コメント
つづきです
千賀名人
全般語句が強い。この句を読んだときの率直な感想。
この句における一番重いキーワードは、固有名詞、ロンサムジョージ。ややもすれば、この固有名詞が句を全て支配する。固有名詞とは強い印象を読み手に与える。
この固有名詞に対し、雷声、絶島という強い言葉を配置することで、バランスが保たれた句だと思う。
志らく名人
この句の上手さは、ある程度歳を重ねた人に、「そういや、実家に向かう途中に、古くからの○○屋(句では菓子屋だけど、別に蕎麦屋でも荒物屋でも青簾をかけて風情が出る古い店ならなんでも良い)がある」等、ノスタルジックな風景を想起させる点。
大都会の甘味屋等でも、店の演出に青簾をかける店があるかもしれないが、清貧、忌中(札)といった他のワードとの効果で、懐かしみのある風景が浮かんだ。
千賀名人の句共々、季語とそれ以外の句のバランスが良かった。
御大
「や」までと、残りのフレーズの引き立てあい、衝撃は良かったと思う。中七が、やはりありがちというか、説明的でした。蝶の描写を視覚的にした添削句が良いかと。
にしても、シュレッダー梅沢像完成に邁進してる昨今となってしまってますね。
全般語句が強い。この句を読んだときの率直な感想。
この句における一番重いキーワードは、固有名詞、ロンサムジョージ。ややもすれば、この固有名詞が句を全て支配する。固有名詞とは強い印象を読み手に与える。
この固有名詞に対し、雷声、絶島という強い言葉を配置することで、バランスが保たれた句だと思う。
志らく名人
この句の上手さは、ある程度歳を重ねた人に、「そういや、実家に向かう途中に、古くからの○○屋(句では菓子屋だけど、別に蕎麦屋でも荒物屋でも青簾をかけて風情が出る古い店ならなんでも良い)がある」等、ノスタルジックな風景を想起させる点。
大都会の甘味屋等でも、店の演出に青簾をかける店があるかもしれないが、清貧、忌中(札)といった他のワードとの効果で、懐かしみのある風景が浮かんだ。
千賀名人の句共々、季語とそれ以外の句のバランスが良かった。
御大
「や」までと、残りのフレーズの引き立てあい、衝撃は良かったと思う。中七が、やはりありがちというか、説明的でした。蝶の描写を視覚的にした添削句が良いかと。
にしても、シュレッダー梅沢像完成に邁進してる昨今となってしまってますね。
字面からの感想となります
一位の句
季語の梅雨夕焼について言えば、地方ごとに差はあるだろうが、夏至前後なら19時あたりか。
この時間帯を踏まえると、「勤務、上がった」とラインを送ったら、「あそこのスーパー、7時から安いから買ってきて」と奥さんに頼まれた父の像が浮かぶ。夫は肯うしかなく、尻に敷かれている夫、子どもに毅然としようとしてもできない父といった男の姿が浮かぶ。夕焼けを背負っているのだから顔形の詳細がハッキリ見えないけども、情けなさの反面優しい人物像、光景がしっかり浮かぶ良作。
2位の句
解釈をするならば、中七から。
最後の1個のグミを舐める吾子がいて、鼻に汗をかいている。添削句は鼻の汗によりクローズアップされる効果があり、季語がなお目立つ仕立てとなった。分かるなあ、この句。
3位の句
「老ひて」が悪目立ちしている。一個目の理由は、旧仮名遣いでも「老ひて」でなく「老いて」(「老ゆ」のヤ行上二段活用なので)。次に、「老ゆ」も動詞であり、説明的になってしまうので、「母が老いた」という季語以外の部分が強化されてしまい、「母ちゃんが傘を杖にするくらいに老いてしまったんだけど」という部分が強くなり、別に季語が苺でなくてもバナナでも胡瓜でも鰹でも、なんでも良くなってる点。
惜しい句だと思った。
4位の句
「解説のポイント」を見ると、苺を使ったケーキのことと分かるけども、句だけ見ると、自分より前にいる人に対し、頼む!頼むな!、と頼んでほしいのか頼まないでほしいのか良く分からん中七があり。そして下五の「ラス苺」で、桐箱にそっと何粒か置かれた、超高級苺を思い浮かべた。
まあ、芸人さんの句ならば、最下位の方が美味しいかもしれない。
季語の梅雨夕焼について言えば、地方ごとに差はあるだろうが、夏至前後なら19時あたりか。
この時間帯を踏まえると、「勤務、上がった」とラインを送ったら、「あそこのスーパー、7時から安いから買ってきて」と奥さんに頼まれた父の像が浮かぶ。夫は肯うしかなく、尻に敷かれている夫、子どもに毅然としようとしてもできない父といった男の姿が浮かぶ。夕焼けを背負っているのだから顔形の詳細がハッキリ見えないけども、情けなさの反面優しい人物像、光景がしっかり浮かぶ良作。
2位の句
解釈をするならば、中七から。
最後の1個のグミを舐める吾子がいて、鼻に汗をかいている。添削句は鼻の汗によりクローズアップされる効果があり、季語がなお目立つ仕立てとなった。分かるなあ、この句。
3位の句
「老ひて」が悪目立ちしている。一個目の理由は、旧仮名遣いでも「老ひて」でなく「老いて」(「老ゆ」のヤ行上二段活用なので)。次に、「老ゆ」も動詞であり、説明的になってしまうので、「母が老いた」という季語以外の部分が強化されてしまい、「母ちゃんが傘を杖にするくらいに老いてしまったんだけど」という部分が強くなり、別に季語が苺でなくてもバナナでも胡瓜でも鰹でも、なんでも良くなってる点。
惜しい句だと思った。
4位の句
「解説のポイント」を見ると、苺を使ったケーキのことと分かるけども、句だけ見ると、自分より前にいる人に対し、頼む!頼むな!、と頼んでほしいのか頼まないでほしいのか良く分からん中七があり。そして下五の「ラス苺」で、桐箱にそっと何粒か置かれた、超高級苺を思い浮かべた。
まあ、芸人さんの句ならば、最下位の方が美味しいかもしれない。
続けてコメントします
立川志らく名人
「清貧」の言葉をおさらいすると
金に固執せず、心のゆとりがあるさま
とありました。言葉だけきくと、マザーテレサを思い出す人もいるかもしれません。
本来商売で儲けなきゃならないはずの「菓子屋」が「清貧」であるということは、老夫婦が経営してるといったところでしょうか。
定型にするのであれば
清貧の菓子屋に「忌中」青簾
とできます。
でもそれだと視点が近景からやや遠景になり、作者がどのような人物かが不明になります。
菓子屋に客としてきた
↓
青簾がかかっている。今日は休み?
↓
忌中の札がはっている
となるはずですので、作者の視点から考えると、句またがりの型がやはり正解でしょうか?
「青簾」によって、
和菓子屋さんであること
ある程度の格式があること
お店の外観などがわかります
季語がかっちり主役になってるなと思います。
こちらも冬のタイトル戦の一角になりそうですね。
ボツの梅沢名人
「蝶=フワフワしたもの」というのはやはりありがちなのかもですね。
森口瑤子名人も似たような発想の句がありました。
自分は語順が気になりました。
映像にならない言葉+詠嘆を上五に持っていくことで、季語が比喩の意味合いが強くなっているからです。
先に季語を映像として見せた方がよかったように思います。
黒揚羽追えば言の葉消えてゆく
最後に拙句を詠ませていただきます。
夏合宿メジャーデビューは1人だけ
「清貧」の言葉をおさらいすると
金に固執せず、心のゆとりがあるさま
とありました。言葉だけきくと、マザーテレサを思い出す人もいるかもしれません。
本来商売で儲けなきゃならないはずの「菓子屋」が「清貧」であるということは、老夫婦が経営してるといったところでしょうか。
定型にするのであれば
清貧の菓子屋に「忌中」青簾
とできます。
でもそれだと視点が近景からやや遠景になり、作者がどのような人物かが不明になります。
菓子屋に客としてきた
↓
青簾がかかっている。今日は休み?
↓
忌中の札がはっている
となるはずですので、作者の視点から考えると、句またがりの型がやはり正解でしょうか?
「青簾」によって、
和菓子屋さんであること
ある程度の格式があること
お店の外観などがわかります
季語がかっちり主役になってるなと思います。
こちらも冬のタイトル戦の一角になりそうですね。
ボツの梅沢名人
「蝶=フワフワしたもの」というのはやはりありがちなのかもですね。
森口瑤子名人も似たような発想の句がありました。
自分は語順が気になりました。
映像にならない言葉+詠嘆を上五に持っていくことで、季語が比喩の意味合いが強くなっているからです。
先に季語を映像として見せた方がよかったように思います。
黒揚羽追えば言の葉消えてゆく
最後に拙句を詠ませていただきます。
夏合宿メジャーデビューは1人だけ
続けてコメントします
立川志らく名人
「清貧」の言葉をおさらいすると
金に固執せず、心のゆとりがあるさま
とありました。言葉だけきくと、マザーテレサを思い出す人もいるかもしれません。
本来商売で儲けなきゃならないはずの「菓子屋」が「清貧」であるということは、老夫婦が経営してるといったところでしょうか。
定型にするのであれば
清貧の菓子屋に「忌中」青簾
とできます。
でもそれだと視点が近景からやや遠景になり、作者がどのような人物かが不明になります。
菓子屋に客としてきた
↓
青簾がかかっている。今日は休み?
↓
忌中の札がはっている
となるはずですので、作者の視点から考えると、句またがりの型がやはり正解でしょうか?
「青簾」によって、
和菓子屋さんであること
ある程度の格式があること
お店の外観などがわかります
季語がかっちり主役になってるなと思います。
こちらも冬のタイトル戦の一角になりそうですね。
ボツの梅沢名人
「蝶=フワフワしたもの」というのはやはりありがちなのかもですね。
森口瑤子名人も似たような発想の句がありました。
自分は語順が気になりました。
映像にならない言葉+詠嘆を上五に持っていくことで、季語が比喩の意味合いが強くなっているからです。
先に季語を映像として見せた方がよかったように思います。
黒揚羽追えば言の葉消えてゆく
最後に拙句を詠ませていただきます。
夏合宿メジャーデビューは1人だけ
「清貧」の言葉をおさらいすると
金に固執せず、心のゆとりがあるさま
とありました。言葉だけきくと、マザーテレサを思い出す人もいるかもしれません。
本来商売で儲けなきゃならないはずの「菓子屋」が「清貧」であるということは、老夫婦が経営してるといったところでしょうか。
定型にするのであれば
清貧の菓子屋に「忌中」青簾
とできます。
でもそれだと視点が近景からやや遠景になり、作者がどのような人物かが不明になります。
菓子屋に客としてきた
↓
青簾がかかっている。今日は休み?
↓
忌中の札がはっている
となるはずですので、作者の視点から考えると、句またがりの型がやはり正解でしょうか?
「青簾」によって、
和菓子屋さんであること
ある程度の格式があること
お店の外観などがわかります
季語がかっちり主役になってるなと思います。
こちらも冬のタイトル戦の一角になりそうですね。
ボツの梅沢名人
「蝶=フワフワしたもの」というのはやはりありがちなのかもですね。
森口瑤子名人も似たような発想の句がありました。
自分は語順が気になりました。
映像にならない言葉+詠嘆を上五に持っていくことで、季語が比喩の意味合いが強くなっているからです。
先に季語を映像として見せた方がよかったように思います。
黒揚羽追えば言の葉消えてゆく
最後に拙句を詠ませていただきます。
夏合宿メジャーデビューは1人だけ
今回は
1位 高橋克実さん
実体験はやはり強いですね。今年の冬のタイトル戦も平場の出場があれば、候補になりえる句だと思います。
1つ気になるのは、作者が子どもの目線になることですかね。作者が「父」であるなら下五は
行かされて
走らされ
でもいいかなと思ってます
2位、同じく実体験の強さを感じますね。助詞と語順の技術を学ばれたら特待生も狙えると思います。
3位、個人的には「濡れ」が必要であったのかどうかが疑問でした。傘を杖とするのであれば外は雨であるのでは?と思いますので。
「老いて」の要素を「母」の描写に使えたらご本人の伝えたいことに近づくのではと思います。
苺買う母の背傘を杖として
最下位 小薮さん
兼題に一番忠実なのはこの方ですし、心情的には一番共感できます。
映像を描写するのは賛成ですが、作者の目線を書いたらより心情に寄り添えたのではと思います。
前には二人苺ケーキはあと一つ
昇格の千賀名人
語順と季語の選択に議論が出てくるかもしれません。解説を聞く限りだと、中七下五を作ってから、それに合う季語を選ばれたように思われます。
仮にこれが追悼の意味で詠まれたのであれば
「夕の虹」と下五において定型で詠むことができたのかもしれません。
しかし、一つの種の絶滅という重たいテーマですし、千賀名人の静かな主張も感じられます。
「雷」の語源とされてる説の一つに「神が鳴る」があります。
つまり自然や地球の怒り、神の怒りなどを季語に託したといったところでしょうか。
4音の季語ですし、残りのフレーズのインパクトもありますから、やはり「や」で詠嘆するのが正解ですし、
そうなると下五にいれるよりは上五において、557の形が季語を主役にする意味でも正解だと思います。
個人的な感想を書くと、
外国の描写はパックンさんや横尾名人
固有名詞は立川志らく名人
の要素が入ってるように、思います。
それを自分の中で消化されてるなと思いました。
強いて難をあげるとすれば、前書きがほしかったかもしれません。
でもお見事な俳句でした。これも冬のタイトル戦の一角にはいるのではと思います。
一度切ります
実体験はやはり強いですね。今年の冬のタイトル戦も平場の出場があれば、候補になりえる句だと思います。
1つ気になるのは、作者が子どもの目線になることですかね。作者が「父」であるなら下五は
行かされて
走らされ
でもいいかなと思ってます
2位、同じく実体験の強さを感じますね。助詞と語順の技術を学ばれたら特待生も狙えると思います。
3位、個人的には「濡れ」が必要であったのかどうかが疑問でした。傘を杖とするのであれば外は雨であるのでは?と思いますので。
「老いて」の要素を「母」の描写に使えたらご本人の伝えたいことに近づくのではと思います。
苺買う母の背傘を杖として
最下位 小薮さん
兼題に一番忠実なのはこの方ですし、心情的には一番共感できます。
映像を描写するのは賛成ですが、作者の目線を書いたらより心情に寄り添えたのではと思います。
前には二人苺ケーキはあと一つ
昇格の千賀名人
語順と季語の選択に議論が出てくるかもしれません。解説を聞く限りだと、中七下五を作ってから、それに合う季語を選ばれたように思われます。
仮にこれが追悼の意味で詠まれたのであれば
「夕の虹」と下五において定型で詠むことができたのかもしれません。
しかし、一つの種の絶滅という重たいテーマですし、千賀名人の静かな主張も感じられます。
「雷」の語源とされてる説の一つに「神が鳴る」があります。
つまり自然や地球の怒り、神の怒りなどを季語に託したといったところでしょうか。
4音の季語ですし、残りのフレーズのインパクトもありますから、やはり「や」で詠嘆するのが正解ですし、
そうなると下五にいれるよりは上五において、557の形が季語を主役にする意味でも正解だと思います。
個人的な感想を書くと、
外国の描写はパックンさんや横尾名人
固有名詞は立川志らく名人
の要素が入ってるように、思います。
それを自分の中で消化されてるなと思いました。
強いて難をあげるとすれば、前書きがほしかったかもしれません。
でもお見事な俳句でした。これも冬のタイトル戦の一角にはいるのではと思います。
一度切ります
御大の句
最近結構思うようになったのですが、御大の句って、ボツの時こそ、夏井先生から視聴者に向けて、いい手直しの題材を提供してますよね。
なんか、制作側と打ち合わせでもしてるのではないかと疑ってしまいたくなるほどです。
なんか、制作側と打ち合わせでもしてるのではないかと疑ってしまいたくなるほどです。
今回は特待生の技が光りましたね。
まずは千賀さん。よもや「最後の一個」から「最後の一頭」に変換するとは。
志らくはんの句が短編小説のようだと評されてましたが、こちらはドキュメンタリー映画を切り取ったかのようなインパクトでした。
志らくはんも落語家節全開って感じでしょうか。「清貧」なんてへりくだった響きをうまく俳句の雰囲気になせるのは流石です。
御大のも悪くはなさそうだなぁと思いましたが、やはり永世名人としては置きにきたフレーズはダメなんですねぇ。
まずは千賀さん。よもや「最後の一個」から「最後の一頭」に変換するとは。
志らくはんの句が短編小説のようだと評されてましたが、こちらはドキュメンタリー映画を切り取ったかのようなインパクトでした。
志らくはんも落語家節全開って感じでしょうか。「清貧」なんてへりくだった響きをうまく俳句の雰囲気になせるのは流石です。
御大のも悪くはなさそうだなぁと思いましたが、やはり永世名人としては置きにきたフレーズはダメなんですねぇ。