コメント
更新お疲れ様です
ここのコメントでもかなり討論になっているほど、今回は結構賛否両論回でしたね…
しょこたんの句は季語の比重というのもそうですが、そもそも季語に対する扱いの難しさというのもそうで、扇風機のような明らかに「夏」と言うものなどはともかく、現代では子猫は時期によってはいつでも見られるものであり、それに対して「歳時記がそうなのだから」と杓子定規的に定例に当てはめるのか、それとも新たな解釈をしていくのかというのは文学・文壇的にもかなり難しいお題なのではないでしょうか。
また、相変わらずの猫句ということですが、それぐらいしょこたんにとってはアニメと同じぐらい猫が好きなことですし、もちろん番組としては「広さを見せて特待生」というのも一つの目標ではありますが、何を言われようと自分の好きな物をテーマにし句にする。これもまた一つの作風ではないでしょうか。
志らく名人は皆さんの「定型で詠んでほしい」「基礎が分かっているのか」という意見もわかりますが、基礎が無ければまず名人には上がってないと思います(未だに基礎ができていない二階堂君とか…ゲフンゲフン)。
その上で、「破調」「偉人句」という作風にほとんど変えることなく挑み続けるのもまだ凄い精神力だと思います。夏井先生の言う通り、非常に難しい故段位の上では後に名人になったジュニア名人・千賀名人にも抜かされていますが、これを極めた時はかつてない独特な作風として大きく沸かせてくれると期待しています。
しょこたんの句は季語の比重というのもそうですが、そもそも季語に対する扱いの難しさというのもそうで、扇風機のような明らかに「夏」と言うものなどはともかく、現代では子猫は時期によってはいつでも見られるものであり、それに対して「歳時記がそうなのだから」と杓子定規的に定例に当てはめるのか、それとも新たな解釈をしていくのかというのは文学・文壇的にもかなり難しいお題なのではないでしょうか。
また、相変わらずの猫句ということですが、それぐらいしょこたんにとってはアニメと同じぐらい猫が好きなことですし、もちろん番組としては「広さを見せて特待生」というのも一つの目標ではありますが、何を言われようと自分の好きな物をテーマにし句にする。これもまた一つの作風ではないでしょうか。
志らく名人は皆さんの「定型で詠んでほしい」「基礎が分かっているのか」という意見もわかりますが、基礎が無ければまず名人には上がってないと思います(未だに基礎ができていない二階堂君とか…ゲフンゲフン)。
その上で、「破調」「偉人句」という作風にほとんど変えることなく挑み続けるのもまだ凄い精神力だと思います。夏井先生の言う通り、非常に難しい故段位の上では後に名人になったジュニア名人・千賀名人にも抜かされていますが、これを極めた時はかつてない独特な作風として大きく沸かせてくれると期待しています。
しょこたんの句
季語が扇風機かそれとも子猫かと言う問題ですが、この語順なら、子猫だと思いました。
一読して、どちらが主役かと考えた時、子猫に比重がいってます。
子猫たちの「たち」そうさせていると思います。
これが、他の人が書いている「甘噛みする子猫」となると、今度は扇風機に比重が移り、季語は扇風機になるのかな、と思いました。
一読して、どちらが主役かと考えた時、子猫に比重がいってます。
子猫たちの「たち」そうさせていると思います。
これが、他の人が書いている「甘噛みする子猫」となると、今度は扇風機に比重が移り、季語は扇風機になるのかな、と思いました。
猫を飼ってる人と飼ってない人の認識の差でしょうか?
歳時記に載ってるからといってそれを絶対としてしまうのであれば
季節の移ろいを表現する
という季語の本来の意義を無視してしまう形になり、本末転倒になります。
作者の中川翔子さんにとってのリアリティーを無視して、
仔猫=春の季語
だから春の句と詠むのであれば、それは現実的ではないと思います。
たとえとして用いるのは適切ではないかもしれませんが、
いまの時代であればマスクと他の季節の季語を用いても、マスクが冬の季語としての力がないのですから、
猫という生物の生態の実情を考えれば、扇風機を主たる季語として読めるはずです
歳時記に載ってるからといってそれを絶対としてしまうのであれば
季節の移ろいを表現する
という季語の本来の意義を無視してしまう形になり、本末転倒になります。
作者の中川翔子さんにとってのリアリティーを無視して、
仔猫=春の季語
だから春の句と詠むのであれば、それは現実的ではないと思います。
たとえとして用いるのは適切ではないかもしれませんが、
いまの時代であればマスクと他の季節の季語を用いても、マスクが冬の季語としての力がないのですから、
猫という生物の生態の実情を考えれば、扇風機を主たる季語として読めるはずです
はじめてコメントします。いつもプレバトの放送と共に楽しませてもらっています。
しょこたんの句は扇風機と子猫の2つの季語が入ってますが、この句の場合、完全に子猫が主役なんで、主たる季語は子猫の方ですね。扇風機は子猫を引き立たせるための脇役。
主たる季語が子猫=春の季語なので、場面は春になりますね。本人は知らずに句を作ったようですが。
猫の繁殖期は夏にもあるという指摘もありますが、猫の恋(春の季語)と連動して子猫は春の季語とされているのだろうし、春の季語と設定されている以上、子猫が出てくれば季節は春と読むところでしょうね。
夏の場面にしたかったら、扇風機の方をもっと主役に立てる必要があると思います。
しょこたんの句は扇風機と子猫の2つの季語が入ってますが、この句の場合、完全に子猫が主役なんで、主たる季語は子猫の方ですね。扇風機は子猫を引き立たせるための脇役。
主たる季語が子猫=春の季語なので、場面は春になりますね。本人は知らずに句を作ったようですが。
猫の繁殖期は夏にもあるという指摘もありますが、猫の恋(春の季語)と連動して子猫は春の季語とされているのだろうし、春の季語と設定されている以上、子猫が出てくれば季節は春と読むところでしょうね。
夏の場面にしたかったら、扇風機の方をもっと主役に立てる必要があると思います。
仔猫
春に生まれた仔猫が3ヶ月後の夏もまだ仔猫だということはあり得るのではないかと思うのですが。
夏井先生の解説に不満はありません。
夏井先生の解説に不満はありません。
今回は、季語がありながらも季節感というものが感じられない句がいくつかあったように思えます。
まずは小林幸子さんですが、
市民ホールの舞台であれば、照明などの熱もあります。
そうなると扇風機という言葉が季節感を損なってるように感じました。
中川翔子さんは夏井先生の解釈が真逆でしたね。
自分は中川さんご本人の意図のように思えます。
下五「仔猫たち」と複数で書いてありますから、猫を複数飼っている家かペットショップだという風に想像はできます。
念のため「猫 繁殖期」とググってみましたが、猫の繁殖期は春の他にも6月から8月にもかけてもピークになるそうです。
そうなると「仔猫たち」は季語としての力が薄れていくので、
上五の「扇風機」が主たる季語になるはずだと思います。
問題発言かもしれませんが、
季語としての常識や知識に縛られすぎていて、動物の生態系の実情を知らなかった夏井先生の落ち度だと思います。
鷲見玲奈さんとおいでやす小田さんについては、別の方のコメントとほぼ同意ですので、今回は割愛させていただきます。
立川志らく名人は季語は使っているけど、無季の句と認識しています。
この句で季語になるのは「焼き鳥」「団扇」ですが、
「焼き鳥屋」となると、一年中やってるものですし、
「団扇」はこの句の場合は暑さをしのぐものとしてではなく、焼き鳥を作る道具としての描写ですから季語としての力がなくなります。
冬でも全然成り立つ句ですかなと思います。
反面
昇格、掲載決定の
千原ジュニア名人
梅沢名人は
季語の力を最大限に発揮していたように思えます。
千原ジュニア名人ですが、
前半の「ゆるキャラの汗」までなら、現実のものなのか?マンガやアニメーションとしての描写なのか?と判断を迷いますが、後半で現実の描写だとわかりますし、
そこに気がつくということは作者は大人であるということもわかります。
この句も春や秋でも通用するといえば通用しますが、
夏の句として詠んだときが、ゆるキャラの過酷な場面が実感できると思います。
梅沢名人は季語の一物描写が成功したように思います。
また「ハンディファン」ですが、夏井先生が仰っていたこととは別に、季語の新たな傍題を作ろうとする意図が感じられます。
僕の知る限り、歳時記には載っていないはずだと思いますが、この句における季語として誰もが認識するはずだと思います。
今年の春光戦で使われた「志村忌」も現在多くの人が使われてるので、
共に歳時記に載ることがあれば、プレバトという番組を越えた永世名人としての実績になるのでないでしょうか?
ただ気に点が2つ
以前に掲載決定となった
あえかなる鏡の色をして冬日
と作り方が全く同じなことです。以前は「かな」の多用が指摘されていましたが、ワンパターンにならないことを願います。
もう一つが「ディ」の読み方が一音となるのか、ニ音になるのかがいまいち分かりにくいところですね。ナレーターの銀河万丈さんの読み方は完全にニ音としての発音でしたので。
少し前のミッツ・マングローブ名人の「ロングアイランドアイスティ」もですが、
読む人によって音数が変わるような表記ですから、定義をつけてもらえたらなと思います。
番組の構成が変わりましたね。次回の予告でも梅沢名人の他に
東国原名人
馬場典子さん
の3人が査定されるそうなので、
今後しばらくは平場の挑戦者を減らして特待生の査定の機会が増えるものだと思われます。
個人的には歓迎です。
やはり特待生、名人には挑戦の機会が多くあればと思いますし、一斉査定になると兼題との相性の良し悪しが大きくあらわれるので、査定結果だけで実力の良し悪しがわかりかねる部分がありますので。
ただ、プレバトはあくまでもバラエティーですので平場の挑戦者が減ることで番組としてのおもしろさが半減する可能性もあります。
これが吉とでるか凶とでるかはまだわからないですね。
最後に拙句を詠ませていただきます。
レンジアップカレーの香とハンディファン
まずは小林幸子さんですが、
市民ホールの舞台であれば、照明などの熱もあります。
そうなると扇風機という言葉が季節感を損なってるように感じました。
中川翔子さんは夏井先生の解釈が真逆でしたね。
自分は中川さんご本人の意図のように思えます。
下五「仔猫たち」と複数で書いてありますから、猫を複数飼っている家かペットショップだという風に想像はできます。
念のため「猫 繁殖期」とググってみましたが、猫の繁殖期は春の他にも6月から8月にもかけてもピークになるそうです。
そうなると「仔猫たち」は季語としての力が薄れていくので、
上五の「扇風機」が主たる季語になるはずだと思います。
問題発言かもしれませんが、
季語としての常識や知識に縛られすぎていて、動物の生態系の実情を知らなかった夏井先生の落ち度だと思います。
鷲見玲奈さんとおいでやす小田さんについては、別の方のコメントとほぼ同意ですので、今回は割愛させていただきます。
立川志らく名人は季語は使っているけど、無季の句と認識しています。
この句で季語になるのは「焼き鳥」「団扇」ですが、
「焼き鳥屋」となると、一年中やってるものですし、
「団扇」はこの句の場合は暑さをしのぐものとしてではなく、焼き鳥を作る道具としての描写ですから季語としての力がなくなります。
冬でも全然成り立つ句ですかなと思います。
反面
昇格、掲載決定の
千原ジュニア名人
梅沢名人は
季語の力を最大限に発揮していたように思えます。
千原ジュニア名人ですが、
前半の「ゆるキャラの汗」までなら、現実のものなのか?マンガやアニメーションとしての描写なのか?と判断を迷いますが、後半で現実の描写だとわかりますし、
そこに気がつくということは作者は大人であるということもわかります。
この句も春や秋でも通用するといえば通用しますが、
夏の句として詠んだときが、ゆるキャラの過酷な場面が実感できると思います。
梅沢名人は季語の一物描写が成功したように思います。
また「ハンディファン」ですが、夏井先生が仰っていたこととは別に、季語の新たな傍題を作ろうとする意図が感じられます。
僕の知る限り、歳時記には載っていないはずだと思いますが、この句における季語として誰もが認識するはずだと思います。
今年の春光戦で使われた「志村忌」も現在多くの人が使われてるので、
共に歳時記に載ることがあれば、プレバトという番組を越えた永世名人としての実績になるのでないでしょうか?
ただ気に点が2つ
以前に掲載決定となった
あえかなる鏡の色をして冬日
と作り方が全く同じなことです。以前は「かな」の多用が指摘されていましたが、ワンパターンにならないことを願います。
もう一つが「ディ」の読み方が一音となるのか、ニ音になるのかがいまいち分かりにくいところですね。ナレーターの銀河万丈さんの読み方は完全にニ音としての発音でしたので。
少し前のミッツ・マングローブ名人の「ロングアイランドアイスティ」もですが、
読む人によって音数が変わるような表記ですから、定義をつけてもらえたらなと思います。
番組の構成が変わりましたね。次回の予告でも梅沢名人の他に
東国原名人
馬場典子さん
の3人が査定されるそうなので、
今後しばらくは平場の挑戦者を減らして特待生の査定の機会が増えるものだと思われます。
個人的には歓迎です。
やはり特待生、名人には挑戦の機会が多くあればと思いますし、一斉査定になると兼題との相性の良し悪しが大きくあらわれるので、査定結果だけで実力の良し悪しがわかりかねる部分がありますので。
ただ、プレバトはあくまでもバラエティーですので平場の挑戦者が減ることで番組としてのおもしろさが半減する可能性もあります。
これが吉とでるか凶とでるかはまだわからないですね。
最後に拙句を詠ませていただきます。
レンジアップカレーの香とハンディファン
今回も長々と投稿させていただきます。こちらの書き込みをしつつ、自分の句作りのための勉強もさせて頂いております。
4位の句。「さながら」という単語が入っていましたが、この単語は「◯◯さながら」「さながら◯◯(のような)」と、すぐ上の単語にくっつく場合も下の単語にも付く場合がありますね。「マイクさながら扇風機」と切り出すと、マイクが扇風機のようなのか、扇風機がマイクのようなのか、誤読を生みそうでした。「マイク、さながら扇風機」「マイクさながら、扇風機」と読点を振れば一目瞭然ですが、俳句に読点は使いませんしね。
まあ、全体的に、なにをいってるのか良く分からないから、「さながら」の解釈に迷うわけでしたが。
3位の句。丁度、横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」(航空機墜落事故報道を巡っての、新聞記者のお話)を読み直していたせいか、「仕事ぶり見張るデスクの扇風機」だと、新聞社の「デスク」が役職名に見えてしまいました。机と訳せばちゃんと意味は伝わるけど、上五中七が全て下五の説明になっていますね。添削で扇風機の動きが出て緩和されました。
2位はプレバトや夏井先生の著作でも良く出てくる「映像化」の難しさ。扇風機のアップから始まり、市民ホールのロングショット、ステージ舞台袖と、カットがバタバタと変わります。添削を受けてカメラワークがスムーズに行きました。
1位。中川翔子はまた猫か。
状況は良く分かる俳句でしたが、「甘噛み」は名詞で、「甘噛む」でなく、「甘噛みをする」略しても「甘噛みする」だと思うので、違和感がありました(添削中、夏井先生はしっかり「甘噛みする」ときっちり仰ってましたが)。
だからと言って、「扇風機持つ手甘噛みする仔猫」だと、詠み手の飼う仔猫は一匹ともとれるようになり、春に自分の家で生まれたのであろうか?という読み方がしにくくなりますね。
また、季重なりがありました。しかも季節違い。しかし、「扇風機を持っている手を仔猫たちが甘噛みした」という映像を詠むような場合なら、季重なりもOKなようで、この辺りは夏井先生のとある本でも紹介されてました。モノ同士の季重なりならば良いと。
千原ジュニア名人の句。携帯扇風機から、スーツアクターに発想が飛ぶことに驚きでした。
志らく名人。平場のメンバーなら、五七五で詠め!と突っ込まれそうな句でした。添削後「焼鳥屋の団扇に相田みつをの詩」となりましたが、「の」を消すと誰が団扇を持っているか曖昧にはなりますが、一応意味は通じますし、「焼き鳥屋相田みつをの詩の団扇」くらいでも取り合わせの句として行けそうな気がします。こうも破調ばかりだと、この人は基本が本当にできてるの?と疑問を抱いてしまったりも。
永世名人の句は、平場の4位、3位、1位でそれぞれ単語に引っ掛かりを覚え、志らく名人のギクシャクした句から「分かりやすい俳句」を詠まれていた点でスッキリしました。
一見すると簡単な句ですが、「して」が見事。「して」を別な言葉にして上五中七を見ていきますと、
「南国の果実のような」→色でなく果実の形のような、ともとれる。
「南国の果実色めける」→字余り。
「果実色めく」→詠み手が果実色のような、と表現したくても、「果実が色めく」と捉えられる。
「南国の果実色した」→お?いける?
ここで、「した」でなく、どうして「して」なのかとも思いましたが、
「果実色した」→「果実色をした」、「果実色して」「果実色をしている」の違いでしょうか。
「した」→近い過去にそうなったという完了の意味も出てくる→下五への因果が生まれ、説明臭くなる。
「して(いる)」→現在の状態を表しているだけ→説明臭さが軽減されて軽やかに見える、といった効果があったと思います。
夏井先生の説明も、「場所」「もの」、「天然」「人工」等、それぞれの語句を要素に振り分けて捉えており、この手法は自身の推敲にも使えそうだと考えました。
サラッとしか触れませんでしたが、今回は千原ジュニア名人の句が一番好みで、夏井先生の「コラ コラ」でホノボノと締めくくった回だったと思います。
4位の句。「さながら」という単語が入っていましたが、この単語は「◯◯さながら」「さながら◯◯(のような)」と、すぐ上の単語にくっつく場合も下の単語にも付く場合がありますね。「マイクさながら扇風機」と切り出すと、マイクが扇風機のようなのか、扇風機がマイクのようなのか、誤読を生みそうでした。「マイク、さながら扇風機」「マイクさながら、扇風機」と読点を振れば一目瞭然ですが、俳句に読点は使いませんしね。
まあ、全体的に、なにをいってるのか良く分からないから、「さながら」の解釈に迷うわけでしたが。
3位の句。丁度、横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」(航空機墜落事故報道を巡っての、新聞記者のお話)を読み直していたせいか、「仕事ぶり見張るデスクの扇風機」だと、新聞社の「デスク」が役職名に見えてしまいました。机と訳せばちゃんと意味は伝わるけど、上五中七が全て下五の説明になっていますね。添削で扇風機の動きが出て緩和されました。
2位はプレバトや夏井先生の著作でも良く出てくる「映像化」の難しさ。扇風機のアップから始まり、市民ホールのロングショット、ステージ舞台袖と、カットがバタバタと変わります。添削を受けてカメラワークがスムーズに行きました。
1位。中川翔子はまた猫か。
状況は良く分かる俳句でしたが、「甘噛み」は名詞で、「甘噛む」でなく、「甘噛みをする」略しても「甘噛みする」だと思うので、違和感がありました(添削中、夏井先生はしっかり「甘噛みする」ときっちり仰ってましたが)。
だからと言って、「扇風機持つ手甘噛みする仔猫」だと、詠み手の飼う仔猫は一匹ともとれるようになり、春に自分の家で生まれたのであろうか?という読み方がしにくくなりますね。
また、季重なりがありました。しかも季節違い。しかし、「扇風機を持っている手を仔猫たちが甘噛みした」という映像を詠むような場合なら、季重なりもOKなようで、この辺りは夏井先生のとある本でも紹介されてました。モノ同士の季重なりならば良いと。
千原ジュニア名人の句。携帯扇風機から、スーツアクターに発想が飛ぶことに驚きでした。
志らく名人。平場のメンバーなら、五七五で詠め!と突っ込まれそうな句でした。添削後「焼鳥屋の団扇に相田みつをの詩」となりましたが、「の」を消すと誰が団扇を持っているか曖昧にはなりますが、一応意味は通じますし、「焼き鳥屋相田みつをの詩の団扇」くらいでも取り合わせの句として行けそうな気がします。こうも破調ばかりだと、この人は基本が本当にできてるの?と疑問を抱いてしまったりも。
永世名人の句は、平場の4位、3位、1位でそれぞれ単語に引っ掛かりを覚え、志らく名人のギクシャクした句から「分かりやすい俳句」を詠まれていた点でスッキリしました。
一見すると簡単な句ですが、「して」が見事。「して」を別な言葉にして上五中七を見ていきますと、
「南国の果実のような」→色でなく果実の形のような、ともとれる。
「南国の果実色めける」→字余り。
「果実色めく」→詠み手が果実色のような、と表現したくても、「果実が色めく」と捉えられる。
「南国の果実色した」→お?いける?
ここで、「した」でなく、どうして「して」なのかとも思いましたが、
「果実色した」→「果実色をした」、「果実色して」「果実色をしている」の違いでしょうか。
「した」→近い過去にそうなったという完了の意味も出てくる→下五への因果が生まれ、説明臭くなる。
「して(いる)」→現在の状態を表しているだけ→説明臭さが軽減されて軽やかに見える、といった効果があったと思います。
夏井先生の説明も、「場所」「もの」、「天然」「人工」等、それぞれの語句を要素に振り分けて捉えており、この手法は自身の推敲にも使えそうだと考えました。
サラッとしか触れませんでしたが、今回は千原ジュニア名人の句が一番好みで、夏井先生の「コラ コラ」でホノボノと締めくくった回だったと思います。