コメント
今回は全体的に渋めの査定結果であり、それだけにブログ主さんの講評を含めて色々と学ばせていただきました。読者の分際でおこがましいとは思うのですが、今回の「東京駅」や「富士山」などといった頻繁に兼題となっている回について、比較のしやすいよう別途カテゴライズされていればより見やすいのではと思いました。お節介ではあると思いますが、一応ご検討のほどよろしくお願いいたします。
No title
所謂『小学生並みの感想』になってしまいますが、村上名人と御大のそれぞれの句と互いの指摘、相手の句には違和感に気付けるのになっていうのが俳句って難しいねみたいな気分になりました
個人的に発想(表現したい事)は両者共に好きだっただけに、結果が揮わず残念です
個人的に発想(表現したい事)は両者共に好きだっただけに、結果が揮わず残念です
Re: No title
コメントありがとうございます。
該当箇所、追記の上訂正いたしました。
> 本当に細かい話で申し訳ないのですが、村上さんの特待生昇格句は冬の新宿駅だったような
該当箇所、追記の上訂正いたしました。
> 本当に細かい話で申し訳ないのですが、村上さんの特待生昇格句は冬の新宿駅だったような
No title
本当に細かい話で申し訳ないのですが、村上さんの特待生昇格句は冬の新宿駅だったような
そのまんま名無し様
解説ありがとうございます。
自分でも調べてみたのですが、連用形には名詞を修飾する「連体修飾語」としての機能があるというかんじなんですかね。そして「連用形+名詞」でひとつの言葉になると
「焼き魚」とかこの間の「焼き立て林檎パイ」とか。
いままで名詞を修飾するのは連体形だけだと思っていたのですが、そのような例外的な場合もあるのだなと考えさせられました。
ただ、自分としては「千切れ駅名」をひとつの言葉として捉えるのはかなり違和感があるので、やはり2の倒置して用いられているという方がしっくりきます。
余談ですが、過去に藤本名人の
「鯉のぼり挿され五つのランドセル」という句
これもなんで「挿され」なんだろうとずっと思っていたのですが、「五つのランドセル(が)鯉のぼり(に)挿され(て),,,,,」という風に倒置してとらえると納得がいきますかね。
自分でも調べてみたのですが、連用形には名詞を修飾する「連体修飾語」としての機能があるというかんじなんですかね。そして「連用形+名詞」でひとつの言葉になると
「焼き魚」とかこの間の「焼き立て林檎パイ」とか。
いままで名詞を修飾するのは連体形だけだと思っていたのですが、そのような例外的な場合もあるのだなと考えさせられました。
ただ、自分としては「千切れ駅名」をひとつの言葉として捉えるのはかなり違和感があるので、やはり2の倒置して用いられているという方がしっくりきます。
余談ですが、過去に藤本名人の
「鯉のぼり挿され五つのランドセル」という句
これもなんで「挿され」なんだろうとずっと思っていたのですが、「五つのランドセル(が)鯉のぼり(に)挿され(て),,,,,」という風に倒置してとらえると納得がいきますかね。
名無しさんの意見を汲んで
もちろんこういったものを楽しむのに知識が必要なのは仕方ないですが、一方でやはり一読して「わかりやすく(かといって説明的・散文的ではない)」というのが求めている点ではないでしょうか。
自分も永世名人と同じく両手ますかけ線を持っていて、それについて調べた事もあったのですが、今回の句を最初に聞いたとき「ますかけって何だ…?」と感じてしまい、解説で「ああそうだったわ」ってなりました。
「『ますかけ』って何?」と「『ますかけ線』っていう手相って何?」という疑問のハードル、
例示した飯盒の回なら「何で逆さにするの?」と「飯盒って逆さにして蒸らすんだ」という解決のハードル。
ここを句の中でちゃんと下げられるかを求めているのでしょう。
基本的に俳句は十七音の勝負であり、東国原永世名人・横尾名人が使ったような前書きなどはあるにしても「これはこういう意味です」という注釈は付けられない(ブログのように文章化するなら別ですが、あくまで査定は十七音のみ)ですからね。
自分も永世名人と同じく両手ますかけ線を持っていて、それについて調べた事もあったのですが、今回の句を最初に聞いたとき「ますかけって何だ…?」と感じてしまい、解説で「ああそうだったわ」ってなりました。
「『ますかけ』って何?」と「『ますかけ線』っていう手相って何?」という疑問のハードル、
例示した飯盒の回なら「何で逆さにするの?」と「飯盒って逆さにして蒸らすんだ」という解決のハードル。
ここを句の中でちゃんと下げられるかを求めているのでしょう。
基本的に俳句は十七音の勝負であり、東国原永世名人・横尾名人が使ったような前書きなどはあるにしても「これはこういう意味です」という注釈は付けられない(ブログのように文章化するなら別ですが、あくまで査定は十七音のみ)ですからね。
最近少し気になることが……
万人に広める為の句集を作るとはいえ、「配慮が足りない」だけでボツにするのはどうなのでしょうか?句の意図がわからないのは語彙力の足りない人の責任であると思います。歴代の俳人にだってある単語の意味が分からなければ本質を理解できない句は山ほどあります。
今回、失礼ながら私も「ますかけ線」の存在は知りませんでしたが、それにしたって「手相」とストレートに書くのも説明的で興醒めでしょう(同じような違和感をリュックの回であった飯盒の句で覚えました)。仮に配慮を加えるのだとすれば句を直すのではなく、注釈でもつければいいだけだと思うのですが。
まあ今回は「手にある我の」というグダグタな中でダメかな…とは感じましたけど。
万人に広める為の句集を作るとはいえ、「配慮が足りない」だけでボツにするのはどうなのでしょうか?句の意図がわからないのは語彙力の足りない人の責任であると思います。歴代の俳人にだってある単語の意味が分からなければ本質を理解できない句は山ほどあります。
今回、失礼ながら私も「ますかけ線」の存在は知りませんでしたが、それにしたって「手相」とストレートに書くのも説明的で興醒めでしょう(同じような違和感をリュックの回であった飯盒の句で覚えました)。仮に配慮を加えるのだとすれば句を直すのではなく、注釈でもつければいいだけだと思うのですが。
まあ今回は「手にある我の」というグダグタな中でダメかな…とは感じましたけど。
ぽん様
木枯らしに 千切れ駅名 告げる声
上、中、下で分けて記されているので混乱しますが、「千切れ」の解釈は二通り浮かびました。
1 「千切れ」が名詞化している
「ちぎれた雲」
大きな雲から一部分が千切れた一つ
「ちぎれ雲」
ちぎれちぎれになった小さな雲
「はぐれたメタルスライム」
八匹同時に現れるメタルスライムから、はぐれてしまったスライム。形はメタルスライム。
「はぐれメタル」
もとの形はどうかは知らないが、メタルスライムと違うグラフィックや特技、経験値をもつ別個体。
「千切れた駅名」
駅名の一部がちぎれてきこえる。東京駅なら、「とう、、、」だけ聞こえてもおかしくない。
「千切れ駅名」
ちぎれちぎれに駅名が聞こえる。「と、、、きょぅ、、、き」という風に聞こえる。
この理屈で行くと
木枯らしに(対して)、ちぎれ駅名(を)告げる声
という意味ともとれます。
2 ラ行下二「千切る」の連用形「千切れ」として使用している
この場合だと、句を区切って書くと「木枯らしにちぎれ/駅名告げる声」。
「木枯しに(よって)千切れ(て)、『聞こえる・聞こえない、、、など』」、「駅名(を)告げる声(『が』『は』)」、となる。分かりやすく叙述するなら「駅名を告げる声が、木枯らしによってちぎれ(て)、、、」とするところを、倒置している。
夏井先生は、著作や動画で、なるべく詠み手の言いたいことに添って添削する、している、という旨を仰ってます。このことを信じたとしたとするなら、原句を詠んだ野口さんの自解「風が吹くと(中略)聞こえない」というコメントを受けているはずです。受けているならば、添削句の「千切れ」の後には「聞こえず」というワードが入ってるはずと考えます。そこで、2として挙げた解釈なのでは、と考えます。
先生が倒置についての説明をしてなかった、または編集でカットされていて、番組では説明されてないので、私の解釈が当たってるかは知りませんが。
上、中、下で分けて記されているので混乱しますが、「千切れ」の解釈は二通り浮かびました。
1 「千切れ」が名詞化している
「ちぎれた雲」
大きな雲から一部分が千切れた一つ
「ちぎれ雲」
ちぎれちぎれになった小さな雲
「はぐれたメタルスライム」
八匹同時に現れるメタルスライムから、はぐれてしまったスライム。形はメタルスライム。
「はぐれメタル」
もとの形はどうかは知らないが、メタルスライムと違うグラフィックや特技、経験値をもつ別個体。
「千切れた駅名」
駅名の一部がちぎれてきこえる。東京駅なら、「とう、、、」だけ聞こえてもおかしくない。
「千切れ駅名」
ちぎれちぎれに駅名が聞こえる。「と、、、きょぅ、、、き」という風に聞こえる。
この理屈で行くと
木枯らしに(対して)、ちぎれ駅名(を)告げる声
という意味ともとれます。
2 ラ行下二「千切る」の連用形「千切れ」として使用している
この場合だと、句を区切って書くと「木枯らしにちぎれ/駅名告げる声」。
「木枯しに(よって)千切れ(て)、『聞こえる・聞こえない、、、など』」、「駅名(を)告げる声(『が』『は』)」、となる。分かりやすく叙述するなら「駅名を告げる声が、木枯らしによってちぎれ(て)、、、」とするところを、倒置している。
夏井先生は、著作や動画で、なるべく詠み手の言いたいことに添って添削する、している、という旨を仰ってます。このことを信じたとしたとするなら、原句を詠んだ野口さんの自解「風が吹くと(中略)聞こえない」というコメントを受けているはずです。受けているならば、添削句の「千切れ」の後には「聞こえず」というワードが入ってるはずと考えます。そこで、2として挙げた解釈なのでは、と考えます。
先生が倒置についての説明をしてなかった、または編集でカットされていて、番組では説明されてないので、私の解釈が当たってるかは知りませんが。
訂正
「千切るる」→「千切れる」ですね。
口語で合わせないといけないので。
失礼しました。
「千切るる」→「千切れる」ですね。
口語で合わせないといけないので。
失礼しました。
文法
個人的にわからないのは二位の添削句なのですが
なぜ「千切れ」と連用形なのでしょうか?
ここは中八になりますが「千切るる」と連体形にしたほうが文法的に正しいのでは?と思ってしまいます。
俳句の文法に詳しい方どなたか説明をお願いします。
なぜ「千切れ」と連用形なのでしょうか?
ここは中八になりますが「千切るる」と連体形にしたほうが文法的に正しいのでは?と思ってしまいます。
俳句の文法に詳しい方どなたか説明をお願いします。
今回は
全体的にふるわなかったかなと
1位の武尊さん
リアリティーが伝わる一句でした。
あまり触れられませんでしたが、
「春を待つ」という季語が暖房代も惜しむかのような寒さや風の音が伝わります。
語順や助詞などの課題があるから特待生はまだ先でしょうが、
オリジナリティとリアリティーにかけては、現在の平場のなかでは随一だと思うので、格闘家初の特待生を目指してほしいですね。
2位の野口健さん
ご本人の解説とは違う感じにはなりましたが、非常に共感のできるものでした。
風が強く吹くと、寒さに気を取られてアナウンスを聞き漏らすことは往々にありますので。
「かすむ」ですが、本来視覚に対して用いられる言葉ですので、「声」に対して使うのは文法的には不自然かなと思いました。
ただ、全体的にきいたときに下五で別の季語を思う人はいないと思うので、夏井先生の指摘にも違和感を覚えました。
3位LiLiCoさん
本来変わるはずのない東京駅の赤を「もみじ色」と合わせる理由が見当たらないなと思いました。
強いていえば、秋を感じる何かがあってその気分で夜のライトアップされた東京駅を見た時にもみじのようだったということでしょうか?
それなら映像のない季語を持つよりも、「月」などの星を持っていくほうがよかったのではと思います。
月煌々都の駅はもみじ色
元の季語を使うのであれば
長き夜や赤き駅舎のライトアップ
とすれば伝わったのではと思います。
最下位マジカルラブリー村上さん
謎でしたね。何を言いたいのかが全くわかりませんでした。
解説で移ろいゆくものと変わらぬ物の対比なのはわからましたが、
変わらぬ物もそれゆえの味わいがあるので、ネガティブな印象を使うのはやめてほしいですね。
行く秋と変わらぬ赤き駅舎かな
千賀名人、
この句を見た時に真っ先に思ったのが、3年前の
石田さんの(プレバト復帰待ってます!)
電車吐きたる人人人人人年の果
です。この番組でも使われているし当時特待生だった名人も同じ予選に参加されてましたから、
推敲すべきでした。
解説をきいたときに「駅舎が巨人みたいに見えた」とあるのですから、そちらの描写にしておけばオリジナリティが出せたのではと思います。
巨人なる駅舎人喰う冬の風
村上名人、
どうしたの?というのが率直な感想です。「一口目」は後に「を飲みました」とならないと日本語として不自然で散文的であるのがわかります。
下五が思いつかずに無理やりつけた印象があります。
ボツの梅沢名人。
解説をきくまではまったく上五がわかりませんでした。
夏井先生の言葉が全面的に正しいと思います。
最後に拙句を詠ませていただきます
本番を終え喧騒の帰路寒し
1位の武尊さん
リアリティーが伝わる一句でした。
あまり触れられませんでしたが、
「春を待つ」という季語が暖房代も惜しむかのような寒さや風の音が伝わります。
語順や助詞などの課題があるから特待生はまだ先でしょうが、
オリジナリティとリアリティーにかけては、現在の平場のなかでは随一だと思うので、格闘家初の特待生を目指してほしいですね。
2位の野口健さん
ご本人の解説とは違う感じにはなりましたが、非常に共感のできるものでした。
風が強く吹くと、寒さに気を取られてアナウンスを聞き漏らすことは往々にありますので。
「かすむ」ですが、本来視覚に対して用いられる言葉ですので、「声」に対して使うのは文法的には不自然かなと思いました。
ただ、全体的にきいたときに下五で別の季語を思う人はいないと思うので、夏井先生の指摘にも違和感を覚えました。
3位LiLiCoさん
本来変わるはずのない東京駅の赤を「もみじ色」と合わせる理由が見当たらないなと思いました。
強いていえば、秋を感じる何かがあってその気分で夜のライトアップされた東京駅を見た時にもみじのようだったということでしょうか?
それなら映像のない季語を持つよりも、「月」などの星を持っていくほうがよかったのではと思います。
月煌々都の駅はもみじ色
元の季語を使うのであれば
長き夜や赤き駅舎のライトアップ
とすれば伝わったのではと思います。
最下位マジカルラブリー村上さん
謎でしたね。何を言いたいのかが全くわかりませんでした。
解説で移ろいゆくものと変わらぬ物の対比なのはわからましたが、
変わらぬ物もそれゆえの味わいがあるので、ネガティブな印象を使うのはやめてほしいですね。
行く秋と変わらぬ赤き駅舎かな
千賀名人、
この句を見た時に真っ先に思ったのが、3年前の
石田さんの(プレバト復帰待ってます!)
電車吐きたる人人人人人年の果
です。この番組でも使われているし当時特待生だった名人も同じ予選に参加されてましたから、
推敲すべきでした。
解説をきいたときに「駅舎が巨人みたいに見えた」とあるのですから、そちらの描写にしておけばオリジナリティが出せたのではと思います。
巨人なる駅舎人喰う冬の風
村上名人、
どうしたの?というのが率直な感想です。「一口目」は後に「を飲みました」とならないと日本語として不自然で散文的であるのがわかります。
下五が思いつかずに無理やりつけた印象があります。
ボツの梅沢名人。
解説をきくまではまったく上五がわかりませんでした。
夏井先生の言葉が全面的に正しいと思います。
最後に拙句を詠ませていただきます
本番を終え喧騒の帰路寒し
・マヂラブ村上さん
着眼点は面白いとは思います。謎の5・8は笑いましたが、個人的には好きかも。ただ、東京駅と書いた方がいいですね。変わりゆく季節と変わらないものを対比することは
俳句の世界でよくあるのでしょう。ただ、東京駅の赤と行く秋を対比させたこと自体は詩があってよろしくのではないでしょうか。
・千賀さん
「人」のリフレインは工夫されてはいますが、独自性に少し欠けたでしょうか。凩としたことで、人々が寒がりながら駅を急ぐ様子を表現したところは工夫があっていいと思います。人を吸うか吐くかのどちらかに焦点をあて、擬人化ではなくシンプルな映像化をしても良かったのではと思います。「凩や人々駅へ急ぐ朝」、良いかどうかは分かりませんが、一応やってみました。
・ポン村上さん
村上が2人いるとややこしい笑。銀杏のひかりという表現が素敵だと思います。「ひかり」をひらがなにしているのと敢えてだと分かります。お酒を一口飲むのであればやはり添削後の「一献」や 「一酌」の方が明確かなと思います。「肴に一口目」で私は分かりましたが、どれだけの人に伝わるのかは正直分かりません。先生には「手を抜いたと思うくらい雑」と言われていましたが、置きに来ていると言われれば確かにそんな気としてきます。村上さんの後退の句は個人的には好みの発想や表現の句が多いので正直可哀想だなと思うところがあります。でもルールだから仕方がない。
・梅沢様
配慮が足りないとボツになったのは多分今回が初めてではないと思います(ライスカレーや飯盒の句も同じ理由でボツか後退になっていた記憶が)。知識豊富な御大だからこそ起こる問題だとは思います。私も正直「ますかけ」とは何ぞやと思いました。話を聞いて、「ますかけ線」と書いたほうが分かりやすいのではないかと感じました。添削句では手相という言葉を入れていましたが、その方が良い。前半の威勢がある様と後半のどこか寂しさもある様との対比が鮮やかです。「ぞ」という切れ字が対比の鮮やかさを確かにしている気がします。
着眼点は面白いとは思います。謎の5・8は笑いましたが、個人的には好きかも。ただ、東京駅と書いた方がいいですね。変わりゆく季節と変わらないものを対比することは
俳句の世界でよくあるのでしょう。ただ、東京駅の赤と行く秋を対比させたこと自体は詩があってよろしくのではないでしょうか。
・千賀さん
「人」のリフレインは工夫されてはいますが、独自性に少し欠けたでしょうか。凩としたことで、人々が寒がりながら駅を急ぐ様子を表現したところは工夫があっていいと思います。人を吸うか吐くかのどちらかに焦点をあて、擬人化ではなくシンプルな映像化をしても良かったのではと思います。「凩や人々駅へ急ぐ朝」、良いかどうかは分かりませんが、一応やってみました。
・ポン村上さん
村上が2人いるとややこしい笑。銀杏のひかりという表現が素敵だと思います。「ひかり」をひらがなにしているのと敢えてだと分かります。お酒を一口飲むのであればやはり添削後の「一献」や 「一酌」の方が明確かなと思います。「肴に一口目」で私は分かりましたが、どれだけの人に伝わるのかは正直分かりません。先生には「手を抜いたと思うくらい雑」と言われていましたが、置きに来ていると言われれば確かにそんな気としてきます。村上さんの後退の句は個人的には好みの発想や表現の句が多いので正直可哀想だなと思うところがあります。でもルールだから仕方がない。
・梅沢様
配慮が足りないとボツになったのは多分今回が初めてではないと思います(ライスカレーや飯盒の句も同じ理由でボツか後退になっていた記憶が)。知識豊富な御大だからこそ起こる問題だとは思います。私も正直「ますかけ」とは何ぞやと思いました。話を聞いて、「ますかけ線」と書いたほうが分かりやすいのではないかと感じました。添削句では手相という言葉を入れていましたが、その方が良い。前半の威勢がある様と後半のどこか寂しさもある様との対比が鮮やかです。「ぞ」という切れ字が対比の鮮やかさを確かにしている気がします。
明日まで映像を見れないので、今回も字面からコメントを。
一位の句
芸能人に限らず、下積み時代にもやしで腹を満たしたという話は聞いたことがあることですが、「十円」「晩餐」がリアリティであり、下積み時代を思わせます。「で」が散文的でしたが、添削で良くなったと。
二位の句
木枯らしの音で駅名のアナウンスが良く聞こえない様子は伝わります。失敗点は中七の「る」、下五の「る」がリズムをぶつ切りにしてしまったところでしょうか。(中七は下一他動詞連体形なので切れてはいないのですけども、ブツブツした感じ)。添削で名詞止めとなり、ピシッとした形に。
(映像を見て)
そうか、「かすむ」が「霞」とうけとめられるのか、と。
三位の句
夜長ともみじの季重なりに見えますが、もみじ「色」となので、季語の力は失せるでしょうね。
言いたいことは伝わる系列の才能なしですね。散文的な感じ。添削は添削で三段切れにも見えますが、どうなのか。
(映像を見て)
夜長「なる」は名詞の形容動詞化、連体形だとふと気付きました。添削句、三段切れではないな。
四位の句
原句。うーん。どういうこと?
秋は過ぎるが、東京駅の駅舎は赤いままです、というくらいか。映像を見たいと思います。
(映像を見て)
「謎の五八」には笑いました。
千賀名人
原句の時点で発想を平凡と突かれたら、添削しても平凡なままな気がします。駅が人を吸って吐く、と。
あと、中八ですね。平場なら才能なしでは?降格をよく免れたなという感じ。
村上名人
添削句良いですね、上五を平仮名にして、「銀杏の木漏れ日を肴にして」という誤読を防いでます。また、下五「何を一口目」か。「肴」とあるから酒類でしょうけど、「まず一献」ときた方がグッと良い感じです。
(映像を見て)
ぎんなんの光沢の描写、ひかり一粒が加わっていたことに今さら気付きました。
御大
「ますかけ」がまず分からなく、その後「手」とあるので下ネタに見えてしまったというのが本当のところ。調べると強運をもたらす手相のようですね。季語の「木の葉髪」と知りませんでしたが、抜け毛、とのこと。季節の変わり目での抜け毛ですが、どうも季節の変わり目という理由だけでない気もします。
全体を見れば強運の人も抜け毛があるのね、あるいは、強運の手相を持って毛が抜けるくらいまで生きてきた、という感じで読みました。
やはり、「ますかけ」の説明がいるようですね。
次回も楽しみにしております。
一位の句
芸能人に限らず、下積み時代にもやしで腹を満たしたという話は聞いたことがあることですが、「十円」「晩餐」がリアリティであり、下積み時代を思わせます。「で」が散文的でしたが、添削で良くなったと。
二位の句
木枯らしの音で駅名のアナウンスが良く聞こえない様子は伝わります。失敗点は中七の「る」、下五の「る」がリズムをぶつ切りにしてしまったところでしょうか。(中七は下一他動詞連体形なので切れてはいないのですけども、ブツブツした感じ)。添削で名詞止めとなり、ピシッとした形に。
(映像を見て)
そうか、「かすむ」が「霞」とうけとめられるのか、と。
三位の句
夜長ともみじの季重なりに見えますが、もみじ「色」となので、季語の力は失せるでしょうね。
言いたいことは伝わる系列の才能なしですね。散文的な感じ。添削は添削で三段切れにも見えますが、どうなのか。
(映像を見て)
夜長「なる」は名詞の形容動詞化、連体形だとふと気付きました。添削句、三段切れではないな。
四位の句
原句。うーん。どういうこと?
秋は過ぎるが、東京駅の駅舎は赤いままです、というくらいか。映像を見たいと思います。
(映像を見て)
「謎の五八」には笑いました。
千賀名人
原句の時点で発想を平凡と突かれたら、添削しても平凡なままな気がします。駅が人を吸って吐く、と。
あと、中八ですね。平場なら才能なしでは?降格をよく免れたなという感じ。
村上名人
添削句良いですね、上五を平仮名にして、「銀杏の木漏れ日を肴にして」という誤読を防いでます。また、下五「何を一口目」か。「肴」とあるから酒類でしょうけど、「まず一献」ときた方がグッと良い感じです。
(映像を見て)
ぎんなんの光沢の描写、ひかり一粒が加わっていたことに今さら気付きました。
御大
「ますかけ」がまず分からなく、その後「手」とあるので下ネタに見えてしまったというのが本当のところ。調べると強運をもたらす手相のようですね。季語の「木の葉髪」と知りませんでしたが、抜け毛、とのこと。季節の変わり目での抜け毛ですが、どうも季節の変わり目という理由だけでない気もします。
全体を見れば強運の人も抜け毛があるのね、あるいは、強運の手相を持って毛が抜けるくらいまで生きてきた、という感じで読みました。
やはり、「ますかけ」の説明がいるようですね。
次回も楽しみにしております。