コメント
冬麗戦
通常参加が4枠ですか…
勝村さんの蜩の句とか良かったので勝村さんが出ていい成績を残して犬山さんと特待生に昇格して欲しいですね。
御大やポンさんの久しぶりの優勝も見たい。向井さんが上位だと面白い(出るか分からないけれど)。
勝村さんの蜩の句とか良かったので勝村さんが出ていい成績を残して犬山さんと特待生に昇格して欲しいですね。
御大やポンさんの久しぶりの優勝も見たい。向井さんが上位だと面白い(出るか分からないけれど)。
初めまして、プロキオンさんのブログを見てから各出演者のデータ集めが好きになってしまったハンターと申します。
さて、来たる冬麗戦のルールですが、番組表を見たところ
14人呼ばれる
↓
でもランク席は10個しかない
↓
ランク席に行けず、残された4句はお蔵入り
...という、とんでもない(一部テレビっ子にとってはドキドキワクワクな)ルールになっていました。
水野さん(プレバトの総合演出)、恐ろしいもの考えるなぁと思う次第です。
さて、来たる冬麗戦のルールですが、番組表を見たところ
14人呼ばれる
↓
でもランク席は10個しかない
↓
ランク席に行けず、残された4句はお蔵入り
...という、とんでもない(一部テレビっ子にとってはドキドキワクワクな)ルールになっていました。
水野さん(プレバトの総合演出)、恐ろしいもの考えるなぁと思う次第です。
コメントに返信してくださりありがとうございます。
返信いただいてから、自分なりに調べましたが
「泣かせて」の場合、連体形にも受け取れます。
そうなるとやはり「来る」というのが現在形として、受け止めることができます。
そうなると季語に込めた気持ちが軽いものに感じてしまいます。やはり過去形の情報を明確にいれてほしかったです。
また別のコメントにもありましたが、
「泣かせて(まで)来る」という形で本来であるべき言葉をちぎった散文的になってしまいます。
そういう意味では、夏井先生があそこまで絶賛されるほどの句なのかと疑問に思います
返信いただいてから、自分なりに調べましたが
「泣かせて」の場合、連体形にも受け取れます。
そうなるとやはり「来る」というのが現在形として、受け止めることができます。
そうなると季語に込めた気持ちが軽いものに感じてしまいます。やはり過去形の情報を明確にいれてほしかったです。
また別のコメントにもありましたが、
「泣かせて(まで)来る」という形で本来であるべき言葉をちぎった散文的になってしまいます。
そういう意味では、夏井先生があそこまで絶賛されるほどの句なのかと疑問に思います
No title
・一位
上五の「よ」と最後の「か」が上手いと思います。この二つの助詞で作者のマイナスの心情を表現できていて、うまくいかない自分の内面を映像を描くことによって伝えようとしているのが分かります。「母を泣かせて(まで)来る街だったのかな...」という感じでしょうか。上京か何かで母は必死に止めたのでしょう。
・森口さん
「たり」は完了だけではなく、存続の意味もあります。ですので解説に違和感を持ちました。解説では完了の意味しか取り上げていなかったと思います。この句の場合は「痩せている」という存続の意味で取ればそこまで違和感がない気もしますが、本人の解説で痩せているような気がした、とあったので、疑問の助詞「か」は必要だと思いました。ただ、日向ぼこと母の取り合わせは良かったと思います。日向ぼこをしている母の背中か横顔を見ている作者の何とも言えない心情が伝わります。
・キスマイ横尾さん
「窓をゴンドラ」だと窓越しにゴンドラが動いている、スキー場かどこかの食堂で詠んだ句だと思いました。窓を拭いているゴンドラの事だと聞いて、寒い中窓を掃除している情景と作者が暖かいビルの中で紅茶をたしなんでいる情景の対比を狙っているのだろうと分かりました。その対比の意図がいまいち伝わりにくかったのかなと思います。
・梅沢さん
「にさす」がどうも説明的に思えてしまいます。「朝日は母に(へ)」というだけでもう言いたいことはいえていますので。「楽屋朝日は」と中7が漢字だらけなのも気になります。せめて「楽屋の母に朝日さす」の方が字面的によろしいのではと思います。ただ、朝日がさす、という描写だけなのですが、作者の底にある母への思いは十分伝わり、新年にふさわしい句であると感じました。
映像だけで思いを伝えるという意味では、何年か前の村上さんの「八月の機内に点る読書灯」という句が思い浮かびました(個人的にこの句はプレバトのベスト3に入るほど好きな句です)。
そして梅沢さんはどうしてそんなにも村上さんのことを攻撃したがるのかよくわかりません。自分とは違う作風でも、自分が嫌いな作風でも村上さんらしい世界観を本人の持ち味として尊重してほしいです。梅沢さんが村上さんを批判する件はもう飽きました。
上五の「よ」と最後の「か」が上手いと思います。この二つの助詞で作者のマイナスの心情を表現できていて、うまくいかない自分の内面を映像を描くことによって伝えようとしているのが分かります。「母を泣かせて(まで)来る街だったのかな...」という感じでしょうか。上京か何かで母は必死に止めたのでしょう。
・森口さん
「たり」は完了だけではなく、存続の意味もあります。ですので解説に違和感を持ちました。解説では完了の意味しか取り上げていなかったと思います。この句の場合は「痩せている」という存続の意味で取ればそこまで違和感がない気もしますが、本人の解説で痩せているような気がした、とあったので、疑問の助詞「か」は必要だと思いました。ただ、日向ぼこと母の取り合わせは良かったと思います。日向ぼこをしている母の背中か横顔を見ている作者の何とも言えない心情が伝わります。
・キスマイ横尾さん
「窓をゴンドラ」だと窓越しにゴンドラが動いている、スキー場かどこかの食堂で詠んだ句だと思いました。窓を拭いているゴンドラの事だと聞いて、寒い中窓を掃除している情景と作者が暖かいビルの中で紅茶をたしなんでいる情景の対比を狙っているのだろうと分かりました。その対比の意図がいまいち伝わりにくかったのかなと思います。
・梅沢さん
「にさす」がどうも説明的に思えてしまいます。「朝日は母に(へ)」というだけでもう言いたいことはいえていますので。「楽屋朝日は」と中7が漢字だらけなのも気になります。せめて「楽屋の母に朝日さす」の方が字面的によろしいのではと思います。ただ、朝日がさす、という描写だけなのですが、作者の底にある母への思いは十分伝わり、新年にふさわしい句であると感じました。
映像だけで思いを伝えるという意味では、何年か前の村上さんの「八月の機内に点る読書灯」という句が思い浮かびました(個人的にこの句はプレバトのベスト3に入るほど好きな句です)。
そして梅沢さんはどうしてそんなにも村上さんのことを攻撃したがるのかよくわかりません。自分とは違う作風でも、自分が嫌いな作風でも村上さんらしい世界観を本人の持ち味として尊重してほしいです。梅沢さんが村上さんを批判する件はもう飽きました。
No title
更新お疲れ様です。
1位の福田さんの句に対するゆうさんの添削例について意見を述べたいと思います。
まず「来る」と「来た」についてですが、「泣かせて」が過去形であり、「来る」が現在形(現在から見たら過去の事ですが、この句の心境当時としては現在)である一方、「来た」となると過去形が連続してしまい「母を泣かせて来た街」→「母親の事を泣かせてきた(水商売か何か?)街」と読まれる可能性があると思います。
「置いて」と「泣かせた」については「置いて」だと例えば親都合(病気や用事など)で置いて行ったかもしれませんし、どこか淡々とした雰囲気が見られますが、「泣かせた」という言葉には明らかに母に反対や心配をかけたという感じがあり、母親側の心情を察することもできます。
事実そのままを書くというのももちろん大事ですが、夏井先生の添削例にも時に実際の事実を少し脚色した例もありますし、そこは詩として多少ドラマチックに色を付けるというのもアリではないかと思います。
1位の福田さんの句に対するゆうさんの添削例について意見を述べたいと思います。
まず「来る」と「来た」についてですが、「泣かせて」が過去形であり、「来る」が現在形(現在から見たら過去の事ですが、この句の心境当時としては現在)である一方、「来た」となると過去形が連続してしまい「母を泣かせて来た街」→「母親の事を泣かせてきた(水商売か何か?)街」と読まれる可能性があると思います。
「置いて」と「泣かせた」については「置いて」だと例えば親都合(病気や用事など)で置いて行ったかもしれませんし、どこか淡々とした雰囲気が見られますが、「泣かせた」という言葉には明らかに母に反対や心配をかけたという感じがあり、母親側の心情を察することもできます。
事実そのままを書くというのももちろん大事ですが、夏井先生の添削例にも時に実際の事実を少し脚色した例もありますし、そこは詩として多少ドラマチックに色を付けるというのもアリではないかと思います。
今回は
まずはあけましておめでとうございます。本年もコメントさせていただきます。よろしくお願いします。
変則的になりますが
「母」のお三方から
1位、福田さん、
予告で期待してたのですが、正直わかりませんでした。
違和感を覚えたのは「来る」というのが現在の形に受け止めることができるため、解説と一致しないですし、
上京してそれなりの期間になってるはずなのて、「来た」が正解のはずです。
「泣かせて」も作者が泣かせてるのか?が疑問になります。「置いて」と解説にあるのですからそちらを使えばよかったのにと思います。
冬天よ母置いてまで来た街か
現状維持 森口名人
別の方のコメントにもありましたが、最初はダイエットをしてる人の描写にも思えました。
痩せ痩ける(やせこける)の痩けるでも意味は伝わりますし、ネガティブな心情を映像に託す意味ではそちらのほうがいいかなと思いました。
昨夜よりも痩けたかに母日向ぼこ
掲載決定の梅沢名人
中七の「は」の助詞の使い方がお見事でした。
例えば「が」でも意味や心情はそれなりに伝わりますが、
限定的な意味をさす助詞を使うことで、「母」への尊敬がより伝わりました。
2位、大久保さん
「辿る」もでしたが、「僅かな」も誤読の可能性があるかなと。交遊関係の少ない人の句だと思いましたので、
ご本人の解説だと携帯電話などの発達で「僅かな」だったようなので、あえて「葉書の」と入れてもよかったのではないか?と思いました。本来であれば「年賀状」は葉書なので不要と判断されるかもしれませんが、
自分も含め、葉書の年賀状を書く人が少なくなってきた時代なので、交遊関係や送った人の人物情報もいれられるかなと
日溜まりに広ぐ葉書の年賀状
3位、筧利夫さん、
久しぶりにでた、「季語の説明」というやつでしょうか。全部が季語に含まれてるので、季語を信じてほしかったですね。
最下位、渋谷さん
詩を書こうとする意思は伝わりましたので、凡人でもよかったように思えました。
目をとじてなほもまばゆき冬の朝
最後に拙句を詠ませていただきます。
何度目の「あけおめ」コンビニの七日
変則的になりますが
「母」のお三方から
1位、福田さん、
予告で期待してたのですが、正直わかりませんでした。
違和感を覚えたのは「来る」というのが現在の形に受け止めることができるため、解説と一致しないですし、
上京してそれなりの期間になってるはずなのて、「来た」が正解のはずです。
「泣かせて」も作者が泣かせてるのか?が疑問になります。「置いて」と解説にあるのですからそちらを使えばよかったのにと思います。
冬天よ母置いてまで来た街か
現状維持 森口名人
別の方のコメントにもありましたが、最初はダイエットをしてる人の描写にも思えました。
痩せ痩ける(やせこける)の痩けるでも意味は伝わりますし、ネガティブな心情を映像に託す意味ではそちらのほうがいいかなと思いました。
昨夜よりも痩けたかに母日向ぼこ
掲載決定の梅沢名人
中七の「は」の助詞の使い方がお見事でした。
例えば「が」でも意味や心情はそれなりに伝わりますが、
限定的な意味をさす助詞を使うことで、「母」への尊敬がより伝わりました。
2位、大久保さん
「辿る」もでしたが、「僅かな」も誤読の可能性があるかなと。交遊関係の少ない人の句だと思いましたので、
ご本人の解説だと携帯電話などの発達で「僅かな」だったようなので、あえて「葉書の」と入れてもよかったのではないか?と思いました。本来であれば「年賀状」は葉書なので不要と判断されるかもしれませんが、
自分も含め、葉書の年賀状を書く人が少なくなってきた時代なので、交遊関係や送った人の人物情報もいれられるかなと
日溜まりに広ぐ葉書の年賀状
3位、筧利夫さん、
久しぶりにでた、「季語の説明」というやつでしょうか。全部が季語に含まれてるので、季語を信じてほしかったですね。
最下位、渋谷さん
詩を書こうとする意思は伝わりましたので、凡人でもよかったように思えました。
目をとじてなほもまばゆき冬の朝
最後に拙句を詠ませていただきます。
何度目の「あけおめ」コンビニの七日
あけましておめでとうございます
今年も字面を読ませていただいてからの視聴です。
1位
季語「冬天」は「冬の空」の傍題。ただ、他の「寒天」「寒空」「凍空」だと如何にも寒ざむしい感触だが、「冬の空」「冬天」だと、曇りや雪で寒ざむしいだけでなく、寒くも澄み渡っている意味とも取れる。「母を泣かせて」とあるので、親元を(恐らく反対を振り切り)出て来て成功していない中、ラストの「か」が疑問(母を泣かせて出てきたが、その価値のある街だろうか→冬天は寒ざむしい)か、詠嘆か(母を泣かせて出てきたこの街であることよ→冬天は寒くも透明で眩しい)。冬天は疑問も詠嘆も受け止めてくれそう。
(番組を見て)「冬の空よ、(ここは)母を泣かせて(までして)来る(価値のある)街だろうか」と、素直に読んで良い句で一安心でした。
2位
動詞「辿る」は探り求めたり(ルーツをー)、決まったルートを順に行く(家路をー)こと。少ない年賀状に対して使うワードではないかと。また、やはり「で」が散文的なのではないだろうか。
3位
初漁に「挑む」という動詞の要素が入っているとみました。ならば動詞を消して、景色を書けと言われたのでは?
4位
35点の才能ナシはまだ優秀。「をも」が散文的で、「照らす」が嫌われワードと見ました。
森口名人
夏井先生の「俳句鑑賞の授業」を読めば、原句と添削句の違いは一目瞭然。
原句「昨夜に比べて痩せている(たる、なので、今そうなってしまっていることは確定)母であることよ、日向ぼっこをしている」
添削句「昨夜に比べて痩せただろうか?(痩せたように見える、という主観が入る)日向ぼっこをしている母は」
お年寄りは小さく、痩せていきますね。それを見て心配する気持ちがより表れているのは添削句。原句だと「ウェーイ、お母さん昨日より少し痩せてるね」と喜んでしまっているようにも。
横尾名人
うーん。添削句、窓拭きのゴンドラ(野外の労働)と紅茶の香りを楽しむ室内の差ははっきりしたけど、詩的でなくなった気がするのは私だけ?
御大
旅回りの楽屋であろうか。母が1月2日から縫い物をしており、そこに朝日がさしている、そんな光景が思い描かれた。
御大といえば小学生になったときに親元から祖母の家に預けられたはずで、小3あたりからは親に会うと離れたくなくなるので会うことを止めたとか。と、なると、この句は楽屋の母の様子を見た頃の記憶の句か。目蓋の母、という奴であろうか。
(映像を見て)
御大が女形になってからの記憶の句でしたか。ともかく、今回は全体的に御大の喋りも好調な感じでした。
1位
季語「冬天」は「冬の空」の傍題。ただ、他の「寒天」「寒空」「凍空」だと如何にも寒ざむしい感触だが、「冬の空」「冬天」だと、曇りや雪で寒ざむしいだけでなく、寒くも澄み渡っている意味とも取れる。「母を泣かせて」とあるので、親元を(恐らく反対を振り切り)出て来て成功していない中、ラストの「か」が疑問(母を泣かせて出てきたが、その価値のある街だろうか→冬天は寒ざむしい)か、詠嘆か(母を泣かせて出てきたこの街であることよ→冬天は寒くも透明で眩しい)。冬天は疑問も詠嘆も受け止めてくれそう。
(番組を見て)「冬の空よ、(ここは)母を泣かせて(までして)来る(価値のある)街だろうか」と、素直に読んで良い句で一安心でした。
2位
動詞「辿る」は探り求めたり(ルーツをー)、決まったルートを順に行く(家路をー)こと。少ない年賀状に対して使うワードではないかと。また、やはり「で」が散文的なのではないだろうか。
3位
初漁に「挑む」という動詞の要素が入っているとみました。ならば動詞を消して、景色を書けと言われたのでは?
4位
35点の才能ナシはまだ優秀。「をも」が散文的で、「照らす」が嫌われワードと見ました。
森口名人
夏井先生の「俳句鑑賞の授業」を読めば、原句と添削句の違いは一目瞭然。
原句「昨夜に比べて痩せている(たる、なので、今そうなってしまっていることは確定)母であることよ、日向ぼっこをしている」
添削句「昨夜に比べて痩せただろうか?(痩せたように見える、という主観が入る)日向ぼっこをしている母は」
お年寄りは小さく、痩せていきますね。それを見て心配する気持ちがより表れているのは添削句。原句だと「ウェーイ、お母さん昨日より少し痩せてるね」と喜んでしまっているようにも。
横尾名人
うーん。添削句、窓拭きのゴンドラ(野外の労働)と紅茶の香りを楽しむ室内の差ははっきりしたけど、詩的でなくなった気がするのは私だけ?
御大
旅回りの楽屋であろうか。母が1月2日から縫い物をしており、そこに朝日がさしている、そんな光景が思い描かれた。
御大といえば小学生になったときに親元から祖母の家に預けられたはずで、小3あたりからは親に会うと離れたくなくなるので会うことを止めたとか。と、なると、この句は楽屋の母の様子を見た頃の記憶の句か。目蓋の母、という奴であろうか。
(映像を見て)
御大が女形になってからの記憶の句でしたか。ともかく、今回は全体的に御大の喋りも好調な感じでした。