コメント
・1位
子象が上手い。子犬や子猫だと比喩か本物か分からなくなるが、子象だと完全に比喩だと分かる。ただ、子どもに対して「書肆」は硬すぎる気がする。「本屋の森を行く子象」くらいがちょうど良いかも。
・皆藤さん
恐竜とチワワの対比が良い。大きいものと小さいもの、絶滅したものと今を生きているものなど、複数の対比が見える。この句材だと「春近し」の方が期待感という意味で良かったのではないかと思わないでもない。「夏近し」によって、夏への覚悟や気だるさのようなマイナスの感情を抱く人もいるかもしれないと思う。この点は個人的な意見だから間違ったことを言っているかもしれませんが…
・ジュニアさん
多分、以前に「鍵盤図弾く兄の背に秋の暮れ」と添削されたことがあったから「に」を選んだと思われる。かといって「や」にしてしまうと3段切れになるから難しい。やはり語順を変える添削が正しいと思う。『図鑑の虎「の」開き癖』でもいいのかなと個人的には思う。
・梅沢さん
ハシビロコウは動くでしょ、というのが正直な感想。これは対比ではなく、微妙に動くもの同士の二物衝突の句、という説明の方が適切だと思う。また、「桜降る」ではダメなのか。なぜわざわざ破調にしてまで「蘂」と書く必要があったのかが気になる。
子象が上手い。子犬や子猫だと比喩か本物か分からなくなるが、子象だと完全に比喩だと分かる。ただ、子どもに対して「書肆」は硬すぎる気がする。「本屋の森を行く子象」くらいがちょうど良いかも。
・皆藤さん
恐竜とチワワの対比が良い。大きいものと小さいもの、絶滅したものと今を生きているものなど、複数の対比が見える。この句材だと「春近し」の方が期待感という意味で良かったのではないかと思わないでもない。「夏近し」によって、夏への覚悟や気だるさのようなマイナスの感情を抱く人もいるかもしれないと思う。この点は個人的な意見だから間違ったことを言っているかもしれませんが…
・ジュニアさん
多分、以前に「鍵盤図弾く兄の背に秋の暮れ」と添削されたことがあったから「に」を選んだと思われる。かといって「や」にしてしまうと3段切れになるから難しい。やはり語順を変える添削が正しいと思う。『図鑑の虎「の」開き癖』でもいいのかなと個人的には思う。
・梅沢さん
ハシビロコウは動くでしょ、というのが正直な感想。これは対比ではなく、微妙に動くもの同士の二物衝突の句、という説明の方が適切だと思う。また、「桜降る」ではダメなのか。なぜわざわざ破調にしてまで「蘂」と書く必要があったのかが気になる。
皆藤名人
平場の一位と同じ季語「夏近し」を使っている。夜明けの早さや日差しの強さ、緑が深くなってくることから夏が近いと感じる季語。
躍動的な夏を期待するプラスの意味と、過ごしやすい春を惜しむ、あるいは暑さの厳しい季節の到来を覚悟するといったプラスではない思いを託せる。
平場の句の措辞が抽象的だったので、季語に込められた思いが如何様にでも取れる(下手をすれば季語が動く)のに比べると、「夏近し」にチワワの躍動感や可愛らしさ、詠み手の夏への思いが感じ取れる句だったと思う。
ジュニア名人
歳時記ではなく国語辞典で「夕焼け」を引くと、「日没の際、地平線に近い空が紅色に染まる現象」、と確かに「現象」とある。観察される事象そのものが、何かに付着する訳ではないから、やはり助詞「に」は適ではない。添削で語順の入れ換えがされたが、もし助詞だけいじるなら、「を」。
夏井先生の動画で助詞を取り上げた回があったが、そちらを見返したい。
御大
一見自由律に見えたが、歳事記の「桜蕊降る」の例句に、「桜蕊降る。XがYをする。」という型の句がある。「桜蕊降る人形が捨ててある(小浜杜子男)」。御大のことだから、この句は御存じのことだろう。
気配を殺してジーッとしてるハシビロコウが、桜蕊が降るのに瞬きをして反応した、という。瞬きくらいだから小さな反応ととるか、あるいは、完全に桜の花が終わったことやその頃合いについて、ハシビロコウも何か感じたのだろうか。
良い句だと思う。
平場の一位と同じ季語「夏近し」を使っている。夜明けの早さや日差しの強さ、緑が深くなってくることから夏が近いと感じる季語。
躍動的な夏を期待するプラスの意味と、過ごしやすい春を惜しむ、あるいは暑さの厳しい季節の到来を覚悟するといったプラスではない思いを託せる。
平場の句の措辞が抽象的だったので、季語に込められた思いが如何様にでも取れる(下手をすれば季語が動く)のに比べると、「夏近し」にチワワの躍動感や可愛らしさ、詠み手の夏への思いが感じ取れる句だったと思う。
ジュニア名人
歳時記ではなく国語辞典で「夕焼け」を引くと、「日没の際、地平線に近い空が紅色に染まる現象」、と確かに「現象」とある。観察される事象そのものが、何かに付着する訳ではないから、やはり助詞「に」は適ではない。添削で語順の入れ換えがされたが、もし助詞だけいじるなら、「を」。
夏井先生の動画で助詞を取り上げた回があったが、そちらを見返したい。
御大
一見自由律に見えたが、歳事記の「桜蕊降る」の例句に、「桜蕊降る。XがYをする。」という型の句がある。「桜蕊降る人形が捨ててある(小浜杜子男)」。御大のことだから、この句は御存じのことだろう。
気配を殺してジーッとしてるハシビロコウが、桜蕊が降るのに瞬きをして反応した、という。瞬きくらいだから小さな反応ととるか、あるいは、完全に桜の花が終わったことやその頃合いについて、ハシビロコウも何か感じたのだろうか。
良い句だと思う。
今回も字面からです
先ずは平場の方達から。
一位の句
夏が近い。本屋の森を行く(幻想か、イラストあたりの実在しない)子象であることよ。
中七下五が抽象的な感じもしますが、中七で書肆の森(本屋は本の立ち並ぶ森である)、と定義付けたのが良かったのではないかと。この暗喩の森を行く象、具体的な象とも取れるが、まずそれはありえない。空想の象か、イラストの象だろう。
「本屋とは森だ」という喩えを許容できるか、喩えの上に本物の象以外を重ねるのを許せるか、そのあたりで評価は変わるかと思う。読み解くのが面白かった(久々に「レトリック感覚」という本を読みたくなった。絶版されてなければ、講談社学術文庫から出ているはず)
今回、二位から四位まで同じような失敗をしていますね。感情を示す言葉を入れている。
二位の句
胸が踊る。図鑑に百獣が載っている。春の宵である。
感情語を敢えて入れる型もある(「ひらめく!つくれる!俳句ドリル」(祥伝社)あたりで紹介されている、はず)、「春愁う」などなど、感情のこもった季語もある。季語はともかく、俳句で感情語を使いこなすのは難しい。おまけにこの句、三段切れでもある。中八でもある。
添削句では図鑑を見ている間に夕方になったとなるから、夢中になっていたことは読み取れるようになった。
でも、共感はできる句。
三位の句
郷愁、懐かしい思いを抱くことであるよ。鱒をあてにして酒を飲みつつ、読む魚図鑑である。
上五の感情を示す言葉。中七を声に出すと「ますあてによむ」となり、リズムがあまり。下句六音も長音が入ってる等でスッと読める六音ではなかった。作った句を声にしてないのかなあ。
ただ、こちらも古い本を出して酒を飲んだことはあるから、共感できる。
四位の句
懐かしいことだ。筍ほりを兄達としたことが。
添削で「筍を掘ったあの日であることよ、兄2人と」となりましたが、凡句でしょうかね。ついでに「あの」と「かの」の違いを調べてみましたら、「かの」の方が文語的、雅語的、そして、感動的用法でないとのこと(え、あの人が?!という言い方はしても、え、かの人が?!とは言わない)。根拠は広辞苑です。
一位の句
夏が近い。本屋の森を行く(幻想か、イラストあたりの実在しない)子象であることよ。
中七下五が抽象的な感じもしますが、中七で書肆の森(本屋は本の立ち並ぶ森である)、と定義付けたのが良かったのではないかと。この暗喩の森を行く象、具体的な象とも取れるが、まずそれはありえない。空想の象か、イラストの象だろう。
「本屋とは森だ」という喩えを許容できるか、喩えの上に本物の象以外を重ねるのを許せるか、そのあたりで評価は変わるかと思う。読み解くのが面白かった(久々に「レトリック感覚」という本を読みたくなった。絶版されてなければ、講談社学術文庫から出ているはず)
今回、二位から四位まで同じような失敗をしていますね。感情を示す言葉を入れている。
二位の句
胸が踊る。図鑑に百獣が載っている。春の宵である。
感情語を敢えて入れる型もある(「ひらめく!つくれる!俳句ドリル」(祥伝社)あたりで紹介されている、はず)、「春愁う」などなど、感情のこもった季語もある。季語はともかく、俳句で感情語を使いこなすのは難しい。おまけにこの句、三段切れでもある。中八でもある。
添削句では図鑑を見ている間に夕方になったとなるから、夢中になっていたことは読み取れるようになった。
でも、共感はできる句。
三位の句
郷愁、懐かしい思いを抱くことであるよ。鱒をあてにして酒を飲みつつ、読む魚図鑑である。
上五の感情を示す言葉。中七を声に出すと「ますあてによむ」となり、リズムがあまり。下句六音も長音が入ってる等でスッと読める六音ではなかった。作った句を声にしてないのかなあ。
ただ、こちらも古い本を出して酒を飲んだことはあるから、共感できる。
四位の句
懐かしいことだ。筍ほりを兄達としたことが。
添削で「筍を掘ったあの日であることよ、兄2人と」となりましたが、凡句でしょうかね。ついでに「あの」と「かの」の違いを調べてみましたら、「かの」の方が文語的、雅語的、そして、感動的用法でないとのこと(え、あの人が?!という言い方はしても、え、かの人が?!とは言わない)。根拠は広辞苑です。
今回は
平場の皆さんは心情的表現でつまづいたといったところでしょうか。
最下位
研ナオコさん
「まんま」俳句は相変わらずですねw個人的には「や」の詠嘆をいれたほうがより過去を懐かしむのではと思います。
筍を掘るやかの日の兄ふたり
筍を掘ったかの日や兄ふたり
3位
宮田さん
上五で吹き出してしまいました。そういうことではないんてすよww
残酷さを出すのであれば
父さんの鱒あて僕の魚図鑑
というのもありなのではと思いました。
2位
おいでやす小田さん
心情的表現上五と中八が失敗の原因でしょうか。
ちなみに
百獣=あらゆる動物
なので「動物図鑑」で中七はことたりるのではと思います。
印象的には勇ましさとか獰猛さとかを感じるのかもしれませんが、印象を出したいのであれば具体的な動物名を出したほうがよかったでは?
読みふける図鑑のトラや春夕焼
1位
ファーストサマーウイカさん
空想俳句に近い形ですね。映画のCG表現を思い出します。「かな」の詠嘆も非常によくきいていたと思います。
また季語によって「書肆の森」は青々とした森で草食動物である象が跳ねる印象とあります。
点数はもうちょっとついてもよかったのではと思います。
このレベルの俳句を炎帝戦で出されたらトップ10も狙えたのではとおもいます。
昇格の皆藤愛子名人
中七と下五に対しての時候の季語は動くのではないかとも思いました。
しかし気温が心地よい暑さとなり、チワワが活発に動いてるのではと想像がつくので、この句はこの季語が正解だったなと思います。
現状維持
千原ジュニア名人
なかなか厳しい査定だったなとも思います。夏井先生の個人的な価値観も入ってる部分もあるので、ちょっと気の毒でした。
語順を変えるのであれば、助詞は「の」がいいかなとも思いました。
掲載決定
梅沢富美男名人
確かに東国原名人の色を感じますね。17音に納め、かつ2つの動詞の使い方もお見事でした。
動物園に行ってそんな場面に遭遇してみたいものですね。
今までの掲載決定の句のなかでも、トップレベルだと思います。
ちなみに像ですが、もう色つけて完成できそうな感じはしますねww
最後に拙句を詠ませていただきます。実体験ですがちょっと問題あるかもw
雌猿の性器若葉をむさぼりて
最下位
研ナオコさん
「まんま」俳句は相変わらずですねw個人的には「や」の詠嘆をいれたほうがより過去を懐かしむのではと思います。
筍を掘るやかの日の兄ふたり
筍を掘ったかの日や兄ふたり
3位
宮田さん
上五で吹き出してしまいました。そういうことではないんてすよww
残酷さを出すのであれば
父さんの鱒あて僕の魚図鑑
というのもありなのではと思いました。
2位
おいでやす小田さん
心情的表現上五と中八が失敗の原因でしょうか。
ちなみに
百獣=あらゆる動物
なので「動物図鑑」で中七はことたりるのではと思います。
印象的には勇ましさとか獰猛さとかを感じるのかもしれませんが、印象を出したいのであれば具体的な動物名を出したほうがよかったでは?
読みふける図鑑のトラや春夕焼
1位
ファーストサマーウイカさん
空想俳句に近い形ですね。映画のCG表現を思い出します。「かな」の詠嘆も非常によくきいていたと思います。
また季語によって「書肆の森」は青々とした森で草食動物である象が跳ねる印象とあります。
点数はもうちょっとついてもよかったのではと思います。
このレベルの俳句を炎帝戦で出されたらトップ10も狙えたのではとおもいます。
昇格の皆藤愛子名人
中七と下五に対しての時候の季語は動くのではないかとも思いました。
しかし気温が心地よい暑さとなり、チワワが活発に動いてるのではと想像がつくので、この句はこの季語が正解だったなと思います。
現状維持
千原ジュニア名人
なかなか厳しい査定だったなとも思います。夏井先生の個人的な価値観も入ってる部分もあるので、ちょっと気の毒でした。
語順を変えるのであれば、助詞は「の」がいいかなとも思いました。
掲載決定
梅沢富美男名人
確かに東国原名人の色を感じますね。17音に納め、かつ2つの動詞の使い方もお見事でした。
動物園に行ってそんな場面に遭遇してみたいものですね。
今までの掲載決定の句のなかでも、トップレベルだと思います。
ちなみに像ですが、もう色つけて完成できそうな感じはしますねww
最後に拙句を詠ませていただきます。実体験ですがちょっと問題あるかもw
雌猿の性器若葉をむさぼりて