【YouTuber】夏井いつき俳句チャンネル 動画解説紹介2020【プレバト!!俳句】
- 2020/12/31
- 20:10
(2020年版)
プレバト!!の俳句コーナーでお馴染みの夏井先生のYouTube投稿動画の内容を紹介するページです。
夏井いつきチャンネルに動画が投稿されるたびに、更新を予定しています。
動画の更新は毎週木曜夜8時・日曜夜8時の週2回です。
当ブログ記事更新:2020年12月31日
※当記事は2020年分の動画解説を紹介しています。関連まとめ記事(2021年/2022年/2023年)も併せてご覧下さい。
(リンクは各ページに飛びます)
◆夏井いつき俳句チャンネル
◆夏井いつき氏のツイッター / インスタグラム
※番号クリックでページ内ジャンプします。→ページ下部へ

(タイトルクリックで各YouTubeページに飛びます。)
[1]夏井いつき、俳句YouTubeはじめます!
<2020/4/23公開>
夏井いつき先生と家藤正人さんの2人で始まった記念すべき初回動画です。先生がYouTubeを始めたきっかけのほか、俳句初心者がコメントすると今後の動画で答えることを紹介し、チャンネル登録のご案内もしています。初心者的に最も基本的な質問「俳句は五七五七七か?」について先生節に答えています。
[2]五・七・五の正しい数え方
<2020/4/26公開>
俳句で基本的な「五七五が分かりません」という質問に対し、音の数え方を春の季語「チューリップ」を取り上げて解説する先生。「チューリップ」は6文字ですが、果たして何音でしょうか?
「チュ」や「キャ」などは拗音といい、2文字ですが1音。
「ー」(伸ばし棒)は長音といい、これで1音。
「ッ」(小さなツ)は促音といい、これで1音。
よって、「チュ」「ー」「リ」「ッ」「プ」で5音となります。
拗音・長音・促音は全て1音に数えます。俳句では文字数にとらわれないことが重要です。
動画では他にも題材を挙げて解説しています。
[3]新人YouTuber夏井いつき、初めてのコメント欄!
<2020/4/30公開>
コメント欄について再度説明されており、既に届いたコメントをいくつか紹介しています。
また、動画の投稿は毎週2回、時間は木曜・日曜の20時(午後8時)と発表されました(木曜はプレバト!!放送直後です)。
今後は、俳句の初歩的質問・リクエストに答えていくそうです。動画のコメント欄にドンドン書き込みましょう。
他にも、「プレバト!!」キスマイの人たちの俳句の頑張りや、動画の生配信への展望についても語っています。動画チャンネル登録者数が1万人以上になれば、より実現性が高まるとのことです。まだの方はチャンネル登録を済ませましょう。
なお、動画の撮影は夏井いつき氏の夫(マネージャー)が手伝っているそうです。
[4]夏井いつき、俳句イコール着物に物申す!
<2020/5/3公開>
「俳句では着物を持っていなくても大丈夫か?」という質問に対し、「プレバト!!」開始時のスタッフの「俳人=着物」という先入観に怒りをぶつける先生。番組では演出として着ているものの、基本的には着物を持っておらず、着物の有無と俳句とは関係ないとバッサリと切り捨てます。
さらに、「正座ができないが俳句が出来るのか?」というご年配が心配する質問にも、句会では椅子席が多いなどの例を挙げ、これも関係ないと答えます。
要は、正座も着物も俳句に微塵も関係ないのです。ただし、寺の本堂など、正座を必要とする場所での句会は、正座椅子を持参したり、自分の体調に合わせて居心地の良いように過ごしたりするのが大切だと提言しています。
また、句会に行くときに服装を少しオシャレにすることは、小さな心の活性化につながり、良い認知症予防にもなると推奨しています。
動画では他にも、「ブラジャーとスカートが女の証」など、実際に会った人の印象や考え方を語っています。
[5]キスマイファン必見!Kis-My-Ft2『王国の蝶』誕生秘話を語る!
<2020/5/7公開>
今回はLoveがほとばしるというテーマで、キスマイの「『王国の蝶』について話してください」という質問が。Kis-My-Ft2が2020年3月25日に発売したニューアルバム『To-y2』通常版に収録されている新曲で、歌うのは「プレバト!!」俳句の名人・特待生である横尾・千賀ユニット。夏井先生の俳句が歌詞になったことでも話題を呼んだ曲の創作秘話を語ります。なぜか、横尾さんが2人登場する話に発展しますが、"影のプロデューサー"が様々なテーマに沿って、俳句を並べる歌詞の再構成を行ったとのこと。結果的に、「蝶語」をテーマにした俳句の塊を千賀さんが気に入ったそうです。先生は完成した曲の感想まで率直に語っています。
さらに、先生は続けます。若い人が歌詞というフィルターを通して、俳句のリズムを歌うことで、自然と体に入ってくるのは凄く良いことだと。俳句は韻文でありながら、活字文化が進んだ現代は黙読する文芸になったと語り、改めて声に出して俳句を歌うことで、韻文のリズムを取り戻してくれることの大切さを再認識させられると、歌の効果を語ります。
最後に、カラオケで同曲を歌われた方は、その感想についてコメントがあると嬉しいそうです。また、歌詞中の俳句の解説が欲しい場合も同様とのことですので、ドンドン書き込みましょう。
[6]【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説①】どのように蝶の言葉を理解したのか?
<2020/5/10公開>
今回も、『王国の蝶』を掘り下げることに。先生は、「蝶」が春の季語でありながら、暦の上では立夏(5月5日)を過ぎているとして、早めに解説を片付けたい理由に挙げます。
家藤さんから、「『蝶語』の句集を作ろうと思ったきっかけは?」と問われた先生は、紋白蝶が語りかけたように感じたと鮮明に覚えている体験を語ります。昔話の『聞き耳頭巾』のように、「季語の声が聞こえる瞬間が時々ある」と俳人らしく語りますが、鮮やかな体験を中心に30句の句集を作り上げたそうです。
『王国の蝶』に12句が歌詞に採用されましたが、YouTubeの同曲の動画で「俳句を解説して欲しい」とのコメントが多かったとのこと。文字の小ささに文句を言いながら歌詞カードを開く先生ですが、まず季語「蝶」に決定した経緯について語ります。初めは多くの句を詠んでいた「蝶」ではなく、「蜂」の句をキスマイ千賀さんが提案したそうです。
さらに、「蝶」の季語は先生にとって「春の象徴」であり、蝶を見て春の喜びを感じる瞬間があると続けます。今年初めて見た蝶を指す季語「初蝶」を用いた高浜虚子の句「初蝶来(く)何色と問ふ黄と答ふ」を紹介。「蝶」は春全般に使える季語で、「紋白蝶」「紋黄蝶」など種類による傍題も多く、蝶の季語によって句の作り方も変わると解説します。
「蝶」は春と会話する感触であると先生は持論を述べますが、誰もが感じない内容を先生がアウトプットしたのが「蝶語」の句だと今回の内容を総括する家藤さん。
しかし、コメントの質問者の真意は意味が分かりにくい句の解説ではないかと続け、雑誌記事のインタビューに答えた横尾・千賀ユニットの気になる句もあるらしいメッセージが。次回はその中身について具体的に切り込むそうです。
[7]【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説②】横尾くん・千賀くんの質問に勝手に回答!
<2020/5/14公開>
前回に引き続き、『王国の蝶』の歌詞の内容を具体的に掘り下げることに。キスマイファンから「先生が俳句の歌詞を提供してくれてありがとうございます」とブログに感謝のコメントが書かれるも戸惑いを隠せない先生。千賀・横尾両氏がキスマイラジオの中で『俳歌』について語っていた時、本人たちが気になっていたという2句を解説しています。
横尾さんからは「飛ぶのは痛い飛ぶのは痛い蝶の羽」の表現の意味は何か?という質問。前回も喋っていましたが、「蝶」の声が聞こえる『聞き耳頭巾』を持つという先生は、胴体の大きさに対して非常に大きい翅で飛んでいる蝶の声を聞こえたままに句にしたそうで、そんなに深い意味はないと語ります。さらに、横尾さんには蝶になりきって歌ってほしいとも忠告します。
千賀さんからは「蝶や今もう戻れない高さまで」の句。この句も蝶の声が聞こえたという先生ですが、他の誰よりも高いところに上がることに己を賭けながら上下運動を繰り返す蝶の声を句にしたといいます。この蝶の夢想に入り、いつか本当に行きたいところまで行って、「もう戻れない高さ」と認識した時に、その満足感と達成感の裏にある虚無を感じることにはっと気付いたと詩的に解説します。「新鮮だ」と感想を語る家藤さんも自身の解釈を述べ、千賀さんの感じた印象も知りたいと語ります。先生はキスマイの中で最も若い千賀さんに対し、虚無ではなく恍惚感を感じているのかも知れないとしながらも、恍惚と虚無は背中合わせだと続けます。
要点は2句まとめて「飛びたけりゃ飛べ」という結論で締めくくりました。
[8]【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説③】タイトルの句は突然降ってきた?
<2020/5/17公開>
『王国の蝶』シリーズ完結篇は、曲のタイトル『王国の蝶』の原句を解説。
『蝶語』の句集作成のため、全100句から30句を"構成"する作業を行った先生。1句1句は単独であるものの、"構成"という句の流れによって、読み手の句を受け取るイメージが決まるため、この思考作業が大好きだと語ります。しかし、全体の概観が完成したときに、流れを断ち切るように感じる句があり、最後の一句に悩んだそうです。
前の句が、「青空や蝶百頭を贄として」(「贄」:にえ)。蝶百頭を青空の生贄に差し出したい感覚を詠った一句とのこと。
後の句が、「聖痕のごとくに蝶の鱗粉や」。蝶を触った時につく鱗粉が人体に刻印されるような感覚を詠んだ一句。
この2句の間に入る1句が選べず、最後の一点だけが空白になる感覚に、先生は困ります。
そして、「王国はもう来ているか蝶の昼」という句が瞬時に浮かびます。例の『聞き耳頭巾』とは無関係で、唐突に上から降ってきた句のため、意味を聞かれても答えられないとのこと。曲名採用の事実と当初の予想とのギャップに先生は驚きますが、句集と歌詞が別の並びとなった点を家藤さんが触れると、先生は曲のサビとして若者が歌う新鮮さにも驚きます。
ここから話題はキスマイのライブに。「プレバト!!」のプロデューサーに後押しされ、ドーム公演を観た先生は、当初は千賀さんと二階堂さんの顔の区別がつかず、ジャニーズは一括りで漠然と捉えていたと告白します。彼らの公演は先生の行う「句会ライブ」と同志として重なる部分があり、ライブに感銘を受けたと語ります。今は収録のメイク室に挨拶に来る両者に対し、名指しで返事が返せるようになったと報告します。
さらに、コメント欄には「千賀さん・横尾さん・北山さんのどの顔が好きですか?」と三択の質問が。笑顔が愛くるしいのは北山さん、泣き顔が抱きしめたいのが千賀さん、真剣に悩む表情では横尾さんを選ぶと見事に全方位に答えます。
最後に、俳句では自句自解をする場があまりなく、この句は歌詞だと思うと少し気楽だと綴る先生。ラジオでメンバーが語った話題を動画を通じて回収できる機会があることに面白いと語り、家藤さんはご本人がこの動画を見ているのか気になる様子。
先生は、「キスマイの顔はみんな違ってみんないい」と総括しました。
[9]季語って勝手に作っちゃっていいの?
<2020/5/21公開>
今回は「季語は誰がどうやって決めてるの?」という質問。先生は、"季語認定機関"があるわけでも、自分で勝手に季語だと軽く決められるわけでもなく、長い年月をかけて多くの人が季語だと認識して使う必要があると答えます。
さらに、高浜虚子に師事した俳人・中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」を挙げ、この句により「万緑」という周囲の景色が全て青葉で埋め尽くされるイメージの季語が誕生したと解説します。青葉の緑と歯の白の色の対比もある素晴らしい名句に感化された俳人たちが、「万緑」を季語として使い始めることで、次の時代の歳時記にその季語が載るというステップを踏み、世間に初めて季語と認められるとのこと。この過程には何十年も時間を要するそうです。
①新しい季語を作る ②それが名句である ③みんながその季語を使う ④歳時記に載る
と季語認定に4つのハードルを乗り越える必要があるとまとめます。
そして、話題はプレバト!!へ。中田喜子名人が披露した#30「『とき』発車旅憂わしき花追風(はなおいて・はなおうて)」において、芸能界で初めて季語を作った人として名前が後世に残ると収録後のセット裏で本人に絶賛したことを語ります。新たな季語を人々が使っていくことで名句が生まれ、人口に膾炙していくと総括する家藤さん。先生も同じ季語で名句を作ることで、中田名人の偉業を後世に語り継ぎたいと続けています。
※ちなみにチャンネル登録者が公開日時点で1万名を突破しました。おめでとうございます。
[10]祝・登録者1万人!感謝のコメント回答!
<2020/5/24公開>
チャンネル登録者数の1万人突破を受け、動画[3]の公約「生配信」の展望を語ります。現在、ネット回線強化のため工事申請中とのこと。コメント欄に生配信のアイデアを送りましょう。
質問回答特集の今回。まず、「夏井先生はなぜ組長と呼ぶのか?」という質問。先生は今更に受け止めますが、俳句集団「いつき組」の"組長"を名乗っていると答えます。南海放送ラジオでもお馴染みの肩書きで、知る人は当たり前にとらえています。さらに、ファンの方の「組長といえば誰?」アンケートで、プロレスラーの藤原組長を押さえて2位に入ったことを報告します。
続いて、「動画の右側で偉そうに語る家藤正人さんは何者か?」という直球な質問。夏井先生にもタメ口で話すため、失礼と思われたようですが、夏井いつき氏の息子と告白します(※「家藤」が先生の旧姓)。先生は「夏井いつき」が俳号であることに触れ、動画撮影場所の「伊月庵(いげつあん)」の由来である「伊月(いつき)」が本名だと明かします。
さらに、「先生は俳句を紙とペンに書くのか?パソコンやスマホに打ち込むのか?」と俳句作りと記録に関する質問に、句帳に記録する紙派だと回答します。ガラケーでは句を打ち込めない先生ですが、PCでは「句日記」というフォルダに作句した句を一太郎で入力するそうです。ただ、俳句は横書きと縦書きでは頭に入る感覚が異なると語り、横書き入力は馴染まないとも答えます。
そして、「夏井先生が記憶する一番下手な句は何か?」という質問。下手な句はその宿命のもとに覚えられず、人々の記憶から忘れ去られるとのこと。覚えられない句は下手な句だと結論付け、「プレバト!!」の過去最低点である5点の句を過去回で確認して欲しいと忠告します(リンクはワーストランキングへ飛びます)。
最後は、「小学生が俳句に取り組む際におすすめの季語辞典は?」という真面目な質問。様々な出版社が大きい字やルビ付きの歳時記を出版しており、実際に見て決めて欲しいと回答しますが、学校現場では児童や生徒一人一人に歳時記を渡す予算がないと切実な問題を打ち明けます。句会ライブで配布する、5音の季語を季節ごとに分類した一覧表を初心者向けとして紹介しています(※動画の概要でダウンロード可能)。
一回の動画で真面目な質問に一つは回答するとのことです。生配信も気長に待ちましょう。
[11]夏井が選ぶ!俳句を学びたい方へおすすめの本
<2020/5/28公開>
今回もコメント欄に投稿された質問に回答。まず、キスマイファンからの「学校で詠んだ俳句が県大会で金賞を獲得した」という嬉しい報告と、「今年の俳句甲子園で人数が足りずエントリーできなかった」という高校生のコメント、さらにアメリカのフロリダから毎週「プレバト!!」を視聴している外国人からのメッセージを紹介します。いずれも「プレバト!!」の番組が大きなきっかけのようです。
さて、「俳句関連のおススメの本は?」と大雑把とはいえ、興味深い質問。俳句初心者向けとして紹介したのが、①~③の3冊です(動画の概要も参照してください)。
①『夏井いつきの俳句ことはじめ 俳句をはじめる前に聞きたい40のこと』夏井いつき著 ナツメ社刊
→マイナスの知識をゼロにする本とのこと。
②『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業』夏井いつき著 PHP研究所刊
→ゼロから1に持っていきたい人向けとのこと。
③『新版 20週俳句入門』藤田湘子著 角川学芸ブックス刊
→本格的に勉強しようと思う人向け。様々な版があるそうですが、「20週」という具体的な数値目標が重要で、毎週の練習課題が具体的で取り組みやすく、「俳句を学ぶ人のバイブル」と語っています。
次に、「季重なりの許される範囲はどこまでか?」と俳句の技法に関する質問。季語の数もケースバイケースで、俳句のタブーではないと前置きし、一句に季語が一つというのは初心者への愛の教えと語ります。名句などを具体的に語ると三時間にもなるため、別の機会に解説をしたいとのこと。
続いて、「『蝶』は年中いるのに春の季語だが、年中いる『幽霊』が季語にならないのはなぜか?」という質問。まず、『幽霊』を季語とする歳時記はほとんどないものの、現代俳句協会の歳時記には掲載があり、考え方次第だと回答します。以前出演した「NHK俳句」で『幽霊』を取り上げたことがあるという先生。自著④を紹介しつつ納涼の「百物語」の季語を取り上げながら、「幽霊」は季語になりうるかを解説します。
④『NHK俳句 夏井いつきの季語道場』夏井いつき著 NHK出版刊
→番組内で「幽霊」が季語になりうるかの定義は、納涼で背筋が凍るような怖い句が出来るか否かだと視聴者に命題を投げかけた先生ですが、案の定、投句の中にあった「目を縫い潰したる幽霊に朝陽が差して白い」を見て背筋が凍るほど怖かったと語り、この句に出会ってから「幽霊」の季語賛成へと意見を変えたそうです。
最後に前回の動画の呟きに対するある反省を語って締めくくっています。
[12]俳句を始めたいあなたに!夏井流・歳時記の選び方
<2020/5/31公開>
今日の質問は「歳時記って何ですか?」。「歳時記」は沢山ある季語がいつの季節かを調べられる季語の辞書だと回答し、季語を一つずつ知ることは俳句を作る上で大切だと語る先生は、季語眺めで退屈しなかったと続けます。
先生が最初に買い、息子の正人さんに渡した歳時記(季寄せ)①(以下参照)をボロボロになるまで愛用しているご本人。これは春・夏・秋・冬・新年と5つに分類される季語の季節単位でまとめられているのが良い点で、比較的大きさがあるためバッグに入れにくいのがデメリットだと補足します。
次に先生が手を出した歳時記は、季節単位で分けられた分冊タイプの物。5冊が一緒になった②を紹介します。薄い文庫本なのでバッグにも入れやすく、季節の変わり目に使う歳時記を変えることで、季節を実感できる楽しみもあると語ります。また、少しずつ買い足すことが出来るので、財布にも優しいと補足します。
しかし、読んでいて一番楽しいのは大判の歳時記ではないかと語る家藤さんは③を本棚から取り出し、先生はボーナス(賞与)で最初に買ったと、付箋をつけて使い古した④を紹介します。
図鑑のように花などの写真が掲載されている大判は形から入る人にはお薦めではないかと無責任に提案する家藤さん。②などの分冊タイプでは、どの季節か不明な時には索引から検索しにくいデメリットも挙げます。
結局、歳時記は自分の財布(価格)とカバン(持ち運びやすさ)に相談すべきではないかと結論付ける先生。一冊は身近なところに置くのが現実的だと語ります。
ここで、普段は歳時記は持ち歩かないと、俳人でありながら信じ難い事実を打ち明ける先生ですが、句会には電子辞書を持っていくのが便利とのこと。俳句生活40年になれば、歳時記を持ち歩かなくても良いほど頭に入ると分析します。
さらに、季語を全て歳時記で覚えてから俳句を始めると言う初心者がいるが、自分の寿命が先に尽きるためにお薦めしないと忠告します。歳時記は辞書のように引いて使うべきで、どの歳時記を持つかは自分の財布とカバンに相談すべきだと繰り返します。
最後に、本屋さんの役に立ちたいと語って締めくくりました。
[13]一音で蛍の動きを変えよう!助詞「に」「を」「へ」
<2020/6/4公開>
今回は先生が大好きな助詞。「に」の用法を中心に取り上げます。上五「に」は散文的になりやすいとプレバト!!でもよく注意する先生。
作者不詳の例句「米洗う前に蛍の二つ三つ(ふたつみつ)」で考えてみることに。弟子が作ったこの句について、助詞の用法ミスを師匠が指摘するという設定で問題を考えます。
オリジナルの指し棒を蛍に見立て、句の解釈を再現する家藤さん。この句の「に」は"~という場所+「に」"の用法で、"じっと止まっている"と解した師匠は、句を詠んだ弟子へ"死んでいる蛍がそこにいるのではないか"と先生は述べ、助詞の間違いを指摘します。
「生きている蛍」の描写には一音変えるだけと、「に」を「を」にすべきとする先生。「を」はこの句で"経過していく場所・空間"を意味し、じっとしている場所を指す「に」に対して、動いているある一定の空間を表現できるのが「を」だと違いを解説。さらに、方向を示す助詞「へ」の可能性もあると続けます。
映像として考えると以下のようにまとめられます。
「米洗う前に蛍の二つ三つ」→米を洗う手元にじっと蛍がいる。
「米洗う前を蛍の二つ三つ」→やや広い空間を蛍が飛んでいる感じ。
「米洗う前へ蛍の二つ三つ」→画角は狭いが、急に蛍がそこへ飛んでくる。
わずか一音の違いで、描ける映像・サイズや動きが変わるとまとめ、脳内でどんな映像になるかを考えると整理しやすいと語ります。
仮に「や」だと映像はどうなるか。「や」はカットを切り換えるため、米を洗う映像と、蛍がいる映像の2カットの映像になるはたらきがあると語ります。
切れ字の効果も今後解説したいと展望を述べたところで、「助詞って楽しい」と家藤さんが総括しました。
[14]高価な短冊は使わない!?俳句を始めるために必要なもの
<2020/6/7公開>
俳句に興味が出た初心者からの「俳句を始めるのに何が必要か?」という質問に、道具のことだと解釈した先生は、ペン(筆記用具)と紙(メモ帳)があれば何でも良いと回答します。俳句を書きとめる「句帳」という言葉にハードルを感じる人もいるそうですが、先生は、100円ショップで売られている小さい判のリングノートなどを取り上げます。裏紙をホッチキスで留めて句帳がわりにする人もいるとのこと。
さらに、初心者の思い違いの質問が「俳句を書く立派な短冊が必要か?」。縦一行に書ける厚くて細長い色紙を取り出す家藤さんですが、先生はほぼ必要ないと回答し、句会参加者から同様の質問があったことを語ります。立派な俳人が弟子にあげたり、展示会で沢山並べて売ったりなどの特別な場面でもない限りは短冊は不要で、そのレベルになるまで出番がないと忠告します。句会で使う短冊は、通常の薄い普通紙を短冊状に切ったものを指し、句会の幹事が用意するため、参加者は手ぶらで良いと補足します。
要はペンとメモ帳しか俳句に必要な物はないとのこと。ただ、話題は歳時記(動画[12]参照)の必要性に。先生は、紙の歳時記を持たない人が利用する「ネット歳時記」に触れ、情報が信頼できるサイトを使うべきだと忠告します。また、編者の考え方で網羅される季語も異なるため、複数の歳時記を持っても良いと補足します。
そして、俳句を始める心構えに於いて軽く飛び越える「勇気」が必要だという先生。すぐ卑下することはやめ、俳句は軽いノリとアドリブで詠むべきだと忠告します。俳句は即興・諧謔(かいぎゃく)とはいうものの、言い換えれば軽いノリとアドリブということに尽きるとし、後はユーモアもあれば良いと続けます。
入念に準備しすぎないのが大事ではないかと初心を語る家藤さん。先生は、性に合わなければ辞めれば良いだけで、元手も大してかからない点を強調します。話題は、スポーツや音楽など買って後悔する様々な趣味の話に飛び火しますが、飽き性の家藤さんでも俳句は続けられると語ります。俳句はいつでも始められ、いつでも撤退できる手軽さを先生は再度強調し、質問に対する総括の回答として「無謀な挑戦」だと締めくくりました。
[15]空白には何が入る?助詞の働きを理解して表現の幅を広げよう
<2020/6/11公開>
動画[13]に続く、助詞第二弾。今回は「緑陰●写生の子らのちらばりぬ」という句の●に入る助詞を考えます(「緑陰」は木陰を指す夏の季語)。
●に「へ」「に」「を」のどれを当てはめるかで、子どもたちの動きが変わってくると前置きし、美術班の用意したスケッチブックによる紙芝居形式で視覚的な違いが分かるように進行します。
①「緑陰へ写生の子らのちらばりぬ」
「へ」は、方向を示す助詞で"その方向へ向かっていく"という意味。画面には最初は子どもがいないか、先生など別の人物に焦点がありますが、緑陰へと駆け出す子どもの姿が現れるイメージ。
②「緑陰に写生の子らのちらばりぬ」
「に」は、場所を示す助詞で"明確にその場所に居る"という意味。子どもたちは動かずに、緑陰で最初から写生を始めているイメージ。
③「緑陰を写生の子らのちらばりぬ」
「を」は、ある一定の空間や時間の中の動きを表現する助詞。子どもたちは緑陰の中を常にウロウロと散らばり、なかなか写生を始めないイメージ。
④「緑陰や写生の子らのちらばりぬ」
「や」は、場面の切り替えや強調を表現する助詞。「緑陰や」は"まあ何と素敵な緑陰でしょう"と強調しながら、カットが写生を行う子どもたちの映像へと切り替わり、画面が大きくなるイメージ。2カットの映像の印象に。
これらの助詞の違いが分かるようになれば、自分がどんな表現をしたいか考えた時、頭の整理がつくようになると語る先生。自分が詠みたかった光景を一回脳内でリプレイしして考えるべきだと指南し、自分の中に使うべき助詞の正解があると理論的に解説します。
ここで、「プレバト!!」の兼題写真を引き合いに出す家藤さんは、写真の外側に何があるかを想像すべきと先生が指導する点に触れ、助詞を変えても同様のことが可能になるかを質問します。先生は、助詞を変えるとさらなる展開になることもあると回答。
⑤「緑陰には写生の子らのちらばりぬ」
「には」は、場所の助詞「に」に指を差して強調するはたらきの助詞「は」が合わさった形で、別の空間を示唆するはたらきがある助詞。片や緑陰が、片や緑陰ではない池などの別の空間が存在し、緑陰でない場所には写生をしていない子供たちがいるか、誰もいないイメージとなり、光景が広がる効果があります。
お二方は説明に使った小道具(磁石でくっつく紙芝居)の便利さに感動し、是非とも学校でも使ってほしいと薦めます。
助詞ひとつで意味が愕然と変わり面白いと語る家藤さんに対し、本当に奥が深いのは助動詞だと語る先生。ハードルが高い助動詞もいつか触れる時が来るかもしれません。
[16]俳句集団いつき組って何!?
<2020/6/14公開>
「夏井先生が組長と名乗る俳句集団いつき組って何ですか?」という質問。「組長」という肩書は俳句の世界では珍しいことを最初に告げる先生。他に"俳句集団"を名乗るグループ例に"itak(イタック)"を挙げますが、"俳句結社"と名乗る集団がほとんどとのこと。
先生は、俳句結社を1人の師匠(主宰)をトップとするピラミッド型組織に喩えます。一番の下の「会員」はいわば弟子入り。句会や講座に参加しながら、主宰に認められると「同人」にランクアップ。幹部同人になると、自分の句会をして指導を行うこともあるそうです。高浜虚子がホトトギスという俳句結社を作ってから脈々と続くとのことで、組織が系統だっており合理的な仕組みであると先生は語ります。会員になる条件は、発行する月刊誌(季刊誌)を購読するかという点で、会員かどうかの線引きが非常に明確にあると強調します。
一方、俳句集団いつき組はピラミッドのような階層社会ではなく、広場のような開かれた場所で、夏井先生が広場中央の噴水辺りに居座っているイメージ。"俳句が楽しい"と思ったら勝手に名乗って良いと語る先生は、構成員の数など把握できないと続け、「いつき組」と名乗る方には、身近な人に俳句の種をまいてほしいとお願いをします。
ここで、俳句の「種」について補足する先生。俳句をしていない大方の人にとって、俳句は高尚な文学で始めにくいと思う点を挙げ、長年行ってきた戸口を広げる活動として、俳句の種まき運動の大切さを語ります。俳句の楽しさを知った方が、学校や句会などを開いて裾野を広げるなどユニークな活動をして下さるそうです。
俳句の種まきを手伝う人も、俳句を作る人も作らない人も、人の句を見て楽しむ人も、いつき組の広場にいて良いと語る先生。広場の中でも組長の近くで本気で学んだり、小さな集団を作ったり、好きな時に広場を出入りしたりと、様々な俳句の楽しみ方があると補足します。人生の段階によっても俳句に取り組める時とそうでない時があり、自由にできる気楽さがあると語るのは家藤さん。「師匠」「弟子」という上下関係の絆を結ぶ俳句結社は、本気で学ぶには良いものの、息苦しくなって俳句が嫌いになる場合もあると先生は語り、気楽に行いたい人のために、出入り自由な組織の必要性を強調します。
また、いつき組の会員は、性善説に立って句を詠む人物らに思いやりの声を掛けられる大人の方が多いと印象を述べる先生。名簿も会員証もなく、影も形もない「いつき組」ですが、所属意識を持って自分が貢献する運動になっていると語り、「組長」としてとても嬉しいと続けます。
最後に、実は俳句に真摯に取り組む梅沢富美男氏の話題に。夏井先生と家藤さんが行った松山市のトークショーイベントで会った際のことを語ります。「日本で一番俳句の種をまいているのは誰だと思うんだ!?俺だ!」と梅沢さんとの言い合いを振り返る先生は、全国の小学校をまわる際に梅沢さんの小学生ファンが多い点を意外だと率直に述べ、「広い心で梅沢さんを見てほしい」と懇願する児童の言葉を紹介。梅沢さんも広場の中でギャーギャー騒ぎつつも俳句の種をまく活動に貢献していると先生は感謝の辞を述べ、視聴者へのメッセージを語って締めくくりました。
[17]【初心者でもカンタン!?】日記から俳句を作ってみよう!
<2020/6/18公開>
動画を通じて俳句への挑戦者が増えているという嬉しい報告から。俳句は創作活動で敷居が高いと思う方へのチャレンジ企画として、最初の一句の作り方を考えます。
句会ライブや本を買うなどの方法もありながら、YouTubeの動画を通じてならハードルも低いと語る先生。子どもが宿題として書く「日記」から俳句のタネを見つけるシチュエーションで解説すると語る先生は、ある子どもの日記を紹介します。
日記の一文に大体1~2個の俳句のタネがあると語る先生。俳句のタネとは、五七五のうち、季語を除く「五+七」か「七+五」の合計12音の塊のフレーズのこと。
①の文の場合、「どうぶつえんで」でそのまま七音、「えをかいた」で五音のフレーズができます。あとは、最初の五音の部分に季語を入れるだけ。
夏の動物園なので「夏の空」と合わせてみます。「夏の空どうぶつえんで絵をかいた」。これで一句が完成しました。
②の文なら、「お父さん」「ライオンねてた」で五音と七音のフレーズが採取できます。脳の中で作るのではなく、言葉を採取する感覚なら悩まなくて済むと先生はアドバイス。「お父さんライオンねてた夏の空」でここでも一句完成。
③の文。②と同様でもOKですが、「がおがお」の音が面白いため「母」の情報を省き、「ライオンが」「がおがおほえた」で作ってみます。「ライオンががおがおほえた夏の空」となります。
しかし、「お母さん」の情報を入れて作る方法もあります。「お母さんライオンほえた夏の空」。俳句のタネの採取の仕方は複数あるのです。ここで、日記からの俳句作りは親子で相談しても良いのではと切り出す家藤さん。五音と七音のフレーズ探しと、どのフレーズを俳句に入れるべきか、お子さんに問いかけるように親子で会話を楽しみながら、俳句の宿題に取り組む方法も良いと先生はお薦めします。
ところが、動画の視聴者は年齢層が高めだと切り出す家藤さんは、子どものように日記を書かない人への作句に触れます。先生は、スケジュール帳や手帳、家計簿、カレンダーなどにおのずと書きこんだ言葉に注目すべきと語り、先ほど挙げた日記の言葉の採取と同じ働きを担うと述べます。
スマホなどのメモ帳機能やToDoリストなども参考になると語る家藤さんは、ご自身の手帳から「ピーエム一時打ち合わせ」でフレーズを作り、「夏の空PM1時打ち合わせ」と先生が続けて俳句にし、ハツラツとしたやる気のある青年のような印象だと味わいます。
季語を変え、「梅雨曇(つゆぐもり)PM1時打ち合わせ」とすると、心も曇ってウンザリする印象に変化。「油照(あぶらでり)PM1時打ち合わせ」なら、トボトボとアスファルトの上を歩くサラリーマンの印象に。
仕事帰りの買い物のメモから「豚肉五百グラム買う」とさらにフレーズを作る家藤さん。
自分の身近なメモやToDoリストなどから12音のフレーズを作り、5音の季語と取り合わせる方法をまずやってほしいとまとめる先生。学校で日記指導を行う教員の教材研究にもでき、学校の先生にも拡散して欲しいと語っています。
[18]【センスは筋肉!】俳句にセンスって必要なの?
<2020/6/21公開>
「俳句にセンスは必要なんですか?」という割と真剣な質問に、そもそも「センス」とは何だと思っているか?と逆質問をする先生。「感性がないから俳句などできない」という意味ではないかと家藤さんが助け舟を出し、「語彙がない」「教養がない」と合わせて初心者が悩む理由を3点に集約し、これらを総称して「センスがない」と質問したのだと話が展開します。
「語彙・学識・センス(感性)は俳句に必要か?」と家藤さんが置き換えると、先生は富士山の登頂に喩えて、大体9合目以上まで登った人に初めて影響すると回答します。具体的には、俳句作家として活躍し、自身の句集を出し、他人からも評価を得ているような俳人が該当するとのこと。それ以外の人(8合目以下にいる人)には全く関係ないと回答し、むしろ友達から俳句を勧められた質問者が「感性がないから」と断る方便に、質問を利用したのではないかと意図を推測します。
先生は、俳句はセンスなどの問題ではなく、もっと泥臭いものであり、要は筋トレが大切だと語ります。毎日続ければ筋肉がついて上達しますが、辞めたら筋肉が落ちるのと同じであり、筋肉がついていくと、悩まずに俳句がドンドン出来るようになると述べます。しかし、家藤さんは俳句に好意的で慣れている人間の発言だと話を引き戻し、筋トレが嫌いな人は俳句に取り組みにくいと指摘します。
富士山の裾野にいる初心者にとって、「センス」とは美しい思い込みに過ぎず、大切なのは歩き続ける(継続する)という思いだと語る先生。孤独な山登りは長続きしませんが、一緒に登る仲間を作ったり、時々褒められたりされるなどを糧に続けていけば、後からセンスは身についてくると補足し、センスは筋肉だと言い換えます。
二足歩行だけでも筋肉はつくと優しく語る家藤さんに共感しない先生ですが、意欲的に漢字ドリルに取り組まなくとも、難読漢字が読めるようになる事例も俳句継続の成果だと語ります。
俳句の「センスは筋肉」と先生は繰り返し、前向きな感じで締めくくりました。
[19]【名句をギャグに!】ギャ句゛で俳句のトレーニング
<2020/6/25公開>
「俳句の筋トレを教えて下さい」という実践的質問。先生は、動画[11]で紹介した藤田湘子著「角川学芸ブックス 新版20週俳句入門」を本格的に筋トレをしたい人にお薦めだと振り返りますが、これを躊躇する人のためのハードルの低い筋トレを紹介します。
名付けて「ギャ句゛(ぎゃぐ)」。古今東西の名句の一部を変えることで、意味を愕然と捻じ曲げる手法だと言います。最小の文字変換で、最大の意味変換をするのが「ギャ句゛」とのこと。
まず、自由律俳句で有名な俳人・種田山頭火の「うしろすがたのしぐれてゆくか」を取り上げます。初冬の季語「時雨(しぐれ)」は降ったかと思うと晴れ、また降り出すという通り雨のことで、後ろ姿がモノトーンのように時雨に消えていくという寂しい意味合いの句だと家藤さんが語ります。この句の「ギャ句゛」は、一音取るという手法。「し」を取ると、「うしろすがたのぐれていくか」。家出などの非行に走る未成年の意味合いに変化します。
教科書に載る「咳をしても一人」は尾崎放哉の自由律俳句。「咳」も冬の季語で、寂しい意味合いの一句ですが、「ギャ句゛」を楽しむギャ句゛ラー(ギャグラー)には人気の句とのこと。同音異義語で変換してみる先生は、「咳」を戸籍の「籍」に変え、「籍を入れても一人」とやはり切ない内容の句に変えます。状況を変えることで、原句の持つ切ない雰囲気を「ギャ句゛」にも流し込むと効果を解説する先生。くだらないことが高尚なことに見えると家藤さんが語ると、先生は「ギャ句゛」を最初に始めた俳人・杉山久子さんを紹介します。
杉山さんが夏井先生に最初に送った「ギャ句゛」の原句は、村上鬼城の句「痩馬のあはれ機嫌や秋高し」。痩せてはいるが、機嫌が良い馬を描写した句ですが、濁点の位置を変更し、「痩馬のあばれ危険や秋高し」と全く異なる意味に。次に杉山さんから送られた原句は、高浜虚子の「鎌倉を驚かしたる余寒あり」。春になっても冷え込む鎌倉に驚いている心情が表れた擬人化を用いた句ですが、当時妙齢な杉山さんは何と語感から、「キャバクラを驚かしたる股間あり」に変えたそうです。
「ギャ句゛」がくだらないかどうかはさておき、俳句の筋肉「俳筋」を鍛えるトレーニングに本当になると答える先生。前提として、誰でも知っている古今東西の名句を知らないといけない点を挙げます。さらに、「ギャ句゛」は音の響きが重要なため、何回も口に出すと名句を覚えるメリットがあるとのこと。
韻文である俳句の韻(リズム)が身体に叩き込まれると、自分の俳句の引き出しが多くなり、身体が韻や俳句のリズムを覚え始めるとメリットを続けます。
さらに、「ギャ句゛」を通して語彙が増えると語る先生は、同音異義語探しで辞書をめくるだけでも自然と語彙が身につくと語ります。
やって損することは何一つない筋トレの一つだと総括する先生。それに対して意見を述べる家藤さんは、「ダジャレ」はしょうもないことだが、日本語だから出来る高度な遊びとして推奨する学者もおり、そのことに近いのが「ギャ句゛」だと語ります。
最初の一句づくりが難しい人にも先生は今一度お薦めしますが、動画のコメント欄に「ギャ句゛」が溢れるのではないかと家藤さんが一言。「ギャ句゛」で俳筋を鍛えよう!として締めくくりました。
[20]【コメントにイッキに回答!】海外では季語はどうなる?
<2020/6/28公開>
久々のコメント返しの回。まず、世界中から動画にコメントされている点に触れ、国外の組員訪問をしたいと先生が語ると、視聴者の多い国のランキングを発表する家藤さん。アメリカを筆頭に約40か国列挙します。先生は、国外で日本語を指導する学校で「プレバト!!」の俳句動画が授業資料に使われている点に触れ、このYouTube動画も自由に使ってよいと語ります。
質問はオーストラリアから。「南半球では季節が日本と逆だが、日本と同じ季節の季語を使ってよいのか?」。海外在住の日本人や海外吟行する場合も同様の質問を受けるという先生は、悩む必要は全くないと答えます。日本の四季を心に思い描くため、日本と異なる季節とのギャップに悩む人の質問で、日本の四季を考える必要はないとのこと。海外で雪が降っているなら、出遭っている季語「雪」を用いて目の前の光景をストレートに詠めば良いと解説します。自分が今いる季節について、その季語と相対して詠めばよいだけのことだと補足します。
先生は、日本の四季の有難みに触れ、日本列島が細長いことで様々な四季の姿を体現でき、一年を通して様々な季語と出会えると語ります。そうでない海外では、自分の季節の句をまず詠み、「ハワイでも雪が見たい」など異なる季節の句を詠みたいならば、金を貯めて欲求を満たす国に行くべきと断言します。
次は、俳句歴1年の方から「俳句技術の向上には、俳句結社に所属すべきなのか?」という質問。先生は、自分の作句の方向性や句風が分からないうちに、山のようにある結社のどれかに所属するのは難しい(お薦めしない)と答えます。主宰の句や文学的な立ち位置も千差万別で、参加した句会がとある結社の主催だと後から知るケースもあるそうですが、方向性の違いに悩むと俳句が嫌いになる場合もあると語り、「いつき組」のような"広場"で、俳句のイロハをある程度勉強し、結社の違いや主宰の句の良さが分かるようになってから入会する方が間違いが少ないと忠告します。俳句は好きだが、人間関係が嫌いになるのは切ないと率直に先生は述べます。
"嫌い"繋がりで、「中学入試のために、歳時記を知らぬまま季語を調べさせられ俳句が嫌いになった」というコメントを紹介。季語を知っただけでも収穫があって良かったと先生はポジティブに答え、受験とは異なる学ぶ楽しみがあるため、歳時記を手にすることを薦めます。
さらに、「プレバト!!」の"たのしいな俳句"は作句しやすいが、「兼題がある時の俳句の作り方のコツはあるのか?」という質問。"たのしいな俳句"は楽しかったエピソードを12音で作り、「たのしいな」の5音を最後に足して俳句にする方法。最後に、その5音を自分の気持ちや心情を示す季語にすげ変えます。俳句を指導する先生方にも理解されたプログラムで、最初の一句には良い方法ですが、作句方法は色々あると語ります。「兼題」という季語を提示される場合は、大きく2通りに分かれると先生は述べ、「取り合わせ」「一物(いちぶつ)仕立て」を家藤さんが答えます。
それぞれの詳細は今後の動画で解説するという先生は、それらの作句方法を覚えたり、季語の本意(ほい)を学んだりと複合的に学習してから兼題に取り組むべきと解説し、重要なのは作り方の手順を伝授すべきだと述べます。コツは安易に求めない方が良いとも語り、コツコツ学ぶ方が長続きするとアドバイス。
そして、助詞の解説回の反響から。「助動詞のけり・たり・なり・をりのニュアンスの違いは?」。「や・かな・けりの切れ字について教えて」「助詞の"の"について解説して欲しい」と沢山質問が。先生は、それらの項目は今後の解説に向けてリストアップしており、季重なり、字余り・字足らずなどとシリーズ化を検討中とのこと。コツを求めず、コツコツリクエストして欲しいと語ります。
好きな句も交えながら動画で語りたいという先生は「シリーズ名句」と今後の展望にこと尽きない感じですが、コメント欄に書かれていた「ユーチュー婆(ばあ)」と名乗らせていただくと容赦ない姿勢を見せる先生でした。
[21]【用語解説:俳号】漱石は正岡子規の俳号だった?
<2020/7/2公開>
最初に様々な反省を語るお二方ですが、俳句の基本的な用語解説をするシリーズ回。今回は「俳号(はいごう)」を取り上げます。
「俳号」は俳句用の名前でペンネームのようなもの。俳句の17音とセットで紹介されるため、あまりに変な名前だと作品まで悪く見えるため注意すべきだと先生は述べます。
本名の「伊月」を平仮名にして「いつき」を俳号としている先生ですが、自分の名前に関係あるかにかかわらず、好き勝手につけてよいのは間違いないと補足。俳号は自分で勝手につけるのが基本であるという自身の考えを述べます。
話題は有名な俳人の俳号に。松山市生まれの俳人・正岡子規(※本名は常規)は明治を代表する文学者ですが、回覧雑誌ではその都度変えているため沢山の俳号があるそうです。「子規(しき)」はホトトギスの別名で、他にも「香雲(こううん)」「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」「竹の里人(たけのさとびと)」「漱石(そうせき)」と列挙します。「漱石」は、四字熟語「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」を由来とし、自分の俳号としていたものを落語の寄席仲間だった夏目漱石にプレゼントしたらしく、俳号に生きざまが表れるのがカッコいいと先生は語ります。
さらに、女性と間違えやすい名前として「虚子(きょし)」「秋桜子(しゅうおうし)」「誓子(せいし)」「湘子(しょうし)」と「子」のついた名前を4人挙げます。昔は男子を「子」、女子は「女」と書いて区別するのが流行ったと語る先生。子規に師事した松山の俳人・高浜虚子は本名が「清(きよし)」のため、その読みから「虚子」となったと由来を解説します。東京生まれの医者である俳人・水原秋桜子の本名は豊(ゆたか)ですが、コスモス(秋桜)が好きだったという可能性も。京都生まれの俳人・山口誓子の本名は新比古(ちかひこ)で、「誓う」を音読みして俳号に当てたのではないかと語ります。神奈川生まれの俳人・藤田湘子の俳号の由来は沢山いる弟子なら御存知かもしれないと続けます。
本名を元にしても良し、色んな発想で勝手につけるのも良しなのが俳号だとまとめる家藤さんですが、自身の趣味や好みを当て字にする方法もあると先生は語ります。
さらに、俳号の役割は、単純に名乗る意味合いのハンドルネームだけではなく、自身の作品だとマーキングする役目があるため、他人と区別する視点が重要だと解説します。日本全国にいる他人と被らないように名字を付け加えたり、簡単な名前にしないようにすべきだと忠告します。
俳句を作っていなくても、最初の作品作りは自分の俳号だと思ったら良いと気軽に薦める先生ですが、験が悪いと思ったら出世魚のように変えて良いとも語ります(ただし、投句の度に毎回変えるのは駄目)。また、複数の俳号を使い分けて投句するのはマナー違反のため避けてほしいとのこと。
家藤さんのように、本名で投句するのもOKですが、本名で撃たれたら(悪評を書かれたら)痛いとも忠告。自分の俳句スキルに合わせて俳号を段階的に考えていく方法がハードルが低いとお薦めする先生は、俳句の第一歩としてコメント欄に「俳号決めました」と書いてほしいと綴っています。
[22]【用語解説】投句・兼題・席題・当季雑詠
<2020/7/6公開>
俳句用語解説第二弾は表題の4つの用語を取り上げます。
「投句(とうく)」とは、作った俳句を投稿すること。俳句初心者は独特な専門用語につまづきやすいと家藤さんが語ると、夏井先生は独学で始めた俳句を他人に見てもらうため、月刊誌の選句コーナーに投句した過去の経緯を話し、分からない用語に出会ったと同調します。選者の側が優秀な句を選ぶことは「選句」だと補足。「投稿」「応募」は使いません。
「お題」も俳句では使わない表現。プレバト!!の番組表現に苦言を呈す先生ですが、「兼題」「席題」の二種類があると解説します。
「兼題(けんだい)」はあらかじめ出題されている題。兼題を見て「投句」することになりますが、必ずしも季語が兼題になるとは限らず、季語ではない漢字や単語、プレバト!!のような写真、幅広いテーマなど、兼題の出し方は様々なようです。
「席題(せきだい)」は句会の席上で突然出される題。その場で題を聞いてから作句しなければならない「即吟(そくぎん)」が必要で、スリリングだとも語ります。席題の出題は俳句の指導者とは限らず、参加者の一人が指名される場合もあるそうで、題自体は兼題と同じものですが、変な題を出すと自分が苦労するとのこと。
「当季雑詠(とうきざつえい)」を最後に解説。「当季」は今の季節のこと。季語の季節は旧暦が基準のため、実際の感覚より季節が早いことを、先生はファッション誌の先取りに例えます。「雑詠」は題が決められてないものを詠むこと。つまり「当季雑詠」はその季節であれば、何を詠んでも良いという意味。日常的に作っている句を披露してよいことになります。
多くの投句先では、何かしらの兼題が設定されています。同じ季語や単語に複数の人が挑むことで、自分にはない発想や兼題の深い意味を知ることで学びが効率的に出来るメリットを先生は語ります。同じ単語でも読み手によって感じ方が全く異なると家藤さんが語り、キスマイの王国の蝶で先生が動画[7]で語った虚無感を引き合いに出します。
兼題に季語を出すことが多いと語る先生。季語と必死に格闘することで、その季語の本意(ほい)(※季語の本来の意味)を自分の身体で理解し、使える季語が少しずつ増えていくため、季語から学ぶことを重視していると述べます。
何かの機会に投句してみましょうという形で締めくくりました。
[23]季重なりってどこまで許される?
<2020/7/9公開>
「季重なりについて教えて」という質問。「季重なり」は一つの句の中に2つ以上の季語があること。そもそも季重なりとは何が問題なのでしょうか。過去の名句を紹介しながら解説を始めます。
俳人で医師・水原秋桜子の「蟇ないて唐招提寺春いづこ」という教科書に載る名句。「蟇(ひき)」はヒキガエルを指す夏の季語なので、「春いづこ」の春と季重なりです。違う季節の季語が2つ入る形ですが、「春いづこ」が過ぎ去った春を指すのか、作者が春を探しているのか解釈に迷う難しい句と家藤さんが述べます。
「蟇」の鳴き声について、NHK俳句講師時代の話をする先生は、ゲスト出演した江戸屋子猫さんが披露した声真似で、自分の認識が想い違いだと知り驚愕したと語ります。ヒキガエルの鳴き声は犬の悲し気な「クイークイー」という音に近いそうです。
さて、この句は春と夏どちらの句として分類されているのでしょうか。お二方が調べてみると、歳時記によって異なるとのこと。虚子編の歳時記は夏の句に採録されていますが、春とするもの、春と夏両方に掲載するものと様々。また、同じ歳時記でも版で違うケースも。季語は生き物で、歳時記の編者によって変化すると先生は総括し、この句をどう解釈するかによってブレるのも重要な視点だと語ります。
次に、高浜虚子に師事した俳人・飯田蛇笏の「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」を紹介。「秋」の季語に加え、夏の季語「風鈴」が入った季重なりの句です。鉄製の風鈴が鳴ったという意味ですが、これは歳時記によって載る季節はブレないという先生。季語は秋に収録されています。風鈴をしまい忘れ、風鈴の音で秋だと気付くことに感動の中心があるのがポイント。
2句とも鳴りものが中心の句ですが、なぜ季節の捉え方が違うのか。秋桜子の句の「春いづこ」をどう解釈するかが重要だと話が展開します。先生は最初は感動しなかった句だそうですが、NHK俳句の鳴き声の件以来、考えが変わったことを語ります。「春の間に蟇が鳴き始め、唐招提寺にいる作者は、春はいずこに去っていくかと春を惜しむ心があるのではないか。『春いづこ』の感慨を、BGMのように鳴く『蟇』が引き出したのではないか」と先生は新たな句の解釈を述べると、家藤さんは「蟇」を強調するなら「蟇なくや」に出来るため、「ないて」の接続が活きていると語ります。先生は安易に「ないて」にしたのではなく、惜春の想いを強調する意図が作者にあったのではないかと続けます。
季重なりは他にも、どういう構造でどんなパターンか様々なものがあり、動画の視聴者と考えながら解説したいという先生。色々なパターンを今後の「季重なりシリーズ」動画で紹介すると展望を語り、好きな季重なりの句をコメント欄に投稿して欲しいとも綴っています。
[24]俳句をしてどんな得があるの?
<2020/7/12公開>
「俳句ってどんな得があるの?」という質問。目先の嬉しいことは、退屈しないこと。俳句のタネを探し始めるため、好奇心が自分のまわりに立つと語る先生は、何かの待ち合わせで遅れてくる人がいた場合でも、その待ち時間を利用して句材探しをしたり、遅れてきた人物に「ざまあみろ」と一句浴びせることもできるとユーモア交じりに例示します。
また、夫婦で俳句をやると夫婦喧嘩になりにくいという実体験も。カチンと頭に来る台詞を言われても、それが脳内で五音・七音として認知するメカニズムがあるため、時間を持て余せず、退屈せず、夫婦喧嘩にならないとか。
次に、何か貰えるのかという視点で会話が展開します。人に褒めてもらえる機会が増えるメリットがあると語ります。社会人になると実生活で褒められる機会がないのではと前置きし、傑作の俳句だと他人から評価され、得した気分になると言う先生。後ろ向きな考えな人ほど俳句をやるべきだと提言し、明日への活力になるとも続けます。
様々なモノや金券が当たる場合も。今年度から伊藤園「お~いお茶」の俳句審査員となった先生ですが、見事掲載されると自分の投句が印刷されたペットボトルが1箱届くこともあると紹介。「かに道楽」はお食事券3万円が10名に当選するそうです(いずれも今年は締切済)。他にも小林製薬「ケシミン」のシミを兼題とする企画で最優秀賞は商品券10万円が送られたとのこと。
金額が高い物でいうと朝日出版社の「おうちde俳句大賞」(第二回は締切済)。リビング・台所・寝室・玄関・風呂・トイレの各部門賞の優秀賞は5万円、大賞は20万円が与えられます。
お金の話で盛り上がりましたが、俳句は裏切らないと語る先生は、俳句は筋肉と同じで継続すれば一定のレベルまで上達し、"下手くそホームラン"もあると述べます。深い部分を考えず、表面的な得を考えて一歩を踏み出すのもアリだとアドバイスしました。
[25]上五の字余りってどうなの?
<2020/7/16公開>
「字余りはどうなのか?」という質問に回答。プレバト!!でも先生が字余りで添削する例があるだけに、関心のある視聴者も多い項目。先生は、"上五"の字余りを許容して、中七・下五の12音でリズムを取り戻せる手法があるとまず語りますが、やはり俳句は五七五の有季定型が大切だと押さえます。
「プレバト!!」の"おっちゃん"こと梅沢富美男氏の「やっぱり俳句は五七五だ」という意見に同調する先生は、有季定型の気持ち良さや手応えがあると語ります。敢えて字余りにする効果を手に入れられるかどうかの視点で考えるべきで、音数が入らないから無理矢理字を余らせるのは実力不足・テクニック不足だとも語ります。字余りは、句の内容が濃く深くなる時に限って行うべきだと結論付ける先生に続き、仕方なく安易にすべきではないと家藤さんが押さえます。
次に、名句の字余りには理由が存在すると語る先生は、中村草田男の「毒消し飲むやわが詩多産の夏来(きた)る」という七七五の句を紹介します(※「毒消し」は食あたりの治療薬)。仮に「毒消しやわが詩多産の夏来る」と定型にした場合は、「毒消し」という物だけを「や」で強調することになります。敢えて「飲む」の2音を足すと、「や」の強調がすぐ前の「飲む」という動作・行為に焦点が移るため、後半のフレーズや「夏来る」の季語も活きてくると先生は解説します。映像も全く異なることとなり、意図を持って字余りにしていると続けます。
さらに、山口青邨(せいそん)の「人も旅人われも旅人春惜しむ」という七七五の句を紹介。「~も旅人」の7音のフレーズの繰り返しでリズムを作る効果があります。字余りを溶け込ませるテクニックの一つとして、リフレイン(音の繰り返し)にすることで韻律として作りやすくなると先生は解説し、韻文である俳句は、リズムとその内容が深く関わっていると続けます。下五の季語「春惜しむ」が調べに乗り、読み手の心に流れてくる効果があるとも語ります。
紹介した2句とも、字余りにする理由と意思がガッチリと組み込まれていると総括する先生は、本来の字余りの使い方はこうであって、上五にグチャグチャと言葉を入れるべきではないと再度忠告。
「字余り」シリーズでは、中七・下五での字余りパターンや全体で溢れるパターンなど様々な句を今後も紹介するとのことです。
[26]【メンタル】俳句が作れないときの考え方
<2020/7/19公開>
「俳句が苦しくなったら?」とスランプに陥った時の対処法を考えるメンタルシリーズ第一弾。ラジオ番組「夏井いつき一句一遊」でもなかなか自分の句が紹介されず、投句先に「一苦一憂」と書かれる場合があると明かす先生。最近は投句数が多い故、選ばれるハードルが高いと家藤さんが告げ、毎週およそ5000~6000句の投句から150~170句程度しか紹介できない切実な事実を述べます。「月に一回でも詠まれたら良し」の気持ちで臨んで欲しいと先生は続けます。
俳句を継続していると、苦しい瞬間は絶対に訪れると共感する先生は苦労話を語ります。会ったこともない黒田杏子(くろだももこ)さんの弟子になると勝手に決め、大学卒業後に俳句を始めた先生。最初は楽しく感じたものの、黒田さんにはどう頑張ってもなれないと、師匠と自分とのギャップに徐々に苦しめられます。"杏子2号"として作るどの句も二番煎じに過ぎず、思い悩んだそうです。なりたい自分になれない苦しみだと家藤さんが述べますが、諦めた先生は"いつき1号"になることを腹に決めたのが良かったとのこと。
句会などでも選者に選ばれた他人の句より、自分の句の方が良いと感じる瞬間があると語るのは家藤さん。句会で1票も貰えない「坊主」を何度も経験していると先生も同調します。山梨在住で夏井いつき先生の妹に当たるローゼン千津さんが最終選考で残るも、甥の家藤さんは落選という苦い経験は身内でも起こることだとか。
苦しさには二種類あるとまとめる先生。
①は誰にでもあると思ってよいとのこと。触発される時もあれば、何も響かない時もあるとアドバイスし、伊月庵通信に先生がエッセイとして著したローゼン千津さんのブログの言葉を紹介します。
自分の頭で必死で考えるのではなく、外からの季語の気を頂いて、呼吸のように言葉として吐き出すものだと考えれば気が楽になると押さえます。
さらに、ドラゴンボールの"元気玉"で喩える先生。自然界のありとあらゆるエネルギーを球体として集めて力に変換し、両手で投げつける悟空の必殺技ですが、外からのエネルギーを何かに変換する上で、17音に変換して表現する俳句も一緒だとまとめました。
②については、次回動画でさらに解説すると予告しています。
[27]【メンタル】俳句は他人と比較する道具じゃない!
<2020/7/23公開>
前回の続編のため、挨拶なしに動画がスタート。他人と比べて劣っていると思う苦しみについて語ります。
先生は、俳句を道具にすると苦しくなると述べます。俳句を使って誰かに評価されたいとか、俳句を使って人に振り向いてほしいとか、承認欲求のために俳句を使い始めると苦しくなると言うのです。
様々な箇所に投句しても採用されない苦しみは誰でも経験するという先生は、再び苦労話を。「十句会(とうくかい)」というグループに所属していた先生は、自分を除くメンバーが次々と最終選考に残った切実な経験を語ります。特に、妹であるローゼン千津さんが選者である金子兜太(かねことうた)氏に、作品ではなく句から読み取れる人格を褒められ、姉として悔しかったという先生。これらの精神的メカニズムは、自分を評価されたい道具に使うなと俳句から見放されて、結果的に苦しくなると述べます。
そういう時は、少し立ち止まって考えてほしいと続けます。自分は俳句が好きで、自分のために作っているのかと考えてほしいと。
そして、動画[11]で紹介した『新版 20週俳句入門』藤田湘子著 角川学芸ブックス刊を再び取り上げます。20週の第1週目にある「俳句は自分のために」が大切だと述べます。俳句が分かった気になるも、周囲から認められずに疑心暗鬼になると俳句が作れなくなる…。誰でも経験することであり、先生もそれを何度も経験しながら、自分は俳句が好きで作っていたのかと到達点を見出すのに40年かかっているとまで語るのです。
「俳句ポスト365」の並選の句は「プレバト!!」では何点相当かとか、「一句一遊」の金曜日に詠まれる優秀作品の句意やその良さが分からないなどと言っているうちは、まだ俳句に足掻いている人で、句の良さが分かった時に一気に階段を駆け上がる感じだと感触を語る先生。
いつき組の組員を名乗る人にいつも言うこととして、賞を目指すのは目標として大事だが、目的にしては駄目だと先生は忠告します。賞を目的にすると、賞を取れないということがマイナスだと自分の心に刻まれてしまい、さらには下手なことに手を出し始めると語ります。他人の俳句の一部を借りるなど、禁止行為に手を出すと、俳句に嫌われて捨てられてしまうと。だからこそ、自分のために俳句を作ることが大切で、時々賞や句会で点がもらえるのはグリコのおまけのような感覚だと言う先生は、自分や仲間の句が評価された時は、素直に喜んだり一緒に褒めたりして欲しいと語りかけます。
某番組の企画で、入選者への健闘を称える拍手を送った好青年の印象を語るのは家藤さん。俳句をやっている自分を好きでいられるかという観点で初心に立ち返ってほしいと先生は続けます。一生、俳句に嫌われないように楽しんでいきましょうと呼びかけました。
[28]【サイエンスと俳句】科学を知って季語の本質に迫ろう
<2020/7/26公開>
テーマはサイエンス(自然科学)と俳句。科学は苦手という先生ですが、俳句との親和性を感じる瞬間があると語ります。講師を務めたNHK俳句の1コーナー「似て非なる季語たち」で最初に取り上げた季語は「陽炎(かげろう)」と「逃げ水」。「陽炎」は横に広がる体積のイメージで、「逃げ水」は奥に広がる空間の違いだと先生は思っていたそうです。
しかし、科学の専門家である気象キャスター・井田寛子さんに違うと指摘されて仰天した先生。「陽炎」は地面が直射日光で熱せられて空気の対流が発生し、遠くの光景が炎のように揺らめきますが、体積のイメージではなく1つ1つを指す言葉だと説明されます。咄嗟に飯島晴子の句「かげろうに平手打ちしてまはりけり」を思い出した先生は、科学の見解を正確に理解して詠まれた句だと感銘を受けるのです。
俳人がもっと科学のことを知れば、季語の本質に迫れるのではないかと思った先生は、自著「夏井いつきの歳時記シリーズ」を紹介します。例えば、季語「雪」については気象庁の荒木健太郎氏に解説を依頼。すっかり科学の面白さにのめり込んだ先生は、季節ごとにシリーズ化して出版したと経緯を語ります。
ここで、NHKの番組「575でカガク!」を紹介。季語の本質ではなく、科学的なモチーフに対して俳句でアプローチするという企画です。「ニュートリノ」「チバニアン」「はやぶさ2」「恐竜」の各兼題で過去2年間で計4回放送しており、興奮気味に収録を振り返る2人。
「ニュートリノ」ではスーパーカミオカンデを取材し、「チバニアン」では暑い中実際の地層や露頭に出向いた先生。「はやぶさ2」はJAXA(ジャクサ)での収録で、機体の着陸する場所選びの割り出し方法を考える研究員の姿を語ります。研究の真面目さがユーモアにも繋がると印象を述べます。「恐竜」は上野での恐竜博にお邪魔し、恐竜に毛があったことに感動したと語ります。恐竜の色がある程度想像で復元されますが、科学的に判明している事実に加えて想像が付け足される点は、俳句でも近い部分があると語る先生。季語の本意(ほい)があって、自分の想像が乗っかっていくため、サイエンスと俳句は相性が良いと結論を出します。
研究者はロマンチストだと語る家藤さんですが、俳句にならなそうな科学の言葉に対し、視聴者から寄せられた投句について、俳人と科学者の各目線で検証し、兼題に迫っていくと番組の主旨を述べます。理系の真藤プロデューサーが持ってきた2020年度の兼題は「反物質」と「ミトコンドリア」です。
先生も知らない「反物質」ですが、兼題を聞くとその好奇心に突き動かされて調べ始めるのが俳人。調べるところから創作に入る作業が楽しいと語ります。「ミトコンドリア」は、小説『パラサイト・イブ』で有名になったと家藤さんが語ります。
「反物質」の投句締切は8月2日(9月20日23:30~放送)、「ミトコンドリア」の投句締切は8月23日(9月27日23:30~放送)です。過去回の結果は番組ホームページを参照してください。
[29]【音数・季語への意識】俳句・川柳・短歌は何が違うの?前編
<2020/7/30公開>
「俳句・川柳・短歌の違いとは何か?」とメジャーな質問。俳人にも「廃人」が多く、川柳や短歌を掛け持ちして学ぶような初心者にも多い疑問のよう。それぞれの定義を手作りのボードでまとめたいと語る家藤さんは、現代の川柳を本で学んでみたそうです。
「川柳」は江戸時代の風刺と滑稽のイメージで認識が止まっている人が多く、「サラリーマン川柳」以外の本格的な現代川柳を知らない人が多いと前置きする先生に対し、趣深いものも多いと語る家藤さんは気になった川柳を挙げます。
井上刀三(いのうえとうぞう)の「世帯して俺のくらさにおどろくな」に爆笑しながら家藤さんを指差す先生。合同句集『雑音に生く』1929年刊に収録されている一句だそうです。
鈴木節子(すずきせつこ)の「革命を考えているおばあさん」に自分の事ではないかと先生は笑いながら語ります。世の中の革命について憂慮する読みもでき、これから革命を起こすという意志にも受け取れると味わいを述べる家藤さん。
八上桐子(やがみきりこ)の「こうすれば銀の楽器になる蛇口」。先生は、俳句で言う無季の句に近いほどの詩の分量があって好きな句だと語ります。楽器のように鳴らしたくなる点に共感できると家藤さんが述べ、俳句でも五七五にとらわれない自由律俳句もあると続けます。
ここで音数を確認。以前の動画[2]でも語っていましたが、短歌のリズムは五七五七七の計31音。三十一文字(みそひともじ)と和歌では言うそうです。一方、俳句も川柳も同じ五七五の17音。音数の違いは明確なものの、それぞれのジャンルで韻律を少し破った破調の作品はあると先生は補足します。
川柳も短歌も鑑賞は好きだが作らないと語る先生は、その理由を述べます。短歌の場合、下の句に相当する七七がいらないと思うそうです。俳句を作る脳に慣れていると、どうやって七七を作るのかが分からないと家藤さんも同調。短歌に慣れている人は、七七無くして表現するのが難しいと言うそうで、俳句とはメカニズムが違うとのこと。
さらに、季語への意識の違いも確認。川柳でも季語に相当する言葉が入っている句が結果的に多くみられ、その季語を主役に立てようとしているかという点は明確に差があると感触を述べる家藤さん。先生は、季語を主役に立てる意識が俳句では大変強く、川柳は弱いと解説。目の前にある「みかん」を俳人は冬の季語と認識するのに対し、川柳の人は小道具の一つとして認識すると例示します。短歌でも季語は弱いと結論付けます。
ただ、質問者の意図はそうではなく、それぞれの定義を押さえた上で、さらに外にどんな違いがあるかという点を語らないと、質問者は満足しないのではないかと先生は述べ、季語以外の部分の違いについて後半で触れると予告しました。
[30]【個人の感想です】俳句・川柳・短歌は何が違うの?後編
<2020/8/2公開>
前回の続き。俳句・川柳・短歌の3つの比較について、「音数」「季語への意識」以外の要素を掘り下げます。
季語を主役に立てる有季定型の主流である俳句。俳人の立場として先生は、意識が常に季語に向くため、外(自然)にアンテナを張る意識が強いとのこと。同じ風でも「夏の風」「若葉風」「青嵐」などとそれぞれの季語を意識して感じる心(意識)の方向性があると述べます。
一方の短歌は、作者には色んな人物や光景が目に留まるが、七七の下の句の見取りの部分で、作者自身の内面を主張している性質が強い印象があると語ります。強い感情を吐き出す短歌もよく目にすると語る家藤さんも先生の意見に同意します。
さて、川柳は俳句と音数が同じですが、季語に対する意識の強弱の違いだけでは収まりきらないものになっていると興味深く語る先生。江戸時代の川柳やサラリーマン川柳のように、風刺や滑稽の要素に留まるならば線引きは簡単で、俳句は外向きで自然がメイン、川柳は人や社会を中心に目が行くという対象の違いで片づけられていたと解説。しかし、実際はそう簡単ではないとのこと。
そして、家藤さんが気になった川柳を再び発表します。瀧村小奈生(たきむらこなお)の「これからが躑躅やんかというときに」(※「躑躅(つつじ)」)。俳人はこの句を季語となる躑躅の花を主役に立てて鑑賞しますが、微妙な句だと評価する先生。感想を聞かれた家藤さんは次のように述べます。俳句であれば「躑躅」の描写に音数を費やしたいが、この川柳の場合、「躑躅」を通すことで自分の内側に向いている矢印が川柳の主役になっていて、「やんか」の口語表現で作者自身の姿が見えてくるのが、川柳の面白さではないかと。外にベクトルはあるが、結局表現したいことは作者の内面にあると先生が続け、これを上の句とすれば下の句をつけて短歌にもなるのではないかと家藤さんが感触を語ります。短歌と川柳では音数の違いによって、自分の心情を最後まで述べるか読者に託すかで線引きが出来るケースだと先生が解説します。
俳句と川柳の比較の題材として、夏の季語「滝」を使った川柳を紹介。前田伍健(まえだごけん)の「なんぼでもあるぞと滝の水は落ち」。最初の語り口から作者の存在が感じ取れると家藤さんが述べると、先生は俳句の例として後藤夜半(ごとうやはん)の「滝の上に水現れて落ちにけり」という写生句を挙げ、俳句と川柳の明確な立ち位置の違いがあると語ります。この句を見てショックを受けた先生。作者の眼球に現れた映像を心情を交えずに淡々と描写することで、読者の脳内に同じ映像が立ち現れ、感情の押しつけがましさがないものの、その光景に共感する自分がいると味わいを述べます。ただ、俳句でも客観写生のみならず主観を語る句もあると補足し、主観を語る句は、難解になる傾向があると解説します。
あくまで個人の感想であり、諸説あると注意点を何度も述べるお2人でしたが、最後に3つの違いをまとめ、赤裸々に見解を述べます。
[31]【助詞シリーズ③:前編】カットの切り替えで季語を強調してみよう
<2020/8/6公開>
動画[13][15]に続く助詞シリーズ第三弾。この句を見て国語が面白いと感じたコメントから、おもむろに与謝蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」を紹介します。助詞の働きを説明する際によく使う例句だと先生が押さえます。
季語「五月雨」について大歳時記を引く家藤さんは、「梅雨と同じであるが、梅雨は五月雨の降る時候を主にしていい。この五月雨は雨そのものである」と事項を読み上げます。陽暦は陰暦より一か月ほど進んでいますが、俳句の季語は陰暦を基準とするため、感覚が少しずれると説明する先生。雨が降り続く「五月雨」は今の梅雨の季節に相当します。
この句は、名詞4つと助詞3つのみで構成され、活用語がないため、助詞の効果が分かりやすいと述べる先生は、比較を用いて解説します。
上五の助詞「や」は、直前の言葉に「!」を付けたように強調するのが1つの働きで、カット(映像)を切り替える効果もあると語ります。
ここで、3つの助詞を全て「の」にする先生。「五月雨の大河の前の家二軒」となります。名詞などの自立語は既に意味を持っているため全体の意味が大きく変化するわけではないものの、全体のニュアンスが物凄く変化するのが助詞の面白い所だと解説します。
「の」は下まで意味が続くため、「五月雨」「大河」「家二軒」が1つの映像の中に現れます。先生は、助詞「の」について上の言葉が下の言葉を条件付けしていくニュアンスだと押さえます。この句は「の」にしたことで、意味がダラダラと下まで繋がり、のぺっとした味わいの無い感じになると語り、家藤さんも「五月雨」の季語の持つ良さが完全に損なわれてしまうと共感します。
よって、上五の「の」は原句通りの「や」に戻し、2カットの映像にした方が良いと結論付けます。
一方、中七にある2つの「の」については外せるのでしょうか。次回の動画で解説と予告されました。
[32]【助詞シリーズ③:後編】助詞で対比を表現してみよう
<2020/8/9公開>
前回の続き。「五月雨や大河の前の家二軒」の状態で、2か所の「の」のどちらかを変えることを提案する先生に、「前の」の"の"を外すべきと答える家藤さん。「前に」に変更します。
「に」は、その場所にあるという存在を明確にする働きがあり、映像化にも働きかける助詞。この句の場合、「の」が続くよりも調子が整うことで、さらに臨場感を生み出すと解説する二人。
「や」と「に」は比較的扱いやすいものの、「大河の」の「の」を「を」に出来るか否かの違いが、名人と凡人の違いだと「プレバト!!」に倣って述べる先生。「大河の」の"の"の働きは、後の「前に」に続く事実を淡々と説明することで終わると解説し、「大河を」に変更します。
「を」は、時間と空間を広く示す効果のある助詞。この句の「を」は、五月雨を集めて濁流のように激しいさまとなる大河の幅や奥行き・体積が表現されていると味わう先生。カメラで映像を捉えた時の大きさも表現できているのではと家藤さんが続け、さらに「五月雨」の縦の動き、「大河」の横に広がる動きの場面の対比もあると先生は押さえます。
また、「大河を」による臨場感を持った結果、一見説明的になりがちな「前に」にもメリットが生まれると深く掘り下げる先生。「前に」で映像を狭めることで、最後の「家二軒」が頼りなげに見えると家藤さんが正解を答えます。
「五月雨や」の強調、大きな臨場感のある「大河を」、映像を狭める「前に」、頼りなげな「家二軒」の展開。一句を読むと、最後にもう一度頭の季語「五月雨」を認識し直し、「何という五月雨なのか」という感動に回帰し、季語が主役に立つ効果を醸し出すと解説します。「や」「を」「に」のそれぞれの助詞は、その働きを担う立役者というわけです。
自立語ではないため、単独で意味を持たない助詞ですが、ニュアンスを伝えるのに大きく貢献すると解説する先生。与謝蕪村は絵を描く人でもあり、静止画のような着眼点で書かれた俳句でしたが、絵を描く人やカメラで画角を考える人にも共通するのではないかと語ります。
このように、助詞の違いを比較考察することで、自分の作句でも助詞の判断力・推敲力が身につくと総括する先生。家藤さんは、助詞の位置変更を検討するのも面白いと補足し、「や」の位置を変えるだけでも映像をどこで切り替えるかを考える練習になると先生も同調します。
助詞シリーズは別の句でも解説するそうです。気になる句は動画コメントをしてみましょう。
[33]添削と推敲の違いって何?【前編】
<2020/8/13公開>
「プレバト!!」で芸能人の俳句に赤ペンを入れて「添削」をする先生ですが、「添削と推敲の違いは何か?」について、今回は添削を中心に答えます。
「本当に強くお話をしたい」といつも以上に真剣な表情の先生。芸能人に句の意図を聞く理由や、添削に関する質問が多く来ることを述べます。実際の俳句教室においても「プレバト!!」の番組の影響で、閑古鳥だった教室が盛況になる一方、逆に「添削をしてくれない」というクレームがあるなど反応が二つに分かれるようです。
まずは辞書的な意味から確認します。
「添削」は、作文やレポート、詩歌などで文字を書き加えたり(添)、削ったり(削)することで、作品を直す作業のこと。先生は、他人の作品に対して行うのが添削だと押さえます。教師が学習者の答案などの点検をする学習指導の一つであるとも補足します。
「推敲」は、字句を良くするために文章を何度も練り直すことで、唐代の故事を由来とする言葉。自分の作品を何回も読んで練り直すのが推敲だと押さえます。
「推敲」が自分の行為に対し、「添削」は他人の作品に対して行う行為というのが大きな違い。先生が「プレバト!!」で行うのは勿論「添削」という学習指導になります。
さて、句会では自分の句を自ら解説する「自句自解」を基本的には行わないのが通例と語る二人。俳句は書かれた字面が全てで、こういうつもりで作りましたと語るのは初心者の行為だと前置きします。
「プレバト!!」で芸能人に自分の句を語らせるのは、「添削」を行うための情報収集であり、自句自解ではないとのこと。作者の表現したい意図と、表現された字面の意味との間に乖離が大きい場合があり、「添削」はその溝を埋める作業となるわけです。しかし、綺麗な文字面を残すことを優先し、本人の意図を諦めさせるのは本末転倒だと述べる先生。句会では意図はそっちのけで表面的な技術だけ直されることがあるそうで、それでは添削ではなく「改作」になるとのこと。指導者・学習者の双方とも満足できないと家藤さんが語ります。
心の中では、満足できない思いは句会ではまだしも、「プレバト!!」では作者が主張してくると苦言を呈す先生。作者が語る内容は17音では収まらない場合もあり、とんでもない字余りになる添削をせざるを得ないと先生は返します。それは作者が言い張るからであり、諦めさえすれば定型で直すことは可能であると強く強く主張したいと述べ、先生の添削指導に対する批評へ明確に回答します。
次回予告。後半は推敲を中心に解説するそうです。
[34]【光回線】ついに生配信決定!意気込み語ります
<2020/8/16公開>
今回は特別な告知動画。動画[3][10]で述べていたチャンネル登録1万人達成記念の動画生配信の通信設備の準備が整ったそうで、いよいよ8月22日(土)午後に配信すると2人から説明されました。畦道にトレーラーを通すようなものだと形容されていた脆弱な通信環境でしたが、改善されたとのことです。
当日の内容は「句会ライブ」。句会ライブとは、先生が本来は全国津々浦々をまわって開催するいわば「俳句のゲーム」。会場の皆さんで俳句の簡単な作り方を覚え、出来た句を選び合い、チャンピオンを決めるゲームです。通常の句会では数百人規模になると句会が成立しませんが、句会ライブは三千人規模でも行ったことがある先生。今回はYouTubeのカメラを通して、生配信で視聴者の皆さんと行う企画です。
日本語が話せる人なら絶対にできる作り方をレクチャーすると意気込む先生。パソコン・スマホなどで投句ができ、投句された句を先生と家藤さんの二人が選ぶとのこと。組長賞などの各賞も考えているそうです。
投句することもできれば、コメントだけで楽しむという2通りの楽しみ方がある点も紹介します。作句が苦手であれば、野次馬的なことを考えながら視聴することも可能だと語ります。生の句会ライブを未体験な人や、句会関係に腰が引ける人も、テレビの向こうという安全地帯で最初は野次馬として楽しむところから付き合ってくれると嬉しいと語る先生。
8月22日(土)午後1時(13時)からお手すきの方は参加してみましょう。(8/20公開の動画の冒頭と最後に確定の日時が字幕付きで発表されました)
[35]まずは推敲をしてみよう【添削と推敲:後編】
<2020/8/20公開>
動画[33]の続き。「プレバト!!」に長く出演する特待生らの、学習意欲と実力向上を実感する先生に、難しい意図を字面で表現するのが見事だと家藤さんも続けます。最初は言いたいことに欲張り過ぎて有象無象を全て句に叩き込んでいても、17音の器を満たすように何を入れるべきかが段々と分かってきたと出演者の感触を述べる先生。17音の器に入れる分量について質問された際、「十七音の器は物凄く小さいため、季語とあと1個ぐらいの要素で丁度良い塩梅に満たされる」と回答した過去を振り返ります。盛り付けの先生に怒られるかもしれないが、小さい皿にサンマと大根おろしが少し乗るくらいが俳句にちょうどよいと喩えます。
話はそれましたが、段々話が理解できる領域になると、自分で推敲が出来るようになると語って話を引き戻す家藤さん。
「推敲」では季語を信じてないから器に盛り過ぎているという判断や、ストーリーを全部書かなくても読み手に伝わるという様々な知識を経験的に学んでいくことで、推敲の力も養われていくと答える先生。文章を何度も練り直す「推敲」は、試行錯誤を繰り返すうちに自身の力が育つのが「添削」と異なる点ではないかと家藤さんも語ります。
そして、新社会人などにも喩え、他人から教えられるのではなく、自分で学ぶ姿勢が「推敲」で重要だと話を展開します。句会で添削されないなどと駄々をこねず、適材適所に与えられるヒントをもとに、自分で考えて推敲できる力を身につけるべきだと先生は語ります。「添削」はあくまでも補助、サプリメントとして活用し、英気を養って健康な体を作るようにするのが大切だと忠告します。
脳を使うのが面倒くさくなる高齢の視聴者に向け、自分の脳を酷使しましょうとエールを送る先生でした。
[L1]夏井いつき、初めての生配信
<2020/8/22公開>
YouTubeを通しての第一回・句会ライブが8月22日(土)午後1時から約1時間半にわたって放送されました。
チャット形式で即時に参加者が投稿でき、投句は夏井いつき先生のブログの専用フォームから送信する形式でしたが、回線が混雑したため投句を一時ストップする事態になるなど、あまりの盛況ぶりでトラブルにも見舞われました。
とはいえ、同時視聴者数は2300人にも達し、投句も2000句以上に達したようです。
今回の投句テーマは「あいうえお俳句」でした。
投句作品で先生の目についた作品は、はがきサイズのメモ用紙に毛筆風に模写され、二人の前にあるホワイトボードに貼りだされていきました。また、優秀作ほど上の方に上がっていく方式がとられました。
以下に、番組で取り上げられた約30作品のうち、各賞の作品を掲載します。
◆優秀作品※俳号は敬称略
優秀作品はこれ以外も含め、先生のブログに後日アップされるとのことです。採用された皆さま、おめでとうございました~。
[36]【英語・記号】俳句に英語やカタカナって使っていいの?
<2020/8/27公開>
「こんな言葉使っていいのか」シリーズ第1弾。俳句にカタカナを使ってよいのかという質問が多く、「プレバト!!」でもカタカナ語が俳句にはタブーと考えていた くっきー!さんがコーヒーを「黒汁(くろじる)」と表現して先生に怒られていますが、日本語の一部である片仮名も俳句に使ってOKと先生は回答します。
しかし、40年ほど前は外来語であるカタカナを用いることに抵抗を持つ俳人も多かったとのこと。カタカナなしの生活は現代では考えにくく、日本語がひらがな・カタカナ・漢字を堂々と用いている言語だけに、使って良いのは至極当然となるわけです。
ここで、言葉の変遷と略語の話題に。いわゆる携帯電話を多くの人々が所持するようになると、「ケータイ」という略語が誕生し、それが俳句に多用される時期があったそうです。当時、略語の「ケータイ」ではなく「携帯電話」と明確に書くべきだという風潮があり、略語が俳句に馴染まないという論評もあったとのこと。同様のことが「コンビニ」(コンビニエンスストア)でも言えるようです。しかし、先生は日常に溶け込んでいるようなカタカナ語は俳句でも使って良いと考えます。
さらに、季語である生物用語の表記の話題へ。昆虫などの動物や植物をカタカナで表記すると季語としての重みがなくなるという考えが一般論。蝉もあえて「セミ」と表記するのが効果的な時もありますが、漢字で書いた方が良い場合が多いと先生は語ります。
表記によって表現したい内容も変わりますが、カタカナ略語の例句を挙げる家藤さん。俳句甲子園のOGでもある俳人・神野紗希(こうのさき)の句「コンビニのおでんが好きで星きれい」。現代の中でのおでんの存在に「コンビニ」の略語の軽やかさが合っていると味わう家藤さん。「好きで」「きれい」も合わせて一句全体の軽やかさと日常感が「コンビニ」という言葉と上手く溶け込んでいると語る先生が続きます。
続いて、岡本眸(おかもとひとみ)の「KiOSK(キヨスク)の書棚くるくる雁渡」という句。上五はJR系列の売店として有名ですが、元々は簡易建造物の意味を持つ英単語「kiosk」が由来です。秋の季語「雁渡(かりわたし)」は雁が渡ってくる頃の強い北風のこと。句を見た当時、斬新な英単語を用いる解放感に加え、回転式の書棚の向こうに季語の光景がはるばると見えたと語る先生。
場面描写が出来るという点で「コンビニ」「KiOSK」ともに言葉の経済効率が良い略語ですが、カタカナや英字(アルファベット)が駄目と決め込むのは勿体ないと語ります。
さらに、東京出身の国文学者・中島斌雄(なかじまたけお)の句は「子へ買ふ焼栗(マロン)夜寒は夜の女らも」。ルビで「マロン」と振られている効果を問われた家藤さんは、都会っぽさや外国の光景が広がる読みができ、時代を感じると語ります。下五の複数形も奥行きがあると先生は補足し、オシャレさを出すような特殊なルビも良いと語ります。句会では「洋梨」に「ラ・フランス」とルビが振られる句もあったそうです。この句の場合、直接「マロン」と書いてしまうと表記の印象が軽すぎて、上下の言葉の質量のバランスが取れなくなると解説します。
カタカナ・英字を効果的に使った例句を見てきましたが、今後も取り上げるそうです。
[37]【英語・記号②】OH!を使ったカッコいい例句を紹介します
<2020/8/30公開>
「こんな言葉使っていいのか」シリーズ第2弾。前回紹介した「KiOSK」の読みの補足をした後、英語を用いていいのかを中心に取り上げます。
愛知県出身で高浜虚子に師事した俳人・富安風生(とみやすふうせい)(1885-1979)の「春の雨街濡れSHELLと紅く濡れ」を紹介。この「SHELL(シェル)」は「シェル石油」を指すと語るお二人。同じ作者の「退屈なガソリンガール柳の芽」とガソリンスタンドの女性従業員を詠んだ句と並べます。時代背景を語り始める先生は、かつて女性が職業婦人として働く時代が到来すると、タイピストなど新しい職業に憧れる人が多く、その一つの職業にガソリンガールがあったのではないかと述べ、自動車が庶民に普及する前段階の句だと印象を語ります。2句目は若い女性の雰囲気と季語「柳の芽」が似合い、時代を切り取った句だと味わうと、1句目の「SHELL」がガソリンスタンドではないかと推測できると続けます。日本の民俗学を学ぶかのようで面白いと語る家藤さんは、カッチリしたイメージを持つ俳人だけにモダンな句を詠むのが意外だと述べます。モダンを詠むのが当時はオシャレに受け取られ、カタカナの「シェル」ではなく積極的に英字にした点を先生は補足し、視覚的なロゴを捉えたある種の写生句だと語る家藤さん。富安の句に関連して、正岡子規の「蝶飛ブヤアダムトイブモ裸也(なり)」を思い出す先生は、社会の中で動き出す風景・風俗を表現する手段として英語を使うのはやって良いと解説します。
続いて、英語の感嘆詞の例。山形県出身で山口誓子に指示した俳人・鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)の「太陽をOH!と迎へて老氷河」の句。初めて見た時「OH!(オー)」にカッコイイと思ったと興奮気味の先生は着地も良いと述べ、「老」の字で一年中氷河に覆われている海外の光景に違いないと語り、光景が広く一人ではない状況が分かると家藤さんも味わいます。「HEY!」の呼びかけなどを俳句に使いたいと感化される先生は、イタリア語を習っていた家藤さんから挨拶語を引き出します。海外の挨拶語などを句に使うことは簡単だが、作品として良いレベルを達成するのは難しいと感触を語る家藤さん。先生は、カッコ良いだけで下手に作るとコケてしまうと同調し、言葉が身に付いているか見透かされる点に注意したいと補足します。
「プレバト!!」でも草野満代さんが「極月のTo Doリストあと4つ」どの英字を用いた句を披露しています。「ToDo」が現代の生活に根差している言葉で英語かは怪しいと語る家藤さんに続け、先生は自分たちの日常会話の中で熟成して当然のように使われている言葉は躊躇する必要がないと語ります。しかし、使い方を間違えるとカッコ悪く失敗するため、自分の身に入れて使うのが安全だと総括しました。
[38]【感謝】生配信のコメントや感想を読みます
<2020/9/3公開>
※動画[L1]を振り返って視聴者からのコメントや感想を紹介しています。実際の紹介は動画を閲覧してください(まとめの作成は行いません)。
[39]【人生相談】子育てに疲れてしまったときの名句
<2020/9/6公開>
ワインボトルをバックに初めての人生相談コーナーがスタート。「私はダメな母親でしょうか。育児放棄しそうです」と悩める相談。先生は非常に気持ちが良く分かると共感し、最初の一人目である家藤正人さんの育児でも苦労したことを話します。そんな時に良い名句を紹介すると語り、次の句を取り上げます。
竹下しづの女(じょ)[1887-1951]の「短夜や乳(ち)ぜり泣く児(こ)を須可捨焉乎(すてっちまおか)」。下五の漢字表記で内容の罪深さ感が薄れると味わいます。第一子は何が起こるか分からないため結局イライラしてしまうので、第二子のための情報収集と思って、子どもはそのまま泣かしておく選択肢もあるとアドバイスする先生。作者のしづの女は明治から昭和を生きた女流俳人で、明治の頃から考えることは同じですが、捨てずにそのまま育てておけばこのくらいの大きさには育つと家藤さんを指して自嘲気味に語る先生は、ある程度育てば自分で生きていく日は思った以上に近いと語り、どんな子育てだったかも忘れてしまうほどだと続けます。「須可捨焉乎(すてっちまおか)」と口ずさみながら明るく生きていきましょう、と優しく語りかけ、おむつが外れる日は必ず来る(※表現を変えています)とユーモア交じりにまとめました。
[40]【本棚回】壇蜜さんが気に入ったぬいぐるみとラジオの話
<2020/9/10公開>
本ではなく「本棚」を紹介する趣向の変わった回。動画の背景にもなっている後ろの本棚に触れ、置かれているぬいぐるみを紹介します。特に、ニュージーランドの鳥であるキーウィちゃんが人気らしいと語る先生は、リモートで撮影したNHKの俳句番組(新しい日常)に出演した壇蜜さんが「可愛い」とプッシュしたぬいぐるみだそうで、「一句一遊」という20年続くラジオ番組の収録に来た愛媛大学の今泉志奈子氏から貰ったものだと語ります。今泉氏が「一句一遊」のラジオにほれ込んでくれたのが、出会うきっかけとなったとのこと。
「一句一遊」は俳句初心者から熟練者まで楽しめる仕掛けを作ったラジオ番組。一週間に1つの兼題が出ますが、週の後半ほど良い句が発表されます。月曜日に紹介されるのが季語が三つなどの「一番下手なグループ」、火曜日が「ちょっと俳句になってきたグループ」、水曜日が「なかなか上手いグループ」で「プレバト!!」でいう才能アリの俳句。木曜日はお便りを紹介し、金曜日は「優秀作品」で「プレバト!!」の特待生・名人レベルの句とのこと。下手くそな人から上手な人まで聞いて投句しながら成長できるものにしたかった思いがあると語る先生。
普通の俳句番組では秀句しか紹介されないが、底辺にたまり切った作品も紹介して差し上げたいと言葉を選ぶ家藤さん。最初は良い句が分からなくても、何週か繰り返して聞いているうちに、金曜に紹介された難しい作品の良さがある瞬間に分かると、その人は成長の階段を上っていくと先生は続けます。
現在は全国5局ネットで紹介される番組に。投句数も膨大になり、全く紹介しきれない状況で心苦しい状況に。海外からの投句もあり、ラジオの放送内容の文字起こしをして放送圏外の地域にも発信する「聞き書き隊」の存在も大きいと言います。ラジコプレミアムでも視聴できますが、木曜日に家藤さんが担当する「家藤正人の一句一遊虎の巻」というスピンオフ番組でも紹介しています。また、ディレクターのやのひろみ氏が開設する「やのひろみチャンネル」にも出演する家藤さん。俳句甲子園の兼題の句も紹介しているとのことです。
[41]【季重なり】よくある質問「何個まで許される?」にお答えします
<2020/9/13公開>
動画[23]以来の季重なりシリーズ。「季重なりは何個までOKか?」などの質問が多いらしく、本質を捉えていない質問だという先生は、有名な俳人の季重なりの句も沢山あると語ります。
まずは前回の復習。飯田蛇笏の「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」。「風鈴」は夏の季語ですが、「秋の」とあるので満場一致の秋の句として歳時記に掲載されます。一方、水原秋桜子の「蟇ないて唐招提寺春いづこ」。「蟇(ひき)」は夏の季語ですが、「春」と季重なりで、この句は春の句か、夏の句かは歳時記の編集者で意見が分かれ、読み手の解釈次第のタイプの句でした。大事なのは、どの季節がか良いかよりも、どのように解釈すべきかを読み手に委ねている点です。2句とも時候の季語が使われ、それと異なる季節の映像を持つモノの季語を合わせている句となります。さらに、「春」「秋」などの時候の季語は明確な映像を持たないと押さえる家藤さん。時候の季語と映像のある季語との季重なりは割りと成功しやすいと先生は続けます。
さらに、高浜虚子に師事した医師で俳人・高野素十(たかのすじゅう)の「くもの絲(いと)一(ひと)すぢよぎる百合の前」を紹介。客観描写に徹した句ですが、「くも」「百合」が夏の季語です。歳時記によって、「くも」のみか「くも」「百合」両方に収録されているかで分かれていると紹介します。両方とも映像を持つ生物の季語であるため、主たる季語がどちらかが判断が難しい句です。これは読み手の鑑賞に委ねられるのです。
様々なパターンがあり、「季語が何個まで許されるのか?」というそういう質問のエリアではないのです!と鋭い口調で切り込む先生。
この句を解釈してみます。家藤さんは、くもの絲が一筋あり、何かの前をよぎるのが百合の前だと提示され、背景の百合にピントが合うように思うが、最後の「の前」でくもの絲の垂れる様子が際立つため、読みに迷うと語ります。これに対し、先生は細かい点を指摘します。家藤さんの解釈は「垂れる」の場合であって、「よぎる」とあるこの句の場合、くもの絲が百合の前に張られていて、くもの姿はないが、何かの拍子に一筋の絲の光がよぎる印象だと語るのです。ただ、百合にピントがある印象も感じ取れると補足する先生は、「百合」が背景に思いたくなる原因に「の前」があると指摘します。仮に「百合」を主体とするならば、「百合の白」など別の表現にしていたはずだと推測します。
語順は「くもの絲」から始まる句ですが、映像としては最初の「百合」から徐々にカメラが引いていき、細いくもの絲の光にピントが合うと解釈する方が句の意図として伝わるのではと味わいます。
動画や静止画など頭の中で一句を映像化すると、解釈が自分で鮮明になる効果があると押さえる先生。素十の句は否応なく2つの季語がそこにあり、季重なりの意識というわけではなく、心が動いた1つのカットを描写して句にした意図があると述べ、こういうタイプの句は、季重なりをしつこく指摘する必要がないと語ります。ただし、初心者は季語を覚える意味もあり、季重なりで焦点がばらける句も多いため、注意すべきと忠告します。
同じく、高野素十の「打水や萩より落ちし子かまきり」。「打水(うちみず)」は夏の季語。「萩」「かまきり」は秋の季語と3つの季語があります。歳時記に載せるならどの季語で載せるか迷う句ですが、視聴者自身で考えて欲しいと訴える先生。「どのような理由で」が鑑賞のポイントになりますが、文学では絶対的正解ではなく多くの多様な解釈を交わし合うのが一番面白く、動画のコメント欄のどの意見に賛同するかを考えることも学びだと解説します。画一的に正解がないため、最初の質問が的を外しているのが見えるかと押さえる家藤さん。
動画のコメントを沢山読みたいと語って終わりました。
[42]【本棚】宇宙の本について話します
<2020/9/17公開>
動画[40]に続き、動画の背景に映る「本棚」を紹介する回。最初に、「プレバト!!」(2020/9/10)でLiLiCoさんがこのYouTubeの視聴者だと発言していた点に触れます。
イギリスの科学SF作家であるアーサー・C・クラークの『宇宙の旅シリーズ』は、2001年・2010年・2061年・3001年と4部作からなる小説です。色々と取り出して読んでみたくなったと興味を引く夏井先生でしたが、夫の兼光さんの所有物のため、語り合いたい場合は動画のコメント欄に「兼光さんへ」と一言欲しいと述べます。
続いて、Newton別冊『宇宙誕生』を取り出します。NHK「575でカガク!」の第5回目「反物質」の資料として家藤さんが読みこんだという本。同番組については、動画[28]でも紹介していますが、今回の兼題「反物質」はつくばのKEKで、兼題「ミトコンドリア」は大阪大学で収録済み(※投句は終了しています)とのこと。
自分の生活とかけ離れている「反物質」でしたが、投句の専門単語を調べながら、句を分類する係りだったと家藤さん。自分も無知だったと言う先生は、ロケで専門家に教えてもらい、ロケ後に家藤さんが分類した句から俳句を選ぶ作業を行ったそうです。
ミトコンドリアを収録した阪大は待兼山(まちかねやま)の敷地で、マチカネワニの化石が採掘された場所だと知っていたという先生は、興奮気味に専門家から頂いたマスコットを本棚から取り出します。さらに、阪大生協オリジナル商品「頭脳グミ」まで紹介します。
さて、「575でカガク!」ですが、兼題:反物質が9/20(日)23:30~、兼題:ミトコンドリアが9/27(日)23:30~、いずれもNHK Eテレにて放送されます。是非ご覧下さい。
[43]月にどれぐらい俳句を作っているんですか?
<2020/9/20公開>
他人に見られていない状況で動画撮影に臨む環境にも慣れてきたという先生。ビデオレターなど伝達する相手の反応や目的が見える状況とは異なり、好き放題言えるのが分かったとYouTubeチャンネルの感触を最初に述べます。
「いつきさんは月にどれくらい俳句を作っていますか?」という個人的な質問。月に十数回の句会があり、そのたびに5句ほど提出すると語る先生。バーターと共に行動することで、同じ句を使い回せないため、毎回作る苦労を述べますが、句数を数えたことはないとキッパリ。
句会以外でも、他人に要求されて決められた句数をそろえることもあれば、買い物など日常のふとした行動から俳句のタネを見つけては記帳するとも述べる先生。「今までどれくらい作ったのか?」ということも質問されますが、数えようとも思わないと述べ、習慣化しているのではないかと家藤さんが補足します。
次に、1日で最も多く作った時のことを話し出す先生。15分1ラウンドで思いつくまま短冊に書く句会を10ラウンド以上繰り返したそうです。終わって数えると490句以上あったとのこと。
俳句の作り方で家藤さんに質問された先生は、じっくりと一句を作りあげるタイプではなく、ガンガン作っていく現場主義タイプと語ります。季語の現場に行って俳句を沢山作ることは「筋トレ」と同じと捉えているそうで、目や耳で得た情報は脳内に送り込まれ、途絶えないように練習し続けると述べる先生。家藤さんも同じく「ガンガン」タイプで、吟行でも句の良し悪しはさておき、とりあえず書いとけという感触だと語ります。最初から一句を完全に仕上げようと思うと脳が止まってしまい、それ以外が考えられなくなるのが勿体ないと考えているそうで、下手でもガンガン作ってから後で修正することが出来ると語ります。
句づくりに関して語る先生。自分の脳との一対一の勝負よりかは、外部から情報を貰った方が絶対に面白いものが生まれてくると述べます。
昔、地元の民放の番組のロケでは、半日で200~300句作った経験が鍛錬になったとも語る先生。当時、大学生だった家藤さんはその民放のカメラアシスタントとして親子で現場にいたそうです。
外に出て行けば、面白いことがあり、質問に対しては「数えることは不可能です」と回答して終わりました。
[44]【人生相談】妄想ばかりしてしまい困っています
<2020/9/24公開>
動画[39]に続き、あなたの悩みにピッタリな名句を紹介する人生相談。「何かと妄想ばかりしていて困っています。治す方法はないのか?」という質問に先生は懐疑的に回答。治さない方が良いとアドバイスします。
妄想こそが才能で、俳人にとって宝だと強調し、「これぞあなたの目指す道だ」と称して一句をプレゼントします。
「ホトトギスの四S」と称された昭和を代表する俳人・阿波野青畝(あわのせいほ)[1899-1992]の「松茸は皇帝 栗は近衛兵(このえへい)」。何とくだらないと思う読み手もいるかもしれないと前置きはしますが、2つの季語を擬人化で表現した一句は妄想によって生まれたと先生は解説を続けます。
質問者がどんな妄想をするかは知らないが、その妄想の中に絶対に俳句のネタは転がっているため、妄想癖は治さない方が良いと述べる先生。直してしまうと普通の凡人になってしまうと忠告まで行い、妄想を俳句の力として育てていくべきだと語ります。
句にならい、例えばエノキダケなら何か?マイタケなら何か?と妄想が膨らみ始めるはず。妹のローゼン千津さんも幼少期に色鉛筆を並べながらお話していたのを横目で冷静に見ていたと思い出す先生は、妄想しなかった自分も含めて両者とも俳人になっていると述べるのです。
妄想は大事にすること。そして、松茸を眺めていれば松茸の声が聞こえてくる日が来ると俳人ならではの感性を語って締めくくりました。
[45]【コメント返し】プレバト‼︎効果で祝4万人!次の生配信は?
<2020/9/27公開>
久々のコメント返し。以前の動画[42]でも語っていましたが、「プレバト!!」でLiLiCoさんがこのYouTubeチャンネルを視聴していた発言の件に触れ、結果的にチャンネル登録者数が増えたため、番組をきっかけに視聴するようになった旨のコメントを紹介。
登録者数4万人突破も、番組での紹介がきっかけだと分析していた視聴者のコメントも紹介し、最初に挙げた動画[1]も再生回数24万回を突破したと報告します。
「早いうちに2回目の句会ライブをしてほしい」という質問に、登録者が5万人突破したら2度目の句会ライブを行うと先生は提案します。既に4.7万人以上ですが、「2~3年かかるかも」と若干悠長に見積もる先生。
1回目の句会ライブで、動画内でホワイトボードに貼った俳句の色紙をプレゼントされた人からのコメントに引き続き、YouTubeをきっかけに「プレバト!!」を観るようになったというコメントも紹介。
3分間の人生相談の回の動画に対して好意的な反響も多かったようです。丁度良い名句を見つける作業が難しいと先生は語りますが、自作の「お悩み相談ボード」でコメントを都度ストックしていると述べます。
再度、チャンネル登録者数5万人突破で「句会ライブ生配信を予告し、プレバト!!とLiLICoさんに感謝の辞を述べました。
[46]【字余り】名句から学ぶ、下五の字余りの効果とは?
<2020/10/1公開>
動画[25]に続く字余りシリーズ。字余りの大原則は、入れたい中身が入らないから無理矢理に詰め込むのはタブー。技術的欠点を補うのではなく、内容に似合った+αとしての効果が手に入れられるかどうかが重要だと前回に引き続いて警告します。
杉田久女(すぎたひさじょ)の「花衣ぬぐやまつはる紐いろ〱(いろ)」。「〱」は前の音を繰り返す文字で、下五は6音の字余り。季語「花衣」はお花見で着る綺麗な和服の衣装。着物を脱ぐ際に沢山の紐がまつわってくる様子を詠んでいますが、「紐あまた」で着地する方法もあると語る先生は、比較を提案。「いろいろ」は数の多さだけでなく、音の効果により色彩的な色を思い浮かべて花衣らしさがあると返す家藤さん。季語を引き立てた感触があり、字余りの余韻や余情を感じると先生は補足し、2週間に1度の「プレバト!!」の収録でも毎回着物を着る先生は余情もない余談を語ることに。
次に、鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)の「みちのくの星入り氷柱(つらら)われに呉(く)れよ」は下五が6音の字余り。「氷柱」は冬の季語ですが、中七の表現が素敵だと語る先生。最後の呼びかけ「よ」を外して定型にすることが可能ですが、比較してみます。感動を伴った直接的な呼びかけの感情に余情があると語る家藤さん。「よ」がないと、ロマンチックな内容に対して偉そうに命令している印象が出るため、「よ」を入れたのではないかと先生。最後に一音を入れ、読み手への配慮ができる作者の心遣いを家藤さんが語ると、先生はこれだけで恋愛が成立しそうな中七だと句をべた褒めします。
最後に、山口青邨(やまぐちせいそん)の「みちのくの鮭は醜し吾もみちのく」と下五が7音の字余り。「吾」は「あ」の一音にも詠めるため、字余りは一音と考えることも出来ます。「われ」と読むのが好きだと語る家藤さんは、みちのくの国で獲れた鮭の醜さを中七までで言い切り、その醜さを同じみちのく生まれの作者も重ねつつ、誇りのような強さを思うには、「われ」のしっかりした意識が良いと述べます。先生は、助詞「の」があることで「吾」を「あ」と読ませると全体が軽くなり、「われ」による良い意味での諦めや強い肯定感が「吾もみちのく」に、ない交ぜになって表現されていると解説します。こちらも下五の字余りに感情に載せているタイプの字余りで、「みちのく」で最初と最後を飾ることで、同じ言葉でリズムや調べを作ったテクニックもあると補足します。
次回は中七の字余りも紹介すると予告しました。
[47]【季重なり】前回のコメント欄についてお話しします(前編)
<2020/10/4公開>
動画[41]の最後に挙げた高野素十(たかのすじゅう)の句「打水や萩より落ちし子かまきり」の解釈について、動画に寄せられたコメントから考えます。果たして、3つの季語のあるこの句を歳時記に載せる場合、「打水」「萩」「子かまきり」のどの季語の例句にあげるべきでしょうか。3択クイズだと語る先生は季語を再度押さえます。
「打水(うちみず)」は三夏(初夏・仲夏・晩夏)の人事の季語で、立夏から立秋の前日まで使える季語。「萩」は初秋の植物の季語。「子かまきり」は仲夏の動物の季語で、「蟷螂生(とうろううま)る」の傍題です。
以下、紹介されたコメントと、主季語と考える賛成理由・反対理由をまとめます。
「打水」「萩」「子かまきり」は名詞のため自立語ですが、「や」「より」「し」の解釈がより重要になると語る先生。
*1 「や」は詠嘆ではなく、強調に捉えるべきと解説。
*2 「より」は動作・作用の時間的空間的起点を表す助詞・付属語。「~から」と同じ意味。
動画は途中で終わり、「し」の機能を考える後半に続くようです。
[48]【季重なり③:後編】主たる季語は?細部までよく見てみよう
<2020/10/8公開>
前回の続き。「打水や萩より落ちし子かまきり」の主たる季語を考えます。
ここで、「落ちし」の「し」に注目。「し」は過去の助動詞で、卵からウジャウジャと垂れているのではなく既に地面に落ち切ったひ弱な一匹の「子かまきり」の描写ではないかと考える「打水」派のコメントを紹介。
ここで「落つる」「落ちて」「落ちし」の3つを比較して考えてみます。
①「落つる」は「落つ」の連体形で、「子かまきり」に素直に繋がります。「落ちる」という動作・状態が今(now)起きている光景。
②「落ちて」は「落ちる」の連用形に、助詞「て」が接続した形。落ちる動作が完了し、「落ちている」状態で、下の言葉に続きます。
③「落ちし」は「落つ」の連用形に、過去の助動詞「き」の連体形「し」が接続した形。落ちる動作はとっくに終わっており、「子かまきり」は移動して姿を消しているかもしれず、読みに幅があります。「し」を状態が継続している意の用法で詠んでいる句もありますが、本来は過去の意味だと再度押さえます。
大事なのは、「や」「より」「し」の付属語のニュアンスを正確に読み解き、解釈や鑑賞に辿りつかないといけないと忠告する先生。
さてそろそろ正解を…と切り出す先生は家藤さんに意見を求めます。絶対的な正解をもたらす類のものではないと大前提を述べた上で、最初は「打水」の句だと思っていたものの、「子かまきり」の句だと考え始めたと語り、その理由を述べます。最後に残る緑の色彩のイメージに、作者の素十の客観描写の視点の傾向を挙げます。「打水」「萩」は、その舞台装置としての演出だと思っていたと述べますが、助動詞「し」による効果の提示で、「子かまきり」が居なくなっているかもしれないと思うと、やはり「打水」の句ではないかと思うと述べ、考えに迷いがあったようです。先生は、上五が「打水に」であれば、「子かまきり」が主役のニュアンスにはなると補足します。
先生が定本として使用する歳時記「カラー版新日本歳時記 夏」(講談社)によると、「打水」の例句として掲載されています。先生は、「打水」が残っていて、「子かまきり」が居なくなった光景を見た作者が「いよいよ夏も終わりか」と感慨に浸ったのかもしれないと味わいを語り、「し」の解釈で変わると総括します。
季重なりシリーズはまだまだ続くとのことです。
[49]【祝5万人】チャンネル登録5万人達成の感謝&お約束の生配信はいつ・・・?
<2020/10/11公開>
動画[45]の4万人突破祝い動画から2週間でさらに登録者数が増加し、遂に5万人達成🎉を記念した動画とのことで、お二方がコメントを述べています。公約としていた第2回・句会ライブの展望と前回の反省を中心に様々語っています。
詳細は未定ですが、11月中頃の日曜日頃、時間は午後1時(13時)よりやや遅い時間帯開始にしたいとのことです。5万人達成句会ライブ楽しみに待ちましょう。
[50]【悲報】YouTubeの収益化ができません
<2020/10/15公開>
コメント欄の視聴者の心配事について回答。この動画チャンネルに「なぜ広告収入をつけないか?」という質問。動画を再生するたびに時々挿入・表示される広告をクリックすると動画主に手数料が支払われる仕組みですが、広告収入の発生には、GoogleやYouTube側に申請し、認可が下りないといけません。
家藤さんは、実は何度か申請しているが、許可が下りないという事実を述べ、動画の視聴者に人生相談をしたいと切り出すのです。「申請担当者によって、以下の問題点があると判断されました。『再利用されたコンテンツ』…独自の解釈や教育的な価値を十分に付加せずに、誰かの物を再利用した第三者のコンテンツ」と却下理由を読み上げます。
このことを分析するお二方。①有名俳人の俳句の例句を取り上げること、②着物を着ていない夏井先生がAIに偽物と判断されていることなどをまざまざと述べます。
「どうしたらいいんでしょう?」と途方に暮れる発言のお二方。知恵がある方はコメントをして欲しいとのことです。
[51]【人生相談】物が捨てられません
<2020/10/18公開>
あなたのお悩みにピッタリな名句を紹介する人生相談。「物が捨てられません。出かける時のバッグも常に物がいっぱい。スマホや音楽プレイヤー、歳時記に電子手帳、充電器など一緒に入れないと気が済みません。いけないと思いますが、捨てる勇気がありません」という質問。
「カバンが重たそう」と率直な感想を述べる先生は、出張が多い生活のため急に一泊する場合に備えて最低限の物を持ち歩いていると語り、「これしかない」という句を紹介します。
大正7年生まれの俳人・長谷川せつ子「衣被生き方はもう変へられぬ」。衣被(きぬかつぎ)はサトイモの子芋を指す秋の季語。相談者が仰天するかもしれないが、生き方を今から変えることは難しいと語り、一回開き直るのが良いとやんわりと忠告します。
続いて、カバンの荷物を軽くする提案をします。カバンの中の物を一つ取り出し、家に置いたまま出かけるのですが、その物がないことを兼題に俳句を作ること。「あれを置いてきてしまって困ったな~」というエピソードを見つけて、良い俳句が出来たら、その物にお礼を言うのです。そして、「次は何で試すかな?」とまた別の物を家に置いて俳句を作ることを繰り返す。これを兼題としてやってみることを提案します。
カバンが空くのに、10年かかるかもしれないが、生き方は変えられないのでのんびりと俳句と付き合ううちに、物が減ったら良いのではないかと語って締めくくりました。
[52]【季語】一番好きな季語って何ですか?
<2020/10/22公開>
割とどうでも良い質問だと紹介する家藤さん。「夏井さんの好きな季語は何か?」。小学生が作成する学級新聞のアンケートなどでも聞かれた経験があると語る先生ですが、「好きな」の括りが大雑把すぎて、単純なこの質問に答えられないと回答します。作句の難易度や句の多さなど様々な要素が絡むようです。
家藤さんの場合、「雨」「風」の入った季語を多く使うそうで、「秋の雨」「時雨」を例に挙げます。句柄の問題を挙げるご本人ですが、明暗を意識して「暗」の部分にそのような季語を使うのではないかと先生に指摘されます。
先生は「雪」「月」「花(桜)」の三大季語について、100句ずつをトレーニングの一環で毎年作句するそうです。同じものが作れないため、徐々に作句難易度が上がり、自分に数値目標を課してトレーニングするため、結果的に多く作っていると答えます。しかし、好きな季語ではなく、立ち向かう物に格闘している感触があるそうです。
さらに吟行の場合、歩くたびに生き物(動物)や植物が目の前に現れるため、比較的数は作っていると答えます。
ここで話がそれ、作句が少ないジャンルを考えることに。時候・天文・地理・人事生活・動物・植物の歳時記6ジャンルで、比較的作らないものを自問自答します。家藤さんは植物でも魚でも出逢わない季語は使いにくく、千差万別であることを語ります。
続いて、歳時記を眺めるのが趣味という先生は、「絶滅寸前季語」に大変興味を惹かれたことを告げます。「絶滅寸前季語」は先生が作った造語で、絶滅しつつあるほど現代では使われなくなったマニアックな季語をまとめた本を先生は出版しています(『絶滅寸前季語辞典』『絶滅危急季語辞典』)。「ぎぎ・ぐぐ」「いとこ汁」「はたた神」を紹介して談笑するお二方。これらの季語の持つ謎の魅力は、見たこともないものを自分の脳で意味を構築する遊びが楽しかったと述べる先生。「紙帳(しちょう)」は紙製の蚊帳ですが、夏のキャンプのテントが紙ならと自分に擬似体験させて脳内吟行して理解するのがスリリングな遊びだと語ります。紙でできたテントに実際に寝ると、窓がないため息が苦しくなり、ありありと体験する自分が楽しいと。家藤さんも乗り気になり話が弾みます。
先生は好きな季語は「絶滅寸前季語」だと答えると決断します。さらに、歳時記をめくるお二方は「金魚品評会」が秋の季語だと仰天し、その意味を調べて感心します。「絶滅寸前季語」は10年に1度書き換える準備をしていると語る先生ですが、より広いフィールド的な情報が欲しいと家藤さんが呟きました。
[53]【感謝】収益化申請が通りました!
<2020/10/25公開>
本棚の前で机なく椅子に座って談話する趣向を変えたスタイルのお二方。動画[50]の公開後、視聴者からのアドバイスや支援もあり、YouTubeの収益化申請が通ったことを報告します。毎月1回できる申請で10月も駄目だったと語る家藤さんでしたが、AI判定から人為判断に切り替わったのか、動画[50]の公開一週間ほどで急遽認可が下りたそうで、お二方が仰天します。
古今東西の名句を紹介したいと強い思いを持つ先生。既に著作権の切れた過去の著名俳人の作品だけでなく、近代の俳人や存命中の俳人の作品も取り上げたいと語るのは家藤さん。引用については、俳句の世界でも明確な結論がなく、引用の可否やその範囲も含めて個々の判断に任されるようです。夏井先生ご自身の俳句やコメント欄に寄せられた視聴者の俳句も今後引用される可能性はあるそうです。
収益化申請の認可については、視聴者の方のフィードバック(YouTubeの機能で運営に報告できる機能を利用)のおかげだと感謝の辞を述べるお二方。教育的チャンネルとして安定した形で運営を継続できる安心感があると先生は語り、ためになり楽しんでもらえる動画にしたいと語るのは家藤さん。社会の皆さんのお役に立てるものにしたいと先生は続けます。
広告は近々、動画再生で表示されるようになるとのことですが、広告を消す方法もYouTubeの有料会員なら出来ることを紹介。句会ライブも含め、今後の意気込みを語って動画を締めました。
[54]【本紹介】リクエストが多かった『蝶語』と『悪態句集』についてお話しします
<2020/10/29公開>
夏井先生の句集『蝶語』の再版を記念して「蝶語」を紹介。一頁一句の構成のミニ句集ですが、動画[5]で取り上げて反響を呼んだそうです。キスマイ「王国の蝶」の歌詞の並びと、句集の句の並びの違いを見比べるのも楽しいと家藤さんが述べます。
さらに、『悪態句集』の出版も紹介します。「悪態」は声に出して面と向かうのはそれこそ悪態となるが、俳句にすると文学作品になると考える先生。さらに、自分の中にあるモヤモヤを俳句でつぶやくことで、心が美しく治まる効果もあるのではと続けます。自分だけが抱えているのではない安心感にも繋がると家藤さんも同調します。夏井先生の若い頃から最近までの人生の悪態を集めた30句の句集です。
そして、『悪態句集』の内容に話題が映ります。最初に全体の前書きとして、吉田兼好『徒然草』第19段からの引用があります。
「おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば」。自分が心に思ったあれこれを言わずにいると、腹がパンパンに膨れてくるような気持ちがするという意味。不満なことを直接吐き出すと人間関係が崩れますが、我慢するのも良くなく、五七五として吐き出すことで文学作品となり、自分も周囲も傷つかないと語る先生。ここで、パオロ・マッツァリーノ『怒る!日本文化論』を紹介し、吉田兼好との共通点を家藤さんが考察します。
さて、句集の一句目は「怒鳴る人の口ばかり見て鰯雲」。モンスターペアレントなどの人物をほぼ無意識に見ており、何も返せない状況を想起する句。自分の心を自衛した時に、「怒鳴る人の口ばかりを見ているな~。鰯雲が背後にあるな~」と再認識することで心が助かると先生は語り、共感する人が多いのではと家藤さんが述べます。
二句目は「縊ってやろうか針金虫の首はどこ」。「縊(くび)る」は首絞めるの意。秋の季語で、昆虫などの寄生虫として知られる"ハリガネムシ"の首がどこか分からないもの。ここで先生は、「伊月庵」の池で見たカマキリを襲った黒く細長いハリガネムシのエピソードを語ります。辞典を取り出して解説するのは家藤さん。ハリガネムシは成虫時に水中で自由生活を送りますが、寄生の際に宿主であるカマキリの脳をもコントロールし、水辺に行かせる賢い生物だと語るお二方。生殖機能をも失わせた後、尻から出てくるハリガネムシですが、もぬけの殻となるカマキリの方は水辺で魚に食べられてしまうとのことで、恐ろしい生態だと語ります。先生は元々無季だと思って作ったそうですが、ハリガネムシみたいな人は時々いると世相になぞらえて語る先生です。
最後に、『悪態句集』を読んで自分の中に溜まっている悪態を浄化していく用途に使っていってほしいと語り、句会ライブのために句を書き留めて置くべきと指南しました。
[55]【俳人列伝】新シリーズ!長嶋有について語ります
<2020/11/1公開>
先生が紹介したい俳人を取り上げる新シリーズ。長嶋有(ながしまゆう)氏は本業が小説家・漫画評論家で1972年の埼玉生まれ。小説『野生時代』の「野性俳壇」コーナーで夏井先生と共に選者をされている方で、小説『猛スピードで母は』は母子家庭を息子の視点からとらえた芥川賞受賞作で、夏井先生が長嶋氏と出会うきっかけとなった小説。シングルマザーの部分が先生の共感を呼んだそうで、印象的なシーンを語る先生は、息子の正人さんと談笑します。前触れもなく話題が転換し、前の話が終了する先生の話しぶりを「ギロチンシャッター」という用語で形容する家藤さん。長嶋氏の著書『俳句は入門できる』を紹介し、イラストが本人に似ていることを取り上げます。
野性俳壇共選では、投句の中から各自が選び、両者が選んだ句には星マークがつくのですが、選が凄くかぶる時と全然かぶらない時がくっきり分かれるそうです。夏井先生は、有季定型を基本とした句のみならず比較的幅が広い句をも選者として採るタイプですが、長嶋氏は好みのストライクゾーンがあり、この人以外は採れない考えをもつ方だそうです。長嶋氏の俳句について、上手か下手かは分からないが、気になってしょうがない句が多いそうで、つい口ずさむ句に「朝ハンバーグ昼ハンバーグ昼花火」があるとのこと。
俳人としての長嶋氏の俳句を紹介。「図書館に本多すぎてさみだるる」。図書館に本が多いのは当たり前で、それを平然と書く作者は切れも作らずにダラダラと調べを作ったという句。作者のたくらみがある種の味わいがあると家藤さんが鑑賞します。
次の句は「すぐ座ると叱られている四月尽(じん)」。大人が大人に言うセリフとして哀愁があると述べる家藤さん。季語の必然性に迷う点があるが、「四月」で新入社員を想起し、一句に可笑しみもあると先生は続けます。普通の人がみんな思うが、なかなか書かない点をすくい取るのが上手いと長嶋氏の句の特徴を述べます。
「鯖雲や犬の興味は他の犬」。秋の季語「鯖雲(さばぐも)」は「鰯雲(いわしぐも)」の傍題。この句は取り上げた中で最も好きだと語るお二方。散歩シーンで、犬同士、飼い主同士で興味がある意味合いだと述べる先生に対し、飼い主は空を見上げて呆然と過ごす作者の一日を想像したと味わう家藤さん。飼い主の興味は犬以外の他にあるに違いないと思わせる効果が、中七「は」の助詞により効果的に表現されたと先生は解説します。向こうの飼い主はセレブながら、作者の方は貧乏くさい印象もあると鑑賞を続ける先生。読みを考えだすと小説の面白い句が多いと印象を語ります。
最後に「控えめな春のお辞儀を拝見す」。抽象的な描写に対し、「拝見」で作者が見た光景との人間関係や心理的な距離感も見せてくれると語る先生。読みに幅があり、丁寧な場での紳士さ・しっかりした家のお子さんの動作・夏目漱石の時代の想像もできると語る家藤さん。「拝見」の用語を簡単に使わないことから、皇后陛下を見ている可能性もあると語る先生。「春のお辞儀」に軽やかさがあって面白いと述べ、家藤さんも共感します。
現代の俳人を紹介して欲しいとコメント欄にも多くの書き込みがあったため、今回紹介を試みたと語るお二方。色々と研究する材料が溜まっており、沢山動画で紹介したいため、シリーズ完結には先生愛読の漫画「ONE PIECE」97巻を抜くかもしれないとユーモラスに語って締めました。
[56]【お知らせ】生配信の日時が決まりました
<2020/11/5公開>
今回は特別な告知動画。登録者数5万人達成記念として行う第2回句会ライブの動画生配信の日時が決定。11月15日(日)午後2時~配信すると2人から説明されました。当日は夏井先生の祖母の誕生日だということです。
5万人達成と動画の収益化に関する謝辞を述べる先生。楽しい句会ライブにしたいとのことです。
11月15日(日)午後2時(14時)からお手すきの方は参加してみましょう。
[57]【文体と表記①】文語と口語のニュアンスの違いとは?
<2020/11/8公開>
新シリーズは3回に分けて「文体と表記」を特集。文体は口語(話し言葉)と文語(書き言葉)の2種類あると最初に語ります。文語は高校古典で習う表現なども含めます。例句を見ながら考えましょう。
池田澄子(いけだすみこ)の句「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」は口語の句。楽しくも切なくも恐ろしい感じが出て、謎の意味が深まる一句。「~たの」は口語表現で、囁くような効果があると解説します。
これを「じゃんけんで負けて蛍に生まれけり」と文語表現に変えてみます。意味が大きく変わるわけではありませんが、空気感は違うと語る先生。口語の自由な感じがなくなってしまう法話のような印象だと家藤さんが述べ、輪廻転生を語る空気感が出るが、原句の持つ雰囲気は削がれると先生は続けます。
次に文語の句。高浜虚子(たかはまきょし)の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」。切れ字「けり」を用いた句で、桐の一枚の葉が日差しの中に落ちて行った光景を表現した句ですが、「桐一葉日当たりながら落ちました」と口語にします。原句「に」が完了の意味のため、「ました」と変えたと解説する先生。文語のどっしりとした感じが言いたいのであり、「落ちました」が言いたいのではないことが比較で分かるのではないかと訴えます。
口語と文語のどちらを使ったらよいかは、内容によって選ぶべきだと回答する先生。口語と文語が一句に入り混じるケースもあるそうですが、意識的にやらないと文法ミスなどと誤解される場合もあるので注意が必要とのこと。
口語と文語の句を知り、例句を読み上げることで、持ち味の良さを体にしみ込ませることも大切だと家藤さん。
次回は「表記」について語るそうです。
[58]【文体と表記②】新かな・旧かな、どちらを選ぶ?
<2020/11/12公開>
今回は表記を紹介。現代仮名遣い(通常:新かな)は、私たちが普段使う文の表記。それに対し、歴史的仮名遣い(通称:旧かな)は百人一首など古文の文体で目にしますが、わ行の「ゐ」「ゑ」など"くねくね"した文字も含まれます。句を見て確認しましょう。
森澄雄(もりすみお)の句「妻がゐて夜長を言へりさう思ふ」(発音:つまがいてよながをいえりそうおもう)。良い句だと語る先生に続き、奥様が「夜長ですね」と言われた作者も同感したという意味だと家藤さんが解説します。しみじみと感慨に浸れる句ですが、作者の森さんはこの句を出した2年後に奥様を亡くされたそうで、そのような状況で作られた句のようです。「ゐ」「へ」「さ」「ふ」がそれぞれ歴史的仮名遣いです。
口語(新かな)にすると「妻がいて夜長を言えりそう思う」。発音は変わりませんが、表記の印象は変わると語る先生は、新かなを使っても良いと考える俳人もいることを紹介します。家藤さんは、俳句の微妙なニュアンスや自分が表現したい屈折したいものを旧かなで表現できる場合もあるのではないかと語ります。この作品の「旧かな」に関しては、ある程度歳を重ねた作者と奥様の年齢や、人生の局面関係性などが見える効果があると述べ、先生は、表記により奥行きのある空気感が醸し出され、意味を理解する微妙な時間の中に作品の奥行きがあると解説します。「新かな」にすると日記の一節の印象がしてしまうと語ります。俳句の表記に対して、読み手の立ち止まる時間ともリンクする感覚があると家藤さんが続けます。
夏井先生が務める「一句一遊」のラジオは音声のみなので、表記の違いのよろしさをお伝え出来ないと語る先生ですが、是非書いて確認して欲しいとリスナーに呼びかけるそうです。
口語・文語の使い分けと同様に、表記に関しても作者の表現した内容やニュアンス次第で好きな表記を都度選んでよいかを先生に確認する家藤さん。先生は、明確に作者が決めていればどちらを使っても良く、俳句は本来は一句独立のため、基本的に句ごとに変えて良いと回答します。しかし、句集などある程度の句をまとめた際に、両方の表記の句が入り混じってしまうのは読み手に負担をかけるためやってはいけないそうです。
さらに、絶対ダメなのは一句の中に新かな・旧かなが混在することだと続ける先生。前回の文体の回で解説したように、口語・文語が一句に入り混じっているのは許容されますが、表記に関してはNGで知識不足と判断されてしまうとのこと。句会などではどちらを使って良いか分からず質問する人もいるそうですが、勉強しなくても書ける「新かな」よりも、俳句をせっかくやるならと学べば使える「旧かな」を先生はお薦めします。
次回は文体と表記が交差するため混乱する人も出てくる難度の高い回だと予告する2人。今までのシリーズを複数回見てから、最も重要な3回目を視聴して欲しいとのことです。
[L2]登録者5万人ありがとう句会ライブ
<2020/11/15公開>
YouTubeを通しての第二回・句会ライブが11月15日(日)午後2時から約1時間半にわたって放送されました。
チャット形式で即時に参加者が投稿でき、投句は夏井いつき先生のブログの専用フォームから送信する形式でした.。
さらに、今回はお二方が特製Tシャツを着て放送に臨みました。
また、同時視聴者数は2100人にも達し、投句も2900句以上と句数は前回を越えたようです。
今回の投句テーマ(席題)は「まっしろ」でした。
投句作品で先生の目についた作品は、はがきサイズのメモ用紙に毛筆風に模写され、二人の前にあるホワイトボードに貼りだされていきました。また、優秀作ほど上の方に上がっていく方式がとられました。
さらに、投句締切後に「ガチャポン俳句」というランダムに俳句を紹介する企画を敢行。先生が引いた番号くじに割り当てられた番号の俳句を正人さんが紹介し、夏井先生が3段階でベルを鳴らして評価しました。
以下、番組で取り上げられた作品のうち受賞作品を掲載します。グランプリには特製Tシャツが贈呈されるそうです。
◆優秀作品※俳号は敬称略
採用された皆さま、おめでとうございました~。
[59]【文体と表記③】全部で4パターン!整理してみましょう
<2020/11/19公開>
3回シリーズの完結篇。最初に、2回分の動画の内容である「文体」と「表記」を取り上げた例句で復習しました。
ここから混乱が生じる部分だと先生が語る核心部分に。文の体裁である口語(話し言葉)・文語(書き言葉)と表記の新かな(現代仮名遣い)・旧かな(歴史的仮名遣い)で、どれを選ぶかは自分で選択が可能だと前置きしますが、文体と表記のどちらで選んだのか間違えやすいとのこと。
前回も取り上げた森澄雄(もりすみお)の「妻がゐて夜長を言へりさう思ふ」をもとに解説します。これを4パターンに分けて紹介しました。
文語か口語かは「言へり」「言った」の表現の違いで判断が可能。
仮名遣い(旧かな・新かな)は表記の問題で、「ゐて・いて」「言へ・言え」「さう・そう」「思ふ・思う」「言っ・言つ」のそれぞれで判断が可能です。
この4パターンのどれで書くかを判断しながら句を書く必要があるとまとめました。
[60]【コメント紹介】生配信句会ライブのコメントを紹介します
<2020/11/22公開>
※動画[L2]を振り返って視聴者からのコメントや感想を紹介しています。実際の紹介は動画を閲覧してください(まとめの作成は行いません)。
[61]【固有名詞】作品名を使ってもOK?
<2020/11/26公開>
動画[36][37]に続き、"こんな言葉、俳句に使っていいのかシリーズ"第三弾。お題は固有名詞で、作品名を中心に語ります。「ゲルニカ」など文学的な固有名詞も使われやすく、"本歌取り"のようにその作品が持つイメージも句の良さに惹きつけられるところがあるそうです。
ただ、季語とのバランスが難しいと先生は押さえつつ、例句を紹介します。
高浜虚子(たかはまきょし)の「落花生喰ひつゝ読むや罪と罰」。『罪と罰』はドフトエフスキーを代表する小説。主人公・ラスコーリニコフは頭脳明晰で貧しい元大学生ですが、金貸しの強欲で狡猾な老婆を殺害し、殺害現場に偶然居合わせた妹まで殺害することで、苦しむ様子を描いた作品だと紹介。高浜虚子自身が読んだかもしれないが、読む人物を客観描写した可能性もあり、小説の世界が下五の固有名詞によって本歌取りされたと先生は解説します。その効果として季語を活かし切れているかに関わると続けます。
家藤さんは「落花生喰ひつゝドフトエフスキー」と作者名を入れることも出来るが、「罪と罰」の重々しい言葉のインパクトにより、落花生を割って殻は捨てるが美味しい中身だけを頂く動作が、作品本編と関わるのではないかと味わいます。
先生は「や」の強調により、「喰ふ」「読む」の2つの動作をとっ散らかしながら『罪と罰』を読む落差があると語り、「落花生」だから成立する句であり、かつ中七のだらだらとする季語の描写で下五との質量のバランスをとっていると解説します。
次に、鈴木六林男(すずきむりお)の「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」。出版社に森鴎外の小説名を淡々と並べた無季の句で、思い切った句だと感触を述べる先生。先ほどの句以上に固有名詞の力が大きいですが、心が殺伐とした内容の小説だと先生は語ります。17世紀中頃、肥後藩主の細川忠利が病状悪化で死去したため、側近らが次々と殉死を願い入れます。阿部弥一右衛門は殉死を認められず、新藩主を支えるよう命じられた遺言に従いますが、周囲からの冷ややかな後ろ指を指され、それを苦に死去。その後息子らが死んだ父の名誉を回復するために世間と戦いますが、藩の差し向けた討ち手によって一家全滅するという痛々しい内容の小説です。句としてもこの本が遺品に一冊あったとして、日本人の精神構造を突き尽きられるような感じがあり、武士道のような思いを持って亡くなった方なのではないかと想像させる効果があると語る先生。「遺品あり」のストーリー性を挙げる家藤さんに続き、季語を入れずに固有名詞を畳みかける勇気を褒め称えます。
固有名詞を使う時は、大いなる本歌取りとなるため季語とのバランスは大変気を遣わなければならず、さらに無季は勇気が必要だと2句について総括します。
少し軽やかな句を。林桂(はやしけい)の「ナウシカと名づけて空蝉を愛す」。スタジオジブリ作品『風の谷のナウシカ』からの引用。作品に感動して先生は真っ先に泣いてしまうとのことですが、「ナウシカ」は映画・書籍・登場人物名でもあります。劇中に出る巨大生物「オーム」が空蝉と重なるようで、すごい好きだと語る先生。これも作品が土台としてあることで、句の世界観が出ると語る家藤さんは、固有名詞の内容を知らないと句の良さを正しく理解できないと語ります。確かに「ナウシカ」を知らない人には句が理解されないリスクがあると先生は押さえます。
固有名詞も挑戦してみましょうと語って締めました。
[62]【字余り】中七の字余りはタブー? 名句で解説します
<2020/11/29公開>
動画[25][46]に続く、字余りシリーズ第三弾。中七の字余りについてです。俳句の定石として中七を字余りにするのは避けるべきだと最初に語る先生。プレバト!!でも名人らへ鬼の首を獲ったように「中八!」と厳しく指摘していますが、字余りの名句を紹介します。
能村登四郎(のむらとしろう)の「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」。俳壇賞で作者とお会いした時のエピソードを黄色く語る先生は、良い句だと語ります。五八五の中七字余りですが、一度考えたいのは中七の定型に出来るかだと先生は語ります。
この句は「て」か「に」を削除できますが、「に」を取ると「槍歩み寄る」と不自然な擬人化となるため、「て」を取るしかありません。「槍投げて」の原句は「て」の助詞によって、ゆったりした時間があるように感じられると家藤さんが述べ、先生は助詞の用法を注意します。「て」はうっかり使うと間合いが長くなりすぎますが、逆に間合いを表現したい時には良い働きをすると解説。槍を投げたある程度の距離感を歩み寄っていく時間が活きると語る家藤さんに続き、動詞が多いにも関わらず忙しない感じが一切しないと先生は語ります。「春ひとり」に美しい孤独感があり、「て」の間合いの効果と合致すると味わいます。
続いて、山口青邨(やまぐちせいそん)の「舞姫はリラの花よりも濃くにほふ」。この句も五八五の字余りですが、中七を定型にして比較検証します。「も」を取れば定型になりますが、この「も」の効果を考えます。家藤さんは言葉の比重が変わると述べ、「リラの花」の存在感が定型よりも強く出て、余情も出ると語ります。「も」のおかげで「リラの花」の印象が妙に引っ張られ、「舞姫」と同じように濃く匂っている印象があるのではないかと先生は述べます。華やかさや下五の嗅覚に集約させようとする効果があり、「槍投げ」の句と異なると家藤さんが印象を語ります。中八は目的を持って注意深くやるべきだと先生は忠告します。
ここで、複数の字余りが共存するタイプの句を紹介します。
星野立子(ほしのたつこ)の句「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」は、六七六と上五と下五が字余りの一句。助詞を除けば定型も可能ですが、敢えてどちらも字余りにしている一句。余情を生んだり、感情の焦点を絞ったりする効果とは別に、人物の集中(上五)と対象の明確(下五)の効果があると家藤さんがまとめます。先生は、命名をしたのが「父」だという想いと、月を仰ぐ目線を明確に置くのが良いと解説し、定型にした場合は全体がスカッと気の抜けた感じになると語ります。俳句は言葉の質量を考えますが、上五の字余りを下五の字余りでバランスを取ったと考えます。家藤さんは名人芸だと感触を述べます。
字余り・字足らず・破調は難しいと語りますが、破調もシリーズ化していきたいとのことです。また、字余りとんでも応用シリーズも紹介したいと語って締めました。
[63]【人生相談】自分の名前が好きじゃない
<2020/12/3公開>
動画[51]以来の人生相談第4回。「自分の名前が好きじゃありません」というコメントに対し、先生はそういう人はいるものだと認めます。自分の名前が好きじゃない理由も様々あるはずだと察する先生は、古臭い・普通過ぎる・レアすぎて読み間違えると列挙します。さらに、女性の場合は結婚して姓が変わることで、フルネームの印象が変わる実例を挙げ、悩める方々に一句を紹介します。
星野立子(ほしのたつこ)の「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」。この句は動画[62]の字余りの回でも紹介された一句。作者は高浜虚子の娘で1903年生まれ。父である虚子に最も将来を期待された俳人で、昭和女流四Tの一人として名高い人物です。
先生は「立子(たつこ)」の名前を本人がどう思っていたか推察します。第三者から見ていると、全てを背負って受けて立つという名前が本人にとって重荷だった時期もあるのではないかと案じますが、それを引き受けながら懸命に生き、「立子」の名前が自分の身についてくる瞬間があったことで、この句が詠まれたのではないかと語るのです。下五「月"を"仰ぐ」と字余りにしたことで、しみじみとした感じが心に染みると味わいます。
自分の名前が嫌いと思う時、名前そのものの問題や命名者との人間関係との問題など色んな理由はあると察する先生ですが、根本的な部分ではその名前を持つ自分が嫌いで、自分が好きになれない部分があるのではないかと語ります。自分そのものを好きになる方向に意識を向けて行く方が、建設的・生産的なのではないかと優しくアドバイスしました。
[64]【本紹介】『365日季語手帖』についてお話しします
<2020/12/6公開>
冒頭から挨拶なしに本題へ。夏井先生の著書『夏井いつきの365日季語手帖(てちょう)』の最新作2021年版を紹介します。2017年版から毎年、前年の年末刊行されている人気の本。最初は表紙の色合いがピンク系でしたが、新刊が発行されたと分かるように毎年色合いを変えるようにしたそうです。
本の利用法について言及します。読むというよりは書き込んで使い込むというスタイル。365日分に分かれ、毎日の季語とともに例句や解説、季語の簡単な説明が添えられており、一週間分の最後の余白に自分が作った句などをメモできる形式です。毎日の季語を覚えながら作句が練習できる本だと先生は述べます。
眺めるだけでも知らない言葉を知るのが楽しいのではないかと語る家藤さん。季語を覚えながら、俳句を書き留めるノートの役割があると先生が補足します。
さらに特徴的なのが、一般の読者が投句した作品の優秀作(特選)が翌年の刊行版の例句に掲載されること。有名俳人の例句の隣に自分の俳句が特選として紹介される可能性もあります。特選ではない入選作品(秀作・佳作)は巻末に掲載されます。
動画では2020年版のいくつかの作品を紹介しています。
2021年版(青系の表紙)も刊行されますが、投句締め切りは例年8月前後。何月何日(に掲載されている)の季語で投句するかを決め、応募する必要がありますが、締め切り日の関係上秋・冬・年末は例年手薄になりやすいので、掲載確率を上げる場合は狙い目かもしれないとのことです。
1年俳句を楽しみつつ鍛錬してまいりましょうと家藤さんが述べ、即吟の腕にも繋がると先生が語って締めました。
[65]【助動詞:前編】鐘が鳴るなりの「なり」の解釈は?
<2020/12/10公開>
助動詞シリーズ第1回。助動詞は助詞と異なり、活用があるのが面倒だと語る先生。動画[47][48]で取り上げた「打水~」の句で助動詞「し」があり、コメント欄でも助動詞の解説を取り上げて欲しいという声が多かったそうです。今回は有名な俳句から助動詞「なり」の解釈を考えます。
正岡子規(まさおかしき)の句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」。この句を詠んだ作者の背景はさておき、表記から意味を解説したいと語ります。
ポイントは2つ。1つ目は「くへば(食えば)」。動詞の已然形+「ば」の形ですが、意味は3通りあります。
①恒常条件:「常に~している」。柿を食べた時は常に。
②偶然条件:「偶然に~が起こる」。柿と食べたところたまたま。
③確定条件(原因理由):「…して~が起こる」。柿を食べたので。
この句は②の偶然条件で、柿を食ったので偶然に鐘がなったと捉えることができます。
さて、2つ目となる本題は助動詞「なり」。動詞の終止形に接続する助動詞で、高校の文法の教科書にも分類表が載っていますが、この句では(1)伝聞推定、(2)断定の2つの意味の可能性があると述べ、先生はどっちの意味にとるか迷うのではないかと読者に問いかけます。
(1)推定:「鳴ったようだ」「鳴るらしい」。伝聞:「聞こえるそうだ」。
「推定」は不思議な感覚になると語る家藤さんは、「伝聞」だとさらに不思議だと語り、先生も違和感が残る読みだと補足。
(2)断定:「鳴るのだ」「鳴るぞ」。
間違いないと強く言う感じ。先生は強く断定する必要があるかと家藤さんを質します。「鐘なり」ではなく「鳴るなり」の用法で、断定と捉えるのは子どもの時には思っていたが、今は違和感があると語ります。
先生はこの句を二択のどちらに解釈するか、どんなニュアンスの句なのかを考えてほしいと命題を視聴者に投げかけます。コメント欄に書き込んで欲しいとのことです。
[66]【助動詞:後編】解答回!教科書には載っていない「なり」のニュアンス
<2020/12/13公開>
前回の動画[65]の解答回。「柿くへば鐘がなるなり法隆寺」の「なり」の解釈が(1)伝聞推定、(2)断定のどちらなのかを考えます。文法書ではなく、先生の国語の故郷と語る愛用書「日本国語大辞典」でそのニュアンスを確認します。
やはり不思議な感覚だと確認するお二方。次に伝聞推定の意味を確認します。
①②は不思議な意味になりますが、③が当てはまるのではないかと先生は解説します。この意味を調べるまでは先生も句の説明がつかなかったそうですが、解釈がより深まったとのこと。
「柿を食っていたら偶然、鐘の音が聞こえてくるよ(音が聞こえたと感知をしましたよ)。」という意味になると結論付けます。
伝聞推定の「なり」を考えたり使ったりする際に、音に関連する言葉であれば認知・感知の意味で使えることを覚えて良いと述べる先生。家藤さんは、子どもの頃に思っていた意味と違うことに新たな発見を感じ、しっとりした味わいがあると感触を語ります。
今後も色々な助動詞についても取り上げる予定で、前回動画で掲げた「くへば」の「ば」についても語りたいと闘志は尽きないお二方でした。
[67]【季語】「マスク」は季語として絶滅寸前?
<2020/12/17公開>
季語は生ものであるという話から入るお二方。最近よく聞かれるのが「マスクは季語ですか?」という質問。「絶滅寸前季語辞典」を10年に1回改訂し(次回2021年予定)ている先生ですが、季語を引き継ぐ意味合いからも次回は息子の家藤正人さんに執筆をお願いしている先生は、生ものである季語は生き死にがあり、意味合いが刻々と変化していると語ります。
かつて季語として存在していたが、もうやらなくなった行事、使わなくなった物で、現在は絶滅に瀕している言葉を集めた季語辞典だと解説する家藤さん。先生は、絶滅したはずの言葉が10年後に復活するケースもあると語り、ユニクロでブームとなった「ステテコ」やキャンプ用品として再注目を浴びた「火吹竹(ひふきだけ)」を例に挙げます。
また、建具(たてぐ)建材の発達で絶滅しかけている季語として「隙間(すきま)風」を挙げます。「ピ~」という小さな虎落笛(もがりぶえ)のような音が鳴りますが、今は体験しにくいのではないかと語ります。
先生は、何かのせいによって季語として廃れる・復活するという両極端のどちらかのパターンを体験しており、医学の進歩で「種痘(しゅとう)」がなくなるなどを例に挙げますが、質問の「マスク」は全然違うタイプだと述べます。
「マスク」は本来冬の季語(風邪・ウイルスが流行る時期)で、「春のマスク」(花粉症対策)も季語として認めて良いのではないかという議論はされていたと前置きする家藤さん。2020年はコロナ禍に見舞われ、季節を問わずに一年中マスクをするようになり、日常目にする「マスク」に対して季節感が失われるということが起きてしまいます。これは初めてのケースだと先生は感嘆したように語ります。
果たして、マスクは季語としての力を失うのでしょうか。その点も含めて「絶滅寸前季語辞典改訂版」にはマスクの項目を入れようと語る先生。一寸先は闇であり、季語の生き死にも人間社会と一体となっているため、どんな変化がどの季語に対して起こるかは予測不能だと総括します。疫病関係では「コレラ舟(せん)」を用いた高浜虚子の句「コレラ舟いつまで沖に繋り居る」もありますが、今は昔の季語に。
コロナ禍が終息すれば、再び「マスク」が冬の季語に戻る可能性はありますが、全くわからないとのことで、早く「絶滅寸前季語辞典」を出版したいと意気込みを語るお二方。季語の生き死ににもアンテナを立ててほしいと先生は語りました。
[68]【おしゃべり俳句】子どもや孫の声を俳句にしてみよう
<2020/12/20公開>
視聴者参加型の新シリーズ。コメント欄では、自分の句を見てほしいという声も散見されますが、全部は受け入れられないとのことで、教師の経験を活かした教育的なシリーズ「おしゃべり俳句」を開講します。
自分の子や孫など小さい子がポロっと素敵な言葉をつぶやくことがあり、その言葉を俳句を使って育てていこうというアイデアを提案。さり気なくつぶやいた言葉は出来るだけメモしておきたいと後悔もさながらの先生ですが、子の呟きが俳句そのものになっているかは別とし、心が揺れ動く(ハッとする・温かくなる)言葉を採取していきたいと呼びかけます。実際に感動したという子どもの俳句作品もあるそうで、①南海放送ラジオ「夏井いつきの一句一遊」や②松山市公式俳句投句サイト「俳句ポスト365」などに寄せられた作品を紹介します。
①では2016年の「名月」の兼題での天賞の一句。たくみ(3才)の句「めいげつやだいおういかのめはおおきい」。先生は、空にある十五夜の素晴らしい月と深海にいるダイオウイカと取り合わせられた瞬間に、名月と目がダブっていくかのような衝撃を受けたと語り、投句者の母親は「息子に名月の話をしたら、なぜかダイオウイカの話を始めた。夜空と深海のイメージは悪くないのでは?」とコメントを寄せていたそうです。子どもには季語のイメージを少し話すだけで良く、大人が思いつきもしない発想に着地することはよくあるとのこと。こういう俳句を残した記憶が、その子の言葉に対する自信に繋がることが大事で、さらに褒めるのも大切だと押さえます。
②では2015年「秋の蝶」の兼題での一句。さな(3才)の句「秋の蝶ほしはゆっくりうごくけど」。投句者の祖母が俳句仲間で、その方のコメントには「『今度は秋の蝶々さんよ。何かお話聞かせて』と言ってできた五七五。さなが家に来ると机上の俳句ポスト作品集を見て国語辞典をパラパラめくっています」と寄せられたそうです。後半は投句者のつぶやいた台詞で、「秋の蝶」からの連想の糸口が本人にあって出てきた句であり、作品として季語との付かず離れずの不思議な味わいが確保されていると解説します。
子どもたちの言葉を採取しながら俳句を作っていくのが大事なポイントに。「おしゃべり俳句」はおススメで、子どもたちの言葉に耳を傾けてほしいと投げかける家藤さん。次に俳句ポストの選評に先生が書かれた「おしゃべり俳句」のポイントを紹介します。
先生は、子どもが自分の言うことを大人が聞き入れてくれないと敏感に感じ取るものだと押さえ、俳句の言葉を採取する意識で大人が少しだけ真剣に耳を傾けると、子どもの中から芋づる式にいっぱい出てくると語ります。そのような親子や祖父母と子などの人間関係が出来上がっていくと、言葉が育っていき、心も育っていく良い循環が出来ていくと解説します。そして、子どもたちの言葉を採取するおしゃべり俳句を一緒にやってみませんかと問いかけます。
ある意味新しい境地での子との関わり方だと語る家藤さんは、「孫かわいいね」と語るところでも、楽しくお話をすることで言葉を採取すれば、単なる孫俳句ではないものが出来上がると補足します。どこかの俳句コンテストに応募すると景品が当たることもあるという先生は、不純な動機でも良いから、挑戦して欲しいと述べます。
出来上がったものはコメント欄に書くと、次回動画で取り上げることもあるとのことです。季語は最初は考えず、まずは12音の採取を優先。俳句か否かにとらわれず、素敵な言葉をまずは書き留めることから始めましょう。
[69]【商品名】「ラッキーストライク」は使ってOK?
<2020/12/24公開>
動画[36][37][61]に続き、"こんな言葉俳句に使っていいのかシリーズ"第4弾。今回は商品名を取り上げます。昔の「ボンカレー」の鉄製の宣伝が飾られている話をする先生ですが、もちろん俳句に使ってよいと語る先生。しかし、商品名の印象がある分使いこなすのが難しいと語ります。
愛媛県生まれで伊丹三樹彦に師事した俳人・坪内稔典(つぼうちねんてん)の「春の坂丸大ハムが泣いている」。脳が痙攣を起こしそうなほど難解な一句だと解釈に困る先生。句の持つ空気や言葉のリズムを楽しめば良いとも語りますが、「春の坂」「丸大ハム」は妙に似合っており、春の麗らかな坂が固有名詞が持つ空気感が良いものの、「が泣いている」で呆然とすると述べます。「丸大ハム」の看板がある光景かもしれないと家藤さんが述べ、雨に濡れてしっとりとする感じもあると語ります。先生は、自転車で坂を上る途中に「丸大ハム」を落としたため、擬人化したハムが泣いているかもしれないと巧みに連想を働かせます。様々な大人の事情も語られますが、仮に「丸大ハム」を「日本ハム」とすると、プロ野球球団が敗戦で泣いているという誤読を生じかねないと先生は深読みします。「伊藤ハム」とした場合との比較において、「丸」「大」の字面が美味しそうと述べる家藤さんに続き、字の効果が「春の坂」の穏やかさや麗らかさと似合うかもと先生は語ります。そして、作者の坪内氏が丸大ハムから何かを貰った逸話を読んだ気がすると語り、そのようなメリットがあるのかもしれないと話はとんでもない方向へ。
続いて、兵庫県生まれの自由律俳句結社「青穂」同人の俳人・きむらけんじの「寒いガレージにラッキーストライク忘れてある」という一句。「ラッキーストライク」はタバコの銘柄。白いパッケージの中央の赤い丸が特徴的ですが、その部分にハッとしたのではないかと味わう先生。「寒い」に赤を取り合わせる句は多いものの、この句は「赤」を用いずに商品名でそれを巧みに表現しています。タバコの銘柄は他にもありますが、「マルボロ」「わかば」とは異なり、「ラッキーストライク」の良いことありげな字面が「寒い」との取り合わせに合うと家藤さんが述べ、カタカナ語の持つバタ臭さも相まって、商品名の持つ効果があると先生が続きます。
さらに、先生のご主人で第九回俳句界賞受賞の俳人・加根兼光(かねけんこう)の「エイプリルフールを熱さまシートかな」。片仮名語・固有名詞・記号も多く使われるという作者とのことですが、エイプリルフールに熱を出しているのが馬鹿馬鹿しい感じがすると語る家藤さん。薬ではなく、目に留まるように額に「熱さまシート」を貼る光景で、本当かいな?と言いたい飄々とした感じがあると語るのは先生。「熱さまシート」は小林製薬の商品ですが、御主人は小林製薬のCMプロデューサ―も長年勤めているそうです。別会社の「冷えピタ」とは異なる空気感で、「熱さまシート」が持つ薬のネーミングが良く、あの会社の精神がこの句を成立させていると褒め称えました。
[70]【人生相談】元気がないと言われます
<2020/12/27公開>
動画[63]以来の人生相談第5回。「上司や同僚から元気がないと言われます」という質問。先生は悩める方にピッタリな句を紹介します。
飯田蛇笏(いいだだこつ)の四男である俳人・飯田龍太(いいだりゅうた)の「露草も露の力の花ひらく」。飯田龍太の句が大好きと語る先生は、自分を露草だと思いなさいと忠告します。静かな花を露草の力で持って咲かせているのだと思ったら良いと述べるのです。さらに、先生は質問者の最後の言葉「ほっといて下さい」が気に入ったとまで語り、反骨精神がある方だと推測します。露草は青く小さな可憐な花ですが、畑をやる人にとっては厄介な雑草で抜いてもはびこってくる生命力が大変強い草だと解説し、その草にあやかるように自分を重ねるべきだとアドバイスします。他人の目は気にせず、露草なりに生きていき、引きたいなら勝手に引けと思い、それでも俺は根っこを土の中に置いて新しい芽を出すぞと言い放ったら良いと爽快に語りかけます。
露草は咲くたびに「ほっといて下さい」と咲いているのだと思えばよいと質問者の言葉を借り、この句は生きる力を頂いた句だと先生は感触を語り、おすそ分けするとも述べます。
何か言われても「文句があるか!」と言って良いと語って締めました。
[71]【季語】極月の意味は?年末に使える季語
<2020/12/31公開>
2020年最後の動画は、大晦日の総まとめとして、年末ならではの季語を取り上げます。年末・新年の季語には面白い季語が多いと語る先生ですが、時間の幅が長い季語から紹介します。
①「極月(ごくげつ)」は12月の別称。「師走」は3音、「極月」が4音、「十二月」が5音と類語の季語でも音数が異なりますが、迫力のある季語と語るは家藤さん。ニュアンスの違いを上手く使い分けることも重要だと先生は述べ、「おそろしきこと言ひにゆく十二月」という過去のご本人の句を紹介します。1か月間の幅を持った季語です。
②「年の暮(くれ)」はより年末の近づきのニュアンスが強くなりますが、いつから年の暮を感じるかが話の焦点に。お歳暮の準備や送られる辺りから実感すると語るお二方。運送業でかつてアルバイトしていた家藤さんは、12月の頭からお歳暮を配達する辺りから感じるとも述べ、人それぞれで時間の幅が異なると先生がまとめます。
③「数(かぞ)え日」は今年の残り日数を数えられるほど年の瀬が迫っている様子。これもいつからかと尋ねる先生に対し、両手で数えられる10日以内で、かつ街中のクリスマスが終わる25日以降に急に年末感が出るのではないかと家藤さんが答えます。割と押し詰まるまで数えないという先生ですが、12月は原稿など様々な締め切りが通常より早いという事情を語ります。
④「小晦日(こつごもり)」は大晦日(12月31日)の前日、現在の12月30日に当たります。「晦日(つごもり)」であれば毎月の最後の日です。年末から2番目の日の小晦日に対し、大晦日(おおつごもり)は1年の最後の日も兼ねます。季語として「小晦日」「大晦日」を使い分けるのは難しいと語る先生。難しいほど俳句を作る人はファイティングになるとも述べ、12月30日・31日の生活行動の違いなどを考えて詠み分けてほしいと語りかけます。
⑤「去年今年(こぞことし)」は、時間軸がやや長め。去年が終わって今年になる循環する年月のイメージも持っていますが、実際は新年の季語。まさに年が変わった瞬間という「刹那(せつな)」の意味も持つ難しい季語だと語ります。この季語の本質をクローズアップしたのは、高浜虚子(たかはまきょし)の「去年今年貫く棒の如きもの」。去年が終わって今年になったという感慨を詠んだ例句が歳時記には多いと印象を語る先生ですが、虚子の句から、年が変わった一瞬の"刹那"と繰り返される"永遠"が表現され、この季語がますます凄い物になったと認識していると印象を語ります。「貫く棒の如きもの」の比喩が上手く、12時になれば去年から今年に一瞬のうちに変わっていくと味わう先生は、句を褒め称えます。
YouTube動画を見て俳句を始めた人にとって、初めて俳句と共に越す1年になると綺麗にまとめる家藤さん。
良いお年をお迎えくださいと語って今年の動画を締め括りました。
→2021年分の記事はこちらをご覧下さい。
プレバト!!の俳句コーナーでお馴染みの夏井先生のYouTube投稿動画の内容を紹介するページです。
夏井いつきチャンネルに動画が投稿されるたびに、更新を予定しています。
動画の更新は毎週木曜夜8時・日曜夜8時の週2回です。
当ブログ記事更新:2020年12月31日
※当記事は2020年分の動画解説を紹介しています。関連まとめ記事(2021年/2022年/2023年)も併せてご覧下さい。
(リンクは各ページに飛びます)
◆夏井いつき俳句チャンネル
◆夏井いつき氏のツイッター / インスタグラム
※番号クリックでページ内ジャンプします。→ページ下部へ
[1] | 4/23 | 夏井いつき、俳句YouTubeはじめます! |
[2] | 4/26 | 五・七・五の正しい数え方 |
[3] | 4/30 | 新人YouTuber夏井いつき、初めてのコメント欄! |
[4] | 5/3 | 夏井いつき、俳句イコール着物に物申す! |
[5] | 5/7 | キスマイファン必見!Kis-My-Ft2『王国の蝶』誕生秘話を語る! |
[6] | 5/10 | 【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説①】どのように蝶の言葉を理解したのか? |
[7] | 5/14 | 【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説②】横尾くん・千賀くんの質問に勝手に回答! |
[8] | 5/17 | 【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説③】タイトルの句は突然降ってきた? |
[9] | 5/21 | 季語って勝手に作っちゃっていいの? |
[10] | 5/24 | 祝・登録者1万人!感謝のコメント回答! |
[11] | 5/28 | 夏井が選ぶ!俳句を学びたい方へおすすめの本 |
[12] | 5/31 | 俳句を始めたいあなたに!夏井流・歳時記の選び方 |
[13] | 6/4 | 一音で蛍の動きを変えよう!助詞「に」「を」「へ」 |
[14] | 6/7 | 高価な短冊は使わない!?俳句を始めるために必要なもの |
[15] | 6/11 | 空白には何が入る?助詞の働きを理解して表現の幅を広げよう |
[16] | 6/14 | 俳句集団いつき組って何!? |
[17] | 6/18 | 【初心者でもカンタン!?】日記から俳句を作ってみよう! |
[18] | 6/21 | 【センスは筋肉!】俳句にセンスって必要なの? |
[19] | 6/25 | 【名句をギャグに!】ギャ句゛で俳句のトレーニング |
[20] | 6/29 | 【コメントにイッキに回答!】海外では季語はどうなる? |
[21] | 7/2 | 【用語解説:俳号】漱石は正岡子規の俳号だった? |
[22] | 7/6 | 【用語解説】投句・兼題・席題・当季雑詠 |
[23] | 7/9 | 季重なりってどこまで許される? |
[24] | 7/12 | 俳句をしてどんな得があるの? |
[25] | 7/16 | 上五の字余りってどうなの? |
[26] | 7/19 | 【メンタル】俳句が作れないときの考え方 |
[27] | 7/23 | 【メンタル】俳句は他人と比較する道具じゃない! |
[28] | 7/26 | 【サイエンスと俳句】科学を知って季語の本質に迫ろう |
[29] | 7/30 | 【音数・季語への意識】俳句・川柳・短歌は何が違うの?前編 |
[30] | 8/2 | 【個人の感想です】 俳句・川柳・短歌は何が違うの?後編 |
[31] | 8/6 | 【助詞シリーズ③:前編】カットの切り替えで季語を強調してみよう |
[32] | 8/9 | 【助詞シリーズ③:後編】助詞で対比を表現してみよう |
[33] | 8/13 | 添削と推敲の違いって何?【前編】 |
[34] | 8/16 | 【光回線】ついに生配信決定!意気込み語ります |
[35] | 8/20 | まずは推敲をしてみよう【添削と推敲:後編】 |
[L1] | 8/22 | 夏井いつき、初めての生配信 |
[36] | 8/27 | 【英語・記号】 俳句に英語やカタカナって使っていいの? |
[37] | 8/31 | 【英語・記号②】OH!を使ったカッコいい例句を紹介します |
[38] | 9/3 | 【感謝】生配信のコメントや感想を読みます |
[39] | 9/6 | 【人生相談】子育てに疲れてしまったときの名句 |
[40] | 9/10 | 【本棚回】壇蜜さんが気に入ったぬいぐるみとラジオの話 |
[41] | 9/13 | 【季重なり】よくある質問「何個まで許される?」にお答えします |
[42] | 9/17 | 【本棚回】宇宙の本について話します |
[43] | 9/20 | 月にどれぐらい俳句を作っているんですか? |
[44] | 9/24 | 【人生相談】妄想ばかりしてしまい困っています |
[45] | 9/27 | 【コメント返し】プレバト‼︎効果で祝4万人!次の生配信は? |
[46] | 10/1 | 【字余り】名句から学ぶ、下五の字余りの効果とは? |
[47] | 10/4 | 【季重なり】前回のコメント欄についてお話しします(前編) |
[48] | 10/8 | 【季重なり③:後編】主たる季語は?細部までよく見てみよう |
[49] | 10/11 | 【祝5万人】チャンネル登録5万人達成の感謝&お約束の生配信はいつ・・・? |
[50] | 10/15 | 【悲報】YouTubeの収益化ができません |
[51] | 10/18 | 【人生相談】物が捨てられません |
[52] | 10/22 | 【季語】一番好きな季語って何ですか? |
[53] | 10/25 | 【感謝】収益化申請が通りました! |
[54] | 10/29 | 【本紹介】リクエストが多かった『蝶語』と『悪態句集』についてお話しします |
[55] | 11/1 | 【俳人列伝】新シリーズ!長嶋有について語ります |
[56] | 11/5 | 【お知らせ】生配信の日時が決まりました |
[57] | 11/8 | 【文体と表記①】文語と口語のニュアンスの違いとは? |
[58] | 11/12 | 【文体と表記②】新かな・旧かな、どちらを選ぶ? |
[L2] | 11/15 | 登録者5万人ありがとう句会ライブ |
[59] | 11/19 | 【文体と表記③】全部で4パターン!整理してみましょう |
[60] | 11/22 | 【コメント紹介】生配信句会ライブのコメントを紹介します |
[61] | 11/26 | 【固有名詞】作品名を使ってもOK? |
[62] | 11/29 | 【字余り】中七の字余りはタブー? 名句で解説します |
[63] | 12/3 | 【人生相談】自分の名前が好きじゃない |
[64] | 12/6 | 【本紹介】『365日季語手帖』についてお話しします |
[65] | 12/10 | 【助動詞:前編】鐘が鳴るなりの「なり」の解釈は? |
[66] | 12/13 | 【助動詞:後編】解答回!教科書には載っていない「なり」のニュアンス |
[67] | 12/17 | 【季語】「マスク」は季語として絶滅寸前? |
[68] | 12/20 | 【おしゃべり俳句】子どもや孫の声を俳句にしてみよう |
[69] | 12/24 | 【商品名】「ラッキーストライク」は使ってOK? |
[70] | 12/27 | 【人生相談】元気がないと言われます |
[71] | 12/31 | 【季語】極月の意味は?年末に使える季語 |

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[1]夏井いつき、俳句YouTubeはじめます!
<2020/4/23公開>
夏井いつき先生と家藤正人さんの2人で始まった記念すべき初回動画です。先生がYouTubeを始めたきっかけのほか、俳句初心者がコメントすると今後の動画で答えることを紹介し、チャンネル登録のご案内もしています。初心者的に最も基本的な質問「俳句は五七五七七か?」について先生節に答えています。
[2]五・七・五の正しい数え方
<2020/4/26公開>
俳句で基本的な「五七五が分かりません」という質問に対し、音の数え方を春の季語「チューリップ」を取り上げて解説する先生。「チューリップ」は6文字ですが、果たして何音でしょうか?
「チュ」や「キャ」などは拗音といい、2文字ですが1音。
「ー」(伸ばし棒)は長音といい、これで1音。
「ッ」(小さなツ)は促音といい、これで1音。
よって、「チュ」「ー」「リ」「ッ」「プ」で5音となります。
拗音・長音・促音は全て1音に数えます。俳句では文字数にとらわれないことが重要です。
動画では他にも題材を挙げて解説しています。
[3]新人YouTuber夏井いつき、初めてのコメント欄!
<2020/4/30公開>
コメント欄について再度説明されており、既に届いたコメントをいくつか紹介しています。
また、動画の投稿は毎週2回、時間は木曜・日曜の20時(午後8時)と発表されました(木曜はプレバト!!放送直後です)。
今後は、俳句の初歩的質問・リクエストに答えていくそうです。動画のコメント欄にドンドン書き込みましょう。
他にも、「プレバト!!」キスマイの人たちの俳句の頑張りや、動画の生配信への展望についても語っています。動画チャンネル登録者数が1万人以上になれば、より実現性が高まるとのことです。まだの方はチャンネル登録を済ませましょう。
なお、動画の撮影は夏井いつき氏の夫(マネージャー)が手伝っているそうです。
[4]夏井いつき、俳句イコール着物に物申す!
<2020/5/3公開>
「俳句では着物を持っていなくても大丈夫か?」という質問に対し、「プレバト!!」開始時のスタッフの「俳人=着物」という先入観に怒りをぶつける先生。番組では演出として着ているものの、基本的には着物を持っておらず、着物の有無と俳句とは関係ないとバッサリと切り捨てます。
さらに、「正座ができないが俳句が出来るのか?」というご年配が心配する質問にも、句会では椅子席が多いなどの例を挙げ、これも関係ないと答えます。
要は、正座も着物も俳句に微塵も関係ないのです。ただし、寺の本堂など、正座を必要とする場所での句会は、正座椅子を持参したり、自分の体調に合わせて居心地の良いように過ごしたりするのが大切だと提言しています。
また、句会に行くときに服装を少しオシャレにすることは、小さな心の活性化につながり、良い認知症予防にもなると推奨しています。
動画では他にも、「ブラジャーとスカートが女の証」など、実際に会った人の印象や考え方を語っています。
[5]キスマイファン必見!Kis-My-Ft2『王国の蝶』誕生秘話を語る!
<2020/5/7公開>
今回はLoveがほとばしるというテーマで、キスマイの「『王国の蝶』について話してください」という質問が。Kis-My-Ft2が2020年3月25日に発売したニューアルバム『To-y2』通常版に収録されている新曲で、歌うのは「プレバト!!」俳句の名人・特待生である横尾・千賀ユニット。夏井先生の俳句が歌詞になったことでも話題を呼んだ曲の創作秘話を語ります。なぜか、横尾さんが2人登場する話に発展しますが、"影のプロデューサー"が様々なテーマに沿って、俳句を並べる歌詞の再構成を行ったとのこと。結果的に、「蝶語」をテーマにした俳句の塊を千賀さんが気に入ったそうです。先生は完成した曲の感想まで率直に語っています。
さらに、先生は続けます。若い人が歌詞というフィルターを通して、俳句のリズムを歌うことで、自然と体に入ってくるのは凄く良いことだと。俳句は韻文でありながら、活字文化が進んだ現代は黙読する文芸になったと語り、改めて声に出して俳句を歌うことで、韻文のリズムを取り戻してくれることの大切さを再認識させられると、歌の効果を語ります。
最後に、カラオケで同曲を歌われた方は、その感想についてコメントがあると嬉しいそうです。また、歌詞中の俳句の解説が欲しい場合も同様とのことですので、ドンドン書き込みましょう。
[6]【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説①】どのように蝶の言葉を理解したのか?
<2020/5/10公開>
今回も、『王国の蝶』を掘り下げることに。先生は、「蝶」が春の季語でありながら、暦の上では立夏(5月5日)を過ぎているとして、早めに解説を片付けたい理由に挙げます。
家藤さんから、「『蝶語』の句集を作ろうと思ったきっかけは?」と問われた先生は、紋白蝶が語りかけたように感じたと鮮明に覚えている体験を語ります。昔話の『聞き耳頭巾』のように、「季語の声が聞こえる瞬間が時々ある」と俳人らしく語りますが、鮮やかな体験を中心に30句の句集を作り上げたそうです。
『王国の蝶』に12句が歌詞に採用されましたが、YouTubeの同曲の動画で「俳句を解説して欲しい」とのコメントが多かったとのこと。文字の小ささに文句を言いながら歌詞カードを開く先生ですが、まず季語「蝶」に決定した経緯について語ります。初めは多くの句を詠んでいた「蝶」ではなく、「蜂」の句をキスマイ千賀さんが提案したそうです。
さらに、「蝶」の季語は先生にとって「春の象徴」であり、蝶を見て春の喜びを感じる瞬間があると続けます。今年初めて見た蝶を指す季語「初蝶」を用いた高浜虚子の句「初蝶来(く)何色と問ふ黄と答ふ」を紹介。「蝶」は春全般に使える季語で、「紋白蝶」「紋黄蝶」など種類による傍題も多く、蝶の季語によって句の作り方も変わると解説します。
「蝶」は春と会話する感触であると先生は持論を述べますが、誰もが感じない内容を先生がアウトプットしたのが「蝶語」の句だと今回の内容を総括する家藤さん。
しかし、コメントの質問者の真意は意味が分かりにくい句の解説ではないかと続け、雑誌記事のインタビューに答えた横尾・千賀ユニットの気になる句もあるらしいメッセージが。次回はその中身について具体的に切り込むそうです。
[7]【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説②】横尾くん・千賀くんの質問に勝手に回答!
<2020/5/14公開>
前回に引き続き、『王国の蝶』の歌詞の内容を具体的に掘り下げることに。キスマイファンから「先生が俳句の歌詞を提供してくれてありがとうございます」とブログに感謝のコメントが書かれるも戸惑いを隠せない先生。千賀・横尾両氏がキスマイラジオの中で『俳歌』について語っていた時、本人たちが気になっていたという2句を解説しています。
横尾さんからは「飛ぶのは痛い飛ぶのは痛い蝶の羽」の表現の意味は何か?という質問。前回も喋っていましたが、「蝶」の声が聞こえる『聞き耳頭巾』を持つという先生は、胴体の大きさに対して非常に大きい翅で飛んでいる蝶の声を聞こえたままに句にしたそうで、そんなに深い意味はないと語ります。さらに、横尾さんには蝶になりきって歌ってほしいとも忠告します。
千賀さんからは「蝶や今もう戻れない高さまで」の句。この句も蝶の声が聞こえたという先生ですが、他の誰よりも高いところに上がることに己を賭けながら上下運動を繰り返す蝶の声を句にしたといいます。この蝶の夢想に入り、いつか本当に行きたいところまで行って、「もう戻れない高さ」と認識した時に、その満足感と達成感の裏にある虚無を感じることにはっと気付いたと詩的に解説します。「新鮮だ」と感想を語る家藤さんも自身の解釈を述べ、千賀さんの感じた印象も知りたいと語ります。先生はキスマイの中で最も若い千賀さんに対し、虚無ではなく恍惚感を感じているのかも知れないとしながらも、恍惚と虚無は背中合わせだと続けます。
要点は2句まとめて「飛びたけりゃ飛べ」という結論で締めくくりました。
[8]【キスマイ『王国の蝶』歌詞解説③】タイトルの句は突然降ってきた?
<2020/5/17公開>
『王国の蝶』シリーズ完結篇は、曲のタイトル『王国の蝶』の原句を解説。
『蝶語』の句集作成のため、全100句から30句を"構成"する作業を行った先生。1句1句は単独であるものの、"構成"という句の流れによって、読み手の句を受け取るイメージが決まるため、この思考作業が大好きだと語ります。しかし、全体の概観が完成したときに、流れを断ち切るように感じる句があり、最後の一句に悩んだそうです。
前の句が、「青空や蝶百頭を贄として」(「贄」:にえ)。蝶百頭を青空の生贄に差し出したい感覚を詠った一句とのこと。
後の句が、「聖痕のごとくに蝶の鱗粉や」。蝶を触った時につく鱗粉が人体に刻印されるような感覚を詠んだ一句。
この2句の間に入る1句が選べず、最後の一点だけが空白になる感覚に、先生は困ります。
そして、「王国はもう来ているか蝶の昼」という句が瞬時に浮かびます。例の『聞き耳頭巾』とは無関係で、唐突に上から降ってきた句のため、意味を聞かれても答えられないとのこと。曲名採用の事実と当初の予想とのギャップに先生は驚きますが、句集と歌詞が別の並びとなった点を家藤さんが触れると、先生は曲のサビとして若者が歌う新鮮さにも驚きます。
ここから話題はキスマイのライブに。「プレバト!!」のプロデューサーに後押しされ、ドーム公演を観た先生は、当初は千賀さんと二階堂さんの顔の区別がつかず、ジャニーズは一括りで漠然と捉えていたと告白します。彼らの公演は先生の行う「句会ライブ」と同志として重なる部分があり、ライブに感銘を受けたと語ります。今は収録のメイク室に挨拶に来る両者に対し、名指しで返事が返せるようになったと報告します。
さらに、コメント欄には「千賀さん・横尾さん・北山さんのどの顔が好きですか?」と三択の質問が。笑顔が愛くるしいのは北山さん、泣き顔が抱きしめたいのが千賀さん、真剣に悩む表情では横尾さんを選ぶと見事に全方位に答えます。
最後に、俳句では自句自解をする場があまりなく、この句は歌詞だと思うと少し気楽だと綴る先生。ラジオでメンバーが語った話題を動画を通じて回収できる機会があることに面白いと語り、家藤さんはご本人がこの動画を見ているのか気になる様子。
先生は、「キスマイの顔はみんな違ってみんないい」と総括しました。
[9]季語って勝手に作っちゃっていいの?
<2020/5/21公開>
今回は「季語は誰がどうやって決めてるの?」という質問。先生は、"季語認定機関"があるわけでも、自分で勝手に季語だと軽く決められるわけでもなく、長い年月をかけて多くの人が季語だと認識して使う必要があると答えます。
さらに、高浜虚子に師事した俳人・中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」を挙げ、この句により「万緑」という周囲の景色が全て青葉で埋め尽くされるイメージの季語が誕生したと解説します。青葉の緑と歯の白の色の対比もある素晴らしい名句に感化された俳人たちが、「万緑」を季語として使い始めることで、次の時代の歳時記にその季語が載るというステップを踏み、世間に初めて季語と認められるとのこと。この過程には何十年も時間を要するそうです。
①新しい季語を作る ②それが名句である ③みんながその季語を使う ④歳時記に載る
と季語認定に4つのハードルを乗り越える必要があるとまとめます。
そして、話題はプレバト!!へ。中田喜子名人が披露した#30「『とき』発車旅憂わしき花追風(はなおいて・はなおうて)」において、芸能界で初めて季語を作った人として名前が後世に残ると収録後のセット裏で本人に絶賛したことを語ります。新たな季語を人々が使っていくことで名句が生まれ、人口に膾炙していくと総括する家藤さん。先生も同じ季語で名句を作ることで、中田名人の偉業を後世に語り継ぎたいと続けています。
※ちなみにチャンネル登録者が公開日時点で1万名を突破しました。おめでとうございます。
[10]祝・登録者1万人!感謝のコメント回答!
<2020/5/24公開>
チャンネル登録者数の1万人突破を受け、動画[3]の公約「生配信」の展望を語ります。現在、ネット回線強化のため工事申請中とのこと。コメント欄に生配信のアイデアを送りましょう。
質問回答特集の今回。まず、「夏井先生はなぜ組長と呼ぶのか?」という質問。先生は今更に受け止めますが、俳句集団「いつき組」の"組長"を名乗っていると答えます。南海放送ラジオでもお馴染みの肩書きで、知る人は当たり前にとらえています。さらに、ファンの方の「組長といえば誰?」アンケートで、プロレスラーの藤原組長を押さえて2位に入ったことを報告します。
続いて、「動画の右側で偉そうに語る家藤正人さんは何者か?」という直球な質問。夏井先生にもタメ口で話すため、失礼と思われたようですが、夏井いつき氏の息子と告白します(※「家藤」が先生の旧姓)。先生は「夏井いつき」が俳号であることに触れ、動画撮影場所の「伊月庵(いげつあん)」の由来である「伊月(いつき)」が本名だと明かします。
さらに、「先生は俳句を紙とペンに書くのか?パソコンやスマホに打ち込むのか?」と俳句作りと記録に関する質問に、句帳に記録する紙派だと回答します。ガラケーでは句を打ち込めない先生ですが、PCでは「句日記」というフォルダに作句した句を一太郎で入力するそうです。ただ、俳句は横書きと縦書きでは頭に入る感覚が異なると語り、横書き入力は馴染まないとも答えます。
そして、「夏井先生が記憶する一番下手な句は何か?」という質問。下手な句はその宿命のもとに覚えられず、人々の記憶から忘れ去られるとのこと。覚えられない句は下手な句だと結論付け、「プレバト!!」の過去最低点である5点の句を過去回で確認して欲しいと忠告します(リンクはワーストランキングへ飛びます)。
最後は、「小学生が俳句に取り組む際におすすめの季語辞典は?」という真面目な質問。様々な出版社が大きい字やルビ付きの歳時記を出版しており、実際に見て決めて欲しいと回答しますが、学校現場では児童や生徒一人一人に歳時記を渡す予算がないと切実な問題を打ち明けます。句会ライブで配布する、5音の季語を季節ごとに分類した一覧表を初心者向けとして紹介しています(※動画の概要でダウンロード可能)。
一回の動画で真面目な質問に一つは回答するとのことです。生配信も気長に待ちましょう。
[11]夏井が選ぶ!俳句を学びたい方へおすすめの本
<2020/5/28公開>
今回もコメント欄に投稿された質問に回答。まず、キスマイファンからの「学校で詠んだ俳句が県大会で金賞を獲得した」という嬉しい報告と、「今年の俳句甲子園で人数が足りずエントリーできなかった」という高校生のコメント、さらにアメリカのフロリダから毎週「プレバト!!」を視聴している外国人からのメッセージを紹介します。いずれも「プレバト!!」の番組が大きなきっかけのようです。
さて、「俳句関連のおススメの本は?」と大雑把とはいえ、興味深い質問。俳句初心者向けとして紹介したのが、①~③の3冊です(動画の概要も参照してください)。
①『夏井いつきの俳句ことはじめ 俳句をはじめる前に聞きたい40のこと』夏井いつき著 ナツメ社刊
→マイナスの知識をゼロにする本とのこと。
②『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業』夏井いつき著 PHP研究所刊
→ゼロから1に持っていきたい人向けとのこと。
③『新版 20週俳句入門』藤田湘子著 角川学芸ブックス刊
→本格的に勉強しようと思う人向け。様々な版があるそうですが、「20週」という具体的な数値目標が重要で、毎週の練習課題が具体的で取り組みやすく、「俳句を学ぶ人のバイブル」と語っています。
次に、「季重なりの許される範囲はどこまでか?」と俳句の技法に関する質問。季語の数もケースバイケースで、俳句のタブーではないと前置きし、一句に季語が一つというのは初心者への愛の教えと語ります。名句などを具体的に語ると三時間にもなるため、別の機会に解説をしたいとのこと。
続いて、「『蝶』は年中いるのに春の季語だが、年中いる『幽霊』が季語にならないのはなぜか?」という質問。まず、『幽霊』を季語とする歳時記はほとんどないものの、現代俳句協会の歳時記には掲載があり、考え方次第だと回答します。以前出演した「NHK俳句」で『幽霊』を取り上げたことがあるという先生。自著④を紹介しつつ納涼の「百物語」の季語を取り上げながら、「幽霊」は季語になりうるかを解説します。
④『NHK俳句 夏井いつきの季語道場』夏井いつき著 NHK出版刊
→番組内で「幽霊」が季語になりうるかの定義は、納涼で背筋が凍るような怖い句が出来るか否かだと視聴者に命題を投げかけた先生ですが、案の定、投句の中にあった「目を縫い潰したる幽霊に朝陽が差して白い」を見て背筋が凍るほど怖かったと語り、この句に出会ってから「幽霊」の季語賛成へと意見を変えたそうです。
最後に前回の動画の呟きに対するある反省を語って締めくくっています。
[12]俳句を始めたいあなたに!夏井流・歳時記の選び方
<2020/5/31公開>
今日の質問は「歳時記って何ですか?」。「歳時記」は沢山ある季語がいつの季節かを調べられる季語の辞書だと回答し、季語を一つずつ知ることは俳句を作る上で大切だと語る先生は、季語眺めで退屈しなかったと続けます。
先生が最初に買い、息子の正人さんに渡した歳時記(季寄せ)①(以下参照)をボロボロになるまで愛用しているご本人。これは春・夏・秋・冬・新年と5つに分類される季語の季節単位でまとめられているのが良い点で、比較的大きさがあるためバッグに入れにくいのがデメリットだと補足します。
次に先生が手を出した歳時記は、季節単位で分けられた分冊タイプの物。5冊が一緒になった②を紹介します。薄い文庫本なのでバッグにも入れやすく、季節の変わり目に使う歳時記を変えることで、季節を実感できる楽しみもあると語ります。また、少しずつ買い足すことが出来るので、財布にも優しいと補足します。
しかし、読んでいて一番楽しいのは大判の歳時記ではないかと語る家藤さんは③を本棚から取り出し、先生はボーナス(賞与)で最初に買ったと、付箋をつけて使い古した④を紹介します。
図鑑のように花などの写真が掲載されている大判は形から入る人にはお薦めではないかと無責任に提案する家藤さん。②などの分冊タイプでは、どの季節か不明な時には索引から検索しにくいデメリットも挙げます。
結局、歳時記は自分の財布(価格)とカバン(持ち運びやすさ)に相談すべきではないかと結論付ける先生。一冊は身近なところに置くのが現実的だと語ります。
ここで、普段は歳時記は持ち歩かないと、俳人でありながら信じ難い事実を打ち明ける先生ですが、句会には電子辞書を持っていくのが便利とのこと。俳句生活40年になれば、歳時記を持ち歩かなくても良いほど頭に入ると分析します。
さらに、季語を全て歳時記で覚えてから俳句を始めると言う初心者がいるが、自分の寿命が先に尽きるためにお薦めしないと忠告します。歳時記は辞書のように引いて使うべきで、どの歳時記を持つかは自分の財布とカバンに相談すべきだと繰り返します。
最後に、本屋さんの役に立ちたいと語って締めくくりました。
①「季寄せ」 | 講談社 |
②「現代俳句歳時記」 | ハルキ文庫・角川春樹事務所 |
③「カラー版 新日本大歳時記」 | 講談社 |
④「カラー図説 日本大歳時記」 | 講談社 |
[13]一音で蛍の動きを変えよう!助詞「に」「を」「へ」
<2020/6/4公開>
今回は先生が大好きな助詞。「に」の用法を中心に取り上げます。上五「に」は散文的になりやすいとプレバト!!でもよく注意する先生。
作者不詳の例句「米洗う前に蛍の二つ三つ(ふたつみつ)」で考えてみることに。弟子が作ったこの句について、助詞の用法ミスを師匠が指摘するという設定で問題を考えます。
オリジナルの指し棒を蛍に見立て、句の解釈を再現する家藤さん。この句の「に」は"~という場所+「に」"の用法で、"じっと止まっている"と解した師匠は、句を詠んだ弟子へ"死んでいる蛍がそこにいるのではないか"と先生は述べ、助詞の間違いを指摘します。
「生きている蛍」の描写には一音変えるだけと、「に」を「を」にすべきとする先生。「を」はこの句で"経過していく場所・空間"を意味し、じっとしている場所を指す「に」に対して、動いているある一定の空間を表現できるのが「を」だと違いを解説。さらに、方向を示す助詞「へ」の可能性もあると続けます。
映像として考えると以下のようにまとめられます。
「米洗う前に蛍の二つ三つ」→米を洗う手元にじっと蛍がいる。
「米洗う前を蛍の二つ三つ」→やや広い空間を蛍が飛んでいる感じ。
「米洗う前へ蛍の二つ三つ」→画角は狭いが、急に蛍がそこへ飛んでくる。
わずか一音の違いで、描ける映像・サイズや動きが変わるとまとめ、脳内でどんな映像になるかを考えると整理しやすいと語ります。
仮に「や」だと映像はどうなるか。「や」はカットを切り換えるため、米を洗う映像と、蛍がいる映像の2カットの映像になるはたらきがあると語ります。
切れ字の効果も今後解説したいと展望を述べたところで、「助詞って楽しい」と家藤さんが総括しました。
[14]高価な短冊は使わない!?俳句を始めるために必要なもの
<2020/6/7公開>
俳句に興味が出た初心者からの「俳句を始めるのに何が必要か?」という質問に、道具のことだと解釈した先生は、ペン(筆記用具)と紙(メモ帳)があれば何でも良いと回答します。俳句を書きとめる「句帳」という言葉にハードルを感じる人もいるそうですが、先生は、100円ショップで売られている小さい判のリングノートなどを取り上げます。裏紙をホッチキスで留めて句帳がわりにする人もいるとのこと。
さらに、初心者の思い違いの質問が「俳句を書く立派な短冊が必要か?」。縦一行に書ける厚くて細長い色紙を取り出す家藤さんですが、先生はほぼ必要ないと回答し、句会参加者から同様の質問があったことを語ります。立派な俳人が弟子にあげたり、展示会で沢山並べて売ったりなどの特別な場面でもない限りは短冊は不要で、そのレベルになるまで出番がないと忠告します。句会で使う短冊は、通常の薄い普通紙を短冊状に切ったものを指し、句会の幹事が用意するため、参加者は手ぶらで良いと補足します。
要はペンとメモ帳しか俳句に必要な物はないとのこと。ただ、話題は歳時記(動画[12]参照)の必要性に。先生は、紙の歳時記を持たない人が利用する「ネット歳時記」に触れ、情報が信頼できるサイトを使うべきだと忠告します。また、編者の考え方で網羅される季語も異なるため、複数の歳時記を持っても良いと補足します。
そして、俳句を始める心構えに於いて軽く飛び越える「勇気」が必要だという先生。すぐ卑下することはやめ、俳句は軽いノリとアドリブで詠むべきだと忠告します。俳句は即興・諧謔(かいぎゃく)とはいうものの、言い換えれば軽いノリとアドリブということに尽きるとし、後はユーモアもあれば良いと続けます。
入念に準備しすぎないのが大事ではないかと初心を語る家藤さん。先生は、性に合わなければ辞めれば良いだけで、元手も大してかからない点を強調します。話題は、スポーツや音楽など買って後悔する様々な趣味の話に飛び火しますが、飽き性の家藤さんでも俳句は続けられると語ります。俳句はいつでも始められ、いつでも撤退できる手軽さを先生は再度強調し、質問に対する総括の回答として「無謀な挑戦」だと締めくくりました。
[15]空白には何が入る?助詞の働きを理解して表現の幅を広げよう
<2020/6/11公開>
動画[13]に続く、助詞第二弾。今回は「緑陰●写生の子らのちらばりぬ」という句の●に入る助詞を考えます(「緑陰」は木陰を指す夏の季語)。
●に「へ」「に」「を」のどれを当てはめるかで、子どもたちの動きが変わってくると前置きし、美術班の用意したスケッチブックによる紙芝居形式で視覚的な違いが分かるように進行します。
①「緑陰へ写生の子らのちらばりぬ」
「へ」は、方向を示す助詞で"その方向へ向かっていく"という意味。画面には最初は子どもがいないか、先生など別の人物に焦点がありますが、緑陰へと駆け出す子どもの姿が現れるイメージ。
②「緑陰に写生の子らのちらばりぬ」
「に」は、場所を示す助詞で"明確にその場所に居る"という意味。子どもたちは動かずに、緑陰で最初から写生を始めているイメージ。
③「緑陰を写生の子らのちらばりぬ」
「を」は、ある一定の空間や時間の中の動きを表現する助詞。子どもたちは緑陰の中を常にウロウロと散らばり、なかなか写生を始めないイメージ。
④「緑陰や写生の子らのちらばりぬ」
「や」は、場面の切り替えや強調を表現する助詞。「緑陰や」は"まあ何と素敵な緑陰でしょう"と強調しながら、カットが写生を行う子どもたちの映像へと切り替わり、画面が大きくなるイメージ。2カットの映像の印象に。
これらの助詞の違いが分かるようになれば、自分がどんな表現をしたいか考えた時、頭の整理がつくようになると語る先生。自分が詠みたかった光景を一回脳内でリプレイしして考えるべきだと指南し、自分の中に使うべき助詞の正解があると理論的に解説します。
ここで、「プレバト!!」の兼題写真を引き合いに出す家藤さんは、写真の外側に何があるかを想像すべきと先生が指導する点に触れ、助詞を変えても同様のことが可能になるかを質問します。先生は、助詞を変えるとさらなる展開になることもあると回答。
⑤「緑陰には写生の子らのちらばりぬ」
「には」は、場所の助詞「に」に指を差して強調するはたらきの助詞「は」が合わさった形で、別の空間を示唆するはたらきがある助詞。片や緑陰が、片や緑陰ではない池などの別の空間が存在し、緑陰でない場所には写生をしていない子供たちがいるか、誰もいないイメージとなり、光景が広がる効果があります。
お二方は説明に使った小道具(磁石でくっつく紙芝居)の便利さに感動し、是非とも学校でも使ってほしいと薦めます。
助詞ひとつで意味が愕然と変わり面白いと語る家藤さんに対し、本当に奥が深いのは助動詞だと語る先生。ハードルが高い助動詞もいつか触れる時が来るかもしれません。
[16]俳句集団いつき組って何!?
<2020/6/14公開>
「夏井先生が組長と名乗る俳句集団いつき組って何ですか?」という質問。「組長」という肩書は俳句の世界では珍しいことを最初に告げる先生。他に"俳句集団"を名乗るグループ例に"itak(イタック)"を挙げますが、"俳句結社"と名乗る集団がほとんどとのこと。
先生は、俳句結社を1人の師匠(主宰)をトップとするピラミッド型組織に喩えます。一番の下の「会員」はいわば弟子入り。句会や講座に参加しながら、主宰に認められると「同人」にランクアップ。幹部同人になると、自分の句会をして指導を行うこともあるそうです。高浜虚子がホトトギスという俳句結社を作ってから脈々と続くとのことで、組織が系統だっており合理的な仕組みであると先生は語ります。会員になる条件は、発行する月刊誌(季刊誌)を購読するかという点で、会員かどうかの線引きが非常に明確にあると強調します。
一方、俳句集団いつき組はピラミッドのような階層社会ではなく、広場のような開かれた場所で、夏井先生が広場中央の噴水辺りに居座っているイメージ。"俳句が楽しい"と思ったら勝手に名乗って良いと語る先生は、構成員の数など把握できないと続け、「いつき組」と名乗る方には、身近な人に俳句の種をまいてほしいとお願いをします。
ここで、俳句の「種」について補足する先生。俳句をしていない大方の人にとって、俳句は高尚な文学で始めにくいと思う点を挙げ、長年行ってきた戸口を広げる活動として、俳句の種まき運動の大切さを語ります。俳句の楽しさを知った方が、学校や句会などを開いて裾野を広げるなどユニークな活動をして下さるそうです。
俳句の種まきを手伝う人も、俳句を作る人も作らない人も、人の句を見て楽しむ人も、いつき組の広場にいて良いと語る先生。広場の中でも組長の近くで本気で学んだり、小さな集団を作ったり、好きな時に広場を出入りしたりと、様々な俳句の楽しみ方があると補足します。人生の段階によっても俳句に取り組める時とそうでない時があり、自由にできる気楽さがあると語るのは家藤さん。「師匠」「弟子」という上下関係の絆を結ぶ俳句結社は、本気で学ぶには良いものの、息苦しくなって俳句が嫌いになる場合もあると先生は語り、気楽に行いたい人のために、出入り自由な組織の必要性を強調します。
また、いつき組の会員は、性善説に立って句を詠む人物らに思いやりの声を掛けられる大人の方が多いと印象を述べる先生。名簿も会員証もなく、影も形もない「いつき組」ですが、所属意識を持って自分が貢献する運動になっていると語り、「組長」としてとても嬉しいと続けます。
最後に、実は俳句に真摯に取り組む梅沢富美男氏の話題に。夏井先生と家藤さんが行った松山市のトークショーイベントで会った際のことを語ります。「日本で一番俳句の種をまいているのは誰だと思うんだ!?俺だ!」と梅沢さんとの言い合いを振り返る先生は、全国の小学校をまわる際に梅沢さんの小学生ファンが多い点を意外だと率直に述べ、「広い心で梅沢さんを見てほしい」と懇願する児童の言葉を紹介。梅沢さんも広場の中でギャーギャー騒ぎつつも俳句の種をまく活動に貢献していると先生は感謝の辞を述べ、視聴者へのメッセージを語って締めくくりました。
[17]【初心者でもカンタン!?】日記から俳句を作ってみよう!
<2020/6/18公開>
動画を通じて俳句への挑戦者が増えているという嬉しい報告から。俳句は創作活動で敷居が高いと思う方へのチャレンジ企画として、最初の一句の作り方を考えます。
句会ライブや本を買うなどの方法もありながら、YouTubeの動画を通じてならハードルも低いと語る先生。子どもが宿題として書く「日記」から俳句のタネを見つけるシチュエーションで解説すると語る先生は、ある子どもの日記を紹介します。
①どうぶつえんで絵をかきました。 ②お父さんライオンはねてました。 ③お母さんライオンががおがおほえました。 ④ライオンをでっかくかきました。 |
①の文の場合、「どうぶつえんで」でそのまま七音、「えをかいた」で五音のフレーズができます。あとは、最初の五音の部分に季語を入れるだけ。
夏の動物園なので「夏の空」と合わせてみます。「夏の空どうぶつえんで絵をかいた」。これで一句が完成しました。
②の文なら、「お父さん」「ライオンねてた」で五音と七音のフレーズが採取できます。脳の中で作るのではなく、言葉を採取する感覚なら悩まなくて済むと先生はアドバイス。「お父さんライオンねてた夏の空」でここでも一句完成。
③の文。②と同様でもOKですが、「がおがお」の音が面白いため「母」の情報を省き、「ライオンが」「がおがおほえた」で作ってみます。「ライオンががおがおほえた夏の空」となります。
しかし、「お母さん」の情報を入れて作る方法もあります。「お母さんライオンほえた夏の空」。俳句のタネの採取の仕方は複数あるのです。ここで、日記からの俳句作りは親子で相談しても良いのではと切り出す家藤さん。五音と七音のフレーズ探しと、どのフレーズを俳句に入れるべきか、お子さんに問いかけるように親子で会話を楽しみながら、俳句の宿題に取り組む方法も良いと先生はお薦めします。
ところが、動画の視聴者は年齢層が高めだと切り出す家藤さんは、子どものように日記を書かない人への作句に触れます。先生は、スケジュール帳や手帳、家計簿、カレンダーなどにおのずと書きこんだ言葉に注目すべきと語り、先ほど挙げた日記の言葉の採取と同じ働きを担うと述べます。
スマホなどのメモ帳機能やToDoリストなども参考になると語る家藤さんは、ご自身の手帳から「ピーエム一時打ち合わせ」でフレーズを作り、「夏の空PM1時打ち合わせ」と先生が続けて俳句にし、ハツラツとしたやる気のある青年のような印象だと味わいます。
季語を変え、「梅雨曇(つゆぐもり)PM1時打ち合わせ」とすると、心も曇ってウンザリする印象に変化。「油照(あぶらでり)PM1時打ち合わせ」なら、トボトボとアスファルトの上を歩くサラリーマンの印象に。
仕事帰りの買い物のメモから「豚肉五百グラム買う」とさらにフレーズを作る家藤さん。
自分の身近なメモやToDoリストなどから12音のフレーズを作り、5音の季語と取り合わせる方法をまずやってほしいとまとめる先生。学校で日記指導を行う教員の教材研究にもでき、学校の先生にも拡散して欲しいと語っています。
[18]【センスは筋肉!】俳句にセンスって必要なの?
<2020/6/21公開>
「俳句にセンスは必要なんですか?」という割と真剣な質問に、そもそも「センス」とは何だと思っているか?と逆質問をする先生。「感性がないから俳句などできない」という意味ではないかと家藤さんが助け舟を出し、「語彙がない」「教養がない」と合わせて初心者が悩む理由を3点に集約し、これらを総称して「センスがない」と質問したのだと話が展開します。
「語彙・学識・センス(感性)は俳句に必要か?」と家藤さんが置き換えると、先生は富士山の登頂に喩えて、大体9合目以上まで登った人に初めて影響すると回答します。具体的には、俳句作家として活躍し、自身の句集を出し、他人からも評価を得ているような俳人が該当するとのこと。それ以外の人(8合目以下にいる人)には全く関係ないと回答し、むしろ友達から俳句を勧められた質問者が「感性がないから」と断る方便に、質問を利用したのではないかと意図を推測します。
先生は、俳句はセンスなどの問題ではなく、もっと泥臭いものであり、要は筋トレが大切だと語ります。毎日続ければ筋肉がついて上達しますが、辞めたら筋肉が落ちるのと同じであり、筋肉がついていくと、悩まずに俳句がドンドン出来るようになると述べます。しかし、家藤さんは俳句に好意的で慣れている人間の発言だと話を引き戻し、筋トレが嫌いな人は俳句に取り組みにくいと指摘します。
富士山の裾野にいる初心者にとって、「センス」とは美しい思い込みに過ぎず、大切なのは歩き続ける(継続する)という思いだと語る先生。孤独な山登りは長続きしませんが、一緒に登る仲間を作ったり、時々褒められたりされるなどを糧に続けていけば、後からセンスは身についてくると補足し、センスは筋肉だと言い換えます。
二足歩行だけでも筋肉はつくと優しく語る家藤さんに共感しない先生ですが、意欲的に漢字ドリルに取り組まなくとも、難読漢字が読めるようになる事例も俳句継続の成果だと語ります。
俳句の「センスは筋肉」と先生は繰り返し、前向きな感じで締めくくりました。
[19]【名句をギャグに!】ギャ句゛で俳句のトレーニング
<2020/6/25公開>
「俳句の筋トレを教えて下さい」という実践的質問。先生は、動画[11]で紹介した藤田湘子著「角川学芸ブックス 新版20週俳句入門」を本格的に筋トレをしたい人にお薦めだと振り返りますが、これを躊躇する人のためのハードルの低い筋トレを紹介します。
名付けて「ギャ句゛(ぎゃぐ)」。古今東西の名句の一部を変えることで、意味を愕然と捻じ曲げる手法だと言います。最小の文字変換で、最大の意味変換をするのが「ギャ句゛」とのこと。
まず、自由律俳句で有名な俳人・種田山頭火の「うしろすがたのしぐれてゆくか」を取り上げます。初冬の季語「時雨(しぐれ)」は降ったかと思うと晴れ、また降り出すという通り雨のことで、後ろ姿がモノトーンのように時雨に消えていくという寂しい意味合いの句だと家藤さんが語ります。この句の「ギャ句゛」は、一音取るという手法。「し」を取ると、「うしろすがたのぐれていくか」。家出などの非行に走る未成年の意味合いに変化します。
教科書に載る「咳をしても一人」は尾崎放哉の自由律俳句。「咳」も冬の季語で、寂しい意味合いの一句ですが、「ギャ句゛」を楽しむギャ句゛ラー(ギャグラー)には人気の句とのこと。同音異義語で変換してみる先生は、「咳」を戸籍の「籍」に変え、「籍を入れても一人」とやはり切ない内容の句に変えます。状況を変えることで、原句の持つ切ない雰囲気を「ギャ句゛」にも流し込むと効果を解説する先生。くだらないことが高尚なことに見えると家藤さんが語ると、先生は「ギャ句゛」を最初に始めた俳人・杉山久子さんを紹介します。
杉山さんが夏井先生に最初に送った「ギャ句゛」の原句は、村上鬼城の句「痩馬のあはれ機嫌や秋高し」。痩せてはいるが、機嫌が良い馬を描写した句ですが、濁点の位置を変更し、「痩馬のあばれ危険や秋高し」と全く異なる意味に。次に杉山さんから送られた原句は、高浜虚子の「鎌倉を驚かしたる余寒あり」。春になっても冷え込む鎌倉に驚いている心情が表れた擬人化を用いた句ですが、当時妙齢な杉山さんは何と語感から、「キャバクラを驚かしたる股間あり」に変えたそうです。
「ギャ句゛」がくだらないかどうかはさておき、俳句の筋肉「俳筋」を鍛えるトレーニングに本当になると答える先生。前提として、誰でも知っている古今東西の名句を知らないといけない点を挙げます。さらに、「ギャ句゛」は音の響きが重要なため、何回も口に出すと名句を覚えるメリットがあるとのこと。
韻文である俳句の韻(リズム)が身体に叩き込まれると、自分の俳句の引き出しが多くなり、身体が韻や俳句のリズムを覚え始めるとメリットを続けます。
さらに、「ギャ句゛」を通して語彙が増えると語る先生は、同音異義語探しで辞書をめくるだけでも自然と語彙が身につくと語ります。
やって損することは何一つない筋トレの一つだと総括する先生。それに対して意見を述べる家藤さんは、「ダジャレ」はしょうもないことだが、日本語だから出来る高度な遊びとして推奨する学者もおり、そのことに近いのが「ギャ句゛」だと語ります。
最初の一句づくりが難しい人にも先生は今一度お薦めしますが、動画のコメント欄に「ギャ句゛」が溢れるのではないかと家藤さんが一言。「ギャ句゛」で俳筋を鍛えよう!として締めくくりました。
[20]【コメントにイッキに回答!】海外では季語はどうなる?
<2020/6/28公開>
久々のコメント返しの回。まず、世界中から動画にコメントされている点に触れ、国外の組員訪問をしたいと先生が語ると、視聴者の多い国のランキングを発表する家藤さん。アメリカを筆頭に約40か国列挙します。先生は、国外で日本語を指導する学校で「プレバト!!」の俳句動画が授業資料に使われている点に触れ、このYouTube動画も自由に使ってよいと語ります。
質問はオーストラリアから。「南半球では季節が日本と逆だが、日本と同じ季節の季語を使ってよいのか?」。海外在住の日本人や海外吟行する場合も同様の質問を受けるという先生は、悩む必要は全くないと答えます。日本の四季を心に思い描くため、日本と異なる季節とのギャップに悩む人の質問で、日本の四季を考える必要はないとのこと。海外で雪が降っているなら、出遭っている季語「雪」を用いて目の前の光景をストレートに詠めば良いと解説します。自分が今いる季節について、その季語と相対して詠めばよいだけのことだと補足します。
先生は、日本の四季の有難みに触れ、日本列島が細長いことで様々な四季の姿を体現でき、一年を通して様々な季語と出会えると語ります。そうでない海外では、自分の季節の句をまず詠み、「ハワイでも雪が見たい」など異なる季節の句を詠みたいならば、金を貯めて欲求を満たす国に行くべきと断言します。
次は、俳句歴1年の方から「俳句技術の向上には、俳句結社に所属すべきなのか?」という質問。先生は、自分の作句の方向性や句風が分からないうちに、山のようにある結社のどれかに所属するのは難しい(お薦めしない)と答えます。主宰の句や文学的な立ち位置も千差万別で、参加した句会がとある結社の主催だと後から知るケースもあるそうですが、方向性の違いに悩むと俳句が嫌いになる場合もあると語り、「いつき組」のような"広場"で、俳句のイロハをある程度勉強し、結社の違いや主宰の句の良さが分かるようになってから入会する方が間違いが少ないと忠告します。俳句は好きだが、人間関係が嫌いになるのは切ないと率直に先生は述べます。
"嫌い"繋がりで、「中学入試のために、歳時記を知らぬまま季語を調べさせられ俳句が嫌いになった」というコメントを紹介。季語を知っただけでも収穫があって良かったと先生はポジティブに答え、受験とは異なる学ぶ楽しみがあるため、歳時記を手にすることを薦めます。
さらに、「プレバト!!」の"たのしいな俳句"は作句しやすいが、「兼題がある時の俳句の作り方のコツはあるのか?」という質問。"たのしいな俳句"は楽しかったエピソードを12音で作り、「たのしいな」の5音を最後に足して俳句にする方法。最後に、その5音を自分の気持ちや心情を示す季語にすげ変えます。俳句を指導する先生方にも理解されたプログラムで、最初の一句には良い方法ですが、作句方法は色々あると語ります。「兼題」という季語を提示される場合は、大きく2通りに分かれると先生は述べ、「取り合わせ」「一物(いちぶつ)仕立て」を家藤さんが答えます。
それぞれの詳細は今後の動画で解説するという先生は、それらの作句方法を覚えたり、季語の本意(ほい)を学んだりと複合的に学習してから兼題に取り組むべきと解説し、重要なのは作り方の手順を伝授すべきだと述べます。コツは安易に求めない方が良いとも語り、コツコツ学ぶ方が長続きするとアドバイス。
そして、助詞の解説回の反響から。「助動詞のけり・たり・なり・をりのニュアンスの違いは?」。「や・かな・けりの切れ字について教えて」「助詞の"の"について解説して欲しい」と沢山質問が。先生は、それらの項目は今後の解説に向けてリストアップしており、季重なり、字余り・字足らずなどとシリーズ化を検討中とのこと。コツを求めず、コツコツリクエストして欲しいと語ります。
好きな句も交えながら動画で語りたいという先生は「シリーズ名句」と今後の展望にこと尽きない感じですが、コメント欄に書かれていた「ユーチュー婆(ばあ)」と名乗らせていただくと容赦ない姿勢を見せる先生でした。
[21]【用語解説:俳号】漱石は正岡子規の俳号だった?
<2020/7/2公開>
最初に様々な反省を語るお二方ですが、俳句の基本的な用語解説をするシリーズ回。今回は「俳号(はいごう)」を取り上げます。
「俳号」は俳句用の名前でペンネームのようなもの。俳句の17音とセットで紹介されるため、あまりに変な名前だと作品まで悪く見えるため注意すべきだと先生は述べます。
本名の「伊月」を平仮名にして「いつき」を俳号としている先生ですが、自分の名前に関係あるかにかかわらず、好き勝手につけてよいのは間違いないと補足。俳号は自分で勝手につけるのが基本であるという自身の考えを述べます。
話題は有名な俳人の俳号に。松山市生まれの俳人・正岡子規(※本名は常規)は明治を代表する文学者ですが、回覧雑誌ではその都度変えているため沢山の俳号があるそうです。「子規(しき)」はホトトギスの別名で、他にも「香雲(こううん)」「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」「竹の里人(たけのさとびと)」「漱石(そうせき)」と列挙します。「漱石」は、四字熟語「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」を由来とし、自分の俳号としていたものを落語の寄席仲間だった夏目漱石にプレゼントしたらしく、俳号に生きざまが表れるのがカッコいいと先生は語ります。
さらに、女性と間違えやすい名前として「虚子(きょし)」「秋桜子(しゅうおうし)」「誓子(せいし)」「湘子(しょうし)」と「子」のついた名前を4人挙げます。昔は男子を「子」、女子は「女」と書いて区別するのが流行ったと語る先生。子規に師事した松山の俳人・高浜虚子は本名が「清(きよし)」のため、その読みから「虚子」となったと由来を解説します。東京生まれの医者である俳人・水原秋桜子の本名は豊(ゆたか)ですが、コスモス(秋桜)が好きだったという可能性も。京都生まれの俳人・山口誓子の本名は新比古(ちかひこ)で、「誓う」を音読みして俳号に当てたのではないかと語ります。神奈川生まれの俳人・藤田湘子の俳号の由来は沢山いる弟子なら御存知かもしれないと続けます。
本名を元にしても良し、色んな発想で勝手につけるのも良しなのが俳号だとまとめる家藤さんですが、自身の趣味や好みを当て字にする方法もあると先生は語ります。
さらに、俳号の役割は、単純に名乗る意味合いのハンドルネームだけではなく、自身の作品だとマーキングする役目があるため、他人と区別する視点が重要だと解説します。日本全国にいる他人と被らないように名字を付け加えたり、簡単な名前にしないようにすべきだと忠告します。
俳句を作っていなくても、最初の作品作りは自分の俳号だと思ったら良いと気軽に薦める先生ですが、験が悪いと思ったら出世魚のように変えて良いとも語ります(ただし、投句の度に毎回変えるのは駄目)。また、複数の俳号を使い分けて投句するのはマナー違反のため避けてほしいとのこと。
家藤さんのように、本名で投句するのもOKですが、本名で撃たれたら(悪評を書かれたら)痛いとも忠告。自分の俳句スキルに合わせて俳号を段階的に考えていく方法がハードルが低いとお薦めする先生は、俳句の第一歩としてコメント欄に「俳号決めました」と書いてほしいと綴っています。
[22]【用語解説】投句・兼題・席題・当季雑詠
<2020/7/6公開>
俳句用語解説第二弾は表題の4つの用語を取り上げます。
「投句(とうく)」とは、作った俳句を投稿すること。俳句初心者は独特な専門用語につまづきやすいと家藤さんが語ると、夏井先生は独学で始めた俳句を他人に見てもらうため、月刊誌の選句コーナーに投句した過去の経緯を話し、分からない用語に出会ったと同調します。選者の側が優秀な句を選ぶことは「選句」だと補足。「投稿」「応募」は使いません。
「お題」も俳句では使わない表現。プレバト!!の番組表現に苦言を呈す先生ですが、「兼題」「席題」の二種類があると解説します。
「兼題(けんだい)」はあらかじめ出題されている題。兼題を見て「投句」することになりますが、必ずしも季語が兼題になるとは限らず、季語ではない漢字や単語、プレバト!!のような写真、幅広いテーマなど、兼題の出し方は様々なようです。
「席題(せきだい)」は句会の席上で突然出される題。その場で題を聞いてから作句しなければならない「即吟(そくぎん)」が必要で、スリリングだとも語ります。席題の出題は俳句の指導者とは限らず、参加者の一人が指名される場合もあるそうで、題自体は兼題と同じものですが、変な題を出すと自分が苦労するとのこと。
「当季雑詠(とうきざつえい)」を最後に解説。「当季」は今の季節のこと。季語の季節は旧暦が基準のため、実際の感覚より季節が早いことを、先生はファッション誌の先取りに例えます。「雑詠」は題が決められてないものを詠むこと。つまり「当季雑詠」はその季節であれば、何を詠んでも良いという意味。日常的に作っている句を披露してよいことになります。
多くの投句先では、何かしらの兼題が設定されています。同じ季語や単語に複数の人が挑むことで、自分にはない発想や兼題の深い意味を知ることで学びが効率的に出来るメリットを先生は語ります。同じ単語でも読み手によって感じ方が全く異なると家藤さんが語り、キスマイの王国の蝶で先生が動画[7]で語った虚無感を引き合いに出します。
兼題に季語を出すことが多いと語る先生。季語と必死に格闘することで、その季語の本意(ほい)(※季語の本来の意味)を自分の身体で理解し、使える季語が少しずつ増えていくため、季語から学ぶことを重視していると述べます。
何かの機会に投句してみましょうという形で締めくくりました。
[23]季重なりってどこまで許される?
<2020/7/9公開>
「季重なりについて教えて」という質問。「季重なり」は一つの句の中に2つ以上の季語があること。そもそも季重なりとは何が問題なのでしょうか。過去の名句を紹介しながら解説を始めます。
俳人で医師・水原秋桜子の「蟇ないて唐招提寺春いづこ」という教科書に載る名句。「蟇(ひき)」はヒキガエルを指す夏の季語なので、「春いづこ」の春と季重なりです。違う季節の季語が2つ入る形ですが、「春いづこ」が過ぎ去った春を指すのか、作者が春を探しているのか解釈に迷う難しい句と家藤さんが述べます。
「蟇」の鳴き声について、NHK俳句講師時代の話をする先生は、ゲスト出演した江戸屋子猫さんが披露した声真似で、自分の認識が想い違いだと知り驚愕したと語ります。ヒキガエルの鳴き声は犬の悲し気な「クイークイー」という音に近いそうです。
さて、この句は春と夏どちらの句として分類されているのでしょうか。お二方が調べてみると、歳時記によって異なるとのこと。虚子編の歳時記は夏の句に採録されていますが、春とするもの、春と夏両方に掲載するものと様々。また、同じ歳時記でも版で違うケースも。季語は生き物で、歳時記の編者によって変化すると先生は総括し、この句をどう解釈するかによってブレるのも重要な視点だと語ります。
次に、高浜虚子に師事した俳人・飯田蛇笏の「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」を紹介。「秋」の季語に加え、夏の季語「風鈴」が入った季重なりの句です。鉄製の風鈴が鳴ったという意味ですが、これは歳時記によって載る季節はブレないという先生。季語は秋に収録されています。風鈴をしまい忘れ、風鈴の音で秋だと気付くことに感動の中心があるのがポイント。
2句とも鳴りものが中心の句ですが、なぜ季節の捉え方が違うのか。秋桜子の句の「春いづこ」をどう解釈するかが重要だと話が展開します。先生は最初は感動しなかった句だそうですが、NHK俳句の鳴き声の件以来、考えが変わったことを語ります。「春の間に蟇が鳴き始め、唐招提寺にいる作者は、春はいずこに去っていくかと春を惜しむ心があるのではないか。『春いづこ』の感慨を、BGMのように鳴く『蟇』が引き出したのではないか」と先生は新たな句の解釈を述べると、家藤さんは「蟇」を強調するなら「蟇なくや」に出来るため、「ないて」の接続が活きていると語ります。先生は安易に「ないて」にしたのではなく、惜春の想いを強調する意図が作者にあったのではないかと続けます。
季重なりは他にも、どういう構造でどんなパターンか様々なものがあり、動画の視聴者と考えながら解説したいという先生。色々なパターンを今後の「季重なりシリーズ」動画で紹介すると展望を語り、好きな季重なりの句をコメント欄に投稿して欲しいとも綴っています。
[24]俳句をしてどんな得があるの?
<2020/7/12公開>
「俳句ってどんな得があるの?」という質問。目先の嬉しいことは、退屈しないこと。俳句のタネを探し始めるため、好奇心が自分のまわりに立つと語る先生は、何かの待ち合わせで遅れてくる人がいた場合でも、その待ち時間を利用して句材探しをしたり、遅れてきた人物に「ざまあみろ」と一句浴びせることもできるとユーモア交じりに例示します。
また、夫婦で俳句をやると夫婦喧嘩になりにくいという実体験も。カチンと頭に来る台詞を言われても、それが脳内で五音・七音として認知するメカニズムがあるため、時間を持て余せず、退屈せず、夫婦喧嘩にならないとか。
次に、何か貰えるのかという視点で会話が展開します。人に褒めてもらえる機会が増えるメリットがあると語ります。社会人になると実生活で褒められる機会がないのではと前置きし、傑作の俳句だと他人から評価され、得した気分になると言う先生。後ろ向きな考えな人ほど俳句をやるべきだと提言し、明日への活力になるとも続けます。
様々なモノや金券が当たる場合も。今年度から伊藤園「お~いお茶」の俳句審査員となった先生ですが、見事掲載されると自分の投句が印刷されたペットボトルが1箱届くこともあると紹介。「かに道楽」はお食事券3万円が10名に当選するそうです(いずれも今年は締切済)。他にも小林製薬「ケシミン」のシミを兼題とする企画で最優秀賞は商品券10万円が送られたとのこと。
金額が高い物でいうと朝日出版社の「おうちde俳句大賞」(第二回は締切済)。リビング・台所・寝室・玄関・風呂・トイレの各部門賞の優秀賞は5万円、大賞は20万円が与えられます。
お金の話で盛り上がりましたが、俳句は裏切らないと語る先生は、俳句は筋肉と同じで継続すれば一定のレベルまで上達し、"下手くそホームラン"もあると述べます。深い部分を考えず、表面的な得を考えて一歩を踏み出すのもアリだとアドバイスしました。
[25]上五の字余りってどうなの?
<2020/7/16公開>
「字余りはどうなのか?」という質問に回答。プレバト!!でも先生が字余りで添削する例があるだけに、関心のある視聴者も多い項目。先生は、"上五"の字余りを許容して、中七・下五の12音でリズムを取り戻せる手法があるとまず語りますが、やはり俳句は五七五の有季定型が大切だと押さえます。
「プレバト!!」の"おっちゃん"こと梅沢富美男氏の「やっぱり俳句は五七五だ」という意見に同調する先生は、有季定型の気持ち良さや手応えがあると語ります。敢えて字余りにする効果を手に入れられるかどうかの視点で考えるべきで、音数が入らないから無理矢理字を余らせるのは実力不足・テクニック不足だとも語ります。字余りは、句の内容が濃く深くなる時に限って行うべきだと結論付ける先生に続き、仕方なく安易にすべきではないと家藤さんが押さえます。
次に、名句の字余りには理由が存在すると語る先生は、中村草田男の「毒消し飲むやわが詩多産の夏来(きた)る」という七七五の句を紹介します(※「毒消し」は食あたりの治療薬)。仮に「毒消しやわが詩多産の夏来る」と定型にした場合は、「毒消し」という物だけを「や」で強調することになります。敢えて「飲む」の2音を足すと、「や」の強調がすぐ前の「飲む」という動作・行為に焦点が移るため、後半のフレーズや「夏来る」の季語も活きてくると先生は解説します。映像も全く異なることとなり、意図を持って字余りにしていると続けます。
さらに、山口青邨(せいそん)の「人も旅人われも旅人春惜しむ」という七七五の句を紹介。「~も旅人」の7音のフレーズの繰り返しでリズムを作る効果があります。字余りを溶け込ませるテクニックの一つとして、リフレイン(音の繰り返し)にすることで韻律として作りやすくなると先生は解説し、韻文である俳句は、リズムとその内容が深く関わっていると続けます。下五の季語「春惜しむ」が調べに乗り、読み手の心に流れてくる効果があるとも語ります。
紹介した2句とも、字余りにする理由と意思がガッチリと組み込まれていると総括する先生は、本来の字余りの使い方はこうであって、上五にグチャグチャと言葉を入れるべきではないと再度忠告。
「字余り」シリーズでは、中七・下五での字余りパターンや全体で溢れるパターンなど様々な句を今後も紹介するとのことです。
[26]【メンタル】俳句が作れないときの考え方
<2020/7/19公開>
「俳句が苦しくなったら?」とスランプに陥った時の対処法を考えるメンタルシリーズ第一弾。ラジオ番組「夏井いつき一句一遊」でもなかなか自分の句が紹介されず、投句先に「一苦一憂」と書かれる場合があると明かす先生。最近は投句数が多い故、選ばれるハードルが高いと家藤さんが告げ、毎週およそ5000~6000句の投句から150~170句程度しか紹介できない切実な事実を述べます。「月に一回でも詠まれたら良し」の気持ちで臨んで欲しいと先生は続けます。
俳句を継続していると、苦しい瞬間は絶対に訪れると共感する先生は苦労話を語ります。会ったこともない黒田杏子(くろだももこ)さんの弟子になると勝手に決め、大学卒業後に俳句を始めた先生。最初は楽しく感じたものの、黒田さんにはどう頑張ってもなれないと、師匠と自分とのギャップに徐々に苦しめられます。"杏子2号"として作るどの句も二番煎じに過ぎず、思い悩んだそうです。なりたい自分になれない苦しみだと家藤さんが述べますが、諦めた先生は"いつき1号"になることを腹に決めたのが良かったとのこと。
句会などでも選者に選ばれた他人の句より、自分の句の方が良いと感じる瞬間があると語るのは家藤さん。句会で1票も貰えない「坊主」を何度も経験していると先生も同調します。山梨在住で夏井いつき先生の妹に当たるローゼン千津さんが最終選考で残るも、甥の家藤さんは落選という苦い経験は身内でも起こることだとか。
苦しさには二種類あるとまとめる先生。
①好調な時期もあったが今は良い句ができないというスランプに陥る苦しさ ②他人と比較して句が劣っているのではないかという劣等感による苦しさ |
①は誰にでもあると思ってよいとのこと。触発される時もあれば、何も響かない時もあるとアドバイスし、伊月庵通信に先生がエッセイとして著したローゼン千津さんのブログの言葉を紹介します。
俳句は呼吸。月の満ち欠けと同じリズムがある。句想に満ちる時もあれば、細々と続く時もある。季語を心身に取り入れ、俳句にして取り出す、あなたという存在は、自然→言葉、(しぜんからことばへ)の変換装置なのだ。 (『ミセスローゼンの富士日記』の記事「雪の中配達されし胡蝶蘭」より引用)。 |
さらに、ドラゴンボールの"元気玉"で喩える先生。自然界のありとあらゆるエネルギーを球体として集めて力に変換し、両手で投げつける悟空の必殺技ですが、外からのエネルギーを何かに変換する上で、17音に変換して表現する俳句も一緒だとまとめました。
②については、次回動画でさらに解説すると予告しています。
[27]【メンタル】俳句は他人と比較する道具じゃない!
<2020/7/23公開>
前回の続編のため、挨拶なしに動画がスタート。他人と比べて劣っていると思う苦しみについて語ります。
先生は、俳句を道具にすると苦しくなると述べます。俳句を使って誰かに評価されたいとか、俳句を使って人に振り向いてほしいとか、承認欲求のために俳句を使い始めると苦しくなると言うのです。
様々な箇所に投句しても採用されない苦しみは誰でも経験するという先生は、再び苦労話を。「十句会(とうくかい)」というグループに所属していた先生は、自分を除くメンバーが次々と最終選考に残った切実な経験を語ります。特に、妹であるローゼン千津さんが選者である金子兜太(かねことうた)氏に、作品ではなく句から読み取れる人格を褒められ、姉として悔しかったという先生。これらの精神的メカニズムは、自分を評価されたい道具に使うなと俳句から見放されて、結果的に苦しくなると述べます。
そういう時は、少し立ち止まって考えてほしいと続けます。自分は俳句が好きで、自分のために作っているのかと考えてほしいと。
そして、動画[11]で紹介した『新版 20週俳句入門』藤田湘子著 角川学芸ブックス刊を再び取り上げます。20週の第1週目にある「俳句は自分のために」が大切だと述べます。俳句が分かった気になるも、周囲から認められずに疑心暗鬼になると俳句が作れなくなる…。誰でも経験することであり、先生もそれを何度も経験しながら、自分は俳句が好きで作っていたのかと到達点を見出すのに40年かかっているとまで語るのです。
「俳句ポスト365」の並選の句は「プレバト!!」では何点相当かとか、「一句一遊」の金曜日に詠まれる優秀作品の句意やその良さが分からないなどと言っているうちは、まだ俳句に足掻いている人で、句の良さが分かった時に一気に階段を駆け上がる感じだと感触を語る先生。
いつき組の組員を名乗る人にいつも言うこととして、賞を目指すのは目標として大事だが、目的にしては駄目だと先生は忠告します。賞を目的にすると、賞を取れないということがマイナスだと自分の心に刻まれてしまい、さらには下手なことに手を出し始めると語ります。他人の俳句の一部を借りるなど、禁止行為に手を出すと、俳句に嫌われて捨てられてしまうと。だからこそ、自分のために俳句を作ることが大切で、時々賞や句会で点がもらえるのはグリコのおまけのような感覚だと言う先生は、自分や仲間の句が評価された時は、素直に喜んだり一緒に褒めたりして欲しいと語りかけます。
某番組の企画で、入選者への健闘を称える拍手を送った好青年の印象を語るのは家藤さん。俳句をやっている自分を好きでいられるかという観点で初心に立ち返ってほしいと先生は続けます。一生、俳句に嫌われないように楽しんでいきましょうと呼びかけました。
[28]【サイエンスと俳句】科学を知って季語の本質に迫ろう
<2020/7/26公開>
テーマはサイエンス(自然科学)と俳句。科学は苦手という先生ですが、俳句との親和性を感じる瞬間があると語ります。講師を務めたNHK俳句の1コーナー「似て非なる季語たち」で最初に取り上げた季語は「陽炎(かげろう)」と「逃げ水」。「陽炎」は横に広がる体積のイメージで、「逃げ水」は奥に広がる空間の違いだと先生は思っていたそうです。
しかし、科学の専門家である気象キャスター・井田寛子さんに違うと指摘されて仰天した先生。「陽炎」は地面が直射日光で熱せられて空気の対流が発生し、遠くの光景が炎のように揺らめきますが、体積のイメージではなく1つ1つを指す言葉だと説明されます。咄嗟に飯島晴子の句「かげろうに平手打ちしてまはりけり」を思い出した先生は、科学の見解を正確に理解して詠まれた句だと感銘を受けるのです。
俳人がもっと科学のことを知れば、季語の本質に迫れるのではないかと思った先生は、自著「夏井いつきの歳時記シリーズ」を紹介します。例えば、季語「雪」については気象庁の荒木健太郎氏に解説を依頼。すっかり科学の面白さにのめり込んだ先生は、季節ごとにシリーズ化して出版したと経緯を語ります。
ここで、NHKの番組「575でカガク!」を紹介。季語の本質ではなく、科学的なモチーフに対して俳句でアプローチするという企画です。「ニュートリノ」「チバニアン」「はやぶさ2」「恐竜」の各兼題で過去2年間で計4回放送しており、興奮気味に収録を振り返る2人。
「ニュートリノ」ではスーパーカミオカンデを取材し、「チバニアン」では暑い中実際の地層や露頭に出向いた先生。「はやぶさ2」はJAXA(ジャクサ)での収録で、機体の着陸する場所選びの割り出し方法を考える研究員の姿を語ります。研究の真面目さがユーモアにも繋がると印象を述べます。「恐竜」は上野での恐竜博にお邪魔し、恐竜に毛があったことに感動したと語ります。恐竜の色がある程度想像で復元されますが、科学的に判明している事実に加えて想像が付け足される点は、俳句でも近い部分があると語る先生。季語の本意(ほい)があって、自分の想像が乗っかっていくため、サイエンスと俳句は相性が良いと結論を出します。
研究者はロマンチストだと語る家藤さんですが、俳句にならなそうな科学の言葉に対し、視聴者から寄せられた投句について、俳人と科学者の各目線で検証し、兼題に迫っていくと番組の主旨を述べます。理系の真藤プロデューサーが持ってきた2020年度の兼題は「反物質」と「ミトコンドリア」です。
先生も知らない「反物質」ですが、兼題を聞くとその好奇心に突き動かされて調べ始めるのが俳人。調べるところから創作に入る作業が楽しいと語ります。「ミトコンドリア」は、小説『パラサイト・イブ』で有名になったと家藤さんが語ります。
「反物質」の投句締切は8月2日(9月20日23:30~放送)、「ミトコンドリア」の投句締切は8月23日(9月27日23:30~放送)です。過去回の結果は番組ホームページを参照してください。
[29]【音数・季語への意識】俳句・川柳・短歌は何が違うの?前編
<2020/7/30公開>
「俳句・川柳・短歌の違いとは何か?」とメジャーな質問。俳人にも「廃人」が多く、川柳や短歌を掛け持ちして学ぶような初心者にも多い疑問のよう。それぞれの定義を手作りのボードでまとめたいと語る家藤さんは、現代の川柳を本で学んでみたそうです。
「川柳」は江戸時代の風刺と滑稽のイメージで認識が止まっている人が多く、「サラリーマン川柳」以外の本格的な現代川柳を知らない人が多いと前置きする先生に対し、趣深いものも多いと語る家藤さんは気になった川柳を挙げます。
井上刀三(いのうえとうぞう)の「世帯して俺のくらさにおどろくな」に爆笑しながら家藤さんを指差す先生。合同句集『雑音に生く』1929年刊に収録されている一句だそうです。
鈴木節子(すずきせつこ)の「革命を考えているおばあさん」に自分の事ではないかと先生は笑いながら語ります。世の中の革命について憂慮する読みもでき、これから革命を起こすという意志にも受け取れると味わいを述べる家藤さん。
八上桐子(やがみきりこ)の「こうすれば銀の楽器になる蛇口」。先生は、俳句で言う無季の句に近いほどの詩の分量があって好きな句だと語ります。楽器のように鳴らしたくなる点に共感できると家藤さんが述べ、俳句でも五七五にとらわれない自由律俳句もあると続けます。
ここで音数を確認。以前の動画[2]でも語っていましたが、短歌のリズムは五七五七七の計31音。三十一文字(みそひともじ)と和歌では言うそうです。一方、俳句も川柳も同じ五七五の17音。音数の違いは明確なものの、それぞれのジャンルで韻律を少し破った破調の作品はあると先生は補足します。
川柳も短歌も鑑賞は好きだが作らないと語る先生は、その理由を述べます。短歌の場合、下の句に相当する七七がいらないと思うそうです。俳句を作る脳に慣れていると、どうやって七七を作るのかが分からないと家藤さんも同調。短歌に慣れている人は、七七無くして表現するのが難しいと言うそうで、俳句とはメカニズムが違うとのこと。
さらに、季語への意識の違いも確認。川柳でも季語に相当する言葉が入っている句が結果的に多くみられ、その季語を主役に立てようとしているかという点は明確に差があると感触を述べる家藤さん。先生は、季語を主役に立てる意識が俳句では大変強く、川柳は弱いと解説。目の前にある「みかん」を俳人は冬の季語と認識するのに対し、川柳の人は小道具の一つとして認識すると例示します。短歌でも季語は弱いと結論付けます。
ただ、質問者の意図はそうではなく、それぞれの定義を押さえた上で、さらに外にどんな違いがあるかという点を語らないと、質問者は満足しないのではないかと先生は述べ、季語以外の部分の違いについて後半で触れると予告しました。
[30]【個人の感想です】俳句・川柳・短歌は何が違うの?後編
<2020/8/2公開>
前回の続き。俳句・川柳・短歌の3つの比較について、「音数」「季語への意識」以外の要素を掘り下げます。
季語を主役に立てる有季定型の主流である俳句。俳人の立場として先生は、意識が常に季語に向くため、外(自然)にアンテナを張る意識が強いとのこと。同じ風でも「夏の風」「若葉風」「青嵐」などとそれぞれの季語を意識して感じる心(意識)の方向性があると述べます。
一方の短歌は、作者には色んな人物や光景が目に留まるが、七七の下の句の見取りの部分で、作者自身の内面を主張している性質が強い印象があると語ります。強い感情を吐き出す短歌もよく目にすると語る家藤さんも先生の意見に同意します。
さて、川柳は俳句と音数が同じですが、季語に対する意識の強弱の違いだけでは収まりきらないものになっていると興味深く語る先生。江戸時代の川柳やサラリーマン川柳のように、風刺や滑稽の要素に留まるならば線引きは簡単で、俳句は外向きで自然がメイン、川柳は人や社会を中心に目が行くという対象の違いで片づけられていたと解説。しかし、実際はそう簡単ではないとのこと。
そして、家藤さんが気になった川柳を再び発表します。瀧村小奈生(たきむらこなお)の「これからが躑躅やんかというときに」(※「躑躅(つつじ)」)。俳人はこの句を季語となる躑躅の花を主役に立てて鑑賞しますが、微妙な句だと評価する先生。感想を聞かれた家藤さんは次のように述べます。俳句であれば「躑躅」の描写に音数を費やしたいが、この川柳の場合、「躑躅」を通すことで自分の内側に向いている矢印が川柳の主役になっていて、「やんか」の口語表現で作者自身の姿が見えてくるのが、川柳の面白さではないかと。外にベクトルはあるが、結局表現したいことは作者の内面にあると先生が続け、これを上の句とすれば下の句をつけて短歌にもなるのではないかと家藤さんが感触を語ります。短歌と川柳では音数の違いによって、自分の心情を最後まで述べるか読者に託すかで線引きが出来るケースだと先生が解説します。
俳句と川柳の比較の題材として、夏の季語「滝」を使った川柳を紹介。前田伍健(まえだごけん)の「なんぼでもあるぞと滝の水は落ち」。最初の語り口から作者の存在が感じ取れると家藤さんが述べると、先生は俳句の例として後藤夜半(ごとうやはん)の「滝の上に水現れて落ちにけり」という写生句を挙げ、俳句と川柳の明確な立ち位置の違いがあると語ります。この句を見てショックを受けた先生。作者の眼球に現れた映像を心情を交えずに淡々と描写することで、読者の脳内に同じ映像が立ち現れ、感情の押しつけがましさがないものの、その光景に共感する自分がいると味わいを述べます。ただ、俳句でも客観写生のみならず主観を語る句もあると補足し、主観を語る句は、難解になる傾向があると解説します。
あくまで個人の感想であり、諸説あると注意点を何度も述べるお2人でしたが、最後に3つの違いをまとめ、赤裸々に見解を述べます。
俳句 | 17音 | 意識のベクトルを外に向けて、季語を中心に情報を集める傾向が強い。自分の内面を表に直接出さず、季語を通して表現する(「有季定型」が防護柵の役目として、心情を句に落とし込めるので比較的楽に感じる)。 |
川柳 | 17音 | 外に向かう意識の方向はありながら、(季語とは無関係に)人や社会に着目し、自分の心情のようなものを載せる比重が高い。作家の個性が見えやすい。風刺や滑稽という枠組みを超えて純粋な詩の世界を大きく構築している。 |
短歌 | 31音 | 自分の気持ちを相手に伝えたい欲求が強いはず。自分の内面をさらけ出すのが俳人にとっては恥ずかしい。下の句(七七)が必要なため、俳句より少し面倒。 |
[31]【助詞シリーズ③:前編】カットの切り替えで季語を強調してみよう
<2020/8/6公開>
動画[13][15]に続く助詞シリーズ第三弾。この句を見て国語が面白いと感じたコメントから、おもむろに与謝蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」を紹介します。助詞の働きを説明する際によく使う例句だと先生が押さえます。
季語「五月雨」について大歳時記を引く家藤さんは、「梅雨と同じであるが、梅雨は五月雨の降る時候を主にしていい。この五月雨は雨そのものである」と事項を読み上げます。陽暦は陰暦より一か月ほど進んでいますが、俳句の季語は陰暦を基準とするため、感覚が少しずれると説明する先生。雨が降り続く「五月雨」は今の梅雨の季節に相当します。
この句は、名詞4つと助詞3つのみで構成され、活用語がないため、助詞の効果が分かりやすいと述べる先生は、比較を用いて解説します。
上五の助詞「や」は、直前の言葉に「!」を付けたように強調するのが1つの働きで、カット(映像)を切り替える効果もあると語ります。
ここで、3つの助詞を全て「の」にする先生。「五月雨の大河の前の家二軒」となります。名詞などの自立語は既に意味を持っているため全体の意味が大きく変化するわけではないものの、全体のニュアンスが物凄く変化するのが助詞の面白い所だと解説します。
「の」は下まで意味が続くため、「五月雨」「大河」「家二軒」が1つの映像の中に現れます。先生は、助詞「の」について上の言葉が下の言葉を条件付けしていくニュアンスだと押さえます。この句は「の」にしたことで、意味がダラダラと下まで繋がり、のぺっとした味わいの無い感じになると語り、家藤さんも「五月雨」の季語の持つ良さが完全に損なわれてしまうと共感します。
よって、上五の「の」は原句通りの「や」に戻し、2カットの映像にした方が良いと結論付けます。
一方、中七にある2つの「の」については外せるのでしょうか。次回の動画で解説と予告されました。
[32]【助詞シリーズ③:後編】助詞で対比を表現してみよう
<2020/8/9公開>
前回の続き。「五月雨や大河の前の家二軒」の状態で、2か所の「の」のどちらかを変えることを提案する先生に、「前の」の"の"を外すべきと答える家藤さん。「前に」に変更します。
「に」は、その場所にあるという存在を明確にする働きがあり、映像化にも働きかける助詞。この句の場合、「の」が続くよりも調子が整うことで、さらに臨場感を生み出すと解説する二人。
「や」と「に」は比較的扱いやすいものの、「大河の」の「の」を「を」に出来るか否かの違いが、名人と凡人の違いだと「プレバト!!」に倣って述べる先生。「大河の」の"の"の働きは、後の「前に」に続く事実を淡々と説明することで終わると解説し、「大河を」に変更します。
「を」は、時間と空間を広く示す効果のある助詞。この句の「を」は、五月雨を集めて濁流のように激しいさまとなる大河の幅や奥行き・体積が表現されていると味わう先生。カメラで映像を捉えた時の大きさも表現できているのではと家藤さんが続け、さらに「五月雨」の縦の動き、「大河」の横に広がる動きの場面の対比もあると先生は押さえます。
また、「大河を」による臨場感を持った結果、一見説明的になりがちな「前に」にもメリットが生まれると深く掘り下げる先生。「前に」で映像を狭めることで、最後の「家二軒」が頼りなげに見えると家藤さんが正解を答えます。
「五月雨や」の強調、大きな臨場感のある「大河を」、映像を狭める「前に」、頼りなげな「家二軒」の展開。一句を読むと、最後にもう一度頭の季語「五月雨」を認識し直し、「何という五月雨なのか」という感動に回帰し、季語が主役に立つ効果を醸し出すと解説します。「や」「を」「に」のそれぞれの助詞は、その働きを担う立役者というわけです。
自立語ではないため、単独で意味を持たない助詞ですが、ニュアンスを伝えるのに大きく貢献すると解説する先生。与謝蕪村は絵を描く人でもあり、静止画のような着眼点で書かれた俳句でしたが、絵を描く人やカメラで画角を考える人にも共通するのではないかと語ります。
このように、助詞の違いを比較考察することで、自分の作句でも助詞の判断力・推敲力が身につくと総括する先生。家藤さんは、助詞の位置変更を検討するのも面白いと補足し、「や」の位置を変えるだけでも映像をどこで切り替えるかを考える練習になると先生も同調します。
助詞シリーズは別の句でも解説するそうです。気になる句は動画コメントをしてみましょう。
[33]添削と推敲の違いって何?【前編】
<2020/8/13公開>
「プレバト!!」で芸能人の俳句に赤ペンを入れて「添削」をする先生ですが、「添削と推敲の違いは何か?」について、今回は添削を中心に答えます。
「本当に強くお話をしたい」といつも以上に真剣な表情の先生。芸能人に句の意図を聞く理由や、添削に関する質問が多く来ることを述べます。実際の俳句教室においても「プレバト!!」の番組の影響で、閑古鳥だった教室が盛況になる一方、逆に「添削をしてくれない」というクレームがあるなど反応が二つに分かれるようです。
まずは辞書的な意味から確認します。
「添削」は、作文やレポート、詩歌などで文字を書き加えたり(添)、削ったり(削)することで、作品を直す作業のこと。先生は、他人の作品に対して行うのが添削だと押さえます。教師が学習者の答案などの点検をする学習指導の一つであるとも補足します。
「推敲」は、字句を良くするために文章を何度も練り直すことで、唐代の故事を由来とする言葉。自分の作品を何回も読んで練り直すのが推敲だと押さえます。
「推敲」が自分の行為に対し、「添削」は他人の作品に対して行う行為というのが大きな違い。先生が「プレバト!!」で行うのは勿論「添削」という学習指導になります。
さて、句会では自分の句を自ら解説する「自句自解」を基本的には行わないのが通例と語る二人。俳句は書かれた字面が全てで、こういうつもりで作りましたと語るのは初心者の行為だと前置きします。
「プレバト!!」で芸能人に自分の句を語らせるのは、「添削」を行うための情報収集であり、自句自解ではないとのこと。作者の表現したい意図と、表現された字面の意味との間に乖離が大きい場合があり、「添削」はその溝を埋める作業となるわけです。しかし、綺麗な文字面を残すことを優先し、本人の意図を諦めさせるのは本末転倒だと述べる先生。句会では意図はそっちのけで表面的な技術だけ直されることがあるそうで、それでは添削ではなく「改作」になるとのこと。指導者・学習者の双方とも満足できないと家藤さんが語ります。
心の中では、満足できない思いは句会ではまだしも、「プレバト!!」では作者が主張してくると苦言を呈す先生。作者が語る内容は17音では収まらない場合もあり、とんでもない字余りになる添削をせざるを得ないと先生は返します。それは作者が言い張るからであり、諦めさえすれば定型で直すことは可能であると強く強く主張したいと述べ、先生の添削指導に対する批評へ明確に回答します。
次回予告。後半は推敲を中心に解説するそうです。
[34]【光回線】ついに生配信決定!意気込み語ります
<2020/8/16公開>
今回は特別な告知動画。動画[3][10]で述べていたチャンネル登録1万人達成記念の動画生配信の通信設備の準備が整ったそうで、いよいよ8月22日(土)午後に配信すると2人から説明されました。畦道にトレーラーを通すようなものだと形容されていた脆弱な通信環境でしたが、改善されたとのことです。
当日の内容は「句会ライブ」。句会ライブとは、先生が本来は全国津々浦々をまわって開催するいわば「俳句のゲーム」。会場の皆さんで俳句の簡単な作り方を覚え、出来た句を選び合い、チャンピオンを決めるゲームです。通常の句会では数百人規模になると句会が成立しませんが、句会ライブは三千人規模でも行ったことがある先生。今回はYouTubeのカメラを通して、生配信で視聴者の皆さんと行う企画です。
日本語が話せる人なら絶対にできる作り方をレクチャーすると意気込む先生。パソコン・スマホなどで投句ができ、投句された句を先生と家藤さんの二人が選ぶとのこと。組長賞などの各賞も考えているそうです。
投句することもできれば、コメントだけで楽しむという2通りの楽しみ方がある点も紹介します。作句が苦手であれば、野次馬的なことを考えながら視聴することも可能だと語ります。生の句会ライブを未体験な人や、句会関係に腰が引ける人も、テレビの向こうという安全地帯で最初は野次馬として楽しむところから付き合ってくれると嬉しいと語る先生。
8月22日(土)午後1時(13時)からお手すきの方は参加してみましょう。(8/20公開の動画の冒頭と最後に確定の日時が字幕付きで発表されました)
[35]まずは推敲をしてみよう【添削と推敲:後編】
<2020/8/20公開>
動画[33]の続き。「プレバト!!」に長く出演する特待生らの、学習意欲と実力向上を実感する先生に、難しい意図を字面で表現するのが見事だと家藤さんも続けます。最初は言いたいことに欲張り過ぎて有象無象を全て句に叩き込んでいても、17音の器を満たすように何を入れるべきかが段々と分かってきたと出演者の感触を述べる先生。17音の器に入れる分量について質問された際、「十七音の器は物凄く小さいため、季語とあと1個ぐらいの要素で丁度良い塩梅に満たされる」と回答した過去を振り返ります。盛り付けの先生に怒られるかもしれないが、小さい皿にサンマと大根おろしが少し乗るくらいが俳句にちょうどよいと喩えます。
話はそれましたが、段々話が理解できる領域になると、自分で推敲が出来るようになると語って話を引き戻す家藤さん。
「推敲」では季語を信じてないから器に盛り過ぎているという判断や、ストーリーを全部書かなくても読み手に伝わるという様々な知識を経験的に学んでいくことで、推敲の力も養われていくと答える先生。文章を何度も練り直す「推敲」は、試行錯誤を繰り返すうちに自身の力が育つのが「添削」と異なる点ではないかと家藤さんも語ります。
そして、新社会人などにも喩え、他人から教えられるのではなく、自分で学ぶ姿勢が「推敲」で重要だと話を展開します。句会で添削されないなどと駄々をこねず、適材適所に与えられるヒントをもとに、自分で考えて推敲できる力を身につけるべきだと先生は語ります。「添削」はあくまでも補助、サプリメントとして活用し、英気を養って健康な体を作るようにするのが大切だと忠告します。
脳を使うのが面倒くさくなる高齢の視聴者に向け、自分の脳を酷使しましょうとエールを送る先生でした。
[L1]夏井いつき、初めての生配信
<2020/8/22公開>
YouTubeを通しての第一回・句会ライブが8月22日(土)午後1時から約1時間半にわたって放送されました。
チャット形式で即時に参加者が投稿でき、投句は夏井いつき先生のブログの専用フォームから送信する形式でしたが、回線が混雑したため投句を一時ストップする事態になるなど、あまりの盛況ぶりでトラブルにも見舞われました。
とはいえ、同時視聴者数は2300人にも達し、投句も2000句以上に達したようです。
今回の投句テーマは「あいうえお俳句」でした。
あいうえお俳句の作り方 |
①50音図から1行を選び、上五(はじめの5音)とする。 ②上五の最後の文字から"しりとり"で中七(真ん中の7音)をつぶやく ③5音の季語をくっつける(さいごの5音) 【例】あいうえお お○○○○○○ △△△△△(季語) ※①~③の作り方は、初めの一句のための作り方なので、季語は中7に入っていてもOK ※投句時間は番組終了まで(→回線パンクのため14:15までに変更) ※コメント欄には投句NG(動画概要→ブログフォーム) |
以下に、番組で取り上げられた約30作品のうち、各賞の作品を掲載します。
◆優秀作品※俳号は敬称略
グランプリ | らりるれろロシアの絵本みる夜長 | アガニョーク |
組長賞 | だぢづでどどこにも螺子のなき裸 | 神山刻 |
正人賞 | やゆよ夜寒にほどけゆくひとりごと | 彩蘭 |
ギャラリー賞 | まみむめも桃熟れきって水の音 | RUSTY |
初めの一句賞 | はひふへほ補助輪は無し桜東風 | うどまじゅ |
[36]【英語・記号】俳句に英語やカタカナって使っていいの?
<2020/8/27公開>
「こんな言葉使っていいのか」シリーズ第1弾。俳句にカタカナを使ってよいのかという質問が多く、「プレバト!!」でもカタカナ語が俳句にはタブーと考えていた くっきー!さんがコーヒーを「黒汁(くろじる)」と表現して先生に怒られていますが、日本語の一部である片仮名も俳句に使ってOKと先生は回答します。
しかし、40年ほど前は外来語であるカタカナを用いることに抵抗を持つ俳人も多かったとのこと。カタカナなしの生活は現代では考えにくく、日本語がひらがな・カタカナ・漢字を堂々と用いている言語だけに、使って良いのは至極当然となるわけです。
ここで、言葉の変遷と略語の話題に。いわゆる携帯電話を多くの人々が所持するようになると、「ケータイ」という略語が誕生し、それが俳句に多用される時期があったそうです。当時、略語の「ケータイ」ではなく「携帯電話」と明確に書くべきだという風潮があり、略語が俳句に馴染まないという論評もあったとのこと。同様のことが「コンビニ」(コンビニエンスストア)でも言えるようです。しかし、先生は日常に溶け込んでいるようなカタカナ語は俳句でも使って良いと考えます。
さらに、季語である生物用語の表記の話題へ。昆虫などの動物や植物をカタカナで表記すると季語としての重みがなくなるという考えが一般論。蝉もあえて「セミ」と表記するのが効果的な時もありますが、漢字で書いた方が良い場合が多いと先生は語ります。
表記によって表現したい内容も変わりますが、カタカナ略語の例句を挙げる家藤さん。俳句甲子園のOGでもある俳人・神野紗希(こうのさき)の句「コンビニのおでんが好きで星きれい」。現代の中でのおでんの存在に「コンビニ」の略語の軽やかさが合っていると味わう家藤さん。「好きで」「きれい」も合わせて一句全体の軽やかさと日常感が「コンビニ」という言葉と上手く溶け込んでいると語る先生が続きます。
続いて、岡本眸(おかもとひとみ)の「KiOSK(キヨスク)の書棚くるくる雁渡」という句。上五はJR系列の売店として有名ですが、元々は簡易建造物の意味を持つ英単語「kiosk」が由来です。秋の季語「雁渡(かりわたし)」は雁が渡ってくる頃の強い北風のこと。句を見た当時、斬新な英単語を用いる解放感に加え、回転式の書棚の向こうに季語の光景がはるばると見えたと語る先生。
場面描写が出来るという点で「コンビニ」「KiOSK」ともに言葉の経済効率が良い略語ですが、カタカナや英字(アルファベット)が駄目と決め込むのは勿体ないと語ります。
さらに、東京出身の国文学者・中島斌雄(なかじまたけお)の句は「子へ買ふ焼栗(マロン)夜寒は夜の女らも」。ルビで「マロン」と振られている効果を問われた家藤さんは、都会っぽさや外国の光景が広がる読みができ、時代を感じると語ります。下五の複数形も奥行きがあると先生は補足し、オシャレさを出すような特殊なルビも良いと語ります。句会では「洋梨」に「ラ・フランス」とルビが振られる句もあったそうです。この句の場合、直接「マロン」と書いてしまうと表記の印象が軽すぎて、上下の言葉の質量のバランスが取れなくなると解説します。
カタカナ・英字を効果的に使った例句を見てきましたが、今後も取り上げるそうです。
[37]【英語・記号②】OH!を使ったカッコいい例句を紹介します
<2020/8/30公開>
「こんな言葉使っていいのか」シリーズ第2弾。前回紹介した「KiOSK」の読みの補足をした後、英語を用いていいのかを中心に取り上げます。
愛知県出身で高浜虚子に師事した俳人・富安風生(とみやすふうせい)(1885-1979)の「春の雨街濡れSHELLと紅く濡れ」を紹介。この「SHELL(シェル)」は「シェル石油」を指すと語るお二人。同じ作者の「退屈なガソリンガール柳の芽」とガソリンスタンドの女性従業員を詠んだ句と並べます。時代背景を語り始める先生は、かつて女性が職業婦人として働く時代が到来すると、タイピストなど新しい職業に憧れる人が多く、その一つの職業にガソリンガールがあったのではないかと述べ、自動車が庶民に普及する前段階の句だと印象を語ります。2句目は若い女性の雰囲気と季語「柳の芽」が似合い、時代を切り取った句だと味わうと、1句目の「SHELL」がガソリンスタンドではないかと推測できると続けます。日本の民俗学を学ぶかのようで面白いと語る家藤さんは、カッチリしたイメージを持つ俳人だけにモダンな句を詠むのが意外だと述べます。モダンを詠むのが当時はオシャレに受け取られ、カタカナの「シェル」ではなく積極的に英字にした点を先生は補足し、視覚的なロゴを捉えたある種の写生句だと語る家藤さん。富安の句に関連して、正岡子規の「蝶飛ブヤアダムトイブモ裸也(なり)」を思い出す先生は、社会の中で動き出す風景・風俗を表現する手段として英語を使うのはやって良いと解説します。
続いて、英語の感嘆詞の例。山形県出身で山口誓子に指示した俳人・鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)の「太陽をOH!と迎へて老氷河」の句。初めて見た時「OH!(オー)」にカッコイイと思ったと興奮気味の先生は着地も良いと述べ、「老」の字で一年中氷河に覆われている海外の光景に違いないと語り、光景が広く一人ではない状況が分かると家藤さんも味わいます。「HEY!」の呼びかけなどを俳句に使いたいと感化される先生は、イタリア語を習っていた家藤さんから挨拶語を引き出します。海外の挨拶語などを句に使うことは簡単だが、作品として良いレベルを達成するのは難しいと感触を語る家藤さん。先生は、カッコ良いだけで下手に作るとコケてしまうと同調し、言葉が身に付いているか見透かされる点に注意したいと補足します。
「プレバト!!」でも草野満代さんが「極月のTo Doリストあと4つ」どの英字を用いた句を披露しています。「ToDo」が現代の生活に根差している言葉で英語かは怪しいと語る家藤さんに続け、先生は自分たちの日常会話の中で熟成して当然のように使われている言葉は躊躇する必要がないと語ります。しかし、使い方を間違えるとカッコ悪く失敗するため、自分の身に入れて使うのが安全だと総括しました。
[38]【感謝】生配信のコメントや感想を読みます
<2020/9/3公開>
※動画[L1]を振り返って視聴者からのコメントや感想を紹介しています。実際の紹介は動画を閲覧してください(まとめの作成は行いません)。
[39]【人生相談】子育てに疲れてしまったときの名句
<2020/9/6公開>
ワインボトルをバックに初めての人生相談コーナーがスタート。「私はダメな母親でしょうか。育児放棄しそうです」と悩める相談。先生は非常に気持ちが良く分かると共感し、最初の一人目である家藤正人さんの育児でも苦労したことを話します。そんな時に良い名句を紹介すると語り、次の句を取り上げます。
竹下しづの女(じょ)[1887-1951]の「短夜や乳(ち)ぜり泣く児(こ)を須可捨焉乎(すてっちまおか)」。下五の漢字表記で内容の罪深さ感が薄れると味わいます。第一子は何が起こるか分からないため結局イライラしてしまうので、第二子のための情報収集と思って、子どもはそのまま泣かしておく選択肢もあるとアドバイスする先生。作者のしづの女は明治から昭和を生きた女流俳人で、明治の頃から考えることは同じですが、捨てずにそのまま育てておけばこのくらいの大きさには育つと家藤さんを指して自嘲気味に語る先生は、ある程度育てば自分で生きていく日は思った以上に近いと語り、どんな子育てだったかも忘れてしまうほどだと続けます。「須可捨焉乎(すてっちまおか)」と口ずさみながら明るく生きていきましょう、と優しく語りかけ、おむつが外れる日は必ず来る(※表現を変えています)とユーモア交じりにまとめました。
[40]【本棚回】壇蜜さんが気に入ったぬいぐるみとラジオの話
<2020/9/10公開>
本ではなく「本棚」を紹介する趣向の変わった回。動画の背景にもなっている後ろの本棚に触れ、置かれているぬいぐるみを紹介します。特に、ニュージーランドの鳥であるキーウィちゃんが人気らしいと語る先生は、リモートで撮影したNHKの俳句番組(新しい日常)に出演した壇蜜さんが「可愛い」とプッシュしたぬいぐるみだそうで、「一句一遊」という20年続くラジオ番組の収録に来た愛媛大学の今泉志奈子氏から貰ったものだと語ります。今泉氏が「一句一遊」のラジオにほれ込んでくれたのが、出会うきっかけとなったとのこと。
「一句一遊」は俳句初心者から熟練者まで楽しめる仕掛けを作ったラジオ番組。一週間に1つの兼題が出ますが、週の後半ほど良い句が発表されます。月曜日に紹介されるのが季語が三つなどの「一番下手なグループ」、火曜日が「ちょっと俳句になってきたグループ」、水曜日が「なかなか上手いグループ」で「プレバト!!」でいう才能アリの俳句。木曜日はお便りを紹介し、金曜日は「優秀作品」で「プレバト!!」の特待生・名人レベルの句とのこと。下手くそな人から上手な人まで聞いて投句しながら成長できるものにしたかった思いがあると語る先生。
普通の俳句番組では秀句しか紹介されないが、底辺にたまり切った作品も紹介して差し上げたいと言葉を選ぶ家藤さん。最初は良い句が分からなくても、何週か繰り返して聞いているうちに、金曜に紹介された難しい作品の良さがある瞬間に分かると、その人は成長の階段を上っていくと先生は続けます。
現在は全国5局ネットで紹介される番組に。投句数も膨大になり、全く紹介しきれない状況で心苦しい状況に。海外からの投句もあり、ラジオの放送内容の文字起こしをして放送圏外の地域にも発信する「聞き書き隊」の存在も大きいと言います。ラジコプレミアムでも視聴できますが、木曜日に家藤さんが担当する「家藤正人の一句一遊虎の巻」というスピンオフ番組でも紹介しています。また、ディレクターのやのひろみ氏が開設する「やのひろみチャンネル」にも出演する家藤さん。俳句甲子園の兼題の句も紹介しているとのことです。
[41]【季重なり】よくある質問「何個まで許される?」にお答えします
<2020/9/13公開>
動画[23]以来の季重なりシリーズ。「季重なりは何個までOKか?」などの質問が多いらしく、本質を捉えていない質問だという先生は、有名な俳人の季重なりの句も沢山あると語ります。
まずは前回の復習。飯田蛇笏の「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」。「風鈴」は夏の季語ですが、「秋の」とあるので満場一致の秋の句として歳時記に掲載されます。一方、水原秋桜子の「蟇ないて唐招提寺春いづこ」。「蟇(ひき)」は夏の季語ですが、「春」と季重なりで、この句は春の句か、夏の句かは歳時記の編集者で意見が分かれ、読み手の解釈次第のタイプの句でした。大事なのは、どの季節がか良いかよりも、どのように解釈すべきかを読み手に委ねている点です。2句とも時候の季語が使われ、それと異なる季節の映像を持つモノの季語を合わせている句となります。さらに、「春」「秋」などの時候の季語は明確な映像を持たないと押さえる家藤さん。時候の季語と映像のある季語との季重なりは割りと成功しやすいと先生は続けます。
さらに、高浜虚子に師事した医師で俳人・高野素十(たかのすじゅう)の「くもの絲(いと)一(ひと)すぢよぎる百合の前」を紹介。客観描写に徹した句ですが、「くも」「百合」が夏の季語です。歳時記によって、「くも」のみか「くも」「百合」両方に収録されているかで分かれていると紹介します。両方とも映像を持つ生物の季語であるため、主たる季語がどちらかが判断が難しい句です。これは読み手の鑑賞に委ねられるのです。
様々なパターンがあり、「季語が何個まで許されるのか?」というそういう質問のエリアではないのです!と鋭い口調で切り込む先生。
この句を解釈してみます。家藤さんは、くもの絲が一筋あり、何かの前をよぎるのが百合の前だと提示され、背景の百合にピントが合うように思うが、最後の「の前」でくもの絲の垂れる様子が際立つため、読みに迷うと語ります。これに対し、先生は細かい点を指摘します。家藤さんの解釈は「垂れる」の場合であって、「よぎる」とあるこの句の場合、くもの絲が百合の前に張られていて、くもの姿はないが、何かの拍子に一筋の絲の光がよぎる印象だと語るのです。ただ、百合にピントがある印象も感じ取れると補足する先生は、「百合」が背景に思いたくなる原因に「の前」があると指摘します。仮に「百合」を主体とするならば、「百合の白」など別の表現にしていたはずだと推測します。
語順は「くもの絲」から始まる句ですが、映像としては最初の「百合」から徐々にカメラが引いていき、細いくもの絲の光にピントが合うと解釈する方が句の意図として伝わるのではと味わいます。
動画や静止画など頭の中で一句を映像化すると、解釈が自分で鮮明になる効果があると押さえる先生。素十の句は否応なく2つの季語がそこにあり、季重なりの意識というわけではなく、心が動いた1つのカットを描写して句にした意図があると述べ、こういうタイプの句は、季重なりをしつこく指摘する必要がないと語ります。ただし、初心者は季語を覚える意味もあり、季重なりで焦点がばらける句も多いため、注意すべきと忠告します。
同じく、高野素十の「打水や萩より落ちし子かまきり」。「打水(うちみず)」は夏の季語。「萩」「かまきり」は秋の季語と3つの季語があります。歳時記に載せるならどの季語で載せるか迷う句ですが、視聴者自身で考えて欲しいと訴える先生。「どのような理由で」が鑑賞のポイントになりますが、文学では絶対的正解ではなく多くの多様な解釈を交わし合うのが一番面白く、動画のコメント欄のどの意見に賛同するかを考えることも学びだと解説します。画一的に正解がないため、最初の質問が的を外しているのが見えるかと押さえる家藤さん。
動画のコメントを沢山読みたいと語って終わりました。
[42]【本棚】宇宙の本について話します
<2020/9/17公開>
動画[40]に続き、動画の背景に映る「本棚」を紹介する回。最初に、「プレバト!!」(2020/9/10)でLiLiCoさんがこのYouTubeの視聴者だと発言していた点に触れます。
イギリスの科学SF作家であるアーサー・C・クラークの『宇宙の旅シリーズ』は、2001年・2010年・2061年・3001年と4部作からなる小説です。色々と取り出して読んでみたくなったと興味を引く夏井先生でしたが、夫の兼光さんの所有物のため、語り合いたい場合は動画のコメント欄に「兼光さんへ」と一言欲しいと述べます。
続いて、Newton別冊『宇宙誕生』を取り出します。NHK「575でカガク!」の第5回目「反物質」の資料として家藤さんが読みこんだという本。同番組については、動画[28]でも紹介していますが、今回の兼題「反物質」はつくばのKEKで、兼題「ミトコンドリア」は大阪大学で収録済み(※投句は終了しています)とのこと。
自分の生活とかけ離れている「反物質」でしたが、投句の専門単語を調べながら、句を分類する係りだったと家藤さん。自分も無知だったと言う先生は、ロケで専門家に教えてもらい、ロケ後に家藤さんが分類した句から俳句を選ぶ作業を行ったそうです。
ミトコンドリアを収録した阪大は待兼山(まちかねやま)の敷地で、マチカネワニの化石が採掘された場所だと知っていたという先生は、興奮気味に専門家から頂いたマスコットを本棚から取り出します。さらに、阪大生協オリジナル商品「頭脳グミ」まで紹介します。
さて、「575でカガク!」ですが、兼題:反物質が9/20(日)23:30~、兼題:ミトコンドリアが9/27(日)23:30~、いずれもNHK Eテレにて放送されます。是非ご覧下さい。
[43]月にどれぐらい俳句を作っているんですか?
<2020/9/20公開>
他人に見られていない状況で動画撮影に臨む環境にも慣れてきたという先生。ビデオレターなど伝達する相手の反応や目的が見える状況とは異なり、好き放題言えるのが分かったとYouTubeチャンネルの感触を最初に述べます。
「いつきさんは月にどれくらい俳句を作っていますか?」という個人的な質問。月に十数回の句会があり、そのたびに5句ほど提出すると語る先生。バーターと共に行動することで、同じ句を使い回せないため、毎回作る苦労を述べますが、句数を数えたことはないとキッパリ。
句会以外でも、他人に要求されて決められた句数をそろえることもあれば、買い物など日常のふとした行動から俳句のタネを見つけては記帳するとも述べる先生。「今までどれくらい作ったのか?」ということも質問されますが、数えようとも思わないと述べ、習慣化しているのではないかと家藤さんが補足します。
次に、1日で最も多く作った時のことを話し出す先生。15分1ラウンドで思いつくまま短冊に書く句会を10ラウンド以上繰り返したそうです。終わって数えると490句以上あったとのこと。
俳句の作り方で家藤さんに質問された先生は、じっくりと一句を作りあげるタイプではなく、ガンガン作っていく現場主義タイプと語ります。季語の現場に行って俳句を沢山作ることは「筋トレ」と同じと捉えているそうで、目や耳で得た情報は脳内に送り込まれ、途絶えないように練習し続けると述べる先生。家藤さんも同じく「ガンガン」タイプで、吟行でも句の良し悪しはさておき、とりあえず書いとけという感触だと語ります。最初から一句を完全に仕上げようと思うと脳が止まってしまい、それ以外が考えられなくなるのが勿体ないと考えているそうで、下手でもガンガン作ってから後で修正することが出来ると語ります。
句づくりに関して語る先生。自分の脳との一対一の勝負よりかは、外部から情報を貰った方が絶対に面白いものが生まれてくると述べます。
昔、地元の民放の番組のロケでは、半日で200~300句作った経験が鍛錬になったとも語る先生。当時、大学生だった家藤さんはその民放のカメラアシスタントとして親子で現場にいたそうです。
外に出て行けば、面白いことがあり、質問に対しては「数えることは不可能です」と回答して終わりました。
[44]【人生相談】妄想ばかりしてしまい困っています
<2020/9/24公開>
動画[39]に続き、あなたの悩みにピッタリな名句を紹介する人生相談。「何かと妄想ばかりしていて困っています。治す方法はないのか?」という質問に先生は懐疑的に回答。治さない方が良いとアドバイスします。
妄想こそが才能で、俳人にとって宝だと強調し、「これぞあなたの目指す道だ」と称して一句をプレゼントします。
「ホトトギスの四S」と称された昭和を代表する俳人・阿波野青畝(あわのせいほ)[1899-1992]の「松茸は皇帝 栗は近衛兵(このえへい)」。何とくだらないと思う読み手もいるかもしれないと前置きはしますが、2つの季語を擬人化で表現した一句は妄想によって生まれたと先生は解説を続けます。
質問者がどんな妄想をするかは知らないが、その妄想の中に絶対に俳句のネタは転がっているため、妄想癖は治さない方が良いと述べる先生。直してしまうと普通の凡人になってしまうと忠告まで行い、妄想を俳句の力として育てていくべきだと語ります。
句にならい、例えばエノキダケなら何か?マイタケなら何か?と妄想が膨らみ始めるはず。妹のローゼン千津さんも幼少期に色鉛筆を並べながらお話していたのを横目で冷静に見ていたと思い出す先生は、妄想しなかった自分も含めて両者とも俳人になっていると述べるのです。
妄想は大事にすること。そして、松茸を眺めていれば松茸の声が聞こえてくる日が来ると俳人ならではの感性を語って締めくくりました。
[45]【コメント返し】プレバト‼︎効果で祝4万人!次の生配信は?
<2020/9/27公開>
久々のコメント返し。以前の動画[42]でも語っていましたが、「プレバト!!」でLiLiCoさんがこのYouTubeチャンネルを視聴していた発言の件に触れ、結果的にチャンネル登録者数が増えたため、番組をきっかけに視聴するようになった旨のコメントを紹介。
登録者数4万人突破も、番組での紹介がきっかけだと分析していた視聴者のコメントも紹介し、最初に挙げた動画[1]も再生回数24万回を突破したと報告します。
「早いうちに2回目の句会ライブをしてほしい」という質問に、登録者が5万人突破したら2度目の句会ライブを行うと先生は提案します。既に4.7万人以上ですが、「2~3年かかるかも」と若干悠長に見積もる先生。
1回目の句会ライブで、動画内でホワイトボードに貼った俳句の色紙をプレゼントされた人からのコメントに引き続き、YouTubeをきっかけに「プレバト!!」を観るようになったというコメントも紹介。
3分間の人生相談の回の動画に対して好意的な反響も多かったようです。丁度良い名句を見つける作業が難しいと先生は語りますが、自作の「お悩み相談ボード」でコメントを都度ストックしていると述べます。
再度、チャンネル登録者数5万人突破で「句会ライブ生配信を予告し、プレバト!!とLiLICoさんに感謝の辞を述べました。
[46]【字余り】名句から学ぶ、下五の字余りの効果とは?
<2020/10/1公開>
動画[25]に続く字余りシリーズ。字余りの大原則は、入れたい中身が入らないから無理矢理に詰め込むのはタブー。技術的欠点を補うのではなく、内容に似合った+αとしての効果が手に入れられるかどうかが重要だと前回に引き続いて警告します。
杉田久女(すぎたひさじょ)の「花衣ぬぐやまつはる紐いろ〱(いろ)」。「〱」は前の音を繰り返す文字で、下五は6音の字余り。季語「花衣」はお花見で着る綺麗な和服の衣装。着物を脱ぐ際に沢山の紐がまつわってくる様子を詠んでいますが、「紐あまた」で着地する方法もあると語る先生は、比較を提案。「いろいろ」は数の多さだけでなく、音の効果により色彩的な色を思い浮かべて花衣らしさがあると返す家藤さん。季語を引き立てた感触があり、字余りの余韻や余情を感じると先生は補足し、2週間に1度の「プレバト!!」の収録でも毎回着物を着る先生は余情もない余談を語ることに。
次に、鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)の「みちのくの星入り氷柱(つらら)われに呉(く)れよ」は下五が6音の字余り。「氷柱」は冬の季語ですが、中七の表現が素敵だと語る先生。最後の呼びかけ「よ」を外して定型にすることが可能ですが、比較してみます。感動を伴った直接的な呼びかけの感情に余情があると語る家藤さん。「よ」がないと、ロマンチックな内容に対して偉そうに命令している印象が出るため、「よ」を入れたのではないかと先生。最後に一音を入れ、読み手への配慮ができる作者の心遣いを家藤さんが語ると、先生はこれだけで恋愛が成立しそうな中七だと句をべた褒めします。
最後に、山口青邨(やまぐちせいそん)の「みちのくの鮭は醜し吾もみちのく」と下五が7音の字余り。「吾」は「あ」の一音にも詠めるため、字余りは一音と考えることも出来ます。「われ」と読むのが好きだと語る家藤さんは、みちのくの国で獲れた鮭の醜さを中七までで言い切り、その醜さを同じみちのく生まれの作者も重ねつつ、誇りのような強さを思うには、「われ」のしっかりした意識が良いと述べます。先生は、助詞「の」があることで「吾」を「あ」と読ませると全体が軽くなり、「われ」による良い意味での諦めや強い肯定感が「吾もみちのく」に、ない交ぜになって表現されていると解説します。こちらも下五の字余りに感情に載せているタイプの字余りで、「みちのく」で最初と最後を飾ることで、同じ言葉でリズムや調べを作ったテクニックもあると補足します。
次回は中七の字余りも紹介すると予告しました。
[47]【季重なり】前回のコメント欄についてお話しします(前編)
<2020/10/4公開>
動画[41]の最後に挙げた高野素十(たかのすじゅう)の句「打水や萩より落ちし子かまきり」の解釈について、動画に寄せられたコメントから考えます。果たして、3つの季語のあるこの句を歳時記に載せる場合、「打水」「萩」「子かまきり」のどの季語の例句にあげるべきでしょうか。3択クイズだと語る先生は季語を再度押さえます。
「打水(うちみず)」は三夏(初夏・仲夏・晩夏)の人事の季語で、立夏から立秋の前日まで使える季語。「萩」は初秋の植物の季語。「子かまきり」は仲夏の動物の季語で、「蟷螂生(とうろううま)る」の傍題です。
以下、紹介されたコメントと、主季語と考える賛成理由・反対理由をまとめます。
季語 | 主季語と考える理由 | 主季語と考えない理由 |
打水 | ・「や」で詠嘆している。強調してカットを切っている(*1)。 ・作者が「打水」をした一事をもって、その後の展開が現れている。原因の季語。 | ・「や」は切れではなく、句の調子を整えるために使われている。 ・「打水」は後半のみずみずしさや潤いを引き立てるだけ。 |
萩 | ・作者がじっと観察していたもので、他の季語は周囲の副産物ではないか。 ・白い色が秋らしい光景で良い。 | ・「~より」とあり、場所情報でしかない。「子かまきり」がいた場所を示しただけ(*2)。 ・「子かまきり」の修飾の機能をしているだけ。 |
子かまきり | ・可愛いから主役にしたい。 ・一匹と複数とどちらにも解釈でき、映像が残る。 ・最後に視点がいく。 | ・「萩」から落ちてきた副産物でしかない。 |
「打水」「萩」「子かまきり」は名詞のため自立語ですが、「や」「より」「し」の解釈がより重要になると語る先生。
*1 「や」は詠嘆ではなく、強調に捉えるべきと解説。
*2 「より」は動作・作用の時間的空間的起点を表す助詞・付属語。「~から」と同じ意味。
動画は途中で終わり、「し」の機能を考える後半に続くようです。
[48]【季重なり③:後編】主たる季語は?細部までよく見てみよう
<2020/10/8公開>
前回の続き。「打水や萩より落ちし子かまきり」の主たる季語を考えます。
ここで、「落ちし」の「し」に注目。「し」は過去の助動詞で、卵からウジャウジャと垂れているのではなく既に地面に落ち切ったひ弱な一匹の「子かまきり」の描写ではないかと考える「打水」派のコメントを紹介。
ここで「落つる」「落ちて」「落ちし」の3つを比較して考えてみます。
①「落つる」は「落つ」の連体形で、「子かまきり」に素直に繋がります。「落ちる」という動作・状態が今(now)起きている光景。
②「落ちて」は「落ちる」の連用形に、助詞「て」が接続した形。落ちる動作が完了し、「落ちている」状態で、下の言葉に続きます。
③「落ちし」は「落つ」の連用形に、過去の助動詞「き」の連体形「し」が接続した形。落ちる動作はとっくに終わっており、「子かまきり」は移動して姿を消しているかもしれず、読みに幅があります。「し」を状態が継続している意の用法で詠んでいる句もありますが、本来は過去の意味だと再度押さえます。
大事なのは、「や」「より」「し」の付属語のニュアンスを正確に読み解き、解釈や鑑賞に辿りつかないといけないと忠告する先生。
さてそろそろ正解を…と切り出す先生は家藤さんに意見を求めます。絶対的な正解をもたらす類のものではないと大前提を述べた上で、最初は「打水」の句だと思っていたものの、「子かまきり」の句だと考え始めたと語り、その理由を述べます。最後に残る緑の色彩のイメージに、作者の素十の客観描写の視点の傾向を挙げます。「打水」「萩」は、その舞台装置としての演出だと思っていたと述べますが、助動詞「し」による効果の提示で、「子かまきり」が居なくなっているかもしれないと思うと、やはり「打水」の句ではないかと思うと述べ、考えに迷いがあったようです。先生は、上五が「打水に」であれば、「子かまきり」が主役のニュアンスにはなると補足します。
先生が定本として使用する歳時記「カラー版新日本歳時記 夏」(講談社)によると、「打水」の例句として掲載されています。先生は、「打水」が残っていて、「子かまきり」が居なくなった光景を見た作者が「いよいよ夏も終わりか」と感慨に浸ったのかもしれないと味わいを語り、「し」の解釈で変わると総括します。
季重なりシリーズはまだまだ続くとのことです。
[49]【祝5万人】チャンネル登録5万人達成の感謝&お約束の生配信はいつ・・・?
<2020/10/11公開>
動画[45]の4万人突破祝い動画から2週間でさらに登録者数が増加し、遂に5万人達成🎉を記念した動画とのことで、お二方がコメントを述べています。公約としていた第2回・句会ライブの展望と前回の反省を中心に様々語っています。
詳細は未定ですが、11月中頃の日曜日頃、時間は午後1時(13時)よりやや遅い時間帯開始にしたいとのことです。5万人達成句会ライブ楽しみに待ちましょう。
[50]【悲報】YouTubeの収益化ができません
<2020/10/15公開>
コメント欄の視聴者の心配事について回答。この動画チャンネルに「なぜ広告収入をつけないか?」という質問。動画を再生するたびに時々挿入・表示される広告をクリックすると動画主に手数料が支払われる仕組みですが、広告収入の発生には、GoogleやYouTube側に申請し、認可が下りないといけません。
家藤さんは、実は何度か申請しているが、許可が下りないという事実を述べ、動画の視聴者に人生相談をしたいと切り出すのです。「申請担当者によって、以下の問題点があると判断されました。『再利用されたコンテンツ』…独自の解釈や教育的な価値を十分に付加せずに、誰かの物を再利用した第三者のコンテンツ」と却下理由を読み上げます。
このことを分析するお二方。①有名俳人の俳句の例句を取り上げること、②着物を着ていない夏井先生がAIに偽物と判断されていることなどをまざまざと述べます。
「どうしたらいいんでしょう?」と途方に暮れる発言のお二方。知恵がある方はコメントをして欲しいとのことです。
[51]【人生相談】物が捨てられません
<2020/10/18公開>
あなたのお悩みにピッタリな名句を紹介する人生相談。「物が捨てられません。出かける時のバッグも常に物がいっぱい。スマホや音楽プレイヤー、歳時記に電子手帳、充電器など一緒に入れないと気が済みません。いけないと思いますが、捨てる勇気がありません」という質問。
「カバンが重たそう」と率直な感想を述べる先生は、出張が多い生活のため急に一泊する場合に備えて最低限の物を持ち歩いていると語り、「これしかない」という句を紹介します。
大正7年生まれの俳人・長谷川せつ子「衣被生き方はもう変へられぬ」。衣被(きぬかつぎ)はサトイモの子芋を指す秋の季語。相談者が仰天するかもしれないが、生き方を今から変えることは難しいと語り、一回開き直るのが良いとやんわりと忠告します。
続いて、カバンの荷物を軽くする提案をします。カバンの中の物を一つ取り出し、家に置いたまま出かけるのですが、その物がないことを兼題に俳句を作ること。「あれを置いてきてしまって困ったな~」というエピソードを見つけて、良い俳句が出来たら、その物にお礼を言うのです。そして、「次は何で試すかな?」とまた別の物を家に置いて俳句を作ることを繰り返す。これを兼題としてやってみることを提案します。
カバンが空くのに、10年かかるかもしれないが、生き方は変えられないのでのんびりと俳句と付き合ううちに、物が減ったら良いのではないかと語って締めくくりました。
[52]【季語】一番好きな季語って何ですか?
<2020/10/22公開>
割とどうでも良い質問だと紹介する家藤さん。「夏井さんの好きな季語は何か?」。小学生が作成する学級新聞のアンケートなどでも聞かれた経験があると語る先生ですが、「好きな」の括りが大雑把すぎて、単純なこの質問に答えられないと回答します。作句の難易度や句の多さなど様々な要素が絡むようです。
家藤さんの場合、「雨」「風」の入った季語を多く使うそうで、「秋の雨」「時雨」を例に挙げます。句柄の問題を挙げるご本人ですが、明暗を意識して「暗」の部分にそのような季語を使うのではないかと先生に指摘されます。
先生は「雪」「月」「花(桜)」の三大季語について、100句ずつをトレーニングの一環で毎年作句するそうです。同じものが作れないため、徐々に作句難易度が上がり、自分に数値目標を課してトレーニングするため、結果的に多く作っていると答えます。しかし、好きな季語ではなく、立ち向かう物に格闘している感触があるそうです。
さらに吟行の場合、歩くたびに生き物(動物)や植物が目の前に現れるため、比較的数は作っていると答えます。
ここで話がそれ、作句が少ないジャンルを考えることに。時候・天文・地理・人事生活・動物・植物の歳時記6ジャンルで、比較的作らないものを自問自答します。家藤さんは植物でも魚でも出逢わない季語は使いにくく、千差万別であることを語ります。
続いて、歳時記を眺めるのが趣味という先生は、「絶滅寸前季語」に大変興味を惹かれたことを告げます。「絶滅寸前季語」は先生が作った造語で、絶滅しつつあるほど現代では使われなくなったマニアックな季語をまとめた本を先生は出版しています(『絶滅寸前季語辞典』『絶滅危急季語辞典』)。「ぎぎ・ぐぐ」「いとこ汁」「はたた神」を紹介して談笑するお二方。これらの季語の持つ謎の魅力は、見たこともないものを自分の脳で意味を構築する遊びが楽しかったと述べる先生。「紙帳(しちょう)」は紙製の蚊帳ですが、夏のキャンプのテントが紙ならと自分に擬似体験させて脳内吟行して理解するのがスリリングな遊びだと語ります。紙でできたテントに実際に寝ると、窓がないため息が苦しくなり、ありありと体験する自分が楽しいと。家藤さんも乗り気になり話が弾みます。
先生は好きな季語は「絶滅寸前季語」だと答えると決断します。さらに、歳時記をめくるお二方は「金魚品評会」が秋の季語だと仰天し、その意味を調べて感心します。「絶滅寸前季語」は10年に1度書き換える準備をしていると語る先生ですが、より広いフィールド的な情報が欲しいと家藤さんが呟きました。
[53]【感謝】収益化申請が通りました!
<2020/10/25公開>
本棚の前で机なく椅子に座って談話する趣向を変えたスタイルのお二方。動画[50]の公開後、視聴者からのアドバイスや支援もあり、YouTubeの収益化申請が通ったことを報告します。毎月1回できる申請で10月も駄目だったと語る家藤さんでしたが、AI判定から人為判断に切り替わったのか、動画[50]の公開一週間ほどで急遽認可が下りたそうで、お二方が仰天します。
古今東西の名句を紹介したいと強い思いを持つ先生。既に著作権の切れた過去の著名俳人の作品だけでなく、近代の俳人や存命中の俳人の作品も取り上げたいと語るのは家藤さん。引用については、俳句の世界でも明確な結論がなく、引用の可否やその範囲も含めて個々の判断に任されるようです。夏井先生ご自身の俳句やコメント欄に寄せられた視聴者の俳句も今後引用される可能性はあるそうです。
収益化申請の認可については、視聴者の方のフィードバック(YouTubeの機能で運営に報告できる機能を利用)のおかげだと感謝の辞を述べるお二方。教育的チャンネルとして安定した形で運営を継続できる安心感があると先生は語り、ためになり楽しんでもらえる動画にしたいと語るのは家藤さん。社会の皆さんのお役に立てるものにしたいと先生は続けます。
広告は近々、動画再生で表示されるようになるとのことですが、広告を消す方法もYouTubeの有料会員なら出来ることを紹介。句会ライブも含め、今後の意気込みを語って動画を締めました。
[54]【本紹介】リクエストが多かった『蝶語』と『悪態句集』についてお話しします
<2020/10/29公開>
夏井先生の句集『蝶語』の再版を記念して「蝶語」を紹介。一頁一句の構成のミニ句集ですが、動画[5]で取り上げて反響を呼んだそうです。キスマイ「王国の蝶」の歌詞の並びと、句集の句の並びの違いを見比べるのも楽しいと家藤さんが述べます。
さらに、『悪態句集』の出版も紹介します。「悪態」は声に出して面と向かうのはそれこそ悪態となるが、俳句にすると文学作品になると考える先生。さらに、自分の中にあるモヤモヤを俳句でつぶやくことで、心が美しく治まる効果もあるのではと続けます。自分だけが抱えているのではない安心感にも繋がると家藤さんも同調します。夏井先生の若い頃から最近までの人生の悪態を集めた30句の句集です。
そして、『悪態句集』の内容に話題が映ります。最初に全体の前書きとして、吉田兼好『徒然草』第19段からの引用があります。
「おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば」。自分が心に思ったあれこれを言わずにいると、腹がパンパンに膨れてくるような気持ちがするという意味。不満なことを直接吐き出すと人間関係が崩れますが、我慢するのも良くなく、五七五として吐き出すことで文学作品となり、自分も周囲も傷つかないと語る先生。ここで、パオロ・マッツァリーノ『怒る!日本文化論』を紹介し、吉田兼好との共通点を家藤さんが考察します。
さて、句集の一句目は「怒鳴る人の口ばかり見て鰯雲」。モンスターペアレントなどの人物をほぼ無意識に見ており、何も返せない状況を想起する句。自分の心を自衛した時に、「怒鳴る人の口ばかりを見ているな~。鰯雲が背後にあるな~」と再認識することで心が助かると先生は語り、共感する人が多いのではと家藤さんが述べます。
二句目は「縊ってやろうか針金虫の首はどこ」。「縊(くび)る」は首絞めるの意。秋の季語で、昆虫などの寄生虫として知られる"ハリガネムシ"の首がどこか分からないもの。ここで先生は、「伊月庵」の池で見たカマキリを襲った黒く細長いハリガネムシのエピソードを語ります。辞典を取り出して解説するのは家藤さん。ハリガネムシは成虫時に水中で自由生活を送りますが、寄生の際に宿主であるカマキリの脳をもコントロールし、水辺に行かせる賢い生物だと語るお二方。生殖機能をも失わせた後、尻から出てくるハリガネムシですが、もぬけの殻となるカマキリの方は水辺で魚に食べられてしまうとのことで、恐ろしい生態だと語ります。先生は元々無季だと思って作ったそうですが、ハリガネムシみたいな人は時々いると世相になぞらえて語る先生です。
最後に、『悪態句集』を読んで自分の中に溜まっている悪態を浄化していく用途に使っていってほしいと語り、句会ライブのために句を書き留めて置くべきと指南しました。
[55]【俳人列伝】新シリーズ!長嶋有について語ります
<2020/11/1公開>
先生が紹介したい俳人を取り上げる新シリーズ。長嶋有(ながしまゆう)氏は本業が小説家・漫画評論家で1972年の埼玉生まれ。小説『野生時代』の「野性俳壇」コーナーで夏井先生と共に選者をされている方で、小説『猛スピードで母は』は母子家庭を息子の視点からとらえた芥川賞受賞作で、夏井先生が長嶋氏と出会うきっかけとなった小説。シングルマザーの部分が先生の共感を呼んだそうで、印象的なシーンを語る先生は、息子の正人さんと談笑します。前触れもなく話題が転換し、前の話が終了する先生の話しぶりを「ギロチンシャッター」という用語で形容する家藤さん。長嶋氏の著書『俳句は入門できる』を紹介し、イラストが本人に似ていることを取り上げます。
野性俳壇共選では、投句の中から各自が選び、両者が選んだ句には星マークがつくのですが、選が凄くかぶる時と全然かぶらない時がくっきり分かれるそうです。夏井先生は、有季定型を基本とした句のみならず比較的幅が広い句をも選者として採るタイプですが、長嶋氏は好みのストライクゾーンがあり、この人以外は採れない考えをもつ方だそうです。長嶋氏の俳句について、上手か下手かは分からないが、気になってしょうがない句が多いそうで、つい口ずさむ句に「朝ハンバーグ昼ハンバーグ昼花火」があるとのこと。
俳人としての長嶋氏の俳句を紹介。「図書館に本多すぎてさみだるる」。図書館に本が多いのは当たり前で、それを平然と書く作者は切れも作らずにダラダラと調べを作ったという句。作者のたくらみがある種の味わいがあると家藤さんが鑑賞します。
次の句は「すぐ座ると叱られている四月尽(じん)」。大人が大人に言うセリフとして哀愁があると述べる家藤さん。季語の必然性に迷う点があるが、「四月」で新入社員を想起し、一句に可笑しみもあると先生は続けます。普通の人がみんな思うが、なかなか書かない点をすくい取るのが上手いと長嶋氏の句の特徴を述べます。
「鯖雲や犬の興味は他の犬」。秋の季語「鯖雲(さばぐも)」は「鰯雲(いわしぐも)」の傍題。この句は取り上げた中で最も好きだと語るお二方。散歩シーンで、犬同士、飼い主同士で興味がある意味合いだと述べる先生に対し、飼い主は空を見上げて呆然と過ごす作者の一日を想像したと味わう家藤さん。飼い主の興味は犬以外の他にあるに違いないと思わせる効果が、中七「は」の助詞により効果的に表現されたと先生は解説します。向こうの飼い主はセレブながら、作者の方は貧乏くさい印象もあると鑑賞を続ける先生。読みを考えだすと小説の面白い句が多いと印象を語ります。
最後に「控えめな春のお辞儀を拝見す」。抽象的な描写に対し、「拝見」で作者が見た光景との人間関係や心理的な距離感も見せてくれると語る先生。読みに幅があり、丁寧な場での紳士さ・しっかりした家のお子さんの動作・夏目漱石の時代の想像もできると語る家藤さん。「拝見」の用語を簡単に使わないことから、皇后陛下を見ている可能性もあると語る先生。「春のお辞儀」に軽やかさがあって面白いと述べ、家藤さんも共感します。
現代の俳人を紹介して欲しいとコメント欄にも多くの書き込みがあったため、今回紹介を試みたと語るお二方。色々と研究する材料が溜まっており、沢山動画で紹介したいため、シリーズ完結には先生愛読の漫画「ONE PIECE」97巻を抜くかもしれないとユーモラスに語って締めました。
[56]【お知らせ】生配信の日時が決まりました
<2020/11/5公開>
今回は特別な告知動画。登録者数5万人達成記念として行う第2回句会ライブの動画生配信の日時が決定。11月15日(日)午後2時~配信すると2人から説明されました。当日は夏井先生の祖母の誕生日だということです。
5万人達成と動画の収益化に関する謝辞を述べる先生。楽しい句会ライブにしたいとのことです。
11月15日(日)午後2時(14時)からお手すきの方は参加してみましょう。
[57]【文体と表記①】文語と口語のニュアンスの違いとは?
<2020/11/8公開>
新シリーズは3回に分けて「文体と表記」を特集。文体は口語(話し言葉)と文語(書き言葉)の2種類あると最初に語ります。文語は高校古典で習う表現なども含めます。例句を見ながら考えましょう。
池田澄子(いけだすみこ)の句「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」は口語の句。楽しくも切なくも恐ろしい感じが出て、謎の意味が深まる一句。「~たの」は口語表現で、囁くような効果があると解説します。
これを「じゃんけんで負けて蛍に生まれけり」と文語表現に変えてみます。意味が大きく変わるわけではありませんが、空気感は違うと語る先生。口語の自由な感じがなくなってしまう法話のような印象だと家藤さんが述べ、輪廻転生を語る空気感が出るが、原句の持つ雰囲気は削がれると先生は続けます。
次に文語の句。高浜虚子(たかはまきょし)の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」。切れ字「けり」を用いた句で、桐の一枚の葉が日差しの中に落ちて行った光景を表現した句ですが、「桐一葉日当たりながら落ちました」と口語にします。原句「に」が完了の意味のため、「ました」と変えたと解説する先生。文語のどっしりとした感じが言いたいのであり、「落ちました」が言いたいのではないことが比較で分かるのではないかと訴えます。
口語と文語のどちらを使ったらよいかは、内容によって選ぶべきだと回答する先生。口語と文語が一句に入り混じるケースもあるそうですが、意識的にやらないと文法ミスなどと誤解される場合もあるので注意が必要とのこと。
口語と文語の句を知り、例句を読み上げることで、持ち味の良さを体にしみ込ませることも大切だと家藤さん。
次回は「表記」について語るそうです。
[58]【文体と表記②】新かな・旧かな、どちらを選ぶ?
<2020/11/12公開>
今回は表記を紹介。現代仮名遣い(通常:新かな)は、私たちが普段使う文の表記。それに対し、歴史的仮名遣い(通称:旧かな)は百人一首など古文の文体で目にしますが、わ行の「ゐ」「ゑ」など"くねくね"した文字も含まれます。句を見て確認しましょう。
森澄雄(もりすみお)の句「妻がゐて夜長を言へりさう思ふ」(発音:つまがいてよながをいえりそうおもう)。良い句だと語る先生に続き、奥様が「夜長ですね」と言われた作者も同感したという意味だと家藤さんが解説します。しみじみと感慨に浸れる句ですが、作者の森さんはこの句を出した2年後に奥様を亡くされたそうで、そのような状況で作られた句のようです。「ゐ」「へ」「さ」「ふ」がそれぞれ歴史的仮名遣いです。
口語(新かな)にすると「妻がいて夜長を言えりそう思う」。発音は変わりませんが、表記の印象は変わると語る先生は、新かなを使っても良いと考える俳人もいることを紹介します。家藤さんは、俳句の微妙なニュアンスや自分が表現したい屈折したいものを旧かなで表現できる場合もあるのではないかと語ります。この作品の「旧かな」に関しては、ある程度歳を重ねた作者と奥様の年齢や、人生の局面関係性などが見える効果があると述べ、先生は、表記により奥行きのある空気感が醸し出され、意味を理解する微妙な時間の中に作品の奥行きがあると解説します。「新かな」にすると日記の一節の印象がしてしまうと語ります。俳句の表記に対して、読み手の立ち止まる時間ともリンクする感覚があると家藤さんが続けます。
夏井先生が務める「一句一遊」のラジオは音声のみなので、表記の違いのよろしさをお伝え出来ないと語る先生ですが、是非書いて確認して欲しいとリスナーに呼びかけるそうです。
口語・文語の使い分けと同様に、表記に関しても作者の表現した内容やニュアンス次第で好きな表記を都度選んでよいかを先生に確認する家藤さん。先生は、明確に作者が決めていればどちらを使っても良く、俳句は本来は一句独立のため、基本的に句ごとに変えて良いと回答します。しかし、句集などある程度の句をまとめた際に、両方の表記の句が入り混じってしまうのは読み手に負担をかけるためやってはいけないそうです。
さらに、絶対ダメなのは一句の中に新かな・旧かなが混在することだと続ける先生。前回の文体の回で解説したように、口語・文語が一句に入り混じっているのは許容されますが、表記に関してはNGで知識不足と判断されてしまうとのこと。句会などではどちらを使って良いか分からず質問する人もいるそうですが、勉強しなくても書ける「新かな」よりも、俳句をせっかくやるならと学べば使える「旧かな」を先生はお薦めします。
次回は文体と表記が交差するため混乱する人も出てくる難度の高い回だと予告する2人。今までのシリーズを複数回見てから、最も重要な3回目を視聴して欲しいとのことです。
[L2]登録者5万人ありがとう句会ライブ
<2020/11/15公開>
YouTubeを通しての第二回・句会ライブが11月15日(日)午後2時から約1時間半にわたって放送されました。
チャット形式で即時に参加者が投稿でき、投句は夏井いつき先生のブログの専用フォームから送信する形式でした.。
さらに、今回はお二方が特製Tシャツを着て放送に臨みました。
また、同時視聴者数は2100人にも達し、投句も2900句以上と句数は前回を越えたようです。
今回の投句テーマ(席題)は「まっしろ」でした。
俳句の作り方 |
【例】「まっしろ」□ ○○○○○○○ △△△△△(季語) ※上記は基本の作り方で、季語は中7に入っていてもOK ※「まっしろ」という音が入っていれば、平仮名・片仮名・漢字の表記は問わない ※続けて「まっしろ」と発音できること(「ましろ」はNG) ※投句終了は午後3時まで(開始から約1時間) ※コメント欄には投句NG(動画概要→ブログフォーム) |
さらに、投句締切後に「ガチャポン俳句」というランダムに俳句を紹介する企画を敢行。先生が引いた番号くじに割り当てられた番号の俳句を正人さんが紹介し、夏井先生が3段階でベルを鳴らして評価しました。
以下、番組で取り上げられた作品のうち受賞作品を掲載します。グランプリには特製Tシャツが贈呈されるそうです。
◆優秀作品※俳号は敬称略
グランプリ | まっしろな水はかなしい雪だるま | 登りびと |
組長賞 | まっ白な兎を友として余生 | 河野しんじゅ |
正人賞 | まっしろな春へ伸ばすオウムガイの触手 | いさな歌鈴 |
ギャラリー賞 | わが末子廊下の蜘蛛を追いかける | 夜行 |
トップで賞 | 真っ白に放れる突堤海猫帰る | かなたひらく |
[59]【文体と表記③】全部で4パターン!整理してみましょう
<2020/11/19公開>
3回シリーズの完結篇。最初に、2回分の動画の内容である「文体」と「表記」を取り上げた例句で復習しました。
ここから混乱が生じる部分だと先生が語る核心部分に。文の体裁である口語(話し言葉)・文語(書き言葉)と表記の新かな(現代仮名遣い)・旧かな(歴史的仮名遣い)で、どれを選ぶかは自分で選択が可能だと前置きしますが、文体と表記のどちらで選んだのか間違えやすいとのこと。
前回も取り上げた森澄雄(もりすみお)の「妻がゐて夜長を言へりさう思ふ」をもとに解説します。これを4パターンに分けて紹介しました。
①文語・旧かな | 妻がゐて夜長を言へりさう思ふ(原句) |
②文語・新かな | 妻がいて夜長を言えりそう思う |
③口語・新かな | 妻がいて夜長を言ったそう思う |
④口語・旧かな | 妻がゐて夜長を言つたさう思ふ |
仮名遣い(旧かな・新かな)は表記の問題で、「ゐて・いて」「言へ・言え」「さう・そう」「思ふ・思う」「言っ・言つ」のそれぞれで判断が可能です。
この4パターンのどれで書くかを判断しながら句を書く必要があるとまとめました。
[60]【コメント紹介】生配信句会ライブのコメントを紹介します
<2020/11/22公開>
※動画[L2]を振り返って視聴者からのコメントや感想を紹介しています。実際の紹介は動画を閲覧してください(まとめの作成は行いません)。
[61]【固有名詞】作品名を使ってもOK?
<2020/11/26公開>
動画[36][37]に続き、"こんな言葉、俳句に使っていいのかシリーズ"第三弾。お題は固有名詞で、作品名を中心に語ります。「ゲルニカ」など文学的な固有名詞も使われやすく、"本歌取り"のようにその作品が持つイメージも句の良さに惹きつけられるところがあるそうです。
ただ、季語とのバランスが難しいと先生は押さえつつ、例句を紹介します。
高浜虚子(たかはまきょし)の「落花生喰ひつゝ読むや罪と罰」。『罪と罰』はドフトエフスキーを代表する小説。主人公・ラスコーリニコフは頭脳明晰で貧しい元大学生ですが、金貸しの強欲で狡猾な老婆を殺害し、殺害現場に偶然居合わせた妹まで殺害することで、苦しむ様子を描いた作品だと紹介。高浜虚子自身が読んだかもしれないが、読む人物を客観描写した可能性もあり、小説の世界が下五の固有名詞によって本歌取りされたと先生は解説します。その効果として季語を活かし切れているかに関わると続けます。
家藤さんは「落花生喰ひつゝドフトエフスキー」と作者名を入れることも出来るが、「罪と罰」の重々しい言葉のインパクトにより、落花生を割って殻は捨てるが美味しい中身だけを頂く動作が、作品本編と関わるのではないかと味わいます。
先生は「や」の強調により、「喰ふ」「読む」の2つの動作をとっ散らかしながら『罪と罰』を読む落差があると語り、「落花生」だから成立する句であり、かつ中七のだらだらとする季語の描写で下五との質量のバランスをとっていると解説します。
次に、鈴木六林男(すずきむりお)の「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」。出版社に森鴎外の小説名を淡々と並べた無季の句で、思い切った句だと感触を述べる先生。先ほどの句以上に固有名詞の力が大きいですが、心が殺伐とした内容の小説だと先生は語ります。17世紀中頃、肥後藩主の細川忠利が病状悪化で死去したため、側近らが次々と殉死を願い入れます。阿部弥一右衛門は殉死を認められず、新藩主を支えるよう命じられた遺言に従いますが、周囲からの冷ややかな後ろ指を指され、それを苦に死去。その後息子らが死んだ父の名誉を回復するために世間と戦いますが、藩の差し向けた討ち手によって一家全滅するという痛々しい内容の小説です。句としてもこの本が遺品に一冊あったとして、日本人の精神構造を突き尽きられるような感じがあり、武士道のような思いを持って亡くなった方なのではないかと想像させる効果があると語る先生。「遺品あり」のストーリー性を挙げる家藤さんに続き、季語を入れずに固有名詞を畳みかける勇気を褒め称えます。
固有名詞を使う時は、大いなる本歌取りとなるため季語とのバランスは大変気を遣わなければならず、さらに無季は勇気が必要だと2句について総括します。
少し軽やかな句を。林桂(はやしけい)の「ナウシカと名づけて空蝉を愛す」。スタジオジブリ作品『風の谷のナウシカ』からの引用。作品に感動して先生は真っ先に泣いてしまうとのことですが、「ナウシカ」は映画・書籍・登場人物名でもあります。劇中に出る巨大生物「オーム」が空蝉と重なるようで、すごい好きだと語る先生。これも作品が土台としてあることで、句の世界観が出ると語る家藤さんは、固有名詞の内容を知らないと句の良さを正しく理解できないと語ります。確かに「ナウシカ」を知らない人には句が理解されないリスクがあると先生は押さえます。
固有名詞も挑戦してみましょうと語って締めました。
[62]【字余り】中七の字余りはタブー? 名句で解説します
<2020/11/29公開>
動画[25][46]に続く、字余りシリーズ第三弾。中七の字余りについてです。俳句の定石として中七を字余りにするのは避けるべきだと最初に語る先生。プレバト!!でも名人らへ鬼の首を獲ったように「中八!」と厳しく指摘していますが、字余りの名句を紹介します。
能村登四郎(のむらとしろう)の「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」。俳壇賞で作者とお会いした時のエピソードを黄色く語る先生は、良い句だと語ります。五八五の中七字余りですが、一度考えたいのは中七の定型に出来るかだと先生は語ります。
この句は「て」か「に」を削除できますが、「に」を取ると「槍歩み寄る」と不自然な擬人化となるため、「て」を取るしかありません。「槍投げて」の原句は「て」の助詞によって、ゆったりした時間があるように感じられると家藤さんが述べ、先生は助詞の用法を注意します。「て」はうっかり使うと間合いが長くなりすぎますが、逆に間合いを表現したい時には良い働きをすると解説。槍を投げたある程度の距離感を歩み寄っていく時間が活きると語る家藤さんに続き、動詞が多いにも関わらず忙しない感じが一切しないと先生は語ります。「春ひとり」に美しい孤独感があり、「て」の間合いの効果と合致すると味わいます。
続いて、山口青邨(やまぐちせいそん)の「舞姫はリラの花よりも濃くにほふ」。この句も五八五の字余りですが、中七を定型にして比較検証します。「も」を取れば定型になりますが、この「も」の効果を考えます。家藤さんは言葉の比重が変わると述べ、「リラの花」の存在感が定型よりも強く出て、余情も出ると語ります。「も」のおかげで「リラの花」の印象が妙に引っ張られ、「舞姫」と同じように濃く匂っている印象があるのではないかと先生は述べます。華やかさや下五の嗅覚に集約させようとする効果があり、「槍投げ」の句と異なると家藤さんが印象を語ります。中八は目的を持って注意深くやるべきだと先生は忠告します。
ここで、複数の字余りが共存するタイプの句を紹介します。
星野立子(ほしのたつこ)の句「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」は、六七六と上五と下五が字余りの一句。助詞を除けば定型も可能ですが、敢えてどちらも字余りにしている一句。余情を生んだり、感情の焦点を絞ったりする効果とは別に、人物の集中(上五)と対象の明確(下五)の効果があると家藤さんがまとめます。先生は、命名をしたのが「父」だという想いと、月を仰ぐ目線を明確に置くのが良いと解説し、定型にした場合は全体がスカッと気の抜けた感じになると語ります。俳句は言葉の質量を考えますが、上五の字余りを下五の字余りでバランスを取ったと考えます。家藤さんは名人芸だと感触を述べます。
字余り・字足らず・破調は難しいと語りますが、破調もシリーズ化していきたいとのことです。また、字余りとんでも応用シリーズも紹介したいと語って締めました。
[63]【人生相談】自分の名前が好きじゃない
<2020/12/3公開>
動画[51]以来の人生相談第4回。「自分の名前が好きじゃありません」というコメントに対し、先生はそういう人はいるものだと認めます。自分の名前が好きじゃない理由も様々あるはずだと察する先生は、古臭い・普通過ぎる・レアすぎて読み間違えると列挙します。さらに、女性の場合は結婚して姓が変わることで、フルネームの印象が変わる実例を挙げ、悩める方々に一句を紹介します。
星野立子(ほしのたつこ)の「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」。この句は動画[62]の字余りの回でも紹介された一句。作者は高浜虚子の娘で1903年生まれ。父である虚子に最も将来を期待された俳人で、昭和女流四Tの一人として名高い人物です。
先生は「立子(たつこ)」の名前を本人がどう思っていたか推察します。第三者から見ていると、全てを背負って受けて立つという名前が本人にとって重荷だった時期もあるのではないかと案じますが、それを引き受けながら懸命に生き、「立子」の名前が自分の身についてくる瞬間があったことで、この句が詠まれたのではないかと語るのです。下五「月"を"仰ぐ」と字余りにしたことで、しみじみとした感じが心に染みると味わいます。
自分の名前が嫌いと思う時、名前そのものの問題や命名者との人間関係との問題など色んな理由はあると察する先生ですが、根本的な部分ではその名前を持つ自分が嫌いで、自分が好きになれない部分があるのではないかと語ります。自分そのものを好きになる方向に意識を向けて行く方が、建設的・生産的なのではないかと優しくアドバイスしました。
[64]【本紹介】『365日季語手帖』についてお話しします
<2020/12/6公開>
冒頭から挨拶なしに本題へ。夏井先生の著書『夏井いつきの365日季語手帖(てちょう)』の最新作2021年版を紹介します。2017年版から毎年、前年の年末刊行されている人気の本。最初は表紙の色合いがピンク系でしたが、新刊が発行されたと分かるように毎年色合いを変えるようにしたそうです。
本の利用法について言及します。読むというよりは書き込んで使い込むというスタイル。365日分に分かれ、毎日の季語とともに例句や解説、季語の簡単な説明が添えられており、一週間分の最後の余白に自分が作った句などをメモできる形式です。毎日の季語を覚えながら作句が練習できる本だと先生は述べます。
眺めるだけでも知らない言葉を知るのが楽しいのではないかと語る家藤さん。季語を覚えながら、俳句を書き留めるノートの役割があると先生が補足します。
さらに特徴的なのが、一般の読者が投句した作品の優秀作(特選)が翌年の刊行版の例句に掲載されること。有名俳人の例句の隣に自分の俳句が特選として紹介される可能性もあります。特選ではない入選作品(秀作・佳作)は巻末に掲載されます。
動画では2020年版のいくつかの作品を紹介しています。
2021年版(青系の表紙)も刊行されますが、投句締め切りは例年8月前後。何月何日(に掲載されている)の季語で投句するかを決め、応募する必要がありますが、締め切り日の関係上秋・冬・年末は例年手薄になりやすいので、掲載確率を上げる場合は狙い目かもしれないとのことです。
1年俳句を楽しみつつ鍛錬してまいりましょうと家藤さんが述べ、即吟の腕にも繋がると先生が語って締めました。
[65]【助動詞:前編】鐘が鳴るなりの「なり」の解釈は?
<2020/12/10公開>
助動詞シリーズ第1回。助動詞は助詞と異なり、活用があるのが面倒だと語る先生。動画[47][48]で取り上げた「打水~」の句で助動詞「し」があり、コメント欄でも助動詞の解説を取り上げて欲しいという声が多かったそうです。今回は有名な俳句から助動詞「なり」の解釈を考えます。
正岡子規(まさおかしき)の句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」。この句を詠んだ作者の背景はさておき、表記から意味を解説したいと語ります。
ポイントは2つ。1つ目は「くへば(食えば)」。動詞の已然形+「ば」の形ですが、意味は3通りあります。
①恒常条件:「常に~している」。柿を食べた時は常に。
②偶然条件:「偶然に~が起こる」。柿と食べたところたまたま。
③確定条件(原因理由):「…して~が起こる」。柿を食べたので。
この句は②の偶然条件で、柿を食ったので偶然に鐘がなったと捉えることができます。
さて、2つ目となる本題は助動詞「なり」。動詞の終止形に接続する助動詞で、高校の文法の教科書にも分類表が載っていますが、この句では(1)伝聞推定、(2)断定の2つの意味の可能性があると述べ、先生はどっちの意味にとるか迷うのではないかと読者に問いかけます。
(1)推定:「鳴ったようだ」「鳴るらしい」。伝聞:「聞こえるそうだ」。
「推定」は不思議な感覚になると語る家藤さんは、「伝聞」だとさらに不思議だと語り、先生も違和感が残る読みだと補足。
(2)断定:「鳴るのだ」「鳴るぞ」。
間違いないと強く言う感じ。先生は強く断定する必要があるかと家藤さんを質します。「鐘なり」ではなく「鳴るなり」の用法で、断定と捉えるのは子どもの時には思っていたが、今は違和感があると語ります。
先生はこの句を二択のどちらに解釈するか、どんなニュアンスの句なのかを考えてほしいと命題を視聴者に投げかけます。コメント欄に書き込んで欲しいとのことです。
[66]【助動詞:後編】解答回!教科書には載っていない「なり」のニュアンス
<2020/12/13公開>
前回の動画[65]の解答回。「柿くへば鐘がなるなり法隆寺」の「なり」の解釈が(1)伝聞推定、(2)断定のどちらなのかを考えます。文法書ではなく、先生の国語の故郷と語る愛用書「日本国語大辞典」でそのニュアンスを確認します。
断定 | ある事物に対して、その種類・性質・状態・原因・理由などを説明し、断定することを表す。 | 「鳴るだよ」「鳴るである」 |
伝聞 推定 | ①耳に入る音の様子から事態を判断することを表す。 | 「鳴っているらしい」 「鳴っているようだ」 |
②他人の話・世間の噂・故事や古歌などによって判断する。 | (人から聞いて)「鳴るらしいよ」 | |
③音や声に関係のある語句を受けて音や声が聞こえる(と判断する)ことを表す。 ※音を感知する・音を認識する | 「鳴っているよ」 |
「柿を食っていたら偶然、鐘の音が聞こえてくるよ(音が聞こえたと感知をしましたよ)。」という意味になると結論付けます。
伝聞推定の「なり」を考えたり使ったりする際に、音に関連する言葉であれば認知・感知の意味で使えることを覚えて良いと述べる先生。家藤さんは、子どもの頃に思っていた意味と違うことに新たな発見を感じ、しっとりした味わいがあると感触を語ります。
今後も色々な助動詞についても取り上げる予定で、前回動画で掲げた「くへば」の「ば」についても語りたいと闘志は尽きないお二方でした。
[67]【季語】「マスク」は季語として絶滅寸前?
<2020/12/17公開>
季語は生ものであるという話から入るお二方。最近よく聞かれるのが「マスクは季語ですか?」という質問。「絶滅寸前季語辞典」を10年に1回改訂し(次回2021年予定)ている先生ですが、季語を引き継ぐ意味合いからも次回は息子の家藤正人さんに執筆をお願いしている先生は、生ものである季語は生き死にがあり、意味合いが刻々と変化していると語ります。
かつて季語として存在していたが、もうやらなくなった行事、使わなくなった物で、現在は絶滅に瀕している言葉を集めた季語辞典だと解説する家藤さん。先生は、絶滅したはずの言葉が10年後に復活するケースもあると語り、ユニクロでブームとなった「ステテコ」やキャンプ用品として再注目を浴びた「火吹竹(ひふきだけ)」を例に挙げます。
また、建具(たてぐ)建材の発達で絶滅しかけている季語として「隙間(すきま)風」を挙げます。「ピ~」という小さな虎落笛(もがりぶえ)のような音が鳴りますが、今は体験しにくいのではないかと語ります。
先生は、何かのせいによって季語として廃れる・復活するという両極端のどちらかのパターンを体験しており、医学の進歩で「種痘(しゅとう)」がなくなるなどを例に挙げますが、質問の「マスク」は全然違うタイプだと述べます。
「マスク」は本来冬の季語(風邪・ウイルスが流行る時期)で、「春のマスク」(花粉症対策)も季語として認めて良いのではないかという議論はされていたと前置きする家藤さん。2020年はコロナ禍に見舞われ、季節を問わずに一年中マスクをするようになり、日常目にする「マスク」に対して季節感が失われるということが起きてしまいます。これは初めてのケースだと先生は感嘆したように語ります。
果たして、マスクは季語としての力を失うのでしょうか。その点も含めて「絶滅寸前季語辞典改訂版」にはマスクの項目を入れようと語る先生。一寸先は闇であり、季語の生き死にも人間社会と一体となっているため、どんな変化がどの季語に対して起こるかは予測不能だと総括します。疫病関係では「コレラ舟(せん)」を用いた高浜虚子の句「コレラ舟いつまで沖に繋り居る」もありますが、今は昔の季語に。
コロナ禍が終息すれば、再び「マスク」が冬の季語に戻る可能性はありますが、全くわからないとのことで、早く「絶滅寸前季語辞典」を出版したいと意気込みを語るお二方。季語の生き死ににもアンテナを立ててほしいと先生は語りました。
[68]【おしゃべり俳句】子どもや孫の声を俳句にしてみよう
<2020/12/20公開>
視聴者参加型の新シリーズ。コメント欄では、自分の句を見てほしいという声も散見されますが、全部は受け入れられないとのことで、教師の経験を活かした教育的なシリーズ「おしゃべり俳句」を開講します。
自分の子や孫など小さい子がポロっと素敵な言葉をつぶやくことがあり、その言葉を俳句を使って育てていこうというアイデアを提案。さり気なくつぶやいた言葉は出来るだけメモしておきたいと後悔もさながらの先生ですが、子の呟きが俳句そのものになっているかは別とし、心が揺れ動く(ハッとする・温かくなる)言葉を採取していきたいと呼びかけます。実際に感動したという子どもの俳句作品もあるそうで、①南海放送ラジオ「夏井いつきの一句一遊」や②松山市公式俳句投句サイト「俳句ポスト365」などに寄せられた作品を紹介します。
①では2016年の「名月」の兼題での天賞の一句。たくみ(3才)の句「めいげつやだいおういかのめはおおきい」。先生は、空にある十五夜の素晴らしい月と深海にいるダイオウイカと取り合わせられた瞬間に、名月と目がダブっていくかのような衝撃を受けたと語り、投句者の母親は「息子に名月の話をしたら、なぜかダイオウイカの話を始めた。夜空と深海のイメージは悪くないのでは?」とコメントを寄せていたそうです。子どもには季語のイメージを少し話すだけで良く、大人が思いつきもしない発想に着地することはよくあるとのこと。こういう俳句を残した記憶が、その子の言葉に対する自信に繋がることが大事で、さらに褒めるのも大切だと押さえます。
②では2015年「秋の蝶」の兼題での一句。さな(3才)の句「秋の蝶ほしはゆっくりうごくけど」。投句者の祖母が俳句仲間で、その方のコメントには「『今度は秋の蝶々さんよ。何かお話聞かせて』と言ってできた五七五。さなが家に来ると机上の俳句ポスト作品集を見て国語辞典をパラパラめくっています」と寄せられたそうです。後半は投句者のつぶやいた台詞で、「秋の蝶」からの連想の糸口が本人にあって出てきた句であり、作品として季語との付かず離れずの不思議な味わいが確保されていると解説します。
子どもたちの言葉を採取しながら俳句を作っていくのが大事なポイントに。「おしゃべり俳句」はおススメで、子どもたちの言葉に耳を傾けてほしいと投げかける家藤さん。次に俳句ポストの選評に先生が書かれた「おしゃべり俳句」のポイントを紹介します。
1:子どもたちのおしゃべりをそのまま12音に書き留めてあげましょう。 |
2:子どものおしゃべりを、5・7または7・5に整えるときに大人が勝手に手を入れない。 |
※子どもは子ども心にプライドを持っています。自分の喋ったことがそのまま俳句になるのは嬉しいけれど、大人が少し直していることに気付くと嫌な気持ちになるのです。 |
ある意味新しい境地での子との関わり方だと語る家藤さんは、「孫かわいいね」と語るところでも、楽しくお話をすることで言葉を採取すれば、単なる孫俳句ではないものが出来上がると補足します。どこかの俳句コンテストに応募すると景品が当たることもあるという先生は、不純な動機でも良いから、挑戦して欲しいと述べます。
出来上がったものはコメント欄に書くと、次回動画で取り上げることもあるとのことです。季語は最初は考えず、まずは12音の採取を優先。俳句か否かにとらわれず、素敵な言葉をまずは書き留めることから始めましょう。
[69]【商品名】「ラッキーストライク」は使ってOK?
<2020/12/24公開>
動画[36][37][61]に続き、"こんな言葉俳句に使っていいのかシリーズ"第4弾。今回は商品名を取り上げます。昔の「ボンカレー」の鉄製の宣伝が飾られている話をする先生ですが、もちろん俳句に使ってよいと語る先生。しかし、商品名の印象がある分使いこなすのが難しいと語ります。
愛媛県生まれで伊丹三樹彦に師事した俳人・坪内稔典(つぼうちねんてん)の「春の坂丸大ハムが泣いている」。脳が痙攣を起こしそうなほど難解な一句だと解釈に困る先生。句の持つ空気や言葉のリズムを楽しめば良いとも語りますが、「春の坂」「丸大ハム」は妙に似合っており、春の麗らかな坂が固有名詞が持つ空気感が良いものの、「が泣いている」で呆然とすると述べます。「丸大ハム」の看板がある光景かもしれないと家藤さんが述べ、雨に濡れてしっとりとする感じもあると語ります。先生は、自転車で坂を上る途中に「丸大ハム」を落としたため、擬人化したハムが泣いているかもしれないと巧みに連想を働かせます。様々な大人の事情も語られますが、仮に「丸大ハム」を「日本ハム」とすると、プロ野球球団が敗戦で泣いているという誤読を生じかねないと先生は深読みします。「伊藤ハム」とした場合との比較において、「丸」「大」の字面が美味しそうと述べる家藤さんに続き、字の効果が「春の坂」の穏やかさや麗らかさと似合うかもと先生は語ります。そして、作者の坪内氏が丸大ハムから何かを貰った逸話を読んだ気がすると語り、そのようなメリットがあるのかもしれないと話はとんでもない方向へ。
続いて、兵庫県生まれの自由律俳句結社「青穂」同人の俳人・きむらけんじの「寒いガレージにラッキーストライク忘れてある」という一句。「ラッキーストライク」はタバコの銘柄。白いパッケージの中央の赤い丸が特徴的ですが、その部分にハッとしたのではないかと味わう先生。「寒い」に赤を取り合わせる句は多いものの、この句は「赤」を用いずに商品名でそれを巧みに表現しています。タバコの銘柄は他にもありますが、「マルボロ」「わかば」とは異なり、「ラッキーストライク」の良いことありげな字面が「寒い」との取り合わせに合うと家藤さんが述べ、カタカナ語の持つバタ臭さも相まって、商品名の持つ効果があると先生が続きます。
さらに、先生のご主人で第九回俳句界賞受賞の俳人・加根兼光(かねけんこう)の「エイプリルフールを熱さまシートかな」。片仮名語・固有名詞・記号も多く使われるという作者とのことですが、エイプリルフールに熱を出しているのが馬鹿馬鹿しい感じがすると語る家藤さん。薬ではなく、目に留まるように額に「熱さまシート」を貼る光景で、本当かいな?と言いたい飄々とした感じがあると語るのは先生。「熱さまシート」は小林製薬の商品ですが、御主人は小林製薬のCMプロデューサ―も長年勤めているそうです。別会社の「冷えピタ」とは異なる空気感で、「熱さまシート」が持つ薬のネーミングが良く、あの会社の精神がこの句を成立させていると褒め称えました。
[70]【人生相談】元気がないと言われます
<2020/12/27公開>
動画[63]以来の人生相談第5回。「上司や同僚から元気がないと言われます」という質問。先生は悩める方にピッタリな句を紹介します。
飯田蛇笏(いいだだこつ)の四男である俳人・飯田龍太(いいだりゅうた)の「露草も露の力の花ひらく」。飯田龍太の句が大好きと語る先生は、自分を露草だと思いなさいと忠告します。静かな花を露草の力で持って咲かせているのだと思ったら良いと述べるのです。さらに、先生は質問者の最後の言葉「ほっといて下さい」が気に入ったとまで語り、反骨精神がある方だと推測します。露草は青く小さな可憐な花ですが、畑をやる人にとっては厄介な雑草で抜いてもはびこってくる生命力が大変強い草だと解説し、その草にあやかるように自分を重ねるべきだとアドバイスします。他人の目は気にせず、露草なりに生きていき、引きたいなら勝手に引けと思い、それでも俺は根っこを土の中に置いて新しい芽を出すぞと言い放ったら良いと爽快に語りかけます。
露草は咲くたびに「ほっといて下さい」と咲いているのだと思えばよいと質問者の言葉を借り、この句は生きる力を頂いた句だと先生は感触を語り、おすそ分けするとも述べます。
何か言われても「文句があるか!」と言って良いと語って締めました。
[71]【季語】極月の意味は?年末に使える季語
<2020/12/31公開>
2020年最後の動画は、大晦日の総まとめとして、年末ならではの季語を取り上げます。年末・新年の季語には面白い季語が多いと語る先生ですが、時間の幅が長い季語から紹介します。
①「極月(ごくげつ)」は12月の別称。「師走」は3音、「極月」が4音、「十二月」が5音と類語の季語でも音数が異なりますが、迫力のある季語と語るは家藤さん。ニュアンスの違いを上手く使い分けることも重要だと先生は述べ、「おそろしきこと言ひにゆく十二月」という過去のご本人の句を紹介します。1か月間の幅を持った季語です。
②「年の暮(くれ)」はより年末の近づきのニュアンスが強くなりますが、いつから年の暮を感じるかが話の焦点に。お歳暮の準備や送られる辺りから実感すると語るお二方。運送業でかつてアルバイトしていた家藤さんは、12月の頭からお歳暮を配達する辺りから感じるとも述べ、人それぞれで時間の幅が異なると先生がまとめます。
③「数(かぞ)え日」は今年の残り日数を数えられるほど年の瀬が迫っている様子。これもいつからかと尋ねる先生に対し、両手で数えられる10日以内で、かつ街中のクリスマスが終わる25日以降に急に年末感が出るのではないかと家藤さんが答えます。割と押し詰まるまで数えないという先生ですが、12月は原稿など様々な締め切りが通常より早いという事情を語ります。
④「小晦日(こつごもり)」は大晦日(12月31日)の前日、現在の12月30日に当たります。「晦日(つごもり)」であれば毎月の最後の日です。年末から2番目の日の小晦日に対し、大晦日(おおつごもり)は1年の最後の日も兼ねます。季語として「小晦日」「大晦日」を使い分けるのは難しいと語る先生。難しいほど俳句を作る人はファイティングになるとも述べ、12月30日・31日の生活行動の違いなどを考えて詠み分けてほしいと語りかけます。
⑤「去年今年(こぞことし)」は、時間軸がやや長め。去年が終わって今年になる循環する年月のイメージも持っていますが、実際は新年の季語。まさに年が変わった瞬間という「刹那(せつな)」の意味も持つ難しい季語だと語ります。この季語の本質をクローズアップしたのは、高浜虚子(たかはまきょし)の「去年今年貫く棒の如きもの」。去年が終わって今年になったという感慨を詠んだ例句が歳時記には多いと印象を語る先生ですが、虚子の句から、年が変わった一瞬の"刹那"と繰り返される"永遠"が表現され、この季語がますます凄い物になったと認識していると印象を語ります。「貫く棒の如きもの」の比喩が上手く、12時になれば去年から今年に一瞬のうちに変わっていくと味わう先生は、句を褒め称えます。
YouTube動画を見て俳句を始めた人にとって、初めて俳句と共に越す1年になると綺麗にまとめる家藤さん。
良いお年をお迎えくださいと語って今年の動画を締め括りました。
→2021年分の記事はこちらをご覧下さい。

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