じでしょうか。
ともかく、中七までは「また来てください、七夕さんの」と呼びかけがありましたが、下五「人の和よ」が、語りすぎでかつ具体的に映像化されていない感触でした。
かといって、添削句「この町へ」「みちのくへ」でも、鉄道の首都圏に向かうホームや町外れや県境に立てられている看板にでも書かれてそうな内容でした(「またござい七夕さんのみちのくへ~仙台市~」とでも)。
昇格を狙うには、ちょっときつかったかな、という感じでした。
ジュニア名人
病室に飾られている七夕竹(七夕飾り)に一礼する。
私は、身内が手術を受けている→病室で留守番役をしている人物が、七夕飾りそのものに、「短冊を飾ることはできないが、どうか、手術を成功させてくれないか」と願掛けをしている姿を思い描きました。
自解を聞く分には、病室の七夕飾りには看護師さんたちの願いが書かれており、看護師さんの気持ちに一礼する感じでしたが、夏井先生のおっしゃる通り、一礼する人物が誰なのかで色々と解釈は広がりますね。
飾らない言葉で読み手に映像を浮かばせるジュニア名人のこの句、かなり好きです。
それにしても、よもや通常回で大トリをジュニア名人が飾る日が来るとは。また、査定を受けたお三方とも、「七夕」かその傍題を季語としていました。季語と勝負という点では良いなぁと思いました。
森口名人
初め、「屑籠にある」の「ある」が音数合わせにも感じられた句でした。「屑籠に七夕竹の死骸」でも意味は通じます。ここの「ある」を略さないで詠み込むと、より屑籠にあるもの=七夕竹が強調されるという効果があったかと思います。添削句で字余りとなっても、この「ある」に朱筆が入らなかった点、効果は確かだったかと。
添削では「屑籠」「死骸」「竹」といった語句のバランスが問われていました。まぁ、屑籠に虫か何かの死骸があってもおかしくはないのですが、「七夕竹の死骸」ですから、句の中の存在感が非常に大きい。対して、「屑籠」が弱すぎ、お飾りになってしまった、といった所でしょうか。
この辺りは岸本尚樹先生と夏井先生の共著「ひらめく!作れる!俳句ドリル」という本の初めの方に、
・句の全体の質量を2.0とする
・キーワードの質量を1.0とすれば、残りで1.0を構成してバランスをとっていく
という記述がありますが、それを思い出した次第です。
中田名人
仙台の七夕を取り上げた一句とのことですが、「またござれ」は方言ではなく、「また」+「ござれ」、ござれは、「来る」の意味の「ござる」の命令形「ござれ」であるような気がします。
中七「七夕さん」と「さん」をつけるのは仙台の七夕に限ったことではない様子。「たなばたさま」の「さま」が尊敬だけでなく、より親愛を込められて呼ばれた感じでしょうか。
ともかく、中七までは「また来てください、七夕さんの」と呼びかけがありましたが、下五「人の和よ」が、語りすぎでかつ具体的に映像化されていない感触でした。
かといって、添削句「この町へ」「みちのくへ」でも、鉄道の首都圏に向かうホームや町外れや県境に立てられている看板にでも書かれてそうな内容でした(「またござい七夕さんのみちのくへ~仙台市~」とでも)。
昇格を狙うには、ちょっときつかったかな、という感じでした。
ジュニア名人
病室に飾られている七夕竹(七夕飾り)に一礼する。
私は、身内が手術を受けている→病室で留守番役をしている人物が、七夕飾りそのものに、「短冊を飾ることはできないが、どうか、手術を成功させてくれないか」と願掛けをしている姿を思い描きました。
自解を聞く分には、病室の七夕飾りには看護師さんたちの願いが書かれており、看護師さんの気持ちに一礼する感じでしたが、夏井先生のおっしゃる通り、一礼する人物が誰なのかで色々と解釈は広がりますね。
飾らない言葉で読み手に映像を浮かばせるジュニア名人のこの句、かなり好きです。
それにしても、よもや通常回で大トリをジュニア名人が飾る日が来るとは。また、査定を受けたお三方とも、「七夕」かその傍題を季語としていました。季語と勝負という点では良いなぁと思いました。
今回は
語彙力がないのが恥ずかしいのですが、
水彩画で求められるのは、プラスする力
俳句で求められるのは、マイナスする勇気
といった対象的な印象でした。
森口名人
今まで比喩を使う印象があまりなかったので、強い比喩に驚きました。
ただ字面だけ見たときに、「七夕竹」の竹そのものがクローズアップされていたので、
解説との違和感は感じました。
実際には短冊などの飾りもあったわけですから、ここは添削通りにしたほうがより正確かなと思いました。
中田名人
上五と下五が繋がらずに作者がどの立ち位置にいるのか?とチグハグな印象でした。
「またござれ=また来てください」というやりとりがあるのですから、言う側と言われる側と二人の印象がありますが、
下五「人の和」と第3者の言い方になってるのが繋がらないなと思いました。
しかも「よ」と強く詠嘆してるので、
コロナでなくなった過去を懐かしんでる印象さえうけました。
連続前進のジュニア名人
素っ気ない書き方のときは厳しい評価が多かったですが、技術が結び付いた印象でした。
感想は夏井先生とほぼ同じなので、割愛させていただきます。
最後に拙句を詠ませていただきます。
電柱に短冊夕の風暑し
水彩画で求められるのは、プラスする力
俳句で求められるのは、マイナスする勇気
といった対象的な印象でした。
森口名人
今まで比喩を使う印象があまりなかったので、強い比喩に驚きました。
ただ字面だけ見たときに、「七夕竹」の竹そのものがクローズアップされていたので、
解説との違和感は感じました。
実際には短冊などの飾りもあったわけですから、ここは添削通りにしたほうがより正確かなと思いました。
中田名人
上五と下五が繋がらずに作者がどの立ち位置にいるのか?とチグハグな印象でした。
「またござれ=また来てください」というやりとりがあるのですから、言う側と言われる側と二人の印象がありますが、
下五「人の和」と第3者の言い方になってるのが繋がらないなと思いました。
しかも「よ」と強く詠嘆してるので、
コロナでなくなった過去を懐かしんでる印象さえうけました。
連続前進のジュニア名人
素っ気ない書き方のときは厳しい評価が多かったですが、技術が結び付いた印象でした。
感想は夏井先生とほぼ同じなので、割愛させていただきます。
最後に拙句を詠ませていただきます。
電柱に短冊夕の風暑し