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今回千賀名人が2ランク昇格という快挙を果たしました。
私の記憶が確かならば史上3例目だと思いますが、飛び級昇格者のページはあるのでしょうか?
もしないのであれば、是非作っていただきたいです。
私の記憶が確かならば史上3例目だと思いますが、飛び級昇格者のページはあるのでしょうか?
もしないのであれば、是非作っていただきたいです。
最下位勝俣さんが「ホラーだ」と突っ込まれていたのに対し、永世名人が本当にホラー句を詠んでいたという落ちもあった今回でした。
発券機の写真が兼題でしたが、多くの人がやらかしたことのありそうな一コマだったり、このコロナ禍での苦しさを実感して句に出来た方二名が上位でした。どっちも好きだなあ。
一位と二位の差。確かに、スマホを落として割ってしまうことも多くの読み手に共感は持ってもらえそうです。しかし、落とさない人も多いものです。一位の加藤登紀子さんの句も同様で、コロナ禍でもやりくりに窮するひとばかりではないですが、このご時世の窮屈で息苦しい気風が句に出ていた点で差が出たのかなと感じます。
3位の句は、単語を詰め込みすぎでした。字余りについての回だったでしょうか、YouTubeで夏井先生は「一句に色々気持ちや状況を詰め込みたい」人が結構いること、「十七音しかないからどれかを捨てろといっても、全部いれたがる」というようなことを仰っていましたが、それを思い出した次第です。
4位の句は、自句自解を聞くと、なんのことはない、スマホショップで綺麗な店員さんに担当してもらいたい、という内容。句の意味が分からない上に、分かる形にした時点でも詩的ではないようで、まさに、「寄ったところでどうしたよ」でした。
5位の句は、笑いどころという点では良かったです。尤も、食べ過ぎて、病院に行くほど腹が痛い幼い我が子を、「牛蛙」と喩えるのは如何かとも思いましたが。まぁ、例え「牛蛙」を「吾子」に置き換えて読んでも「あと五人/呻く幼き吾子」または「あと五人呻く/幼き吾子」となり、前後半の取り合わせから病院で待っている様子は思い描けないのではないでしょうか。
千賀さん、永世名人の句は、平場の方たちより発想の飛ばし方がユニークでした。
千賀さんは発券機→待ち人数を示す→待つと言えば行列→行列と言えば祭りの屋台→屋台と言えば祭→宵宮。
季重なりでしたが、季語同士が同じ季節であり、「前夜祭の恵みの雨」と言い直すと意味の重複や矛盾もなく伝わる点、季重なりの基本なのかな、と思いました。また、句の最後の助詞「へ」も的確。「へ」なので、雨が人並み「へ」進んで(動いて)いき、降るだけ降ると、また通り過ぎていくことを示しています。これが「に」になると「人波に雨が降る」ことは示しますが、動きがなくなり、いつ止むのか、本祭まで止むのか心配になります。千賀さんと言えば、タイトル戦でホームランか三振か、と言われますが、通常回で見事にホームランでした。
永世名人の句は、発券機、お待ち人数→順番待ち→順番に行うこと→百物語、でしょうか。
「百物語」が季語なのか?これがOKなら、何年か前のタイトル戦で東国原英夫さんが「幽霊」を、、、とまあ、それはさておき。
百物語の作法として、一つの話を終えて一本ローソクを消して、鏡を覗いてという作法は知っていますので、「最後の鏡に映る」が説明的にも感じましたが、そういや、百物語って、百話全ては語らないのではなかったのでは(ローソクが全て消えたとき、闇の中の鏡に本当に何か映ると不味いから)。そう考えると、あえて「最後の鏡に」と展開して想像を掻き立てるのもアリだったのかなあ、とも思いますし、百物語をしている状況そのものが恐怖かもしれません。
永世名人、自分の句の解説はグダグダでしたが。
各句への感想以外に、ふと思うところがありました。5位勝俣さんの句で出た牛蛙は、苦しんで鳴いている存在(我が子の喩え)でした。この季語を、夏井先生が1位加藤登紀子さんの句の季語として使い、「人間の苦境など我関せず、能天気に鳴く」存在としていました。
詠み手、読み手、句により、解釈が変わる季語は、もっとありそうです。例えば「蛍」だったり、夏井先生が選者をされている、「俳句ポスト365」の次回の兼題「流れ星」あたりもそうかと思います。
次回は早くも7月。炎帝戦前に通常回が何回あるかは分かりませんけど、東国原さんが「4位以下なら永世名人位を返還することも考える」と発言していますね。これ、梅沢御大への煽りにも見えます。
どうなっていくか、楽しみにしております。
発券機の写真が兼題でしたが、多くの人がやらかしたことのありそうな一コマだったり、このコロナ禍での苦しさを実感して句に出来た方二名が上位でした。どっちも好きだなあ。
一位と二位の差。確かに、スマホを落として割ってしまうことも多くの読み手に共感は持ってもらえそうです。しかし、落とさない人も多いものです。一位の加藤登紀子さんの句も同様で、コロナ禍でもやりくりに窮するひとばかりではないですが、このご時世の窮屈で息苦しい気風が句に出ていた点で差が出たのかなと感じます。
3位の句は、単語を詰め込みすぎでした。字余りについての回だったでしょうか、YouTubeで夏井先生は「一句に色々気持ちや状況を詰め込みたい」人が結構いること、「十七音しかないからどれかを捨てろといっても、全部いれたがる」というようなことを仰っていましたが、それを思い出した次第です。
4位の句は、自句自解を聞くと、なんのことはない、スマホショップで綺麗な店員さんに担当してもらいたい、という内容。句の意味が分からない上に、分かる形にした時点でも詩的ではないようで、まさに、「寄ったところでどうしたよ」でした。
5位の句は、笑いどころという点では良かったです。尤も、食べ過ぎて、病院に行くほど腹が痛い幼い我が子を、「牛蛙」と喩えるのは如何かとも思いましたが。まぁ、例え「牛蛙」を「吾子」に置き換えて読んでも「あと五人/呻く幼き吾子」または「あと五人呻く/幼き吾子」となり、前後半の取り合わせから病院で待っている様子は思い描けないのではないでしょうか。
千賀さん、永世名人の句は、平場の方たちより発想の飛ばし方がユニークでした。
千賀さんは発券機→待ち人数を示す→待つと言えば行列→行列と言えば祭りの屋台→屋台と言えば祭→宵宮。
季重なりでしたが、季語同士が同じ季節であり、「前夜祭の恵みの雨」と言い直すと意味の重複や矛盾もなく伝わる点、季重なりの基本なのかな、と思いました。また、句の最後の助詞「へ」も的確。「へ」なので、雨が人並み「へ」進んで(動いて)いき、降るだけ降ると、また通り過ぎていくことを示しています。これが「に」になると「人波に雨が降る」ことは示しますが、動きがなくなり、いつ止むのか、本祭まで止むのか心配になります。千賀さんと言えば、タイトル戦でホームランか三振か、と言われますが、通常回で見事にホームランでした。
永世名人の句は、発券機、お待ち人数→順番待ち→順番に行うこと→百物語、でしょうか。
「百物語」が季語なのか?これがOKなら、何年か前のタイトル戦で東国原英夫さんが「幽霊」を、、、とまあ、それはさておき。
百物語の作法として、一つの話を終えて一本ローソクを消して、鏡を覗いてという作法は知っていますので、「最後の鏡に映る」が説明的にも感じましたが、そういや、百物語って、百話全ては語らないのではなかったのでは(ローソクが全て消えたとき、闇の中の鏡に本当に何か映ると不味いから)。そう考えると、あえて「最後の鏡に」と展開して想像を掻き立てるのもアリだったのかなあ、とも思いますし、百物語をしている状況そのものが恐怖かもしれません。
永世名人、自分の句の解説はグダグダでしたが。
各句への感想以外に、ふと思うところがありました。5位勝俣さんの句で出た牛蛙は、苦しんで鳴いている存在(我が子の喩え)でした。この季語を、夏井先生が1位加藤登紀子さんの句の季語として使い、「人間の苦境など我関せず、能天気に鳴く」存在としていました。
詠み手、読み手、句により、解釈が変わる季語は、もっとありそうです。例えば「蛍」だったり、夏井先生が選者をされている、「俳句ポスト365」の次回の兼題「流れ星」あたりもそうかと思います。
次回は早くも7月。炎帝戦前に通常回が何回あるかは分かりませんけど、東国原さんが「4位以下なら永世名人位を返還することも考える」と発言していますね。これ、梅沢御大への煽りにも見えます。
どうなっていくか、楽しみにしております。
今回は
季語の選び方が天国と地獄の別れ道のように感じました。
最下位の勝俣さんは、季語を比喩に使うことが根本的な問題だったと思います。
ご本人の解説にバーベキューとあったので、それを季語にすればよかったのにと思いました。
仮に自分が添削するなら
バーベキュー終えて病院呻く吾子
でしょうか、、、
4位の森田さんは擬人化の典型的な失敗というところでしょうか?
おそらく詩歌の世界で「君」が想い人をさすというのを小さい知識で持っていたのでしょうが、二人称の呼び方になるので使い方を間違わないようにしてもらいたいです。
美女の受け付けにならびたいのであればストレートに書けばよかったのにと思いました。
3位のハラミちゃん(敬称を使いにくいのでそのままで)は「初夏」というのが曖昧かなと思いました。夏なのに指が震えるというのがご本人の想いだと思うので、時候の季語より「クーラー」を使えばより映像になるかなと思いました。
2位の犬飼さん、
特撮出身の方々のほとんどが凡人の下か才能ナシなので、特撮ファンとしては嬉しいです。
夏井先生や千賀名人も語られていましたが、季語選びが成功しましたね。
下五に季語を置いて、中七の終わりに「や」を入れるやり方は自分もやることが多いのですが、季語じゃないものに「や」を入れながら季語を主役にするのは難しいですね。
対称的な季語を置くのは、2018年金秋戦の横尾名人の句を思い出します。
1位の加藤登紀子さんはお見事でした。
ただ句の内容としては一般的な家計の句のように思えます。
コロナ禍で苦労されてるのを詠むのであれば、上五は「コロナ禍に」としたほうがご本人の想いをストレートに表現できたのではと思いました。
昇格試験は名人で2ランク昇格という快挙でしたね。「飛び級したい」と本人が語られていたので、季重なりは計算したものだと判断できます。
映像はもちろんですが、2つの季語が持つ触覚と聴覚の情報の対比が見事でした。
「宵宮」は祭りの熱気や気温の暑さの触覚情報、人々の喧騒の聴覚情報があり
「慈雨」で服が濡れる心地よい冷たさの触覚情報、雨音の聴覚情報があります。
その対比がお互いを引き立てあっているので、どちらも主役の季重なりという難しい挑戦が成功した要因ではと思います。
今回は満塁サヨナラホームランでしたが、次に三振で降格にならないかどうかがちょっとだけ心配ですww
梅沢名人は絶好調ですね。
中八なのが最初気になりましたが、「百物語」は長い時間経過を伴うものなので、今回の中八はその時間経過にピッタリだと思いました。
下五の「映る物」というのも読者に寄り添ったものではないかと思います。
ナレーションで「百物語」の解説を丁寧にされてましたが、
自分はそこまで詳しくは知らなかったし、視聴者のほとんどがそうではないかと思い出します。
もし夏井先生が言われてた「映る我」になると正直意味が伝わらなかったのではと思います。
世界中にいるファンの子どもたちに伝わるための配慮ですね。
最後に拙句を詠ませていただきます。
溽暑の列「本日これで売り切れです」
最下位の勝俣さんは、季語を比喩に使うことが根本的な問題だったと思います。
ご本人の解説にバーベキューとあったので、それを季語にすればよかったのにと思いました。
仮に自分が添削するなら
バーベキュー終えて病院呻く吾子
でしょうか、、、
4位の森田さんは擬人化の典型的な失敗というところでしょうか?
おそらく詩歌の世界で「君」が想い人をさすというのを小さい知識で持っていたのでしょうが、二人称の呼び方になるので使い方を間違わないようにしてもらいたいです。
美女の受け付けにならびたいのであればストレートに書けばよかったのにと思いました。
3位のハラミちゃん(敬称を使いにくいのでそのままで)は「初夏」というのが曖昧かなと思いました。夏なのに指が震えるというのがご本人の想いだと思うので、時候の季語より「クーラー」を使えばより映像になるかなと思いました。
2位の犬飼さん、
特撮出身の方々のほとんどが凡人の下か才能ナシなので、特撮ファンとしては嬉しいです。
夏井先生や千賀名人も語られていましたが、季語選びが成功しましたね。
下五に季語を置いて、中七の終わりに「や」を入れるやり方は自分もやることが多いのですが、季語じゃないものに「や」を入れながら季語を主役にするのは難しいですね。
対称的な季語を置くのは、2018年金秋戦の横尾名人の句を思い出します。
1位の加藤登紀子さんはお見事でした。
ただ句の内容としては一般的な家計の句のように思えます。
コロナ禍で苦労されてるのを詠むのであれば、上五は「コロナ禍に」としたほうがご本人の想いをストレートに表現できたのではと思いました。
昇格試験は名人で2ランク昇格という快挙でしたね。「飛び級したい」と本人が語られていたので、季重なりは計算したものだと判断できます。
映像はもちろんですが、2つの季語が持つ触覚と聴覚の情報の対比が見事でした。
「宵宮」は祭りの熱気や気温の暑さの触覚情報、人々の喧騒の聴覚情報があり
「慈雨」で服が濡れる心地よい冷たさの触覚情報、雨音の聴覚情報があります。
その対比がお互いを引き立てあっているので、どちらも主役の季重なりという難しい挑戦が成功した要因ではと思います。
今回は満塁サヨナラホームランでしたが、次に三振で降格にならないかどうかがちょっとだけ心配ですww
梅沢名人は絶好調ですね。
中八なのが最初気になりましたが、「百物語」は長い時間経過を伴うものなので、今回の中八はその時間経過にピッタリだと思いました。
下五の「映る物」というのも読者に寄り添ったものではないかと思います。
ナレーションで「百物語」の解説を丁寧にされてましたが、
自分はそこまで詳しくは知らなかったし、視聴者のほとんどがそうではないかと思い出します。
もし夏井先生が言われてた「映る我」になると正直意味が伝わらなかったのではと思います。
世界中にいるファンの子どもたちに伝わるための配慮ですね。
最後に拙句を詠ませていただきます。
溽暑の列「本日これで売り切れです」