コメント
村上さんの句のかな表記ですが
なつひるの、でお願いします
ありがとうございました。
プロキオンさん。
この度は突然のご連絡、失礼致しました。
ご無沙汰にも拘わらず温かい対応をありがとうございます。
今後もよろしくお願いします‼
この度は突然のご連絡、失礼致しました。
ご無沙汰にも拘わらず温かい対応をありがとうございます。
今後もよろしくお願いします‼
Re: 梅沢富美男先生の掲載決定数のご質問です。
真央さま
コメントありがとうございます。
ご指摘の箇所、確認の上訂正致しました。
今後とも宜しくお願いしますm(_ _)m
コメントありがとうございます。
ご指摘の箇所、確認の上訂正致しました。
今後とも宜しくお願いしますm(_ _)m
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追記失礼します
二階堂さんの過去の句ですが
涙する親父の背はシダレザクラ
でしたね、失礼しました。
梅沢名人に弟子入りするようにすすめられてましたが、
季語の知識が豊富なこと
たまに間違った言葉の使い方をすること
見栄をはりたがるところ
など共通点はかなりありますね。
なんだかんだで二階堂さんは夏井先生に愛されてるなと実感しましたww
涙する親父の背はシダレザクラ
でしたね、失礼しました。
梅沢名人に弟子入りするようにすすめられてましたが、
季語の知識が豊富なこと
たまに間違った言葉の使い方をすること
見栄をはりたがるところ
など共通点はかなりありますね。
なんだかんだで二階堂さんは夏井先生に愛されてるなと実感しましたww
今回は
兼題が去年の「カレー」と似かよっていましたね。
推測ですが、
野菜の季語を詠んでもらいたいという、夏井先生の意図を感じます。
最下位の二階堂さん、
夏野菜カレーに思い入れがないからということでの発想の飛ばし方は悪くはなかったと思います。
ただご本人の解説だと、「サマードレス」という季語は比喩になり季語としての鮮度を落としてしまいます。
夏井先生の添削アワードでも記憶に新しい
涙する親父の背中はシダレザクラ
とほぼ同じパターンですね。
夏井先生も解説次第では得点や順位をあげてもいいような雰囲気を漂わせていましたが、
「ウミウシ」を季語として認識して、一物仕立ての意図を持っていたらでしょうか?とはいえ、類想類句があるかどうかを調べるのは基本だとは思います。
3位の研ナオコさん、
現代の家庭で釜戸はまずないので、追憶の光景なのはわかりますが、
世代によってはリアリティが感じられないのが気になります。
ご本人の解説をきくかぎりだと、夕立が記憶の引きだす印象なので
「夕立」と「釜戸」を2カットにしたほうが追憶の雰囲気がでると思います。
「向かう」ではなく「駆ける」「走る」「急ぐ」であれば季語との関係もでてきますのて、自分が添削するとしたら
夕立や釜戸へ急ぐ母恋し
でしょうか?
2位の小島瑠璃子さん、
映像化させる技術の成長は感じましたが、凡人の発想を中々抜け出せなせないですね。
根本的な原因として、自分の発想がオリジナリティがあるものなのかどうかを比較や研究をしていないように思えます。
本人はオリジナリティを持ってるつもりですから、自覚を持たないと厳しいのではと思います。
かなり昔の盛りつけ査定「サーモンのマリネ」でも土井先生から、同じ指摘がされていましたから。
馬場典子さんの句でも「溽暑」を質問されていて一見向上心があるように思えますが、
その場かぎりで、そのあとにご自身で消化されてないのでは?
決してマニアックな季語というわけではないし、プレバト初期からいるのであれば、知っていてほしかったというのはあります。
1位の村上さん、季重なりを成功させた要因は下五「鮮やか」ですね。
前半だけだと、カレーのベースなのか?具材なのか?迷いますが
「鮮やか」と着地することで、夏昼を彩る色の一つであるという意味になり脇役としての季語になっています。
技術的なことを学べばと夏井先生が仰っていましたが、
季語を1つ、五七五を守るなど基本をしっかりしてほしいなと感じます。
特待生昇格試験
馬場典子さんはかなり苦心されていたみたいですね。
個人的に気になったのは前半の「の」の助詞の使い方ですね。
これによって成田空港の描写がメインになって、季語が添え物になってしまったことですね。
あと成田=海外旅行というのは固定概念だなとも思います。
PEACHやジエットスターなどの格安国内便も羽田は使わず成田なので、「ただいま」がいまいち読み手の実感としてわかないです。僕だけかもしれませんが、、、、
帰国したことを表すのであれば、いっそのこと
日本は溽暑「ただいま」のカレー蕎麦
とすればよかったように思えます。
永世名人のお二人は玉葱の持つ死生観がハッキリわかれましたね。
玉葱は世界の中でも最古の歴史を持ち
魔除けの道具
人間以外の動物には毒であること
などかなり死生観を持つものであり、またカレーに置いてもスパイスと同じくらいの重要なものです。
俳句は季語が主役ですから、季語そのものの知識や歴史を調べることは必須だと思います
そういう意味では東国原名人は季語を信じた勝利といったところでしょうか。
ドラマやゲームで「死」というものを安易に耳にする怖さというのは非常に共感できるものがあります。
本来重たいものであるはずの「死」が軽く扱われるということを玉葱という小さく軽いもので実体をともなう感覚を感じました。
梅沢名人は真逆でしたね。
下五「微塵まで」が見事でした。
中七の「光」で一瞬夏の太陽をイメージしますが、ずれた焦点を下五で玉葱の描写に修正させます。
一物仕立てとして扱われましたが、キャンプでカレーを作る場面の句と詠んでも違和感がないと思います。
かなり話がずれてしまいますが、
特撮ファンとして感じたことがあります。
特撮の大事な要素として、子どもたちに伝えるメッセージ性があります。子ども向けだからといって軽いわけではありません、むしろ生きるために大事なことを子どもにどう伝えるかが使命の1つです。
ここ最近は一物仕立てが多い梅沢名人ですが、
ご本人が意図されてるかどうかは別にして、
日々の生活の中での観察や発見をするというメッセージを感じました。
最後に拙句を詠ませていただきます。
玉葱をタマに与えし祖母の痴呆
推測ですが、
野菜の季語を詠んでもらいたいという、夏井先生の意図を感じます。
最下位の二階堂さん、
夏野菜カレーに思い入れがないからということでの発想の飛ばし方は悪くはなかったと思います。
ただご本人の解説だと、「サマードレス」という季語は比喩になり季語としての鮮度を落としてしまいます。
夏井先生の添削アワードでも記憶に新しい
涙する親父の背中はシダレザクラ
とほぼ同じパターンですね。
夏井先生も解説次第では得点や順位をあげてもいいような雰囲気を漂わせていましたが、
「ウミウシ」を季語として認識して、一物仕立ての意図を持っていたらでしょうか?とはいえ、類想類句があるかどうかを調べるのは基本だとは思います。
3位の研ナオコさん、
現代の家庭で釜戸はまずないので、追憶の光景なのはわかりますが、
世代によってはリアリティが感じられないのが気になります。
ご本人の解説をきくかぎりだと、夕立が記憶の引きだす印象なので
「夕立」と「釜戸」を2カットにしたほうが追憶の雰囲気がでると思います。
「向かう」ではなく「駆ける」「走る」「急ぐ」であれば季語との関係もでてきますのて、自分が添削するとしたら
夕立や釜戸へ急ぐ母恋し
でしょうか?
2位の小島瑠璃子さん、
映像化させる技術の成長は感じましたが、凡人の発想を中々抜け出せなせないですね。
根本的な原因として、自分の発想がオリジナリティがあるものなのかどうかを比較や研究をしていないように思えます。
本人はオリジナリティを持ってるつもりですから、自覚を持たないと厳しいのではと思います。
かなり昔の盛りつけ査定「サーモンのマリネ」でも土井先生から、同じ指摘がされていましたから。
馬場典子さんの句でも「溽暑」を質問されていて一見向上心があるように思えますが、
その場かぎりで、そのあとにご自身で消化されてないのでは?
決してマニアックな季語というわけではないし、プレバト初期からいるのであれば、知っていてほしかったというのはあります。
1位の村上さん、季重なりを成功させた要因は下五「鮮やか」ですね。
前半だけだと、カレーのベースなのか?具材なのか?迷いますが
「鮮やか」と着地することで、夏昼を彩る色の一つであるという意味になり脇役としての季語になっています。
技術的なことを学べばと夏井先生が仰っていましたが、
季語を1つ、五七五を守るなど基本をしっかりしてほしいなと感じます。
特待生昇格試験
馬場典子さんはかなり苦心されていたみたいですね。
個人的に気になったのは前半の「の」の助詞の使い方ですね。
これによって成田空港の描写がメインになって、季語が添え物になってしまったことですね。
あと成田=海外旅行というのは固定概念だなとも思います。
PEACHやジエットスターなどの格安国内便も羽田は使わず成田なので、「ただいま」がいまいち読み手の実感としてわかないです。僕だけかもしれませんが、、、、
帰国したことを表すのであれば、いっそのこと
日本は溽暑「ただいま」のカレー蕎麦
とすればよかったように思えます。
永世名人のお二人は玉葱の持つ死生観がハッキリわかれましたね。
玉葱は世界の中でも最古の歴史を持ち
魔除けの道具
人間以外の動物には毒であること
などかなり死生観を持つものであり、またカレーに置いてもスパイスと同じくらいの重要なものです。
俳句は季語が主役ですから、季語そのものの知識や歴史を調べることは必須だと思います
そういう意味では東国原名人は季語を信じた勝利といったところでしょうか。
ドラマやゲームで「死」というものを安易に耳にする怖さというのは非常に共感できるものがあります。
本来重たいものであるはずの「死」が軽く扱われるということを玉葱という小さく軽いもので実体をともなう感覚を感じました。
梅沢名人は真逆でしたね。
下五「微塵まで」が見事でした。
中七の「光」で一瞬夏の太陽をイメージしますが、ずれた焦点を下五で玉葱の描写に修正させます。
一物仕立てとして扱われましたが、キャンプでカレーを作る場面の句と詠んでも違和感がないと思います。
かなり話がずれてしまいますが、
特撮ファンとして感じたことがあります。
特撮の大事な要素として、子どもたちに伝えるメッセージ性があります。子ども向けだからといって軽いわけではありません、むしろ生きるために大事なことを子どもにどう伝えるかが使命の1つです。
ここ最近は一物仕立てが多い梅沢名人ですが、
ご本人が意図されてるかどうかは別にして、
日々の生活の中での観察や発見をするというメッセージを感じました。
最後に拙句を詠ませていただきます。
玉葱をタマに与えし祖母の痴呆
査定に関わらず「明日はカレーにしよう」と思える句が今回の良句かもしれない。
4位、句はともかく、御大が(いろいろ歳時記を調べると)「ウミウシも季語なのよ」と言ってのけるのも、夏井先生が「少数派」というのも、どれだけ知識量あるんだ、どれだけ調べてるんだと、脱帽。
3位、凡人査定でしたが、1950年代くらいまでの記憶がある方なら、かまどやへっつい、くど、あるいは土間、井戸、しゃがんで使うような流し等が思い起こされて、凡句なりに共感できたかも。原句が「夕立に」と始まっている点、「もしかして、かまど小屋だったのかしら?」とも思いましたが。
2位。CM的な感じを受けたのは、「駆ける」という動詞だけでなく、「夏の日」も戦犯かと。夏の昼間に何人かがカレーに駆けよるとなると、バーモ◯ントカレーのCMが想起されます。ヒデキカン◯ゲキのフレーズと共に。
1位。夏井先生の「技術的なことを学べば」発言がまた出ました。発想や着眼で才能アリ、の句。
何週か見ていくと、季重なりでも許容される場合とそうでないものがあると番組が教えてくれていたりしますね。千賀さんの「宵祭」と「慈雨」(同一季節で、具体的で可視な物事)、しょこたんの「扇風機」と「仔猫」(季節が違っても、具体物と具体物同士。ただ、どっちの季節を詠んだのか、ちゃんと詠み手に伝えるには技術も必要)、今回の「トマト」と「夏昼」(同一季節でも、具体物と具体的な映像がない時候)。これだけでも3パターンですね。
馬場さん。明らかな語順ミスで、原句「ただいまとカレー蕎麦」だと、「ただいま、という誰かの声とカレー蕎麦が並んでる。誰かの挨拶の声を聞きながら、カレー蕎麦を見ているような」と小学生が言ってました。
東国原永世名人。
型は季語+十二音の基本型だけど、取り合わせが独特。玉葱と死を、どう紐付けるのか、解説を聞いて、すごい句なのかと思いましたが、いや、これ、平場の人が詠んだとして、ここまで夏井先生は玉葱について掘り起こして考えてくれたのだろうか、とも思いました。俳句を作るときに、季語を辞書で引いたりもしますが、そんな労力もいる句かと。
御大の句は玉葱の一物仕立てなのだけど、光の微塵というくらいなのだから、さぞみずみずしい新玉ねぎを昼間に切っていることが眼に浮かびます。さらに、兼題写真も持ち出すなら、昼間から玉葱を切って、もし食べるのが夜なら、じっくり飴色玉葱を作り、一緒に新じゃがいもも入れて煮込んだとしたら、さぞやなめらかな旨いカレーになっているだろうなぁ、と。
今回も平場4名、特待生以上3名の句が紹介される形で、個人的にはこれくらいの配分が良い塩梅です。
また、季語を見つけてそこから先に伸び悩む二階堂ポジションも番組にはいることだろうし、小島瑠璃子の「褥暑ってなんですか」という質問も良かった(難しい季語や有季定型以外の句が出たときに、このポジションの人が視聴者の代弁をすると、いかにも教養娯楽番組となる)。永世名人二人が締めたのも良かったです。
来週は炎帝戦。これまでと違う形式に期待してます。
4位、句はともかく、御大が(いろいろ歳時記を調べると)「ウミウシも季語なのよ」と言ってのけるのも、夏井先生が「少数派」というのも、どれだけ知識量あるんだ、どれだけ調べてるんだと、脱帽。
3位、凡人査定でしたが、1950年代くらいまでの記憶がある方なら、かまどやへっつい、くど、あるいは土間、井戸、しゃがんで使うような流し等が思い起こされて、凡句なりに共感できたかも。原句が「夕立に」と始まっている点、「もしかして、かまど小屋だったのかしら?」とも思いましたが。
2位。CM的な感じを受けたのは、「駆ける」という動詞だけでなく、「夏の日」も戦犯かと。夏の昼間に何人かがカレーに駆けよるとなると、バーモ◯ントカレーのCMが想起されます。ヒデキカン◯ゲキのフレーズと共に。
1位。夏井先生の「技術的なことを学べば」発言がまた出ました。発想や着眼で才能アリ、の句。
何週か見ていくと、季重なりでも許容される場合とそうでないものがあると番組が教えてくれていたりしますね。千賀さんの「宵祭」と「慈雨」(同一季節で、具体的で可視な物事)、しょこたんの「扇風機」と「仔猫」(季節が違っても、具体物と具体物同士。ただ、どっちの季節を詠んだのか、ちゃんと詠み手に伝えるには技術も必要)、今回の「トマト」と「夏昼」(同一季節でも、具体物と具体的な映像がない時候)。これだけでも3パターンですね。
馬場さん。明らかな語順ミスで、原句「ただいまとカレー蕎麦」だと、「ただいま、という誰かの声とカレー蕎麦が並んでる。誰かの挨拶の声を聞きながら、カレー蕎麦を見ているような」と小学生が言ってました。
東国原永世名人。
型は季語+十二音の基本型だけど、取り合わせが独特。玉葱と死を、どう紐付けるのか、解説を聞いて、すごい句なのかと思いましたが、いや、これ、平場の人が詠んだとして、ここまで夏井先生は玉葱について掘り起こして考えてくれたのだろうか、とも思いました。俳句を作るときに、季語を辞書で引いたりもしますが、そんな労力もいる句かと。
御大の句は玉葱の一物仕立てなのだけど、光の微塵というくらいなのだから、さぞみずみずしい新玉ねぎを昼間に切っていることが眼に浮かびます。さらに、兼題写真も持ち出すなら、昼間から玉葱を切って、もし食べるのが夜なら、じっくり飴色玉葱を作り、一緒に新じゃがいもも入れて煮込んだとしたら、さぞやなめらかな旨いカレーになっているだろうなぁ、と。
今回も平場4名、特待生以上3名の句が紹介される形で、個人的にはこれくらいの配分が良い塩梅です。
また、季語を見つけてそこから先に伸び悩む二階堂ポジションも番組にはいることだろうし、小島瑠璃子の「褥暑ってなんですか」という質問も良かった(難しい季語や有季定型以外の句が出たときに、このポジションの人が視聴者の代弁をすると、いかにも教養娯楽番組となる)。永世名人二人が締めたのも良かったです。
来週は炎帝戦。これまでと違う形式に期待してます。