コメント
今回のパックンの句ですが、先生の添削に疑問が残りました。
なぜなら先生の添削句では、パックンの意図したホームランと思わせる意図が消えてしまうからです。
私なら村上名人が仰るように「球場」といい言葉を入れて、
「天高きアーチ球場のホットドッグ」とすると思います。
なぜなら先生の添削句では、パックンの意図したホームランと思わせる意図が消えてしまうからです。
私なら村上名人が仰るように「球場」といい言葉を入れて、
「天高きアーチ球場のホットドッグ」とすると思います。
敗者復活は
森口さんと志らくさんなら、私は森口さんかな。
森口さんは直しは入ってるし、志らくさんの句のインパクトはすごいのですが。
私が森口さん推しなのは、志らくさんより、より兼題に寄り添っているから。
理由はそこだけです。
森口さんは直しは入ってるし、志らくさんの句のインパクトはすごいのですが。
私が森口さん推しなのは、志らくさんより、より兼題に寄り添っているから。
理由はそこだけです。
Bブロックについて
兼題は食欲の秋でした。
兼題から、「何か秋の味覚をそそられるような一物仕立てが出てきたら、順位に関わらず面白い」と思ってました。特に筒井さんは、
海苔一帖等間隔に刻みて春(今年の春光戦で予選落ちした句ですが)
長き夜や黄身ゆるやかに殻を離る
といった句があるので期待しましたが、見事に「あー、違った」と思ったのでした。
5位の句 向井さん
(詠んだだけの感想)
季語は「秋刀魚」。視覚としては焼き色、焼いたときの聴覚、グリルはもちろん、七輪で焼いたときのけむさや匂いといった嗅覚、熱々で食ったときの脂の感触すなわち味覚、漁港では出荷できないようなのをただでくれてたりした記憶がある、安価であり、庶民的という感覚を覚える連想力、そんな力を持つのが、季語としての秋刀魚ではないでしょうか。
さて、句を率直に読むと、母ちゃんが秋刀魚は目まで食えと、無言で圧力をかけてくる句。ただ、上五「秋刀魚の目」と中七下五の間に助詞がないので、「何か、秋刀魚の目以外の、苦手なものを、焼かれた秋刀魚のような目で勧めてきているのでは?」とも読めました、、、プレバト才能ナシの句にはありがちな、季語を比喩に使う例としてありそうな句でもあり。
ここは、録画したものを見たいと思います。
食欲は、お母さんの目力に負けて出ません。
〈映像を見ての追記〉
やはり、目も食べろと言われていたようですね。
4位の句 筒井さん
(読んだだけの感想)
季語は「葡萄」、もしくは「黒葡萄」。見た目、つまんだときの感覚、皮ごと齧った時の微かな音、甘酸っぱさやえぐみ、香りに刺激を受ける季語ですが、「黒」がつくお陰で一気に連想力も刺戟されますね。
前書きで書いたとおり、このブロックの中なら、秋の味覚の一品を、何か描くならこの人だろうかと思いましたが、外れました。
読みとしては、黒ブドウの真ん中には、代々継がれてきた螺旋=遺伝子があるんだよ、というように読みました。小難しい一品仕立てなのか、あるいは、この句そのものが、ご自身や誰かの比喩なのか。
添削句を読む限り、恐らくは後者が正解なのでしょう。ちょっと分かりづらいかな。
「黒葡萄好む吾と子と母と祖母」くらいで、黒葡萄を好む血が受け継がれています、と言えるのではないかと思いました。ここに黒葡萄のイメージを読み手が勝手に被せてくれますから。
もっとも、小難しい話を聞いても黒葡萄の味はしなさそう。食欲はわきません。
3位の句 円楽師匠
(読んだだけの感想)
季語は「秋刀魚」。
「えー、この前、プレバトという番組に出まして、知ってますか、プレバト」と、落語の枕が聞こえそうな句でした。噺は当然、円楽×ガン×油を抜いた蒸し秋刀魚→目黒のさんまで。
原句のままでも伝わるのですが、句の後に「うん!これこれ!」と孤独のグルメの台詞を付け加えると、より分かると思います。原句だと台詞付きでも成り立ちますが、添削句だと「うん!これこれ!」はなかなか成り立ちません。
詠嘆の「や」をつけると「なんてこった、油の抜けきった蒸し秋刀魚かよ」という意味となりますね。「や」=詠嘆とか強調ということは知っていたつもりでしたが、マイナス方向の詠嘆にも使えるのだなと感じたところです。
無論、私は蒸し秋刀魚より焼きさんまを食べたいので、食欲はわきません。
2位 志らく名人
(読んだだけの感想)
今まで、この方の破調の句は嫌いでしたが、こちらのブログで見ていくと、確かに悪くないな、と思える句もいくつかあり、俳句を作るようになってから、この方の視座には大したものだとおもえるようになってきました。
目指そうったって、目指せないのですが。
一応の季語は「林檎」。けど、「首吊りの家」というセザンヌの絵画に、「描かれてない」となるので、絵画の絵の季語→力が弱くなる、しかも描かれてない→なお季語としての林檎が薄れる、という仕掛けで、無季句と読むのが正しいかと。
悩ましいのは、セザンヌが印象派の画風から、ポスト印象派と呼ばれる画風になっていった過程を知らないと、この句を楽しめない点。上の句で「≪首吊りの家≫」とあるので、これが固有名詞であり、句を読むに当たって調べるきっかけにはなりますが。
やはり、食欲の秋に対してこの句では食欲が出てこねえという点でしょうか。
〈映像を見ての感想〉
子どもがたいそう怖がっていました。
林檎が食べ物でなく幸福のシンボルとして使われているならば、なおのことこの句は無季でしょう。
1位 藤本名人
(読んだだけの感想)
魚群探知機で漁船も海も思い浮かべられ、そこに季語が絡むと良く情景も浮かぶ句です。しかし、詠み手に「この漁船はどんな魚を探知して、とったの?」と聞きたくなる句でもありました。
というのも、季語「朝寒」は、晩秋の頃、いよいよ手足の冷える朝、とのこと。放映会は9月上旬。秋の初めと終わりなら、とれる魚も違って来るはずです。まぁ、そこに突っ込みを入れなくとも、情景が良く浮かぶ句です。
尤も、ニュースなんかで秋刀魚漁とかの、ドサッと水揚げされる様を見ても、「うまそう」と思えない自分には、食欲はわきませんが。
〈映像を見ての感想〉
一緒に見ていた我が子は、ちょうど社会の授業で魚群探知機を習ったばかりだそう。季語の意味さえ分かれば小学生でも分かる句でした。この辺りは子どもにも人気のフジモン節でしたね。
兼題に即し、「旨そうかどうか」という基準を設けたら、「うーん」という句ばかりだったと感じたブロックでした。
兼題から、「何か秋の味覚をそそられるような一物仕立てが出てきたら、順位に関わらず面白い」と思ってました。特に筒井さんは、
海苔一帖等間隔に刻みて春(今年の春光戦で予選落ちした句ですが)
長き夜や黄身ゆるやかに殻を離る
といった句があるので期待しましたが、見事に「あー、違った」と思ったのでした。
5位の句 向井さん
(詠んだだけの感想)
季語は「秋刀魚」。視覚としては焼き色、焼いたときの聴覚、グリルはもちろん、七輪で焼いたときのけむさや匂いといった嗅覚、熱々で食ったときの脂の感触すなわち味覚、漁港では出荷できないようなのをただでくれてたりした記憶がある、安価であり、庶民的という感覚を覚える連想力、そんな力を持つのが、季語としての秋刀魚ではないでしょうか。
さて、句を率直に読むと、母ちゃんが秋刀魚は目まで食えと、無言で圧力をかけてくる句。ただ、上五「秋刀魚の目」と中七下五の間に助詞がないので、「何か、秋刀魚の目以外の、苦手なものを、焼かれた秋刀魚のような目で勧めてきているのでは?」とも読めました、、、プレバト才能ナシの句にはありがちな、季語を比喩に使う例としてありそうな句でもあり。
ここは、録画したものを見たいと思います。
食欲は、お母さんの目力に負けて出ません。
〈映像を見ての追記〉
やはり、目も食べろと言われていたようですね。
4位の句 筒井さん
(読んだだけの感想)
季語は「葡萄」、もしくは「黒葡萄」。見た目、つまんだときの感覚、皮ごと齧った時の微かな音、甘酸っぱさやえぐみ、香りに刺激を受ける季語ですが、「黒」がつくお陰で一気に連想力も刺戟されますね。
前書きで書いたとおり、このブロックの中なら、秋の味覚の一品を、何か描くならこの人だろうかと思いましたが、外れました。
読みとしては、黒ブドウの真ん中には、代々継がれてきた螺旋=遺伝子があるんだよ、というように読みました。小難しい一品仕立てなのか、あるいは、この句そのものが、ご自身や誰かの比喩なのか。
添削句を読む限り、恐らくは後者が正解なのでしょう。ちょっと分かりづらいかな。
「黒葡萄好む吾と子と母と祖母」くらいで、黒葡萄を好む血が受け継がれています、と言えるのではないかと思いました。ここに黒葡萄のイメージを読み手が勝手に被せてくれますから。
もっとも、小難しい話を聞いても黒葡萄の味はしなさそう。食欲はわきません。
3位の句 円楽師匠
(読んだだけの感想)
季語は「秋刀魚」。
「えー、この前、プレバトという番組に出まして、知ってますか、プレバト」と、落語の枕が聞こえそうな句でした。噺は当然、円楽×ガン×油を抜いた蒸し秋刀魚→目黒のさんまで。
原句のままでも伝わるのですが、句の後に「うん!これこれ!」と孤独のグルメの台詞を付け加えると、より分かると思います。原句だと台詞付きでも成り立ちますが、添削句だと「うん!これこれ!」はなかなか成り立ちません。
詠嘆の「や」をつけると「なんてこった、油の抜けきった蒸し秋刀魚かよ」という意味となりますね。「や」=詠嘆とか強調ということは知っていたつもりでしたが、マイナス方向の詠嘆にも使えるのだなと感じたところです。
無論、私は蒸し秋刀魚より焼きさんまを食べたいので、食欲はわきません。
2位 志らく名人
(読んだだけの感想)
今まで、この方の破調の句は嫌いでしたが、こちらのブログで見ていくと、確かに悪くないな、と思える句もいくつかあり、俳句を作るようになってから、この方の視座には大したものだとおもえるようになってきました。
目指そうったって、目指せないのですが。
一応の季語は「林檎」。けど、「首吊りの家」というセザンヌの絵画に、「描かれてない」となるので、絵画の絵の季語→力が弱くなる、しかも描かれてない→なお季語としての林檎が薄れる、という仕掛けで、無季句と読むのが正しいかと。
悩ましいのは、セザンヌが印象派の画風から、ポスト印象派と呼ばれる画風になっていった過程を知らないと、この句を楽しめない点。上の句で「≪首吊りの家≫」とあるので、これが固有名詞であり、句を読むに当たって調べるきっかけにはなりますが。
やはり、食欲の秋に対してこの句では食欲が出てこねえという点でしょうか。
〈映像を見ての感想〉
子どもがたいそう怖がっていました。
林檎が食べ物でなく幸福のシンボルとして使われているならば、なおのことこの句は無季でしょう。
1位 藤本名人
(読んだだけの感想)
魚群探知機で漁船も海も思い浮かべられ、そこに季語が絡むと良く情景も浮かぶ句です。しかし、詠み手に「この漁船はどんな魚を探知して、とったの?」と聞きたくなる句でもありました。
というのも、季語「朝寒」は、晩秋の頃、いよいよ手足の冷える朝、とのこと。放映会は9月上旬。秋の初めと終わりなら、とれる魚も違って来るはずです。まぁ、そこに突っ込みを入れなくとも、情景が良く浮かぶ句です。
尤も、ニュースなんかで秋刀魚漁とかの、ドサッと水揚げされる様を見ても、「うまそう」と思えない自分には、食欲はわきませんが。
〈映像を見ての感想〉
一緒に見ていた我が子は、ちょうど社会の授業で魚群探知機を習ったばかりだそう。季語の意味さえ分かれば小学生でも分かる句でした。この辺りは子どもにも人気のフジモン節でしたね。
兼題に即し、「旨そうかどうか」という基準を設けたら、「うーん」という句ばかりだったと感じたブロックでした。
今回は
ここ最近は波乱が多い大会が多かったですが、
順当でしたね。
Aブロック
パックンさん
描こうとした光景はやはりオリジナリティがあるし、作者がわかってる前提でなら納得させてしまうリアリティーがありました。
ただ単純に作品単体でみたら原句のままでは意味が伝わらなかったかなと思います。
今までの昇格句は明らかに外国の光景だと分かる言葉を使ってました。それが無かったのが今回の句の決定的な敗因だと思います。
あと夏井先生の添削でも作者の意図を伝えるのは厳しいのではと思いました。アメリカに在住された方ならひょっとして伝わるのかもしれませんが、
なぜなら日本とアメリカという異なる国での異なる価値観や常識というのが前提にあるからです。
夏井先生の添削句にもアメリカの情報がないため、日本の句として読むととんでもない失礼な売り子というように詠めてしまいます。
ここは前書きをつかって、アメリカの情報だとわかるようにするのがベストかなと思います。
4位の春風亭昇吉さん、
以前の兼題「オセロ」のひどい句から比べるとだいぶ良くなったのではと思います。
個人的には「勝っても」が不要で「負けたとしても」としたほうが心情がつたわるのではと思ってます。
3位、岩永徹也さん。
上五、中七は本当に見事でした。季語選びのミスで敗退しましたが、
12音のフレーズに似合う季語にこだわりすぎたのが敗因でしょうか。
今までの岩永さんの定石ではありますが、名人昇格も含めて次のステップに進むのもいいのではと思います。
季語に心情を託すということも挑戦してほしいなと思います。
「小鳥来る」「秋の蝶」
ネガティブな心情なら「鰯雲」「秋夕焼」
お見舞いの品であれば果物の季語で「~食う」でもいいですし。
次に期待です。
2位、森口瑤子名人
季語「秋夕焼」があることで、レースが終わったあとで余韻に浸っているのがわかります
多少本人の解説からの創作に近くなりますが。
擦り傷のアンカーの目に秋夕焼
としたら負けたことがわかります。
1位の中田名人、
正直リアリティーが感じられないなというのが正直な感想です。
確かに優勝すれば観客の声援などは「ひとりじめ」ですし、内心そう思ってるアスリートはいるのかもしれません。
ただ、敗者にも礼儀と敬意をはらうのがアスリートであり、
「ひとりじめ」が態度にでているのであれば、世間からの避難やスポーツ連盟からの注意がでる可能性もあります。
リアリティーを追及してほしいなと思います。
Bブロック
パンサー向井さん、オリジナリティという意味でかなり苦戦されてますが、技術的には安定してきたのではと思います。
句集などを読み、いろいろな俳句を見るというのかができればオリジナリティが生まれるのてはないかと思います。
4位、抽象的な表現を書くというのも詩として出来上がってるならありではないかとは思いますが、
下五に季語を置いたことで、添え物になってる印象があたえたのかなと思います。
上五において
黒葡萄記憶の螺旋うずまきぬ
とかならありではと思います。
3位、圓楽名人。
個人的にはすごく好きではありました。セオリーには反するかもしれませんが、美味しくない「蒸し秋刀魚」に病院生活の侘しさを託せてる意味では季語を主役にたてていると思いました。
ただ気になるのは、たとえば短期の入院や怪我などの入院であれば、入院食であったとしても過剰に脂質をカットすることはありません。
圓楽名人の場合は肺癌という決して軽くはない病気なので、そういう方々向けの食事であるということです。
もう一つ、ご本人の解説で「パサパサしてる」という言葉を使い
肺癌やパサパサしてる蒸し秋刀魚
として不味そうな描写を追及するのもありではと思いました。
2位
<>の表示で作品の名前であることはわかります。そうなると東国原名人のおっしゃったように季語の鮮度が落ちるので、いっそのこと無季の句と解説がほしかったですね。
ただ以前の「カイロの紫の薔薇」の句から学ばれたのか完成度は高くなっています。
1位
ただただ見事でした。夏井先生や村上名人が言いたいことを語ってくださっていたので、あえて僕から書くことはないかなと思います。
ちなみに藤本名人は「寒」を使う季語との相性が良いみたいですね。
次回はどうなるのでしょうか?予告で煽ってる通りになるのかどうか楽しみです。
最後に拙句を詠ませていただきます。今回は「食欲の秋」の方から
ラッパーのPV美女がかじる林檎
順当でしたね。
Aブロック
パックンさん
描こうとした光景はやはりオリジナリティがあるし、作者がわかってる前提でなら納得させてしまうリアリティーがありました。
ただ単純に作品単体でみたら原句のままでは意味が伝わらなかったかなと思います。
今までの昇格句は明らかに外国の光景だと分かる言葉を使ってました。それが無かったのが今回の句の決定的な敗因だと思います。
あと夏井先生の添削でも作者の意図を伝えるのは厳しいのではと思いました。アメリカに在住された方ならひょっとして伝わるのかもしれませんが、
なぜなら日本とアメリカという異なる国での異なる価値観や常識というのが前提にあるからです。
夏井先生の添削句にもアメリカの情報がないため、日本の句として読むととんでもない失礼な売り子というように詠めてしまいます。
ここは前書きをつかって、アメリカの情報だとわかるようにするのがベストかなと思います。
4位の春風亭昇吉さん、
以前の兼題「オセロ」のひどい句から比べるとだいぶ良くなったのではと思います。
個人的には「勝っても」が不要で「負けたとしても」としたほうが心情がつたわるのではと思ってます。
3位、岩永徹也さん。
上五、中七は本当に見事でした。季語選びのミスで敗退しましたが、
12音のフレーズに似合う季語にこだわりすぎたのが敗因でしょうか。
今までの岩永さんの定石ではありますが、名人昇格も含めて次のステップに進むのもいいのではと思います。
季語に心情を託すということも挑戦してほしいなと思います。
「小鳥来る」「秋の蝶」
ネガティブな心情なら「鰯雲」「秋夕焼」
お見舞いの品であれば果物の季語で「~食う」でもいいですし。
次に期待です。
2位、森口瑤子名人
季語「秋夕焼」があることで、レースが終わったあとで余韻に浸っているのがわかります
多少本人の解説からの創作に近くなりますが。
擦り傷のアンカーの目に秋夕焼
としたら負けたことがわかります。
1位の中田名人、
正直リアリティーが感じられないなというのが正直な感想です。
確かに優勝すれば観客の声援などは「ひとりじめ」ですし、内心そう思ってるアスリートはいるのかもしれません。
ただ、敗者にも礼儀と敬意をはらうのがアスリートであり、
「ひとりじめ」が態度にでているのであれば、世間からの避難やスポーツ連盟からの注意がでる可能性もあります。
リアリティーを追及してほしいなと思います。
Bブロック
パンサー向井さん、オリジナリティという意味でかなり苦戦されてますが、技術的には安定してきたのではと思います。
句集などを読み、いろいろな俳句を見るというのかができればオリジナリティが生まれるのてはないかと思います。
4位、抽象的な表現を書くというのも詩として出来上がってるならありではないかとは思いますが、
下五に季語を置いたことで、添え物になってる印象があたえたのかなと思います。
上五において
黒葡萄記憶の螺旋うずまきぬ
とかならありではと思います。
3位、圓楽名人。
個人的にはすごく好きではありました。セオリーには反するかもしれませんが、美味しくない「蒸し秋刀魚」に病院生活の侘しさを託せてる意味では季語を主役にたてていると思いました。
ただ気になるのは、たとえば短期の入院や怪我などの入院であれば、入院食であったとしても過剰に脂質をカットすることはありません。
圓楽名人の場合は肺癌という決して軽くはない病気なので、そういう方々向けの食事であるということです。
もう一つ、ご本人の解説で「パサパサしてる」という言葉を使い
肺癌やパサパサしてる蒸し秋刀魚
として不味そうな描写を追及するのもありではと思いました。
2位
<>の表示で作品の名前であることはわかります。そうなると東国原名人のおっしゃったように季語の鮮度が落ちるので、いっそのこと無季の句と解説がほしかったですね。
ただ以前の「カイロの紫の薔薇」の句から学ばれたのか完成度は高くなっています。
1位
ただただ見事でした。夏井先生や村上名人が言いたいことを語ってくださっていたので、あえて僕から書くことはないかなと思います。
ちなみに藤本名人は「寒」を使う季語との相性が良いみたいですね。
次回はどうなるのでしょうか?予告で煽ってる通りになるのかどうか楽しみです。
最後に拙句を詠ませていただきます。今回は「食欲の秋」の方から
ラッパーのPV美女がかじる林檎
投稿を分けたのはBブロックのせい
Bブロックは、食欲の秋が題材なのに、母ちゃんの視線の圧力、二重螺旋、病院食、オドロオドロな絵画の題、魚群探知機と。。。食欲のわかない句ばかり。
よほど、小学生の我が子がふざけて詠んだ「秋暑しガリガリ君の梨の味」の方が食欲が増すってもんで。。。
よほど、小学生の我が子がふざけて詠んだ「秋暑しガリガリ君の梨の味」の方が食欲が増すってもんで。。。
Aブロックについて
白プロキオン様におかれましては、毎回のことですが、文字起こしお疲れ様です。
おかげさまで、「読む練習」と使わせていただいております。夏井先生の動画にも出演され、共著もある、岸本尚毅先生も、初めは「読む」ことを重視されていたとか。このブログをそのように使わせていただいております。
さて、今回は金秋戦予選。一度に10句への感想を打つのは、時間的に明日の勤務に差し支えますので、何度かに分けて投稿します。
Aブロック 兼題はスポーツの秋。
5位 パックンさん
(読んだだけの感想)
季語は「天高し」。兼題を知っていれば、野球のワールドシリーズ等、スポーツの一大イベントが突き抜ける青い空の下で行われているとイメージできます。しかし、中七からが、まるで童謡「とんでったバナナ」みたいですね。兼題を知らずに読むと、その印象がより強くなってしまう、ある意味シュールな句でした。ホットドッグはどこにいったかな。
〈映像を見ての感想〉
状況が分かりにくいことについては、やはりな、というところ。様々な型を学べと指南されていましたが、基本の型だけでも究めていけば、特待生レベルにはなれるということかもしれません。
4位 希望の病さん
(読んだだけの感想)
季語は「秋刀魚」。5位と比べて、勝負事がある点では評価は上となるでしょう。添削句と合わせて読むと、ある程度情景は浮かびます。しかし、原句について、パッと浮かぶだけでも疑問点がいくつか。
・字足らず(15音)。下の句「母秋刀魚焼く」に例えば「母は秋刀魚を焼く」としなかったのは何故だろう。
・破調であり、調べも良くない。詠み手なりにリズムを持っていたのかも知れないが、読み手には伝わらないと思う。
・「負けても勝っても」がスポーツとは限らない。特に、詠み手が噺家さんである点。「囲碁や将棋、いや、俗なところでパチンコに負けても勝っても、母ちゃんが秋刀魚を焼いてくれるのか」とも読めてしまう点。
・勝負事の後に「秋刀魚」は適しているのか?落語「目黒のさんま」あたりを見ても、決して秋刀魚はごちそうではない。ここについては夏井先生の添削句の方が正解で、「好物」だから、秋刀魚にするというのが正しいと心底思いました。特に、合宿生活や、試合前に鶏肉生活を送られた方にとっては、どうでしょう?自分は肉が正義でしたが。
・添削句で好物という語が出ました。その上でできたのが、字余りの句。勝負事や勝ち負け、母、秋刀魚、子の好物、、、一句にまとめるのが難しいかもしれませんね。
特待生昇格のころまでの、傲岸不遜さを感じる勢いが削がれ、また、金秋戦前の「生活がかかっている」という発言もあり、この弱々しさでは予選通過は無いかなぁ、と思っていましたが、その通りでした。
〈映像を見ての感想〉
自解で「就職活動でも何でも良い」とご本人は仰ってましたが、名人以上の方々には「言いたいことをちゃんと伝える」ことが課題とされることもあります。この発言が出てしまう限り、名人への道は遠いかも。
3位 岩永さん
(読んだだけの感想)
季語は「山粧う」で、初めて知った季語でした。荒く言えば、紅葉などで色とりどりに山が染まっている様とのこと。「やまよそう」と終止形で5音。もし自分が使うなら、活用的には中七でもおけるけど、素直に上五か下五に使った方が無難かなと思う季語でした(やまよそおいて、とか、やまよそおいし、とか、活用以外に助詞の選択も出てくるので)
句そのものは、何かの競技で「軸足」をやってしまった人がいて、彼を慕ったり認めたり、導いたり、ライバル視しているいろんな人が、ギブスに寄せ書きしてくれている、そんな光景で、伝わりました。
もったいないのは、季語が比喩のように捉えられても仕方ない点。たとえば、「山粧うがごと軸足のギブスの寄せ書き」でも通ってしまう点でした。
〈映像を見ての感想〉
カメラワークの指摘は納得です。
2位 森口名人
(読んだだけの感想)
季語は「秋夕焼」。この句は、「秋夕焼」の持つ、虚しさや寂しさ、あっけなさなどのイメージがマッチする句。ああ、負けたのだろうな、と。しかし、「紅葉」という童謡がありますね。あーきのゆーひーにぃ、てぇるぅやぁまぁ、もぉみぃじぃ、という奴。あれの歌詞を思うと、「秋夕焼」は寂寥感以外にもいろんなものを呑み込むことができるなぁ、と感じたところです。
そうなると、添削句のように、より敗北を表す単語が欲しいところ。季語の力に一さじ加えて、より確定的伝えることも大切になる場合もあるんだな、と学んだところです。個人的には、箱根駅伝の予選会をなぜか思い出しました。
〈映像を見ての感想〉
やはり、季語だけでは敗北を知らすのに及ばなかったかというのが率直なところでした。「の目に」は確かに削っても良いところなのは納得できますが、添削句で敗北の補強がされたことで、調べが崩れたのはどうかなと。
1位 中田名人
(読んだだけの感想)
季語は勿論「秋」。それにしても、この句は、池江璃花子さんを詠んだ句でしょうか。池江選手が白血病からカムバックしたのは昨年8月末。季語では「秋」の時期ですし、措辞である「復活の」と結ばれて、圧倒的な存在感がありますし、復活戦の話題は明るいニュースとして報じられていました。
「しぶき」は「滝しぶき」と別な単語と組み合わせると季語となりますが、単体では季語とはならないと思います。
下五「ひとりじめ」が詠んだ側の感想か、句の中の人がドヤ顔をしてるかは解釈が分かれるところでしょうか。
字面だけ追った時点では、特定の人を想起させられるこの句より、すこし間口の広くなる2位の句の方が好きですが、その辺りは録画したものを見てから決めていきたいと思います。
〈映像を見ての感想〉
子どもが水泳をやっているせいもあるかもしれませんが、やっぱり、池江選手をイメージしていました。昨年の復帰戦やオリンピックのことを考えるとそう捉えられます。私にとってはまだ時事句。この点、この句は年月を経てからもう一度出されると、読みや評価が変わりそうです。
おかげさまで、「読む練習」と使わせていただいております。夏井先生の動画にも出演され、共著もある、岸本尚毅先生も、初めは「読む」ことを重視されていたとか。このブログをそのように使わせていただいております。
さて、今回は金秋戦予選。一度に10句への感想を打つのは、時間的に明日の勤務に差し支えますので、何度かに分けて投稿します。
Aブロック 兼題はスポーツの秋。
5位 パックンさん
(読んだだけの感想)
季語は「天高し」。兼題を知っていれば、野球のワールドシリーズ等、スポーツの一大イベントが突き抜ける青い空の下で行われているとイメージできます。しかし、中七からが、まるで童謡「とんでったバナナ」みたいですね。兼題を知らずに読むと、その印象がより強くなってしまう、ある意味シュールな句でした。ホットドッグはどこにいったかな。
〈映像を見ての感想〉
状況が分かりにくいことについては、やはりな、というところ。様々な型を学べと指南されていましたが、基本の型だけでも究めていけば、特待生レベルにはなれるということかもしれません。
4位 希望の病さん
(読んだだけの感想)
季語は「秋刀魚」。5位と比べて、勝負事がある点では評価は上となるでしょう。添削句と合わせて読むと、ある程度情景は浮かびます。しかし、原句について、パッと浮かぶだけでも疑問点がいくつか。
・字足らず(15音)。下の句「母秋刀魚焼く」に例えば「母は秋刀魚を焼く」としなかったのは何故だろう。
・破調であり、調べも良くない。詠み手なりにリズムを持っていたのかも知れないが、読み手には伝わらないと思う。
・「負けても勝っても」がスポーツとは限らない。特に、詠み手が噺家さんである点。「囲碁や将棋、いや、俗なところでパチンコに負けても勝っても、母ちゃんが秋刀魚を焼いてくれるのか」とも読めてしまう点。
・勝負事の後に「秋刀魚」は適しているのか?落語「目黒のさんま」あたりを見ても、決して秋刀魚はごちそうではない。ここについては夏井先生の添削句の方が正解で、「好物」だから、秋刀魚にするというのが正しいと心底思いました。特に、合宿生活や、試合前に鶏肉生活を送られた方にとっては、どうでしょう?自分は肉が正義でしたが。
・添削句で好物という語が出ました。その上でできたのが、字余りの句。勝負事や勝ち負け、母、秋刀魚、子の好物、、、一句にまとめるのが難しいかもしれませんね。
特待生昇格のころまでの、傲岸不遜さを感じる勢いが削がれ、また、金秋戦前の「生活がかかっている」という発言もあり、この弱々しさでは予選通過は無いかなぁ、と思っていましたが、その通りでした。
〈映像を見ての感想〉
自解で「就職活動でも何でも良い」とご本人は仰ってましたが、名人以上の方々には「言いたいことをちゃんと伝える」ことが課題とされることもあります。この発言が出てしまう限り、名人への道は遠いかも。
3位 岩永さん
(読んだだけの感想)
季語は「山粧う」で、初めて知った季語でした。荒く言えば、紅葉などで色とりどりに山が染まっている様とのこと。「やまよそう」と終止形で5音。もし自分が使うなら、活用的には中七でもおけるけど、素直に上五か下五に使った方が無難かなと思う季語でした(やまよそおいて、とか、やまよそおいし、とか、活用以外に助詞の選択も出てくるので)
句そのものは、何かの競技で「軸足」をやってしまった人がいて、彼を慕ったり認めたり、導いたり、ライバル視しているいろんな人が、ギブスに寄せ書きしてくれている、そんな光景で、伝わりました。
もったいないのは、季語が比喩のように捉えられても仕方ない点。たとえば、「山粧うがごと軸足のギブスの寄せ書き」でも通ってしまう点でした。
〈映像を見ての感想〉
カメラワークの指摘は納得です。
2位 森口名人
(読んだだけの感想)
季語は「秋夕焼」。この句は、「秋夕焼」の持つ、虚しさや寂しさ、あっけなさなどのイメージがマッチする句。ああ、負けたのだろうな、と。しかし、「紅葉」という童謡がありますね。あーきのゆーひーにぃ、てぇるぅやぁまぁ、もぉみぃじぃ、という奴。あれの歌詞を思うと、「秋夕焼」は寂寥感以外にもいろんなものを呑み込むことができるなぁ、と感じたところです。
そうなると、添削句のように、より敗北を表す単語が欲しいところ。季語の力に一さじ加えて、より確定的伝えることも大切になる場合もあるんだな、と学んだところです。個人的には、箱根駅伝の予選会をなぜか思い出しました。
〈映像を見ての感想〉
やはり、季語だけでは敗北を知らすのに及ばなかったかというのが率直なところでした。「の目に」は確かに削っても良いところなのは納得できますが、添削句で敗北の補強がされたことで、調べが崩れたのはどうかなと。
1位 中田名人
(読んだだけの感想)
季語は勿論「秋」。それにしても、この句は、池江璃花子さんを詠んだ句でしょうか。池江選手が白血病からカムバックしたのは昨年8月末。季語では「秋」の時期ですし、措辞である「復活の」と結ばれて、圧倒的な存在感がありますし、復活戦の話題は明るいニュースとして報じられていました。
「しぶき」は「滝しぶき」と別な単語と組み合わせると季語となりますが、単体では季語とはならないと思います。
下五「ひとりじめ」が詠んだ側の感想か、句の中の人がドヤ顔をしてるかは解釈が分かれるところでしょうか。
字面だけ追った時点では、特定の人を想起させられるこの句より、すこし間口の広くなる2位の句の方が好きですが、その辺りは録画したものを見てから決めていきたいと思います。
〈映像を見ての感想〉
子どもが水泳をやっているせいもあるかもしれませんが、やっぱり、池江選手をイメージしていました。昨年の復帰戦やオリンピックのことを考えるとそう捉えられます。私にとってはまだ時事句。この点、この句は年月を経てからもう一度出されると、読みや評価が変わりそうです。
No title
志らくさんの句がすごかったですね、言葉の力というものを感じました
結果的には無季の句ということになるんですかね? 去年はジュニアさんが無季とも言える句で優勝を果たしてましたが(あの時も林檎でしたね)タイトル戦で無季の句を扱う事についての是非は少々気になるところです
結果的には無季の句ということになるんですかね? 去年はジュニアさんが無季とも言える句で優勝を果たしてましたが(あの時も林檎でしたね)タイトル戦で無季の句を扱う事についての是非は少々気になるところです
敗者復活今のところ1位志らく2位森口かな