コメント
今回は昇格続きの神回でしたね。
気になるお方をば
唯一現状維持に止まった武田先生も情報を入れ込み過ぎたのが欠点で、視点は非常に良いと感じました。
ただ、氏の句は歌謡曲やドラマの世界に入り浸っているような、言い方は悪いですが「臭い」ものを感じてしまいます。次こそ4級を!
北山さんの句には少しは思うところがあり、「グラスより」という下五がどうも腑に落ちませんでした。
「葉桜」が「グラスより」となると、もしかしたら「葉桜がグラスにあるの?(葉桜を添えたカクテル?)」とにも読めてしまいそうだからです。
それでも固い「融氷の音」にイキイキした夏の季語である「葉桜」を取り合わせる勇気はやはり北山さん。
岩永さんは「し」の音韻を含めた非常に清々しい句でした。藤井名人には一層の期待が高まります。
ところで「驀進」という言葉が入っていると、某競馬の美少女ゲームを思い浮かべてしまうのは私だけでしょうか。「驀」の中に「馬」が入ってるという彼のコメントもその意識があると……
富美男のお手本も光ってました。口語表現が効いており、ありのままを優しく素直に(美しく)詠む御大の句の良さが存分に出ておりました。
恋人を思った句だの擬人化を交えてみただのより、こうして何気ない光景に目を向け、肩の力を適度に抜いた句がもっと欲しいものです。
「その顔がどうも信用ならない」というなっちゃんのコメントも、互いを信用していればこそなのでしょうな(笑)。
気になるお方をば
唯一現状維持に止まった武田先生も情報を入れ込み過ぎたのが欠点で、視点は非常に良いと感じました。
ただ、氏の句は歌謡曲やドラマの世界に入り浸っているような、言い方は悪いですが「臭い」ものを感じてしまいます。次こそ4級を!
北山さんの句には少しは思うところがあり、「グラスより」という下五がどうも腑に落ちませんでした。
「葉桜」が「グラスより」となると、もしかしたら「葉桜がグラスにあるの?(葉桜を添えたカクテル?)」とにも読めてしまいそうだからです。
それでも固い「融氷の音」にイキイキした夏の季語である「葉桜」を取り合わせる勇気はやはり北山さん。
岩永さんは「し」の音韻を含めた非常に清々しい句でした。藤井名人には一層の期待が高まります。
ところで「驀進」という言葉が入っていると、某競馬の美少女ゲームを思い浮かべてしまうのは私だけでしょうか。「驀」の中に「馬」が入ってるという彼のコメントもその意識があると……
富美男のお手本も光ってました。口語表現が効いており、ありのままを優しく素直に(美しく)詠む御大の句の良さが存分に出ておりました。
恋人を思った句だの擬人化を交えてみただのより、こうして何気ない光景に目を向け、肩の力を適度に抜いた句がもっと欲しいものです。
「その顔がどうも信用ならない」というなっちゃんのコメントも、互いを信用していればこそなのでしょうな(笑)。
連投失礼します
ミッツ・マングローブ名人はご本人の色が出ていましたね。
ロックアイランドアイスティを知っているかどうかが重要になりますが、
自分の知らない言葉は必ず調べる夏井先生(ご本人はお酒はかなり知っているようですがww)ですから、少なくともプレバトの査定においてはアリではないかと思いますし、
インターネット技術が発達し、検索すれば言葉を調べられる現代ならではの俳句の楽しみ方とも思えます。
また言葉を詰め込みすぎず、季語と映像で伝えられるので、発想と技術のバランスが取れてきてますね。
字余りについては、韻が多く踏まれているのでそれほど気になりませんでした。
梅沢名人は好調ですね。
自分の日本語感覚がずれているだけかもしれませんが、下五の言葉の使い方は気になりませんでしたし、若い人たちも気にならないかなと思います。
「ナイター」は現代の季語ですので、それに対して文語を使うことの方が違和感を感じますし、やはり勢いがあった方がいいかなと思います。
過去には東国原名人の「離婚届」の句でで言葉の使い方としては窮屈だけど、句の持つ緊張感を強調するためにあえてやった。
という前列もありますので、許容されていいと思います。
余談ですが、残念ながらコロナ禍の現在においてはありえない情景の句です。
いつかこの句の映像がまた現実になればと願うばかりです。
最後に拙句を詠ませていただきます。
ダイエット・コーラ登山は遊歩道
ロックアイランドアイスティを知っているかどうかが重要になりますが、
自分の知らない言葉は必ず調べる夏井先生(ご本人はお酒はかなり知っているようですがww)ですから、少なくともプレバトの査定においてはアリではないかと思いますし、
インターネット技術が発達し、検索すれば言葉を調べられる現代ならではの俳句の楽しみ方とも思えます。
また言葉を詰め込みすぎず、季語と映像で伝えられるので、発想と技術のバランスが取れてきてますね。
字余りについては、韻が多く踏まれているのでそれほど気になりませんでした。
梅沢名人は好調ですね。
自分の日本語感覚がずれているだけかもしれませんが、下五の言葉の使い方は気になりませんでしたし、若い人たちも気にならないかなと思います。
「ナイター」は現代の季語ですので、それに対して文語を使うことの方が違和感を感じますし、やはり勢いがあった方がいいかなと思います。
過去には東国原名人の「離婚届」の句でで言葉の使い方としては窮屈だけど、句の持つ緊張感を強調するためにあえてやった。
という前列もありますので、許容されていいと思います。
余談ですが、残念ながらコロナ禍の現在においてはありえない情景の句です。
いつかこの句の映像がまた現実になればと願うばかりです。
最後に拙句を詠ませていただきます。
ダイエット・コーラ登山は遊歩道
今回は
中八が多い印象でした。その一音が必要かどうかの判断ができた人が昇格されたのだと思います。
武田鉄矢さんの失敗の原因は中七にシェイクスピアとユーミンのイメージが被る言葉にしたことでしょうか。
夏井先生の添削は読む人全体に伝わりやすいかたちになりましたが、古い映画マニアの人の句としてもよみとれます。
武田さんの想いとしてはモンローに憧れた過去の自分を詠んだものだと思いますので、本人の想いを尊重するのであれば「夢」はあった方がいいかなと思いました。
シェイクスピアで一般的に知られているのは「真夏の夜の夢」ですが、古い訳だと「夏の夜の夢」というタイトルもあります。
モンローは夏の夜の夢コーク・ハイ
これだと調べも整いますし、ユーミンのイメージは消えます。
筒井真理子さんの中八は季語を主役に立てるための英断でしたね。
恥ずかしながら「老鶯」という季語を知らなかったので、筒井さんの解説を聞いただけでは夏井先生の添削例として出された内容が思い浮かび現状維持だろうと思いました。
ただ夏井先生の解説で「老鶯」の季語が持つ意味を知り、そうなると一気に内容が伝わりました。
墓参りという言葉だけだと、厳かなイメージになりますが、その道中は小旅行気分の方も多いのではないでしょうか?
ご本人の想いとは違うのかもしれませんが、
「老鶯や」と詠嘆することで、お墓につくまでのちょっとしたハイキングのイメージがわきます。そして中下と下五で墓の前での厳かな心情になる。その対比が見事だなと思いました。
北山さんは良い意味でカッコつけなくなりましたね。色の対比と音の表現はご本人の意図通りだと思います。
ただひとつ気になったのは下五「グラスより」が散文的で「グラスより葉桜が見えている」と説明っぽいかなと。その意味では梅沢名人の指摘は正しかったと思います。
それにしても夏井先生の添削は見事でしたね。あと北山さんが「かすかは出ない」と仰っていたのも、現在の自分の実力を客観的に分析できているのだなと思いました。今後に期待ですね。
篠田麻里子さんは中八や「煮る角煮」と近いイメージを使って、セオリーを崩しているようでしたが、必要な言葉でした。
またまた恥ずかしながら「夏至夜風」という季語を知らなかったので、最初は篠田さんの造語だと思ってましたが、
夏井先生の解説で、篠田さんが仰っていた「ハッピーな俳句」になっていたなと思いました。
岩永徹也さんは今までと印象が違ってたように思いました。
基本の型なのは今までと同じでしたが、過去の岩永さんであれば上五中七では「驀進の少年棋士や」と詠嘆していたのでは?という印象でした。ご本人の解説を聞いていると最初はそうだったのかもしれません。
それだと季語「青嵐」が添え物になってしまい、季語が脇役になります。
中七の助詞「は」で淡々と書くことで、上五中七の印象を意図的に弱め、「青嵐」が主役になる配慮がされてるなと感じます。
思い出すのが去年の秋の予選で、2位になりながらも敗者復活枠で千原ジュニア名人に負けてしまったことですね。
あの時は千原名人の句の助詞が添削されましたが、ご本人は「や」で詠嘆したかったことを語られ、自分の想いと季語を主役に立てることの両立の難しさを感じました。
推測ですが、そこから学ばれて、自分の想いをあえて弱めるということを習得されたのではと思います。
また韻を踏まれることに関しては2年前の「春の号外」で松岡充さんの句から学ばれたのではと思います。
自分以外の句でもしっかり夏井先生の解説に耳をしっかり傾け、自分に落としこむやはり頭の良い方なんだと改めて感じます。
長くなったので一度切ります
武田鉄矢さんの失敗の原因は中七にシェイクスピアとユーミンのイメージが被る言葉にしたことでしょうか。
夏井先生の添削は読む人全体に伝わりやすいかたちになりましたが、古い映画マニアの人の句としてもよみとれます。
武田さんの想いとしてはモンローに憧れた過去の自分を詠んだものだと思いますので、本人の想いを尊重するのであれば「夢」はあった方がいいかなと思いました。
シェイクスピアで一般的に知られているのは「真夏の夜の夢」ですが、古い訳だと「夏の夜の夢」というタイトルもあります。
モンローは夏の夜の夢コーク・ハイ
これだと調べも整いますし、ユーミンのイメージは消えます。
筒井真理子さんの中八は季語を主役に立てるための英断でしたね。
恥ずかしながら「老鶯」という季語を知らなかったので、筒井さんの解説を聞いただけでは夏井先生の添削例として出された内容が思い浮かび現状維持だろうと思いました。
ただ夏井先生の解説で「老鶯」の季語が持つ意味を知り、そうなると一気に内容が伝わりました。
墓参りという言葉だけだと、厳かなイメージになりますが、その道中は小旅行気分の方も多いのではないでしょうか?
ご本人の想いとは違うのかもしれませんが、
「老鶯や」と詠嘆することで、お墓につくまでのちょっとしたハイキングのイメージがわきます。そして中下と下五で墓の前での厳かな心情になる。その対比が見事だなと思いました。
北山さんは良い意味でカッコつけなくなりましたね。色の対比と音の表現はご本人の意図通りだと思います。
ただひとつ気になったのは下五「グラスより」が散文的で「グラスより葉桜が見えている」と説明っぽいかなと。その意味では梅沢名人の指摘は正しかったと思います。
それにしても夏井先生の添削は見事でしたね。あと北山さんが「かすかは出ない」と仰っていたのも、現在の自分の実力を客観的に分析できているのだなと思いました。今後に期待ですね。
篠田麻里子さんは中八や「煮る角煮」と近いイメージを使って、セオリーを崩しているようでしたが、必要な言葉でした。
またまた恥ずかしながら「夏至夜風」という季語を知らなかったので、最初は篠田さんの造語だと思ってましたが、
夏井先生の解説で、篠田さんが仰っていた「ハッピーな俳句」になっていたなと思いました。
岩永徹也さんは今までと印象が違ってたように思いました。
基本の型なのは今までと同じでしたが、過去の岩永さんであれば上五中七では「驀進の少年棋士や」と詠嘆していたのでは?という印象でした。ご本人の解説を聞いていると最初はそうだったのかもしれません。
それだと季語「青嵐」が添え物になってしまい、季語が脇役になります。
中七の助詞「は」で淡々と書くことで、上五中七の印象を意図的に弱め、「青嵐」が主役になる配慮がされてるなと感じます。
思い出すのが去年の秋の予選で、2位になりながらも敗者復活枠で千原ジュニア名人に負けてしまったことですね。
あの時は千原名人の句の助詞が添削されましたが、ご本人は「や」で詠嘆したかったことを語られ、自分の想いと季語を主役に立てることの両立の難しさを感じました。
推測ですが、そこから学ばれて、自分の想いをあえて弱めるということを習得されたのではと思います。
また韻を踏まれることに関しては2年前の「春の号外」で松岡充さんの句から学ばれたのではと思います。
自分以外の句でもしっかり夏井先生の解説に耳をしっかり傾け、自分に落としこむやはり頭の良い方なんだと改めて感じます。
長くなったので一度切ります